凩の吹かない季節と、君を忘れた歪んだ世界《The biased world without you.》

紺痲 游也

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第一話:人の口に戸は立てられぬ《unconscious》

007

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 明日語との対面の経て、風凪と幕上は事件現場――あるいは現場である、世田谷城址公園に向かっていた。
 目的はそのまま、現場検証、である。

 それは、語匿神社にて「歪みバイアス」に関するひととおりのレクチャー(というにはあまりに乱雑ではあったが)の後に、明日語が二人に指示したことであった。


「とりあえず、風凪ちゃん。それと、幕上 日暮くん。まずは、ことのあらましの中で登場した場所を、終点から始点に向かって、つまり逆上がりするように辿ってみるといい」


 それが、明日語が二人に話した唯一のアドバイスらしいアドバイスだった。
 幕上からすれば、肩透かしというか、拍子抜けというか、そんな風に思ったのではないかとも思う。
 しかし、明日語の「代理人」である風凪としては、それに従うほかなかった。そして、他に手があるわけでもない幕上としても、それに準じるほかなかったのであった。


 そんな訳で、一月の日曜日、よく晴れた冬空の下、風凪と幕上は徒歩で移動中であった。
 語匿神社へ向かう道ゆきとは違い、世田谷城址公園に向かう道中に関しては、風凪が幕上の手を引いて歩くことはなく、むしろ幕上が案内人として一歩先を歩いていた。


「それで、結局あいつは何者なんだ?」


 風凪の方を振り返ることもなく、幕上は問うた。もちろん、彼が聞いている「あいつ」というのは明日語のことであった。


「さっきも言った通り、『歪み』に詳しい人だよ。私も『歪み』にまつわることに巻き込まれたことがあって、その時からお世話になっているの」
「詳しい人って言ってもよ、あいつはそれを生業にしているのか? とするとこのあと、その……なんらかの報酬を求められることになるのか? 一介の大学生に支払える金額なんてたかが知れてるぜ」
「うーん、それはないんじゃないかな。少なくとも金銭的な面に関しては」
「でも、あんたはあいつの下で働いているんだろ? それはある意味金で返してるのとは違うのか?」
「私はもう少し複雑な事情があってね。飛鳥さんの周りにいた方が、そう、それこそ都合がいいんだよ」
「都合……ね。しかし、いわゆる俺みたいな『依頼人』から代金を貰わないのだとすると、あいつはどうやって食っていってるんだ?」
「それは私もあんまりよく知らないのだけど……」
「ますます得体のしれないやつだな……。なんだっけ? あいつが名乗っていた肩書きは」
「『回帰式かいきしき』ね。陰陽師とか、祓魔師エクソシストとかって別の呼び方で言われることもあるらしいけれど」


 回帰式。

 それが現代における、明日語 飛鳥のような「歪み」に対処する技術や見識を持つ者達の呼び名であった。
 風凪の言からも分かるように、彼らのような者達の歴史はかなり古く、そして広いらしい。
 それこそ陰陽師といえば平安時代だし、祓魔師もキリスト教圏を中心とした用語である。
 しかし、明日語から言わせれば、それらの呼び名が表に出ていることは「隠匿の失敗」らしい。

 「歪み」というのは、誰でも持ち合わせているものではあれど、しかし、それを認識することは、「歪み」の増長につながる。自分は「歪み」を有しているのだという事実を知ることで、あるいは、世の中に「歪み」というものが存在することを知ることで、その「歪み」の方向性へと引っ張られ、そして、超常現象として顕在しやすくなるのだ。
 だからこそ、「歪み」にまつわる事柄は隠匿されるべきであり、それに対処する者の存在もまた秘匿されるべきものなのである。

 故に、彼が自らのテリトリーとしているあの古びた神社の名前も語匿神社――人々のからべき神社――ということだった。

 一方で、現代に比べて、古き時代においてはそれら「歪み」の存在を世の人々の認識から匿うことが難しかったというのも事実らしい。

 人々が自らの「歪み」を自認することが「歪み」の増大につながるのとは逆に、群体としての人が有する基準としての「人々の平均」を認識することは、「歪み」の抑制につながる。

