凩の吹かない季節と、君を忘れた歪んだ世界《The biased world without you.》

紺痲 游也

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第一話:人の口に戸は立てられぬ《unconscious》

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 明日語がどのようにその姿を自在に変えているのか、ということについて、詳細を述べることは、あえてここではしない。
 それが今回の物語について、重要な要素になるというわけではないし、重要な要素だったとて、そもそも超常的すぎるがゆえに、解説が意味をなさないからだ。

 だから、明日語の容姿に関するこの一連の流れにおいて、着目すべき点だけを書き記しておくとするならば、このタイミングで語匿神社を訪れるのが、風凪一人のみであるということを予見していた、という気味の悪さだけであろう。

 全てにおいて、先回りして何もかも分かりきったように振る舞う言動こそが明日語という男(中年?少年?)のキャラクターを象徴するものであると言っていい。

 そして、そんなキャラクター性を知りすぎるほどに知っている風凪は、それに驚くことなく、それよりも彼女がその時点で出している仮説について、答え合わせをしておくことにした。


「『舌切り雀』は日暮くんのお母さんの『歪み』が生み出した超常現象アノマリー……なんだよね? それに気づかせるために、つまり、日暮くんのお母さんに会わせるために、事象現場である世田谷城址公園から時系列とは逆順に足跡を追わせた。日暮くんの生活圏へ、日暮くんのお母さんが帰ってきそうなあの時間に到着するようにするために。そういうことだよね?」
「なかなか『代理人』としての役回りが板についてきたね。何より何より。まぁ、ドンピシャで会えたのはもちろん偶然だけれどね」

 そんな風に嘯く明日語だったが、彼が言うとその偶然さえも必然であったかのように風凪には思えた。
 そして、実際にそれは必然だったのだろう、と僕は思う。論理とか理屈とかを超えて、彼の言うことなすことは必然性を帯びる――帯びてしまう。


 なんにしても、明日語の言い方からすると、やはり風凪の「舌切り雀」に対する仮説というのはそれなりに的を射た仮説であるらしかった。
 幕上の母親に出くわした直後に、「舌切り雀」に襲われた時点で、その前後関係から風凪の中でも、ぼんやりとした直感からほとんど確信へと変わってはいたのだが。

 となると、やはりその「歪み」の本質、つまり、なぜ「舌切り雀」は、つまり、幕上の母親は息子から味覚を奪うことを無意識に願ったのか、ということを知る必要があるということだった。それを読み解かない限りは、その「歪み」によって生じた事態をどのように収集するのか、という方向性が定まらない。
 さらに言えば、その「歪み」を解き明かすことは、幕上のためならず、風凪自身のためにも必要なことだった。何せ、「舌切り雀」のターゲットには、既に幕上だけでなく、風凪も含まれているからだ。

 口封じの対象として。
 べき相手として。

 だから、その「歪み」を解き明かさなければ、彼女も危ない、いや、もしかしたら幕上よりも彼女の方が危ないかもしれなかった。
 というのも「舌切り雀」に襲われた身体は傷だらけだった。襲われた時に反射的に庇ったので、顔面や頭部に関しては傷はつかなかったのは不幸中の幸いではあったが、衣服の上からでも鋭い嘴で突き回されればそれなりに痛む。服にもいくつか穴も開いていた。
 そしてその状況は、幕上の場合とは異なっていた。カレー屋で出会った時の幕上、すなわち「舌切り雀」に襲われた直後であった幕上には傷どころか衣服にもダメージはほとんどなかったのだ。
 となると考えられる可能性として、「舌切り雀」は幕上に関しては味覚を奪えればよかった、つまり作意はあっても敵意はなかったのに対して、風凪に関しては作意はなくとも敵意と害意があった、ということになるのかもしれなかった。換言すればその攻撃性は風凪の方に強く向く可能性が高い。
 先刻の襲撃も、下手をすれば大事に至っていたかもしれなかったのだ。

 そこまで考えて、風凪はそもそもどうやって連れてこられたのか、さらに言えば、あの「逆さ絵馬」のことに思い当たった。

「ところで、あの『逆さ絵馬』はなんなの?」
「え、それってそんなに重要かい? 『代理人』として褒めたばっかりなのに、そんな些細なことに気にとられているようじゃ、やっぱりまだまだだね」


