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本編
番外/07 梅の月の玉匣。
しおりを挟むある日のことだった。幼女は午睡中だった。乱れた黒髪が長椅子の上に散らばり、襟元がゆるゆるに開いていた。
萌黄の帷がさぁーっと開けられる。薄暗い房室に外の光が射し込む。
「ふえ」
陽光が眩しい。
幼女は小さなお手々で帷の端を摑んだ。帷を開いた人影を見上げながら、それ以上帷が開くのを阻止しようとする。日射を背後に裳裾を引いた女人の姿が浮かび上がっている。
たおやかな白面が幼女の顔を覗きこんだ。
邸宅に仕える幻鬼達はほとんど受体していないが、霄帥の消毒係である彼女だけは人の容姿を持っていた。
纏足は夫君以外の男に見せてはいけない。男の欲望を掻き立てる性愛の対象である。その纏足は常日頃足を生来とは異なる形に締めつけている都合上、毎日消毒を施す必要があった。
幻鬼に人の美醜は分からなかったが、一応は別に係がいて、彼女は人の女の姿をしていた。
柳腰の年若い美女の頭からひょろりと緑の茎が伸び、そこから芙蓉の花がふんわりと咲いていた。茎の頼りなさと不釣り合いに巨大な花である。
彼女の姿は透き通っていて、花精のようでもあるが霄帥は未だに、どことなく妖魔の香のする彼女の種族を知らなかった。
「潺々、どうしたの?」
幼女は寝ぼけまなこで言った。
「午睡になっているところを申し訳ありませんが、今から華火様にChocolateをお作りいたしますよ、奥方様」
透き通った女人は名を潺々灑蓉といって、わりかし可愛らしい顔立ちをしていた。
「ちっ…あう」
あ、噛んだ。幼女は頬を膨らませた。なんて呼びにくいのだ。
南東の巫覡、いや司祭が唱える呪力のない呪文のようだ。異国の経典の文言を誦唱しているというそれは、愛好家に言わせれば、荘厳な響きがあってうっとりとするそうだが、何人もの司祭達が文言を唱える空間にもうもうと煙る香の白煙も含めて、霄帥は好きではなかった。
「……その、ち、何とかっていうのはなぁに?どうして、私が作らないくちゃいけないの?」
幼女はまだ眠りたかった。
「遥か東の果ての甘味でございます。その発祥地である東の国の貴族の間に流行っているそうで、当地では女人から意中の者にChocolateで作ったお菓子を贈るそうでございます。なんでもご自分で作られるのが愛の証明だとか……」
潺々灑蓉は白面にうっすら紅を乗せてうっとりと言った。
甘味なのかお菓子の素材なのか?Chocolateの正体はよく分からない。だが、霄帥は話の流れを理解してきた。
嫌な予感がする。
「華火様はおっしゃいました。
『霄帥ちゃんが、僕のためのChocolateを考えてくれる……いとしい。……もじもじと手渡され、上目づかいにつぶらなお目々で僕に想いを告げてくれる……素晴らしいね。灑蓉ちょっと霄帥ちゃんにお願いしてきてよ』と。
さあ、作りにまいりますよ」
「作らないと駄目なの?お菓子だよ?」
霄帥は足掻いてみた。天朝の貴顕の人は自ら作業をしない。それが美徳である。霄帥が思うに、華火にはそういうところがあって「僕の奥方様」と呼ぶ霄帥にも、その常識を前提にして接してくる。例外というか、神聖な作業が幾らか存在していたが、勿論お菓子造りは含まれない。
「当地では、茶菓子作りや蒸留は良家の婦女子の嗜みだそうです。ですが、ご安心下さい、そういうところは全て幻鬼共がいたしますから。
それに奥方様は後ほど、もっと他の準備がおありになりますからね!Chocolateそのものを作るよりもそちらを作る方が重要にございますよ」
潺々は茶目っ気たっぷりに告げた。
一体何が待っているというのか!