 人が自らを守るために行う、集団のルールに従うという行動は、周囲の人間がどのような意識であるのかという情報が多ければ多いほど、有効性を増すことになる。
 古くは、隣の村で何が起きているのかすらもろくに知ることができなかったことを思えば、報道や通信の技術が爆発的に発展した現代においては、例え話ではなく地球の反対側で何が起きているのかを知ることすら容易な世界である。
 そんな「人々の平均」が誰にでも(程度の差こそあれど)知覚できる現代においては、「歪み」が顕在化する機会というのは格段に減っている、ということらしい。

 古事記などの歴史的な書物に著されたような多種多様なの類も、全てとは言わないまでも、少なくない数の事例が当時の人々が有する「歪み」により生じたものであり、実在したものだという。
 しかし、「科学的」な現代においては、「人々の平均」が簡単に共有され、超常現象はおろか「歪み」というその根源すら知ることないまま一生を終える。終えることができる。

 風凪や幕上のような一部の例外を除いては。


「しかし、陰陽師や祓魔師っていうと、もっと直接的に退治とかお祓いとかするんじゃねーの?」
「そういう手段がない訳でもないらしいけれど、それは最終手段なんだって。あくまで『歪み』から生じる超常現象は、言い換えればから生じる異常だからね。超常現象自体にアプローチしたとしても、それは対症療法にしかならないから」
「ふーん。まぁそれはそうなのかもしれないけど、だとすると具体的には何をすればいいんだ?」
「まずは、その超常現象が、誰の、何に対する、どんな『歪み』が元になっているのかを把握すること。その後の対処法は、ケースバイケースかな」
「なんだか、行き当たりばったり感がすごいな」
「仕方ないじゃない。そもそもそのものが行き当たりばったりな存在なんだし」
「あんたが言うと、説得力が違うな」
「なんか馬鹿にされている気がする!」
「それもケースバイケースだな」
「馬鹿にしているケースが存在している時点で問題だよ!」


 そんな会話を交わしているうちに、二人は世田谷城址公園に到着した。
 前日に幕上が経験した、身の毛もよだつような話を聞いた後ではあったものの、時刻は十四時を少し過ぎたところということもあって、「舌切り雀」の影も形もなければ、おどろおどろしさもまるでなかった。
 「舌切り雀」の群れが蠢いていたという例の空堀も見てみたが、この時間帯では木漏れ日が差しこむただの大きな窪みにしか見えなかった。


「ここまでなんの証拠も残っていないと、自分でもやっぱりあれは夢なんじゃないかと思ってきたよ」

 幕上はかじかむ指に息を吹きかけて温めながら言った。


「『歪み』は夜に生じやすいの。人は夜になるとになるから」
「じゃあ、もしあんたと二人じゃなくて、一人で来ていたら『舌切り雀』は出てきていたかもしれないってことか?」
「うーん、どうだろう。その可能性はなくもないけれど、この場合に言うっていうのは、物理的にというよりも、精神的な意味合いの方が強いかな。他人とのつながりが薄くなって、『人々の平均』から外れやすくなるの」
「そういうものかね……。あいつは昨日の俺の足跡を遡れって言っていたけれど、この場で何かするのか?」
「特にそういうことは言っていなかったね。とりあえず、次に行きましょうか」
「なんだか、本当に意味があるのか怪しいな……」


 幕上の中で明日語の信用性がますます低下していくのも当然だったが、しかし、やはり幕上としても風凪としても、明日語の指示に従う以外に指針を持ちえなかったので、結局さほど長い時間を過ごすこともなく、二人は世田谷城址公園を後にした。


 その後、幕上の回想を逆再生するがごとく、烏山川緑道を進み、三つの緑道が合流する地点に到達したところで斜めに折り返す形で北沢川緑道に沿って二人は歩き続けた。その間、二人は他愛のない会話を続けた。意味のあるなしは――ともかくとして。


