幼妻と宦官。

ののの(ののの。エルセナイカ)

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本編

05 隔扇門。

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 ある日の昼下がり。
 
 霄帥は舞を仕込まれていた。

 陽光が燦々と緑薫る庭に降り注いでいる。内院に向かって門は開かれていた。

 隔扇門は空間を遮蔽する壁として使用するもので、何枚もの木板からなり、屏風のように折り畳める。なにより、格子のところから木漏れでる光が、居心地の良い住空間をつくりだす。 

 その格子窓はおめでたい亜の幾何学模様になっていた。「亜」は古く祭祀に関わりがあった文字だ。

 一枚の扉はいくつかの区画に切られている。上部の欄間のような面や下部の彫刻を施したりする板面には「昼の女君」とその眷族が天上の山水に遊ぶ図が描かれていた。   

 昼の女君は昼の天上君である。その夫君は昼の女君に命ぜられ、昼の天上を治める。また、夜の眷族を含む天地全ての霊神の裁判を担っていた。

 
 白く長い袖が空を舞う。

 舞の衣は引きずるほどに長い筒状の袖を持っている。霄帥は玉緑の半臂をまとい、胸の少々下に金襴の細い帯を締めて、玉を通した飾り結びの艶紅の組み紐を垂らし、蝋黄の裙を穿いていた。半臂には宝石藍の孔雀の刺繍、裙には白絹で花紋が刺繍されている。

 射干玉の髪は頭の中央で二つのもとどりを結われ、その間から一房の髪が長く垂れ下がり、舞で弧を描く背にひらひらしていた。その下に髻を結い上げている紅い紐が大きく蝶結びにされ、太めの短い房が踊っている。
 結い髪に先端に銀の葉飾りがついた簪が水平に挿され、髻の中心に挿した花勝から額に珠玉がゆらゆらする。
 
 なにより纏足である。小さな金蓮ちゃんを包む布の沓は、果緑の生地に紫薇花の牡丹を基調とした丁寧な刺繍が施され、反った沓底の部分に華火が半透明の白地に瑠璃と白が混ざる勾玉型の水琴鈴をとりつけていた。 

 シャラン、シャランと涼やかな音色が鳴り、霄帥の不格好な舞姿に華火はめろめろだった。



 
 ※
 
 
「おや、暇をしているのかな?霄帥ちゃん、おやつまでちょっと舞の手習いでもする?」 

 霄帥が与えられた房室の庭先で、湖面をぼんやりと眺めていると華火がやって来た。彼女は地面をつっついていた葉のついた大ぶりの枝を落とした。後ろの主人を仰ぎ見て、驚愕の表情を浮かべる。

「わ、わが君、驚かさせないで」

「びっくりしている霄帥ちゃんも可愛いね。ほっぺたふにふにじゃあないか」

 華火の両手が霄帥の頬の白膚を摑むとやわやわと揉み始めた。

「ぅう……わが君お止めください。何のご用ですか?」

「うん?暇なら舞の練習でもしよう?って話だよ」

「はぁい、分かりました」

 霄帥は諦めたように気の抜けた返事を返した。
 
 房室に幻鬼たちがやってきて、華火の命じるままに霄帥を着替えさせる。
 霄帥の房室は何間にも連なった広い部屋で、何をどうやって用意したのか、連れて来られたその日の中に少女らしい可憐な内装が整えられた。天井板から建具に至るまで。調度品も贅を凝らした上に可愛らしい意匠で、そこら辺にあるようなものではないだろうに謎である。

 双鬟に銀の葉飾りのついた簪が水平に挿され、最後に螺鈿の小箱を掲げもった幻鬼がやって来た。

 箱が開かれ、愛らしい纏足用の布沓が現れた。
 
「わが君それは?」

 華火が沓を片手で持って、シャラン、シャランと降る。涼やかな音色が奏でられた。

「鈴をつけてみたんだ。水琴鈴というらしい。綺麗な音色だよねぇ。それじゃあ霄帥ちゃん、」

 華火が帷に手を掛けた。長春色の紗がひらひら揺れる。

「お沓を履きにいこうか」
 
 どうやら、華火は霄帥に手ずから沓を履かせる気満々のようである。
 幼女はげんなりした。

 華火のしろかねの目が纏足をじろじろと見てくる。
 幼女は羞恥に耐えていた。

 纏足は絹袋に包まれていた。元々履いていた沓は脱がされ、霄帥の小さな足が褥の上に投げ出されていた。
 華火は一通り観賞し、真新しい珠履を手にとった。美しい果緑の珠履は水滴のような水晶粒がきらきらしている。
 
「さあ、蓉花の如き小さなお足をこの内に入れるんだ」

 華火が満面に笑みで沓を差し出してきた。
 幼女は顔を顰めて、足をちょっとずつ沓に挿入していく。霄帥の金蓮ちゃんが収まる。華火はしばらく、手のひらに乗っけたままでれでれしていた。

