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届けこの思い(美咲SIDE)
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「あれ」を使わずに冴子と繋がった。
大した事はしていない、互いに指で身体の内側をまさぐり合っただけの事だ。
…だけど、その時だけは、本当に心も身体も繋がったような、そんな気がした。
はっと目が覚めるとまだ夜中だった。
日付が変わって間もなくという所で、意外な感じがする。
冴子とはもっと長く行為にふけっていた気がするから。
私たちは裸で、腕も脚も艶めかしく絡ませたままの状態で眠っていた。
冴子は私の腕の中で静かに寝息を立てている。
寝ている時は本当に静かだ。起きている時も、平常時は実におとなしい。だけどいやらしい行為の時だけは、うるさいぐらいに喘ぐ。
動くと冴子を起こしそうだったから、私はできる限り態勢を変えないよう努めた。
実際には、起きた瞬間身体がぴくりと動いた、それきりで、こんなに身体中を絡ませているのに、座りがいいと言うか、どこも窮屈ではなく、収まるべき所に互いが収まっているような恰好であるのが不思議でさえある。
それぐらい、今でさえ、こんなに身体がしっくり来るといちいち実感できるほど私と冴子は相性がいいはずなのに、何の前触れもなくいきなり私の視界はぼやけて恐ろしいほどのスピードで涙が溢れてきた。
こぼせば冴子の顔に涙が落ちる。そうなれば冴子が目覚めてしまいそうで怖かった。
声には出さず冴子に呼びかける。
--明日からあなたを取り巻く世界はいっぺんに変わってしまうわよ、と。
そう、冴子が私に嫉妬するのは今日でおしまいだ。
明日からはきっと私と冴子は全く逆の立場になるだろう。
それに気付いているのは私だけだから、どうにも口惜しい。
秘書課での、冴子の指導役が夏川さんで本当に良かった。
…あまりにも気になったから、私は先回りしてそれを秘書課に確かめていた。
なぜなら、秘書課には冴子の好きそうな、そして冴子を好きそうな人物がわんさか在籍しているから。
冴子にはだいぶマイルドに伝えたつもりだけど、私の中には危機感以外の感情は存在しないと言っていい。
ひょっとしたら、冴子本人に言わせれば秘書課員など比較にならないとか、意識する必要すらないと言ってくれるのかもしれない。
でも、必ずそう思ってもらえるという確証など皆無だ。
どこかで読んだ、ラノベの傑作と呼ばれている小説にそんな話があったなあ、と思う。
学園内で選ばれた者だけが生徒会に入り、特定の先輩から名誉の称号を継承していくのだ。
先輩と後輩は特別な絆で結ばれる。裏を返せば特別な絆が、次代の継承者たるただ一人の後輩を選ばせると言っても良いだろう。
秘書課にはちょっとそういう雰囲気があるように思う。
そして冴子は、女性の事務職としては「選ばれた」部類に入るであろうその小さな集団に加わるのにふさわしい。
ぱっとイメージできる絵面だけでも、何の違和感もない。
だからこそ、怖いのだ。
いよいよ冴子と私はビジネスとしての上下関係も結ぶ事になる。それは実際にはプライベートな距離感とは別の、仕切られた関係性が付け加えられるだけであって、その事が直接、冴子と私の距離を縮め理解を深める事に繋がるのかはわからない。
けれども冴子はそれを望み、結果として実現する事となった。
そういう冴子を青く、まぶしく思う。
秘書課には秘密の掟があると噂されているけれど、それはある意味当然の事だ。たとえ社内の人間相手にでも、漏らしてはいけない重要機密を数多く知る事のできる集団であるから。
時には香典や祝儀を用意し、ゴルフコンペのスケジュールを切り、時にはボスの親族に大して嘘を吐いたりもしなければならない。
冴子はそういう仕事に就く。
不思議なもので、私も若い頃は「知らない」「知らされない」事に悔しさを覚え、それらを知りたいと切望していた。
それはある意味、知らずにいる者の特権でもある。