霄帥は怖くて聞けなかった。
「へ、へーこれがちぉこれいと……」
それはどろどろとした茶色の塊だった。
火に掛けられ、銀の鍋の内側でつやつやと輝いている。
なんだか嗅いだことのない匂いもした。
大きな机の奥には沢山の升のような木型が積み上げられている。霄帥の手前には小さな青磁の器が沢山並んでいた。
中には乾燥した花や花びら、何かの種子、漢方めいたものまでが種類別に入れられている。別に水を張った白磁の器があり、今の季節の花の花弁が浮かんでいた。
幻鬼が木目を晒した素木の型を一つ取り上げて、鍋から茶色の塊をとろりと型に流し入れた。
「ささ、奥方様。乾いてしまう前にその花びらで、この茶色い面に画をお描きになって」
潺々がそう促す。向かいの机では、幻鬼が不思議な道具を操ってちぉこれいとで繊細な紋様を描いていた。
霄帥は青磁から青い花びらを摘まみ上げて、ぱらぱらっと落としてみた。
「ああそうだわ。生花は余り使いすぎない方がよろしいわ。食べにくいもの」などと隣で潺々が告げる。
それからしばらくして、幻鬼が最初に作られたちぉこれいとの画の木箱を開けた。どうやら木組みの箱で分解できるようだ、と霄帥はそこで始めて知った。
花びらを散らされた茶色い板が、沢山のお皿の上に並んでいた。様々な形をしている。最初は升だったのが、次第に幻鬼達が奥の方から複雑な形の型を取り出してきたのだ。木製とは限らず、合金や陶器の型もあった。
向かいの机では、幻鬼の作ったちぉこれいと細工が乾かされている。妙に簪や櫛に似ていた。中には首飾りのようなものまである。茶色い塊に糖蜜漬けの果実がきらめく。
「ずいぶんと沢山お作りになりましたねぇ、お疲れでございましょう」
潺々がお茶を差し出してきた。
「場所を変えて休憩なさって、あとで何枚かに選別なさいませ」
夕餉も終わり、戸の格子から覗く空は紺碧に染まっている。灯燭の炎がゆらゆらと、紅梅の枝を生けた花瓶の白地に深い影を落とす。
「さて、奥方様、お着替えいたしますよ」
潺々灑蓉がそう言うと、なぜか巨大な漆塗りの箱が運び込まれる。霄帥一人入っても、余るような大きさ。
やたらと広い霄帥の房室を圧迫することなく、それは絨毯の敷かれた床に降ろされた。
長椅子に座る幼女は己の侍女を上目遣いに見上げた。
おそるおそる、ゆっくりと言葉が紡がれる。
「あの、潺々。これはなに?」
透き通った佳人は頭の芙蓉をゆらして、すすっと箱の側に寄る。
「ここに模様が見えますか?実はここ、開くように細工されているんですよ?」
だからなに?と疑問符を浮かべた幼女に潺々は意味ありげに微笑んだ。
「奥方様は、それだけ覚えて下されば宜しいです」
「えっ?潺々……」
霄帥は一人で取り残されたような不安げな表情を浮かべた。
鏡面の前で髪を結われる。襦裙はなぜかそのままだった。飾りの一つも付けられずにそれは終わり、長い紅の細帯が持ってこられた。
襦裙がさっと脱がされ、下着も取られて、白い肢体が冷気に晒される。房室は温められていたが、それでも温度差はある。
巨大な箱が分解され、中に椅子が据えられた。
「さあ、奥方様そちらにお座りになって」
「……奥方様?さあ」
幼女は仏頂面でちょこんと桃尻を下ろした。
「ひ、ひゃ、そ、それは何のつもりなの」
異様に長い紅の細帯を幻鬼が手に持ち、裸の霄帥に近づけてくる。
結局、小さな肢体は真っ赤な細帯でぐるぐるに巻かれていた。
椅子の背面から両の二の腕に真っ赤な細帯が回され、胸元で花結びにされる。
ぷっくりとしたお腹の帯は格子模様になっている。そこに羅紗の短裙だけが着けられた。淡い梔色で銀糸で花の円紋を刺した羅紗の裙には、襞がしっかりと付けられていた。
幻鬼が作ったちぉこれいと細工がやってきて、霄帥の髻に挿し込まれる。
糖蜜漬けの果実がきらめく首飾りを着けられ、霄帥の作った花びらのちぉこれいとの入った玻璃の小箱を持たされた。
そして、潺々が耳元から趣味の悪い言葉を囁いてきた。
幻鬼達がわさわさと蓋の上で巨大な組紐を結んでいる。でっかい紅の房の形が整えられた。
以外と明るいな、と思った。
蓋には他の装飾とともに玻璃の象嵌が仕込まれており、光が差し込む。
箱はゆっくりと静かに動き始めた。
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