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第一話:人の口に戸は立てられぬ《unconscious》
006
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明くる一月十八日、日曜日の午前九時。
予定通り、幕上と風凪は前日と同じ北沢川緑道の山下橋のあたりで合流した。
前の夜に、その時点までの幕上に関することのあらましを、僕は風凪から聞かされていたので、本来であればその場に同伴しようと思ったのだけれど、今朝、僕のスマートフォンには一件のメッセージが届いていた。
「今日、君の出る幕はない。大人しく、大人らしく家で待っていなさい」
僕を大人として扱いたいのか、子どもとして扱いたいのか、よく分からないメッセージだった。
もう見る前に分かるくらい当然のように、メッセージの送り主は明日語であったのだが、やれやれ、まだ話してもいない話(風凪からも今朝の時点ではまだ話していないだろう。彼女は予め話を根回ししておくような用意周到なタイプではない)を、分かったように連絡をよこすだけでも気味が悪いというのに、その先の結末まで知っているような口ぶりはもはや、怖いとさえ言える。
しかし、僕としては彼の忠告を無視することはできなかった。
彼がそう言うからには、確かに今日においては僕の出る幕はないのだろう。というか、わざわざ先んじてメッセージを送ってきているあたりを鑑みると、少なくとも彼にとっては、僕が今日動くことは無益などころか、有害だということなのだろう――僕が誰かにとって有益だったことがあったかも定かではないけれど。
正直、土曜日の夜に風凪から話を聞いた時点で、彼女の何にでも首を突っ込む主人公性というのが裏目に出ている感はあったのだが、しかし状況が動き始めてしまっている以上、そして明日語が、僕がこの件に介入することが状況を悪化させるだけであることを示唆している以上、何もできることはなかった、のだと思う。
兎にも角にも、僕はこの日曜日においても風凪に同行することはなく、引き続き位置外の立場に留まっているのだった。したがって、ここからの語りもやはり、風凪の視点に頼らざるを得ない。
一夜が明けて、改めて合流した幕上に対する風凪の第一印象は「憔悴している」だった。
もちろん、表面的な精神状態で言えば、「舌切り雀」に襲われた直後と比較してみれば、落ち着いてはいるものの、その後遺症――というのが正しいのかは分からないが、現在進行形(過去進行形?)で彼が抱えている味覚の消失は、一向に回復の兆しを見せていないようだった。
味覚の消失というのは、肉体的な苦痛こそないのだろうが、しかし何かを口にしてもそれを感じることができない空虚感というのは、精神的にきついものなのかもしれない。
特に、今回の場合、味覚消失の原因が常識から逸脱したものであるがゆえに、このまま戻らないかもしれないという終わりの見えなさもまた、幕上の精神を蝕む要因になっていたとしても不思議ではなかった。
「おはよう、日暮くん――その、大丈夫?」
「そうだな……なんつうか、こう、自分の身体が自分のものでないみたいな感覚で、どうも落ち着かない気分だよ。昨日は驚きが勝っていたけど、今はこの状況が現実なんだってことがはっきりしてきて、それを受け止めきれないって感じかな。いつもは飲めないブラックコーヒーを飲めちゃうのもなんだかな、って感じだ」
風凪の問いかけに対して、幕上は鈍い反応を見せながら、手元に持っていたブラックコーヒーをすすった。
最後の一言は彼なりの軽口のつもりだったのだろうが、しかし、彼の言動からも見た目と同等、あるいはそれ以上に精神的なダメージは蓄積されているのかもしれなかった。
「そ……っか」
こういう時に励ましの言葉がなんの助けにもならないことを風凪自身よく知っていたので、彼の言葉を受け入れるに留めた。
「結局そんな感じで、母親との喧嘩も継続中だしな……。こんな状況を打ち明けるような感じでもないし――それで? 今日はどうするんだ? 神頼みでもするのか?」