「あぁ~もうかわいいなぁ……」
 
 嫣然たる冷たい美貌が煩悩に蕩けきって、残念な艶を醸しだしている。
 心得ている幼女は顔を背けて、しばらく華火の好きなようにさせていた。

 華火は内院側の調度のほとんど置かれていない広い部屋に霄帥を連れてきた。絨毯が敷き詰められ、深い藍色の地に青色系統の典麗な幾何学模様が幾重にも織られているが、中でも中央から全体にかけて広がる真っ白な神紋が幻想的に浮かび上がっていた。

「すこし扉を開けて、そうそう、それでいいや」
 
 幻鬼たちが、玻璃の挟まれた幾何学模様の格子が美しい建具を開けていく。
 内院の幽玄たる光景が絵画の如く現れ出でた。陽光が眩しい。


「まずは僕がやって見せるね。

 今からするのは「承衣の舞」だよ。一夜の寵を受けた一人の美女が皇帝から衣を賜ったという故事に由来する。彼女は衣を目印に探しだされ、迂曲左折の上、皇帝に承諾の舞を返したそうだ。

 それは素朴で可憐な感じの演舞だったそうだけど、今の承衣の舞は、空閨を託つ内青宮の佳人が切々と希うものになっている。つまり、求愛の舞だ。短くて簡単な舞だから直ぐに覚えられると思うよ」

 銀藍の薄衣がふわりとゆれた。

 華火は薄手の銀藍の背子を羽織っており、その大ぶりの袖が紺碧の絨毯すれすれをたゆたう。

 霄帥はぼうっと見惚れて目を離せなくなった。

 華火が頭の下の方で、適当に銀環で一束に結わえている髪が艶めかしく光を弾き、空に旋回する。紺碧の一束を目で追っていくと、不思議な浮遊感を覚えてくる。
 根本の精緻な彫刻が銀に輝き、華を添える。
 大袖が高く掲げられ、華火がしどけなく絨毯に横たわる。
 優美な手が希うように伸ばされる。

 古めかしい祭祀の紋様と相俟って、華火が演じると神を請う巫覡の祭事のようだ。元々、宮女が媚びた眼差しを送るなまめかしい舞であるのだろう、確かに淫靡な空気もした。それで、なにやら神聖な気配すら感じさせたものだから、見事である。

 華火が最初に告げたように舞は短く、一瞬の幻想にして終わった。
 霄帥は余韻に酔いしれ、舞終わった華火をぼうっと見ていた。

 手が目の前で振られる。

「霄帥ちゃんどうしちゃったのかな。大丈夫?」 

「……えっと、見惚れていただけです」

 華火は首をかしげる。いつも優雅な風情の華火が、今は殊更そうと感じられた。

「あの。宮女の舞なのですよね。どうして、そんなにお上手なの?その、もしかして太監さまは、」

 やたらと洗練された優美な仕草だった……と霄帥はぼんやりと想起した。 

「違うよ!違うからね」

 華火は慌てて否定した。

「……霄帥ちゃんはそういえばどこの出自なのかな。京師の噂とか聞いたことない?今の皇帝の寵姫って悉く、女性らしい豊満な乳房の天宿姫だよ!」

「天宿姫、ですか?」

「んー、なんだか大家は黒髪の女性を苦手としていらっしゃるご様子なんだ」
 
「でも、ほとんどの人が黒髪黒目ですよ」
 
 霄帥は小首をかしげた。それだと、ほとんどの女性が苦手だということにならないか。

「そうそう、だから皆苦労しているよ。大家は黒髪は苦手でいらっしゃるけれど、天下の人らしい顔立ちをお好みになるからね。異国の佳人は論外、染めた髪は不格好だとおっしゃるし、って、霄帥ちゃんは一体どこでそういうことを知ったのかな」

「…えっと、上のお姉さまがお好きだったのです。そういう話を」

 白蓉姫翹祀ぎょうしは人に化けて皇帝の寵愛を受け、歴代の王朝を滅びへと向かわせた人妖たちを崇拝していた。うっとりと彼らの逸話を語っていったものだ、「あんたは不細工でみっともないわね」と。彼女の話の中には宦官に紛れ込んだものもいた。

「そ、そう……それは中々、霄帥のお家は一体どんなところだったの……まあ、いいや、さっさと舞の練習に入ろう?」

「はい。わが君ごめんなさい。あの、結局どうして、そんなにお上手なのですか?」
 
 華火は自分でも分かっていないような様子を見せた。

「上手かどうかは知らないけど、姉の影響かもね。さ、始めるよ」

 



 華火の指導に従って、霄帥はたどたとしく袖を振り上げ始めた。
 小さな金蓮がふらふらっと揺れ動き、頼りない幼女は今にも崩れ落ちそうだ。

 シャラン、シャラン鈴音が鳴る。
 
 そして到頭、ぺたんと座りこんでしまった。可愛い。華火を見る目が何とも恨めしげである。

「あ~可愛かったよー。少し疲れちゃったみたいだね」

 華火は霄帥の幼い身体を抱き上げた。小さな肢体。ひらひらする長い袖や一房の黒髪、裙の裾がそれを花めいたものに見せていた。

「ぅう…」

 ぐったりと死に体の幼女が華火の腕の中で身動いた。その身体はぽわんと熱かった。
 
 白膚の額に貼り付いた黒髪をなでつけ、華火は淫蕩に微笑んだ。
 
 ああ、ほんと食べちゃいたい。
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