ところが「知らなければならない」立場になり「いやでも知らされる」経験を積み重ねていくと、知るという事の辛さも実感する事となり、今度は知らない者、知らされない状態へ帰りたいと願うようになる。それは正に、その場所においてそこからはもう、戻れない証拠でもあろう。
私の年齢、経験、職責ではもはや「知らずにいる」事を許されはしない。
それを冴子に話した所で、絶対にわかるはずもない。私自身もそうだったから。
そういう意味では冴子が言う通り、私に近づこうとしている事にこれは類するのかもしれない、と思うけれど。
ただ漠然と、冴子のステップアップを止める事も邪魔する事もできないし、実際何も変わらないようならかえって問題だ。
極論、冴子が組織や個人の闇を知る事そのものに不安はないけれど、それらを共有するメンバーとの繋がりは自然と強固なものとなるだろう。
冴子があの部署になじめばなじむほど、その組織に溶け込んでいけばいくほど、何か私から離れてしまうのと同じような気がしてならない。
だからどうしても、今のうちに、冴子に無茶をさせてでも強烈な性的記憶を残しておきたかった。
それが私の本音だ。
秘書課員と性的趣向について話した事はないから、正確な所はどうだかわからない。
ただ、私の直観だけが、きっと何かあるような、それを察知してはいる。
冴子は確実に、あの中の誰か一人か複数かから、好意を寄せられる事だろう。
あの組織からはなぜか、百合の匂いと、同時にフリーセックスの匂いもする。
これぐらいの年齢になって性的に満たされているかそうでないか、同類の者が見ればすぐにわかるのだ。
あの集団には、性的に飢えた刺々しさがなぜか一切感じられない、それが私の直観である。
冴子の身体には、性的に満たされている空気と飢えている空気が同居している。それはそう多くの人が持ち合わせているものではなく、何か人と違う感じを印象づけたりする事には貢献しているかもしれない。
しかしその両方を的確に察知できる人間もまた、少ない事だろう。前者か後者どちらかにのみ反応するセンサーの持ち主であれば、きっと冴子を誤解する。
瞬間的には、冴子を満たせるものならやってみろ、とも思う事はあるが、大半はそんな事など考えてもいない。
私は年齢相応の性体験やテクニックはあると思うけど、決して人並み以上だとは思っていない。
冴子にしてみれば刺激的かもしれないけど、おしなべて同年代の女性と比べて私は突出しているようには思えない。
学歴もないし才能もない。
たまたま今この会社でこのポストに座っているだけだ。
それもいつまで続く事かもわからない。
冴子の相手が私でなければならない理由は、やっぱりどうしてもわからない。
…そう思っているはずなのに、私の知っている、もしくは知らない誰かが冴子に触れる事がものすごく許せない事だと思ってしまう。
多分だけど、あったはずだ。冴子がこれまでに他の、しかも女と寝ている事は。
その時も冴子の身体には、満たされた空気と飢えている空気が同居していたけれど、何かそのバランスが狂ったような気配があって、その時私はなんとなくそう思っていたのだけれど、冴子は何も言わずに黙って私の元へと帰って来た。
その事自体を咎める事も、問いただす事も、私はするつもりはない。
なぜならあの時のあれはきっと、割り切った火遊びとしての行為だったに違いないからだ。
その証拠に他の人物の気配は徐々に色あせていっている。
既に実証済みだけど、仮に毎晩冴子を犯した所で、冴子の醸す空気には相変わらず、相反するものが同居し続ける。
夜は良くても昼はどうだかわからない。
私は冴子が誰かの性の対象とされ更に行為の痕跡を目の当りにしたとして、平常心でいられる自信はない。
しかも冴子の場合は私を煽る材料としてでさえ、そういう事をしかねない危うさもある。
本当はどこへも行かないで欲しい。誰の目にも触れさせたくない。
私だけのものでいて、私だけを求めて欲しい。
…そんなの、無理なんだけど。
「……ん」
冴子が身じろぎしたので私はどきりとしたが、どうやら起きたわけではないらしく、より深く私の身体に自身を預けてくるように寄り添ってくる。
…ずっとこの時間が続けばいいのにと願ってしまいそうになる。