 十歳の姿で、そんな風にふてぶてしく言う明日語だったが、風凪が少しムッとしたのが顔に出たようで、これには諦めたようにため息をついて明日語は続ける。

「分かった分かった。ちゃんと説明するよ。前にも教えたと思うけどさ、風凪ちゃん。語匿神社ってのは、基本的には一般の人間が関わるような場所じゃない。だから、僕ら回帰式や、風凪ちゃんみたいな代理人が連れてきた時にしか空間が繋がらないようになっているわけだ」
「それは前にも聞いたけれど……。『歪み』のことができるだけ世間に出ないように、本当に強い『歪み』が生じた時にだけ回帰式が介入する。だから語匿神社は自由参拝じゃなくて、自由参拝――なんだったよね? だから実際に今朝も私がそうやって日暮くんをここに案内したわけだし。でも、それがどう関係あるの?」
「そ。この神社は誰でも入れるわけじゃない。でも、逆にいえば本当にこの神社が必要な人を見つけるのにも手間がかかるわけだよ。みんながみんな、風凪ちゃんみたいにおせっかい焼きなわけじゃないんだから、ズカズカと何かあったの?って聞いて回るわけにはいかないしね」
「ズカズカって……」
「その辺は、君の同居人が一番気にしているところだとは思うけどね。まぁ、それはともかく。要はその回帰式や代理人が持つ案内役の役割をあの『逆さ絵馬』に付与したわけさ」
「案内役の役割を……付与?」
「言ってしまえば、語匿神社への鍵、だよ。触れれば、語匿神社へと空間が繋がる。感覚的にはワープっていうのが近いのかな。もちろん、それでも『逆さ絵馬』があれば誰でも入れるわけじゃなくて、近くに『歪み』の気配がある時限定だけどね。そういう意味では『歪み』探知機、とも言えるけれど」
「じゃあ私が昨日あれを色んなところに置いて回ったのは……」
「街中に『歪み』探知機を設置してきてもらった、みたいなものかな。まぁ、それを最初に使ったのが代理人である風凪ちゃんだった、ていうのはあんまり笑えない冗談だけれど」
「う……」
「それにしても、風凪ちゃんはツイているよ。そのおかげでこうやって助かったわけだし」

 そんな物言いも、僕としては、こうなることまで明日語は織り込み済みだったのではないか、と疑ってしまうのだった。


 「逆さ絵馬」を置いて回るように命じられたその日に風凪は幕上に出くわし。

 その幕上の抱える問題の解決のための現場検証で「歪み」の出どころである幕上の母親に邂逅し。

 さらに、その帰路で幕上の母親が生み出した超常現象、「舌切り雀」に行き会い。

 そして、「舌切り雀」に襲われた風凪は、自身が置いた「逆さ絵馬」によって救われた。


 気持ち悪いほどに、それぞれの事象が噛み合っている。数珠のように、繋がって――循環している。


 そんな明日語に対して僕が持っている疑心を、風凪が持っているかは分からないけれど。


「まぁ、確かに助かったけれど……。そんな便利アイテムがあるなら、先に言っておいてくれれば良かったのに」
「あくまで無作為に置いてきて欲しかったからね。余計な『歪み』が混じったりすると、うまく作用しなくなる可能性もあるからさ」

 明日語が言っている道理が、どういうものなのか詳細なことは分からなかったが、そういうことらしかった。だとしても、もう少し説明のしようはあったんじゃないかと、僕として思ったりもする。


「それで……今後の方針としては、やっぱり『歪み』を有している当人、つまりは日暮くんのお母さんにアプローチをするのがよいのかなと思うんだけれど、どうかな?」

 風凪は「代理人」として、「回帰式」明日語 飛鳥に問うた。

「うーん、それはなんていうか半分正解で、半分不正解かな。いや、正解は三割くらいか」
「三割……」
「いやさ、方針は合っているよ? でも、ちょっとの会話でこの攻撃性。幕上 日暮くんのご母堂様の拒絶のありようは相当のもんだ。これ以上、直接的に刺激するというのは、手段としては悪手だと思うよ」
「じゃあどうすれば……」
「なに、簡単なことだ。君が持ちうると、課されているを使うのさ」
「……コネクション? ルール?」


