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続編1:水面に緩ふ華の間章。
閑話/07 憑鬼1。
しおりを挟む内青宮にほど近い園林の回廊を壮年の男が歩いていた。三十代半ばの年若い文官である。回廊は岩と岩の間に渡され、遥か下には河のせせらぎがある。左右からは枝葉が撓垂れ、回廊の上に天蓋を築いていた。
深い緑の薫るようだが、男の首はうつむき気味に少し垂れている。何やら考え事をしているようで少々早足だ。男は前方からやってくる人の気配を感じて顔を上げた。
顔は面長で頬は窪んでいる。大きな口に薄い唇、垂れ目がちで円らな小さめの瞳。痩せて若干猫背気味の姿勢であるが、背は少々高い。容貌は良くないが、特別悪いということもない。何となく覇気に欠けるところがあり、それなりの官であるのに、うだつの上がらない印象を受ける。どこか、影の薄い男だった。
彼は向かいからやってきた人物を見ると道を譲り、袖に手を入れ軽く頭を下げた。
さやさやと裙裳の擦れ合う音がする。ちりんと、腰から佩びた玉が奏でる涼やかな音色が止まった。
足が止まり、此方を向く。
彼の心に焦りが生じた。一体何だというのか。顔見知りではないはずだ。こちらは相手のことを知っていたが、向こうは私を知らないだろう。これまで、何の関わりもなかった。当然、無礼を働いたこともない。
「祭儀様、私に何かご用でしょうか」
「うん、お前というよりはこちらだね。少し失礼をするよ……おいで」
白玉で拵えた彫刻のような麗しい手が手招いた。
全身の精気が抜けるような心地がした。するするっと半透明の妖魔が身体から抜け出て、滲み出るように空中に出現していく。男に戦慄が走った。
おい、嘘だろう?
流水が身体となったかのような妖魔で、二本の鹿にも似た朱色の角と光の眼を持っていた。
この俺から剥がされるとは。ここは被害者面をして無関係を装うべきか。それとも、すでに素性を知られているのか。だとしたら、一体何故?いや、偶然見咎めただけかも知れぬ。だが、そうだとしたら、相当な力量だ。確かに祭儀の職掌にはあるが……神殿に足を運ぶことすらないと聞くし、当然形ばかりのものだと思っていた。
何を考えている?分からない。この人はあまりにも表に出てこない。ごく稀に大きな宴で王后の傍らに侍っているが、それすらも稀なことだった。偶に目撃されると見知らぬ麗人がいると官の間で噂に上るが、容姿と何者かという以外の話があった例はない。
脅して弱みを握ろうとしているのか、正義に駆られて魔を伐とうとしているのか。果たして……。
妖魔が一声鳴いた。音は立たなかった、空気ではなく霊気を震わせる声だからだ。驚いたことに目の前の人物は妖魔と親しく言葉を交わし始めた。
「そうか、愛していると……へぇ…うんうんそうだね。え?うん、そう、そうなんだよ、本当に可愛くてさ。ありがとう、僕の奥方様は可愛くて、可愛くて……もう、もうだめ。君のご主人様も可愛いところあるって?愛だね。それは……えっそこまで?そうか、そうか応援するよ。少し待ってて……これでよし」
流水のような身体に笏が軽く当てられる。また、一声、妖魔が鳴いた。
今度は祭儀殿が此方に話し掛けてくる。己が身に憑依させておいた妖魔と親しく会話されるとは想定を越えた事態だ。どうして良いか検討もつかない。
「顔を上げなよ。名前は何ていうの?」
「号魄史と申します」
「そうか、素敵な名前だね。号文官は、随分と愛されているようだ、大事にしてやりなよ、ここまで健気な妖魔は滅多にいないんだよ?なにせ彼女、妻子がいてもいいっていうんだから」
「は、はあ……」
この人は何をいっているのだ。
「で、そんな彼女が君のために器を産み落としたいったんだ」
「う、器、ですか」
「そうそう。君が輪廻の円環に合流したあと、河から釣り上げて入れるための器だよ。愛しい君との間に子供を作って、それに魂を入れずに保存しておくんだって。一から君を育ててみたいっていっていたよ。愛されてるねぇ……それでさ、夫婦になって結ばれたいそうだよ。来世まで待つなんて」
魄史はあまりにも不穏な話に聞かなかったことにしたいと思った。
「ほんっと泣けてくるよ。そのために人化できる程度の力を与えておいたから。号文官が何のために飼っているか知らないけど、閨の中で存分に可愛がってあげてよ。力が増した分役に立つと思うし。器が誕生したら教えてよ、是非祝福をしたい」
祭儀殿は虚空に手を差し伸べる。何の前触れもなく扇子がその掌に現れた。彼は魄史にその扇子を差し出す。
「これで連絡が取れるから宜しくね」
魄史が扇子を手に茫然としていると、祭儀殿は来たときと同じ優雅な足取りで碧霞門の方へと去っていった。
空中回廊の辺りは妖魔の影も形もなく、既に魄史の身体に取り込まれていた。
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