いや…実際は、明日の夜だってこうして一緒に眠るのだ。
明後日も、週末も、思い切りいやらしい事をして一緒に眠る、それはほぼ決まった予定だ。
もっと長く、一週間ぐらい休みが取れるような機会には、どこか南国のビーチリゾートにでも行って、一週間まるまる二人きりで好きな事をして過ごすのもいい。
「冴子」
聞こえるか聞こえないか程度の小声で呼んでみる。反応はない。
…キスしたいけど、それだと苦しいだろうから、目の前にある冴子の髪に顔を生めて再び眠る事にした。
この子が36歳になる時、私は50歳を迎える。
考えても仕方がないし、それはすごく先の事で、恐れた所でどうにもならない事なのに、どうしても時にはその事が思い浮かんでしまう。
私を切り捨てたあの人は、私の人生の時間を奪う事はしなかった。
今の私は、冴子を裏切る事はしていないと思うけど、冴子の人生の時間を奪ってしまうかもしれない。
いつか冴子に「時間を返せ」と言われるかもしれないし、少しだけどその覚悟はできている。仮にそう言われたとしても、「自分が選んだ事でしょ」などと反論はすまい。ただ謝罪しようと心に決めている。
きっと5年も経てば周りの友達がどんどん結婚して親族からも煽られて、複雑な思いをするだろう。
妊娠や出産について真剣に考える日も来るだろう。
それら全てを諦める、もしくは選ばないという事であれば私が通った道であり、冴子に教えてあげられる事はあると思う。
けれども今の私には冴子がいて、その時の冴子には同等の存在がなかったとしたら、冴子は憤るに違いない。
…でも。
今の冴子にそんな事を話ても無意味だし、野暮だろう。
冴子は夢中になってくれているし、前に進もうともしている。
私はと言えば、そういう訳ではない。だから怯えているのだ。
「…ごめんね」
そう声に出さずにはいられなかった。
冴子の求めるものを誰より多く与えて、どれだけ濃密な時間を過ごしたとしても、それが「いい相手だった」かどうかを決めるのは冴子自身だ。
どれだけ、いい思い出を作ったり言葉を交わしたとしても、それがいい恋愛だったかどうかはまた別の話だ。
私は、どうすれば一つの恋愛を綺麗に終わらせる事ができるのかなんて知らない。
かと言って、今の日本ではほとんど認められてないけれど、同性婚ができればそれで完結するとも思えない。
冴子が欲しがっているのはそういう物ではないだろう。
明日の夜、それから先の夜、きっと私はこれまで以上に冴子を激しく犯すような気がする。
そうやって、男がするみたいに冴子の記憶を上書きしようとするのではないだろうか。
今日どんな事があってどんな人と出会い話したのかもろくに聞かず、むしろそれを避けるような真似をして、とにかく冴子にいやらしい事をしようとするのではないか。
そんな風にされて冴子が心底喜ぶとは思えない。…いや、それでも身体はそこそこ喜ぶのかもしれないが。
「ごめん」
もう一度、明日から多分冴子に妬くであろう自分の未熟さを詫びる。
それと、本当に昼休みとか業務時間中に冴子を連れ出して、あるいはトイレなどで何かしてしまうかもしれない事も先に詫びておく。
あちこちからそういう目で見られて嫌だろうけど、これはもう致し方ない。
秘書課の誰かが来るならこちらも行くしかないのだ。そうしないと、きっと奪われる、そんな気がしてならない。
これが単なる取り越し苦労なら、それにこした事はないのだが。
…だけど、送別会への飛び入り参加や悪戯だけでもあんなに怒らせてしまったし。
これは冴子からの反発もそれなりに覚悟しなくてはならない、と思った。
*-*-*-*-*-
明け方、それよりも何よりも重要なミスを犯した事に思い至る。
冴子だけでも化粧を落として寝かせるべきだった。
「……あ」
冴子が目覚めた時私は半分以上眠っていて、あまり反応できなかった。
こんな風に帰宅するやいなや抱き合う事もあるから、ベッドサイドにはクレンジングシートを常備しているけど、冴子がそれを使っている様子になんとなく気付いて、その時こそ心から申し訳ないという気持ちを込めて詫びる。
「…あ、ごめんね、気が付かなくて」
「大丈夫です」