自身の不調に気を遣って言葉少なになっている風凪に、多少の気まずさを感じたのか、幾ばくか声のトーンを上げて冗談めかして幕上は尋ねる。
「神頼み――ではないけれど、この後に向かうのは神社だよ」
「神社? 神頼み以外で神社に何の用があるんだよ」
「まぁそれは着いてから話すよ。とにかく、ついてきて」
そう言って、幕上の手を引いて、風凪は歩き始めた。
「なぁ、あんたって、いつもそうなのか?」
「そうって?」
「なんつうか、他人との距離が近いっていうか。普通出会って二日目の他人の手を引いて歩いたりしないぜ?」
「そうかな? 別に普通だと思うけれど。だって日暮くん、これから行く場所知らないでしょ?」
「それはそうだけどさ。別に住所を教えてもらえれば、スマホのマップなり何なりで自分で調べるよ」
「まぁ……、なんというか、それは難しいかな」
「なんだよ、俺がスマホ使いこなせない機械音痴だって言いたいのか?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけどね。今から行く場所はそういう場所だから、マップには出てこない、っていうか」
「そういう……場所? なんだか判然としない物言いだな……ていうか、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてさ」
「ん?」
「なんていうか、警戒心とかないのか? なんでそんな風に他人を簡単に信用できるんだよ? もっとこう、疑うとかそういう工程があって然るべきだと思うんだよ、あんたは」
「あはは、なんだか私の同居人みたいなことを言うね、日暮くん」
「心配性の同居人か。そりゃあ、あんたみたいなやつを居候に置いてたら、心配にもなるよ。危なっかしくて気が気じゃない」
「それもよく同居人に言われるなぁ。もしかしたら日暮くんと会えたら仲良くなれるかもしれないね」
「どうだかな」
それっきり二人の会話はなくなり、ある道をまっすぐ進んだり、またとある道を曲がったりしているうちに、風凪は立ち止まった。
立ち止まったのは、今にも倒れそうなボロボロの鳥居の前だった。
「こんなとこ……この辺にあったか……?」
北沢川緑道で合流してから、大体二十分くらいが経過していたのだが、この辺りに暮らして長い幕上としては、徒歩で移動できる範囲に見たことのない場所があったことに驚きを隠せないようだった。これは、僕の推測ではあるが、というか、僕自身の経験をベースにした共感ではあるのだが、前後の道や左右に並んでいる建物には見覚えはあるのだが、目の前に立っているボロボロの鳥居とその奥にある社殿には全く既視感を感じられなかったのだと思う。
まるで、風景写真に無理やり誰かがコラージュで入れ込んだような、そんな異物感。
そして、周辺の情景から大体の位置関係を把握することができるはずなのに、もう一度、風凪の案内なしに辿り着くことができるかと言われると、とてもではないが自信をもってできると言えない感覚。
それが、彼女のいうそういう場所、という意味だったのだが、この時に幕上がそこまで理解できていたかどうかまでは、僕としても計りかねるところではある。
「語匿神社」
風凪はその神社の名前を口にした。
「まずは、ここにいる人に、日暮くんの身に起きたことを話してみるのがいいと思うの」
手を引いたまま、鳥居をくぐり、あまり手入れされていない参道を進みながら風凪は言う。
「ここにいる人っていうのは、祈祷師か何かなのか? 神社なんだし神職の人なんだろうけど、そんなのに聞いてもらっても意味なんて――」
「――そんなの、で悪かったね、幕上 日暮くん」
幕上の言葉に被せるように、男の声が降ってきた。
突然のことにぎょっとしながら、幕上は声がした社殿の上部、つまり屋根の方に目を向けた。
「飛鳥……さん――なんだね、今日は」
風凪も幕上と同じように視線を上に向けると、屋根の上で寛ぐような姿勢で寝転がっている四十代くらいに見える男に向けて言った。
「まぁ、今日来る若人に対してはこれくらいの風貌でいた方が都合がよいと思ってね」
