凩の吹かない季節と、君を忘れた歪んだ世界《The biased world without you.》

紺痲 游也

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第二話:目は口ほどに物を言う《unopened》

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 世田谷区内の複数個所で同時発生した計四件の無差別傷害事件――通称、シロサワ事件。


 性別も年齢も違う、直接の接点もない四名が凶器を手にして無差別に、総計十七名を襲った事件である。
 用いた凶器はナイフ、バット、バール、ゴルフクラブと犯行に及んだ四名でそれぞれ異なっており、また、何か共通した要求や思想のようなものも見られない。

 それでも、それら四つの事件が一連の事件と見做されているのは、その四名全員が自身の名を「シロサワ」と名乗ったということだった。事件直後の警察の調査により、その名前が偽名であったことがすぐさま判明したわけだが、それでもその四名の犯人が全く同じ偽名を用いたということこそが、この事件を関連付けることとなった。

 当然、警察はその四名に何らかの指示を行った、あるいはマインドコントロールやそれに類する思想的影響を与えた、いわば真犯人の存在を疑ったわけだが、結局そうした人物が捜査線上に浮上することのないまま時間だけが過ぎていった。

 死人こそ出なかったものの、被害者数が多かったことや同じ偽名を名乗ったという奇妙な特徴から、そのニュースはそれなりの話題になったし、陰謀論めいた憶測が飛び交ったものであった。

 しかし、どれだけ世間が騒いだところで、警察の調べが進捗するわけでもなく、四名それぞれのはっきりした動機なども判明しない期間が続いた。


 犯行現場の一つの近くにある大学に僕が通っているということもあって、僕自身も警察の取り調べも受けたりもした。とはいっても、僕としては警察に話せるようなことはほとんどなかったので、僕の証言が何か警察にとっての事件の解決の進展につながったのかといえば、そんなことは全くなかったのだけれど。


 兎にも角にも、事件発生から数ヶ月が経ち、傷害事件としてはかなり時間がかかっているものの、現行犯逮捕であるということもあり、警察としてもようやく起訴に至ったというのが、今朝僕が目にしたニュースであった。
 論点としては、被告人四名それぞれの犯行当時の刑事責任能力ということらしかった。
 つまり、それらの犯行が何かしらの心神耗弱状態のもとで行われていたのかどうか、そのあたりが彼ら彼女らの量刑に影響するということだった。
 しかし、先ほども言った通り、マインドコントロールやそれに類する思想的影響を与えた真犯人が見つかっていない上、その存在を証明することは難しい、ということはニュースでは報じられていた。

 いまいちどういうバックグラウンドなのか分からないご意見番タレントが、犯罪心理学の専門家やらに、社会的孤独がどうだの、危険物の取り締まりがどうだの、色々とそれっぽく質問している様子が流れ始めたところで、洗面台で何かと格闘していた(どうやら、かなり手ごわい寝ぐせを直すのに手間取っているようだった。)風凪が準備を終えた気配を感じたので、僕はテレビを消して、朝食に集中することにした。


二不二じゅうじくん! 私の分ある?」


 僕は自分が食べているトーストを口の中に押し込みながら、焼けているもう一枚のトーストを指さした。そして、飲みこんでから、バターとジャムとかはお好きなように、と言った。
 ちなみに僕は、焼きたてであれば食パンだけでも十分に食べられる、と僕は思っているので、特に何もつけずに食べている。


「何か見てた?」


 風凪は冷蔵庫の中からマーマレードジャムとバターを出しながら、僕に尋ねた。まだ少し寝ぐせが残っているが、どうやら彼女は戦略的撤退を選んだようだ。


『特に何も。偉そうなコメンテーターが偉そうにしゃべってるだけだったよ』


 僕はそう答えて、インスタントコーヒーを飲み干すと、テーブルから立ち上がって右手に着けた、動かない方の時計の針を、左手に着けたソーラー式の時計の時刻に合わせた。

 僕のルーティン。風凪を忘れないようにするための、時刻記録。

 またどうせ後で記録しなおすことになるので、実際のところ無駄な作業ではあるのだけれど、気付いた時にやっておかないと落ち着かないのが、僕の性分だった。そして、僕が自分に課しているこのルーティンそのものが無駄なことだということもよく分かっていることだった。


「ふーん、そっか」

 そう言って、風凪がマーマレードジャムを塗ったトーストを頬張っているのを横目に、僕は家を出るための準備を続ける。

 そうしていると、またテレビの音が聞こえ始めた。どうやら風凪がつけたようだった。

 幸いにも、というのが正しいかは分からないが、シロサワ事件に関する報道はすでに終わっていて、バレンタインデーの特集に移っているようだった。
 僕は画面を見ていなかったので、音声だけが聞こえている状況だったのだけれど、デパートでのチョコレート商戦の様子を報じていた。

 今や、バレンタインのチョコを期待するどころか、その話題を下手に出せばパワハラ・セクハラになりかねないような世の中になったわけだけれども、僕としては前からあまり縁のない話ではあった。
 過去に交際していた相手がいなかったわけでもないのだけれど、僕があまり甘いものを食べない性分だということもあり、当時のパートナーからそういったものをもらうこともなかった。

 僕だったら、その報道に興味を持つわけもないので、すぐさまチャンネルを変えただろうけれど、一方の風凪はどうやらその報道に興味を惹かれたらしく、そのままその特集を見続けていた。



「ねぇねぇ、二不二くん。バレンタインデーの起源って何か知ってる?」


 風凪は、齧り付いたパンを咀嚼しながら言った。


 チョコレート会社の広告が始まりって話だった気がするけれど、と僕は出かける準備をしながら答える。

「違う違う、それは日本のバレンタインデーにチョコをあげることになった起源の一説でしょ? 私が言っているのは、そもそもキリスト教圏でバレンタインデーが生まれた起源だよ」


 それは知らない、と僕は答える。

「昔、ローマ帝国の皇帝が、故郷に恋人を残した兵士は士気が下がるからっていう理由で、結婚を禁止したらしいのだけど、それに反抗したバレンタイン司祭が処刑された日が恋人の日になったんだって」


 へぇ、と僕は気のない返事をした。
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