半分眠った人間の言う謝罪にどの程度本気度が現れているのか、自分でも疑わしい限りだが、冴子は「どうせ忘れちゃうなら落とさなくてもいいぐらいの化粧品に変える」と言って、だいぶ前に美容成分だけで作られているブランドコスメに入れ替えを完了させている。
「お姉さまこそ大丈夫なんですか」
私はそういうコスメを使ってはいない。それを冴子は知っているから、クレンジングシートをもう一枚取り出して、私に差し出してきた。
私がなかなか受け取らないので、迷った後私の顔面にそのシートを乗せてくる。
どうにか、私は目だけを開けて言い返した。
「…今ババア扱いしたでしょ」
「してませんよ」
時計は見ていないがもう外は明るい。
今更、とも思い手を動かすのも億劫で、冴子が置いたきりの状態で顔面にクレンジングシートを乗せていると、冴子がそれを再び手に取り私の顔の拭き取りを始めた。
「…いいのに」
「もったいないじゃないですか、シートが」
拭き取りが妙に上手いのは、おそらくサロンでやられている方法を真似ているからだろう。
「エッチしてるから内側から綺麗になってるの」
眠気にかこつけてぐだぐだ抵抗してみる。
実際、私はあまり寝起きが良い方ではない。普段は起きるべき時間のためにかなり無理をしている。
「何言ってるんですか」
拭き取りの手を動かしながら冴子は呆れたように言う。
この、眠気にかこつけたぐだぐだにもだいぶ慣れてしまったのだろう。
「…ほら、多少すっきりしたでしょ」
「うん、ありがとう」
「いいですよ…別に」
冴子は、改まってお礼を言われる事をあまり喜ばないふしがある。
だから、やたらめったら「ありがとう」を連発しないように気を付けてはいるけれど。
「お姉さま今日は入社式に少し参加されるんじゃないですか」
「あー、忘れてた、よくそんな事覚えてるわね」
徐々に覚醒しつつあるが、もう少しだけでも、仕事の事は忘れていたい。
冴子が拭き取りを終えてシートを捨てた所で、強引に腕を掴み冴子の身体を抱きすくめた。
「…まだ、仕事の話はしちゃだめ」
「わかりました」
脚と脚が密着して、つい数時間前まで行われていた行為の痕跡を色濃く感じる。
「あ……そうだ」
「何ですか?」
私に身体を預けたまま冴子が目だけを上げる。
「もし、やりたかったら…私がリモコンローター付けて冴子に操作してもらう、ってのもいいかもね」
言うやいなや冴子の顔が真っ赤になった。
「…何、言ってるんですか」
「…やりたくないの?」
「そんな事絶対にできませんっ」
「そうなんだ…」
いい思い付きだと思ったけど、今一つのようだ。
「…だって、いろんな人とか、男の人とかの前で…お姉さまが感じてしまってる所を、例えその人たちがわからなくても、見られるのは嫌です」
「…私が感じてる所を他の人に見せたくないって事?」
「そうです」
既に十分密着しているのに、冴子が更に身体を寄せてくる。冴子の大きな胸が押しつぶされて痛くはないのか心配になるほどだ。
「…でも、自分は見られてると興奮するんでしょ?」
「…はい」
恥ずかしくなったのか、冴子は下を向いて私の胸に顔を生めてしまった。
あまり虐めてもいけないと思い、再び襲ってきた眠気に身を任せる。
寝ている間に、冴子の唇や舌が私の身体のいくつかの場所を吸ったり舐めたりしていた気はするが、それさえも心地良く眠るための材料になった。その時の愛撫は、何かを期待し求めているのとは違うものだったから。
それでも私の頭の中には、既に今日一日のスケジュールの事がぼんやりと浮かんできてしまっている。
…秘書課での歓迎会はあるのだろうか、だとしたら今日は私が先に帰るのかもな、などという事まで考えたりして。
「冴子…愛してる」
それが実際に言葉として口から出たのか、心の中だけでのものだったか、私にはわからない。
でも、紛れもなく今、私はそう思っている。
こんなにも可愛らしく、艶めかしく、私を慕い何もかもを求めてくる健気な所も、全てにおいて冴子を愛おしいと思う。
だから大丈夫、私が必ず冴子を幸せにする。
どういう形になるのかはわからないけど。
「私も…」
そんな声が聞こえたような気がするけど、聞き流してもいいだろう、と思えたのは、既にどこかで満たされているからなのかもしれない。