よっ、という声とともに、屋根から飛び降りて賽銭箱の上に着地したその男に、幕上は不信の目を向けた。
それもそうだ、と僕は思う。
くすんだ青い着流しはところどころ糸がほつれていたし、その上の白い羽織も同じようなものだった。そして何より、左の目の周りの刺青が目立った。
少なくとも現代日本文化においては、彼を真っ当な人物であると認識することは難しいのではないか、と思う。
そんな警戒心を感じたのであろう、風凪は間を取り持つように一歩前に出ると、男の名前を幕上に告げた。
「この人は、明日語 飛鳥。一応、私の雇い主……になるのかな? いやでも別にお給料はもらっていないし、雇われてはいないのか……とにかく、私や日暮くんが関わっているようなことに詳しい人」
「明日語 飛鳥……ね。なんだか、駄洒落みたいな名前だな」
風凪の試みも虚しく、明日語に対する警戒レベルを下げることはなく、幕上は言った。
一方の明日語はというと、その態度をさして気にするわけでもなく、それこそそんなことは予想通りだと言わんばかりの様子だった。
「そう、割に洒落た名前だろ? 僕としてはそれなりに気に入っててね」
字面だけで揚げ足を取るかような明日語の言い草に、不用意な言動は自分を追い詰めるだけだと判断したのか、幕上はその言葉には返さない。
そして、明日語としてもそのリアクション、というより、そのノーリアクションは想定済みだったようで、先に口を開いた。
「君に起こっている惨状は、あるいは『舌切り雀』の参上は、すでに聞いている――訳ではないんだけど、まぁ、大体のところは読み解けている」
この文脈において、読み解けている、なんていう表現を用いるのは、おそらく明日語くらいのものだろうが、それが彼の、彼らしさ、というべきかもしれなかった。
「あんたならそれをなんとかできるのか? この状況を、正して、つまり、正常な状態に戻してくれるのか?」
「僕にできるのは、正常に戻すことじゃなくて、整合をとることかな。都合をつけると言ってもいいね。君にとって、そして僕や一般社会にとって、一応の都合をつけることはできる」
「――それは、なんだか含みのある言い方だな、明日語さん」
「まぁ、どうとってもらっても、僕は構わないけれどね。君が僕をどう思うかは、僕にとっての都合に影響しない」
不遜ここに極まれり、という彼の言動にやや幕上も引き気味であったのを見かねて、風凪が口を挟む。
「と、とにかく! 説明してあげてよ、飛鳥さん。日暮くんや私が巻き込まれているものがどういうものなのか」
「巻き込まれたっていうのは、当人がどう思うか次第なんだけどね――まぁいいや。確かにこれがどういうものなのかくらいの前提を揃えておいた方がいいだろう」
そう言って、明日語は賽銭箱の上から降りたかと思うとあろうことかそのまま賽銭箱に腰掛けた。罰当たりとはまさにこのこと、という感じではあったが、風凪も幕上もここで話の骨を折っても仕方ないということが、分かっていたのだろう、そこには突っ込まなかった。
「『歪み』」
「――それが君の経験した現象の名前だ。正確にいえば、『歪み』は原因であって、君たちが経験しているのは、『歪み』によって生じるアノマリー――つまり、超常現象ということなのだけれど」
「その、『歪み』っていうのを消せれば解決するのか?」
「『歪み』は消えない。人が個人である以上はね」
「人が個人である……?」
「『歪み』っていうのはね、幕上 日暮くん。人が誰しも抱えている精神的なずれなんだよ。全てにおいて平均の人間なんていない。人は群体として生きている以上、それに溶け込むために基準となる『人々の平均』に基づこうとする。けれど、それでもどこかにずれは生まれるものだ」
「でも、今までこんなおかしな経験はしたことなんてなかったし、誰だって持ってるものなら、俺だけがこんな目に遭うなんておかしいだろ」
「要するに程度の問題なのさ。閾値を超えた『歪み』は抱えられなくなる。抱えきれなくなった『歪み』は超常現象として――顕れる」