 風凪は首を傾げる。


「あれれ? ピンときていない? やっぱりまだまだ『代理人』としては半人前だねぇ。だからさ――」



*****



「よう」

 その日の夜中。午後九時三十分。

 幕上の自宅アパートの前までやってきた風凪に、彼は軽く手を挙げた。

「こんばんは、日暮くん」

 風凪は答える。

「んで、今夜はどうすんだ? 日中には『舌切り雀』は現れなかったが、夜の今なら現れるかもしれない、って考え方で行くと、また改めて世田谷城址公園に行くのが順当か?」
「ううん、世田谷城址公園に行くのはやめておこう。夜も遅いし」

 きっと、あまり意味はないし。と、風凪は心の中で付け足す。

 おそらくではあるが、結局、あの場所に何かの縁があったわけではない。
 ただ、幕上が一人になった、つまり彼以外のものに見られることがない、という条件が揃ったのがあの場所、あの瞬間だっただけで。

 夕方の時点で、幕上と夜中に待ち合わせを取り付けたのは、大きく二つの目的だった。

 しかし、一つ目の目的は実行されることはなかった。
 というのも、風凪としては幕上だけでなく、何かにかこつけて、幕上の母親ともう少し会話をしてみようと思っていたのだが――だからこそ、待ち合わせ場所を幕上の自宅のすぐ近くにしたのだ――それは、明日語によって止められている。
 それは、言うまでもなく、風凪が幕上との母親との邂逅直後に「舌切り雀」に襲われたという事実、そしてそこから類推される、下手に刺激をすればさらに酷い惨状になりかねない、という仮説からの判断だった。
 ただ、風凪自身が「舌切り雀」に襲われたことを、幕上に話すことはしなかった。いや、話すことはできなかった。それを話してしまえば、またぞろ、幕上の母親の話に触れざるを得なくなる。
 少なくとも、この段階で話すべきことではないように風凪には思えたし、それもまた明日語から止められていることだった。

 だから、その幕上の母親にアプローチするという目的の代わりに、風凪はそれとなく幕上に尋ねる。


「明日は……成人式、だよね? 何時に出かけるの?」
「うーん、開場は朝九時だから、まぁ八時半くらいかな」
「へぇ。ほら、ニュースとかでよく映る派手な着物とか着ないの?」
「俺がそんなことをするような見えるか? 普通にスーツだよ」
「あはは、全然見えないね。お母さんも成人式には行くの?」
「いや、明日は夕方までパートで、朝の七時には家出るって言ってたぜ」
「そっか。それはお母さんとしても少し残念なんじゃない?」
「さぁ? そんなことないんじゃないか? それにしても、今夜は特に動かないとすると、再調査は明日の夜から、ということになりそうだぜ? 俺も友人と会ったりで、明日はそれなりに忙しいし」
「うん。せっかくのハレの日だし、楽しんできてよ……とはいえ、味覚がないままだというのは、また少し残念だけれど」
「あぁ、そのことなんだけどさ。夕飯の時に気づいたのだけど、まだ全く完全ではないにしても、うっすら味覚は戻ってきている気はするんだよ」
「そうなの?」
「とはいっても、なんとなく甘い、苦いくらいのレベルだし、完治にはまだ程遠い感じだけれど」
「そっか……それは良かったね」

 「歪み」による影響は、単純な時間経過で和らぐ、というのは考えづらい。「歪み」に付随する想いが続く限り、一度発生した超常現象は、残存する。
 だとすると、風凪という別のターゲットが生まれたことで、「歪み」が分散されている、ということなのかもしれなかった。

「まぁ、症状は改善してきたにしても、やっぱり原因は気になるからさ。引き続き調査には協力してくれよ」

 心なしか、幕上の表情は和らいでいるように見えた。

 そんな幕上の頭に風凪は徐に手を伸ばし、触れた。

「わ、いきなりなんだよ!」
「いや、なんとなく。とりあえず明日、私の方でも動いておくからさ。日暮くんは成人式を楽しんできてよ。一応連絡ができるように、携帯と自宅の電話番号を聞いておいてもいい?」


 そして、その日二人は別れた。
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