-END-
大した事はしていない、互いに指で身体の内側をまさぐり合っただけの事だ。
…だけど、その時だけは、本当に心も身体も繋がったような、そんな気がした。
はっと目が覚めるとまだ夜中だった。
日付が変わって間もなくという所で、意外な感じがする。
冴子とはもっと長く行為にふけっていた気がするから。
私たちは裸で、腕も脚も艶めかしく絡ませたままの状態で眠っていた。
冴子は私の腕の中で静かに寝息を立てている。
寝ている時は本当に静かだ。起きている時も、平常時は実におとなしい。だけどいやらしい行為の時だけは、うるさいぐらいに喘ぐ。
動くと冴子を起こしそうだったから、私はできる限り態勢を変えないよう努めた。
実際には、起きた瞬間身体がぴくりと動いた、それきりで、こんなに身体中を絡ませているのに、座りがいいと言うか、どこも窮屈ではなく、収まるべき所に互いが収まっているような恰好であるのが不思議でさえある。
それぐらい、今でさえ、こんなに身体がしっくり来るといちいち実感できるほど私と冴子は相性がいいはずなのに、何の前触れもなくいきなり私の視界はぼやけて恐ろしいほどのスピードで涙が溢れてきた。
こぼせば冴子の顔に涙が落ちる。そうなれば冴子が目覚めてしまいそうで怖かった。
声には出さず冴子に呼びかける。
--明日からあなたを取り巻く世界はいっぺんに変わってしまうわよ、と。
そう、冴子が私に嫉妬するのは今日でおしまいだ。
明日からはきっと私と冴子は全く逆の立場になるだろう。
それに気付いているのは私だけだから、どうにも口惜しい。
秘書課での、冴子の指導役が夏川さんで本当に良かった。
…あまりにも気になったから、私は先回りしてそれを秘書課に確かめていた。
なぜなら、秘書課には冴子の好きそうな、そして冴子を好きそうな人物がわんさか在籍しているから。
冴子にはだいぶマイルドに伝えたつもりだけど、私の中には危機感以外の感情は存在しないと言っていい。
ひょっとしたら、冴子本人に言わせれば秘書課員など比較にならないとか、意識する必要すらないと言ってくれるのかもしれない。
でも、必ずそう思ってもらえるという確証など皆無だ。
どこかで読んだ、ラノベの傑作と呼ばれている小説にそんな話があったなあ、と思う。
学園内で選ばれた者だけが生徒会に入り、特定の先輩から名誉の称号を継承していくのだ。
先輩と後輩は特別な絆で結ばれる。裏を返せば特別な絆が、次代の継承者たるただ一人の後輩を選ばせると言っても良いだろう。
秘書課にはちょっとそういう雰囲気があるように思う。
そして冴子は、女性の事務職としては「選ばれた」部類に入るであろうその小さな集団に加わるのにふさわしい。
ぱっとイメージできる絵面だけでも、何の違和感もない。
だからこそ、怖いのだ。
いよいよ冴子と私はビジネスとしての上下関係も結ぶ事になる。それは実際にはプライベートな距離感とは別の、仕切られた関係性が付け加えられるだけであって、その事が直接、冴子と私の距離を縮め理解を深める事に繋がるのかはわからない。
けれども冴子はそれを望み、結果として実現する事となった。
そういう冴子を青く、まぶしく思う。
秘書課には秘密の掟があると噂されているけれど、それはある意味当然の事だ。たとえ社内の人間相手にでも、漏らしてはいけない重要機密を数多く知る事のできる集団であるから。
時には香典や祝儀を用意し、ゴルフコンペのスケジュールを切り、時にはボスの親族に大して嘘を吐いたりもしなければならない。
冴子はそういう仕事に就く。
不思議なもので、私も若い頃は「知らない」「知らされない」事に悔しさを覚え、それらを知りたいと切望していた。
それはある意味、知らずにいる者の特権でもある。
ところが「知らなければならない」立場になり「いやでも知らされる」経験を積み重ねていくと、知るという事の辛さも実感する事となり、今度は知らない者、知らされない状態へ帰りたいと願うようになる。それは正に、その場所においてそこからはもう、戻れない証拠でもあろう。
私の年齢、経験、職責ではもはや「知らずにいる」事を許されはしない。