「俺には抱えきれないほどの『歪み』があるって言うのか? 自分が真人間だとまでは言わないけど、そんな覚えは――」
「『歪み』の所在は必ずしも当人とは限らないさ。ただ――」
「――自分が無意識に巻き込まれているからって、自分には関係ないってことにはならないんだぜ」
予定通り、幕上と風凪は前日と同じ北沢川緑道の山下橋のあたりで合流した。
前の夜に、その時点までの幕上に関することのあらましを、僕は風凪から聞かされていたので、本来であればその場に同伴しようと思ったのだけれど、今朝、僕のスマートフォンには一件のメッセージが届いていた。
「今日、君の出る幕はない。大人しく、大人らしく家で待っていなさい」
僕を大人として扱いたいのか、子どもとして扱いたいのか、よく分からないメッセージだった。
もう見る前に分かるくらい当然のように、メッセージの送り主は明日語であったのだが、やれやれ、まだ話してもいない話(風凪からも今朝の時点ではまだ話していないだろう。彼女は予め話を根回ししておくような用意周到なタイプではない)を、分かったように連絡をよこすだけでも気味が悪いというのに、その先の結末まで知っているような口ぶりはもはや、怖いとさえ言える。
しかし、僕としては彼の忠告を無視することはできなかった。
彼がそう言うからには、確かに今日においては僕の出る幕はないのだろう。というか、わざわざ先んじてメッセージを送ってきているあたりを鑑みると、少なくとも彼にとっては、僕が今日動くことは無益などころか、有害だということなのだろう――僕が誰かにとって有益だったことがあったかも定かではないけれど。
正直、土曜日の夜に風凪から話を聞いた時点で、彼女の何にでも首を突っ込む主人公性というのが裏目に出ている感はあったのだが、しかし状況が動き始めてしまっている以上、そして明日語が、僕がこの件に介入することが状況を悪化させるだけであることを示唆している以上、何もできることはなかった、のだと思う。
兎にも角にも、僕はこの日曜日においても風凪に同行することはなく、引き続き位置外の立場に留まっているのだった。したがって、ここからの語りもやはり、風凪の視点に頼らざるを得ない。
一夜が明けて、改めて合流した幕上に対する風凪の第一印象は「憔悴している」だった。
もちろん、表面的な精神状態で言えば、「舌切り雀」に襲われた直後と比較してみれば、落ち着いてはいるものの、その後遺症――というのが正しいのかは分からないが、現在進行形(過去進行形?)で彼が抱えている味覚の消失は、一向に回復の兆しを見せていないようだった。
味覚の消失というのは、肉体的な苦痛こそないのだろうが、しかし何かを口にしてもそれを感じることができない空虚感というのは、精神的にきついものなのかもしれない。
特に、今回の場合、味覚消失の原因が常識から逸脱したものであるがゆえに、このまま戻らないかもしれないという終わりの見えなさもまた、幕上の精神を蝕む要因になっていたとしても不思議ではなかった。
「おはよう、日暮くん――その、大丈夫?」
「そうだな……なんつうか、こう、自分の身体が自分のものでないみたいな感覚で、どうも落ち着かない気分だよ。昨日は驚きが勝っていたけど、今はこの状況が現実なんだってことがはっきりしてきて、それを受け止めきれないって感じかな。いつもは飲めないブラックコーヒーを飲めちゃうのもなんだかな、って感じだ」
風凪の問いかけに対して、幕上は鈍い反応を見せながら、手元に持っていたブラックコーヒーをすすった。
最後の一言は彼なりの軽口のつもりだったのだろうが、しかし、彼の言動からも見た目と同等、あるいはそれ以上に精神的なダメージは蓄積されているのかもしれなかった。
「そ……っか」
こういう時に励ましの言葉がなんの助けにもならないことを風凪自身よく知っていたので、彼の言葉を受け入れるに留めた。
「結局そんな感じで、母親との喧嘩も継続中だしな……。こんな状況を打ち明けるような感じでもないし――それで? 今日はどうするんだ? 神頼みでもするのか?」
自身の不調に気を遣って言葉少なになっている風凪に、多少の気まずさを感じたのか、幾ばくか声のトーンを上げて冗談めかして幕上は尋ねる。