「この辺は下北沢が近いよね。本当は昨日も下北沢でカレーを食べたかったんだけど」
「あんたそんなにカレーが好きなのか? 結局豪徳寺でカレーを食べてたじゃないか」
「ふふふ。私、辛い物に目がないの。特に本場のエスニックなチキンカレーが一番ね」
「チキンカレーね、俺にはあんまり縁がないな」
「そうなの?」
「俺は肉をあんまり食べないからな、昔から」
「へぇ……。確かに昨日もベジタリアン向けのメニューを食べてたね。こういうのを聞いていいのか分からないけれど、宗教上の理由か何か?」
「別に俺は無宗派だし、人が生きるために動物を殺すことに対してさして何か主張をするわけじゃないんだけどな。まぁ、言ってみれば、家庭の環境――おふくろの味ってやつかな。母親が昔から肉を使った料理を作らない人だったんだよ。なぜかは、よく分からないけれど」
「子どもの頃の食習慣は、大人になってからの食生活に影響するっていうことなのかしら」
「そういうことなのかな。念願叶って一人暮らしをすることになったら、それも変わるのかもしれないけれど」
「今までお肉を食べようと思ったことはないの?」
「母親が嫌がるからな、自分から食べようと思ったことはない」
「家族思いなのね」
「そういうんじゃないよ。わざわざ喧嘩の種を生むのが面倒なだけだ」
「でも一人暮らしの話ではお母さんと喧嘩になった」
「……俺としてもそんなことになるとは思ってなかったんだよ。母親は俺に興味がないと思っていたから」
「そういう風に日暮くんが思ってるだけなんじゃない? たった一人の家族なんだし」
「それが俺には重かったんだと思うよ。というか、そういう重さを背負えるほど、俺には人間としての重みがないのかもしれない」
「なんか、そういう後ろ向きな話し方、私の同居人にやっぱり似てるね」
「心配性で、後ろ向きな同居人か。居候してる分、料理はあんたがしたりするのか?」
「えーっと、それは…………」
「図星か。なんというか、よくもまぁ無償であんたを居候させているよな」
「はい……そう思います」
「なんだか急にしおらしくなったな」
「本当は居候してる分、お返ししたいとは思うんだけどね……いかんせん、私よりも料理上手だから」
「へぇ、そりゃあいいや」
「バーで働いてるんだけど、そこで色々料理の作り方を仕込まれたらしくて……最近ますます上達してるのよ……」
「なんだか嫌そうな物言いだな。美味い飯を食わせてもらえんならいいことじゃないか」
「なんというか……。仮にも一個下の男の子に居候までして、そのうえ家事全般までやってもらっているという事実に罪悪感めいたものを感じて……」
「なんだかあんた、言わなくてもいい弱みまで話す癖があるよな……まぁ確かに、プータローで穀潰し、っていうのは気まずいか」
「ぐはっ。何もそこまで言わなくても……どうせ日暮くんもお母さんのお世話になってるんでしょ」
「…………。あんたを預かっているそいつは何者なんだ?」
「自分のことに関しては無視!?」
「だから、それも嫌だから一人暮らししたいって話だろ! で、その噂の同居人って何者なんだよ?」
「何者かって言ったら、そうだなぁ――」


 風凪はその先の言葉は続かなかった。

 それは僕にとっては幸いなことだったが――風凪にとって、僕という存在は決して胸を張って話すようなものではないのだから――しかし、その言葉が続かなかったことが風凪にとって、あるいは幕上にとって、幸いだったのかは僕にも分からないところだった。

 風凪が言葉を止めたのは、幕上が歩行を止めたからだった。

「日暮……くん?」


 その時、二人は北沢川緑道の途中にある四之橋という交差点に差し掛かったところであり、幕上の前日における足跡の始点である羽根木公園まであと十分もかからないところまで来ていた。
 時刻も十六時を回ろうとしており、日も傾いてきている頃だった。
 そんななかで風凪の二歩前で歩みを止めた幕上の目線の先にいたのは、エコバックを提げた壮年の女性だった。
 そして、風凪には直感的に分かったことが二つあった。

 一つは、彼女が幕上の母親であること。


 そして、もう一つは――。


「日暮。あなた今日何食べたの?」



 ――彼女が「歪み」を有している、ということだった。
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