「神頼み――ではないけれど、この後に向かうのは神社だよ」
「神社? 神頼み以外で神社に何の用があるんだよ」
「まぁそれは着いてから話すよ。とにかく、ついてきて」
そう言って、幕上の手を引いて、風凪は歩き始めた。
「なぁ、あんたって、いつもそうなのか?」
「そうって?」
「なんつうか、他人との距離が近いっていうか。普通出会って二日目の他人の手を引いて歩いたりしないぜ?」
「そうかな? 別に普通だと思うけれど。だって日暮くん、これから行く場所知らないでしょ?」
「それはそうだけどさ。別に住所を教えてもらえれば、スマホのマップなり何なりで自分で調べるよ」
「まぁ……、なんというか、それは難しいかな」
「なんだよ、俺がスマホ使いこなせない機械音痴だって言いたいのか?」
「いや、別にそういうわけじゃないんだけどね。今から行く場所はそういう場所だから、マップには出てこない、っていうか」
「そういう……場所? なんだか判然としない物言いだな……ていうか、俺が言いたいのはそういうことじゃなくてさ」
「ん?」
「なんていうか、警戒心とかないのか? なんでそんな風に他人を簡単に信用できるんだよ? もっとこう、疑うとかそういう工程があって然るべきだと思うんだよ、あんたは」
「あはは、なんだか私の同居人みたいなことを言うね、日暮くん」
「心配性の同居人か。そりゃあ、あんたみたいなやつを居候に置いてたら、心配にもなるよ。危なっかしくて気が気じゃない」
「それもよく同居人に言われるなぁ。もしかしたら日暮くんと会えたら仲良くなれるかもしれないね」
「どうだかな」
それっきり二人の会話はなくなり、ある道をまっすぐ進んだり、またとある道を曲がったりしているうちに、風凪は立ち止まった。
立ち止まったのは、今にも倒れそうなボロボロの鳥居の前だった。
「こんなとこ……この辺にあったか……?」
北沢川緑道で合流してから、大体二十分くらいが経過していたのだが、この辺りに暮らして長い幕上としては、徒歩で移動できる範囲に見たことのない場所があったことに驚きを隠せないようだった。これは、僕の推測ではあるが、というか、僕自身の経験をベースにした共感ではあるのだが、前後の道や左右に並んでいる建物には見覚えはあるのだが、目の前に立っているボロボロの鳥居とその奥にある社殿には全く既視感を感じられなかったのだと思う。
まるで、風景写真に無理やり誰かがコラージュで入れ込んだような、そんな異物感。
そして、周辺の情景から大体の位置関係を把握することができるはずなのに、もう一度、風凪の案内なしに辿り着くことができるかと言われると、とてもではないが自信をもってできると言えない感覚。
それが、彼女のいうそういう場所、という意味だったのだが、この時に幕上がそこまで理解できていたかどうかまでは、僕としても計りかねるところではある。
「語匿神社」
風凪はその神社の名前を口にした。
「まずは、ここにいる人に、日暮くんの身に起きたことを話してみるのがいいと思うの」
手を引いたまま、鳥居をくぐり、あまり手入れされていない参道を進みながら風凪は言う。
「ここにいる人っていうのは、祈祷師か何かなのか? 神社なんだし神職の人なんだろうけど、そんなのに聞いてもらっても意味なんて――」
「――そんなの、で悪かったね、幕上 日暮くん」
幕上の言葉に被せるように、男の声が降ってきた。
突然のことにぎょっとしながら、幕上は声がした社殿の上部、つまり屋根の方に目を向けた。
「飛鳥……さん――なんだね、今日は」
風凪も幕上と同じように視線を上に向けると、屋根の上で寛ぐような姿勢で寝転がっている四十代くらいに見える男に向けて言った。
「まぁ、今日来る若人に対してはこれくらいの風貌でいた方が都合がよいと思ってね」
よっ、という声とともに、屋根から飛び降りて賽銭箱の上に着地したその男に、幕上は不信の目を向けた。
それもそうだ、と僕は思う。
くすんだ青い着流しはところどころ糸がほつれていたし、その上の白い羽織も同じようなものだった。そして何より、左の目の周りの刺青が目立った。
少なくとも現代日本文化においては、彼を真っ当な人物であると認識することは難しいのではないか、と思う。
そんな警戒心を感じたのであろう、風凪は間を取り持つように一歩前に出ると、男の名前を幕上に告げた。
「この人は、明日語 飛鳥。一応、私の雇い主……になるのかな? いやでも別にお給料はもらっていないし、雇われてはいないのか……とにかく、私や日暮くんが関わっているようなことに詳しい人」
「明日語 飛鳥……ね。なんだか、駄洒落みたいな名前だな」
風凪の試みも虚しく、明日語に対する警戒レベルを下げることはなく、幕上は言った。
一方の明日語はというと、その態度をさして気にするわけでもなく、それこそそんなことは予想通りだと言わんばかりの様子だった。
「そう、割に洒落た名前だろ? 僕としてはそれなりに気に入っててね」
字面だけで揚げ足を取るかような明日語の言い草に、不用意な言動は自分を追い詰めるだけだと判断したのか、幕上はその言葉には返さない。
そして、明日語としてもそのリアクション、というより、そのノーリアクションは想定済みだったようで、先に口を開いた。
「君に起こっている惨状は、あるいは『舌切り雀』の参上は、すでに聞いている――訳ではないんだけど、まぁ、大体のところは読み解けている」
この文脈において、読み解けている、なんていう表現を用いるのは、おそらく明日語くらいのものだろうが、それが彼の、彼らしさ、というべきかもしれなかった。
「あんたならそれをなんとかできるのか? この状況を、正して、つまり、正常な状態に戻してくれるのか?」
「僕にできるのは、正常に戻すことじゃなくて、整合をとることかな。都合をつけると言ってもいいね。君にとって、そして僕や一般社会にとって、一応の都合をつけることはできる」
「――それは、なんだか含みのある言い方だな、明日語さん」
「まぁ、どうとってもらっても、僕は構わないけれどね。君が僕をどう思うかは、僕にとっての都合に影響しない」
不遜ここに極まれり、という彼の言動にやや幕上も引き気味であったのを見かねて、風凪が口を挟む。
「と、とにかく! 説明してあげてよ、飛鳥さん。日暮くんや私が巻き込まれているものがどういうものなのか」
「巻き込まれたっていうのは、当人がどう思うか次第なんだけどね――まぁいいや。確かにこれがどういうものなのかくらいの前提を揃えておいた方がいいだろう」
そう言って、明日語は賽銭箱の上から降りたかと思うとあろうことかそのまま賽銭箱に腰掛けた。罰当たりとはまさにこのこと、という感じではあったが、風凪も幕上もここで話の骨を折っても仕方ないということが、分かっていたのだろう、そこには突っ込まなかった。
「『歪み』」
「――それが君の経験した現象の名前だ。正確にいえば、『歪み』は原因であって、君たちが経験しているのは、『歪み』によって生じるアノマリー――つまり、超常現象ということなのだけれど」
「その、『歪み』っていうのを消せれば解決するのか?」
「『歪み』は消えない。人が個人である以上はね」
「人が個人である……?」
「『歪み』っていうのはね、幕上 日暮くん。人が誰しも抱えている精神的なずれなんだよ。全てにおいて平均の人間なんていない。人は群体として生きている以上、それに溶け込むために基準となる『人々の平均』に基づこうとする。けれど、それでもどこかにずれは生まれるものだ」
「でも、今までこんなおかしな経験はしたことなんてなかったし、誰だって持ってるものなら、俺だけがこんな目に遭うなんておかしいだろ」
「要するに程度の問題なのさ。閾値を超えた『歪み』は抱えられなくなる。抱えきれなくなった『歪み』は超常現象として――顕れる」
「俺には抱えきれないほどの『歪み』があるって言うのか? 自分が真人間だとまでは言わないけど、そんな覚えは――」
「『歪み』の所在は必ずしも当人とは限らないさ。ただ――」
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