それを冴子に話した所で、絶対にわかるはずもない。私自身もそうだったから。
そういう意味では冴子が言う通り、私に近づこうとしている事にこれは類するのかもしれない、と思うけれど。
ただ漠然と、冴子のステップアップを止める事も邪魔する事もできないし、実際何も変わらないようならかえって問題だ。
極論、冴子が組織や個人の闇を知る事そのものに不安はないけれど、それらを共有するメンバーとの繋がりは自然と強固なものとなるだろう。
冴子があの部署になじめばなじむほど、その組織に溶け込んでいけばいくほど、何か私から離れてしまうのと同じような気がしてならない。
だからどうしても、今のうちに、冴子に無茶をさせてでも強烈な性的記憶を残しておきたかった。
それが私の本音だ。
秘書課員と性的趣向について話した事はないから、正確な所はどうだかわからない。
ただ、私の直観だけが、きっと何かあるような、それを察知してはいる。
冴子は確実に、あの中の誰か一人か複数かから、好意を寄せられる事だろう。
あの組織からはなぜか、百合の匂いと、同時にフリーセックスの匂いもする。
これぐらいの年齢になって性的に満たされているかそうでないか、同類の者が見ればすぐにわかるのだ。
あの集団には、性的に飢えた刺々しさがなぜか一切感じられない、それが私の直観である。
冴子の身体には、性的に満たされている空気と飢えている空気が同居している。それはそう多くの人が持ち合わせているものではなく、何か人と違う感じを印象づけたりする事には貢献しているかもしれない。
しかしその両方を的確に察知できる人間もまた、少ない事だろう。前者か後者どちらかにのみ反応するセンサーの持ち主であれば、きっと冴子を誤解する。
瞬間的には、冴子を満たせるものならやってみろ、とも思う事はあるが、大半はそんな事など考えてもいない。
私は年齢相応の性体験やテクニックはあると思うけど、決して人並み以上だとは思っていない。
冴子にしてみれば刺激的かもしれないけど、おしなべて同年代の女性と比べて私は突出しているようには思えない。
学歴もないし才能もない。
たまたま今この会社でこのポストに座っているだけだ。
それもいつまで続く事かもわからない。
冴子の相手が私でなければならない理由は、やっぱりどうしてもわからない。
…そう思っているはずなのに、私の知っている、もしくは知らない誰かが冴子に触れる事がものすごく許せない事だと思ってしまう。
多分だけど、あったはずだ。冴子がこれまでに他の、しかも女と寝ている事は。
その時も冴子の身体には、満たされた空気と飢えている空気が同居していたけれど、何かそのバランスが狂ったような気配があって、その時私はなんとなくそう思っていたのだけれど、冴子は何も言わずに黙って私の元へと帰って来た。
その事自体を咎める事も、問いただす事も、私はするつもりはない。
なぜならあの時のあれはきっと、割り切った火遊びとしての行為だったに違いないからだ。
その証拠に他の人物の気配は徐々に色あせていっている。
既に実証済みだけど、仮に毎晩冴子を犯した所で、冴子の醸す空気には相変わらず、相反するものが同居し続ける。
夜は良くても昼はどうだかわからない。
私は冴子が誰かの性の対象とされ更に行為の痕跡を目の当りにしたとして、平常心でいられる自信はない。
しかも冴子の場合は私を煽る材料としてでさえ、そういう事をしかねない危うさもある。
本当はどこへも行かないで欲しい。誰の目にも触れさせたくない。
私だけのものでいて、私だけを求めて欲しい。
…そんなの、無理なんだけど。
「……ん」
冴子が身じろぎしたので私はどきりとしたが、どうやら起きたわけではないらしく、より深く私の身体に自身を預けてくるように寄り添ってくる。
…ずっとこの時間が続けばいいのにと願ってしまいそうになる。
いや…実際は、明日の夜だってこうして一緒に眠るのだ。
明後日も、週末も、思い切りいやらしい事をして一緒に眠る、それはほぼ決まった予定だ。
もっと長く、一週間ぐらい休みが取れるような機会には、どこか南国のビーチリゾートにでも行って、一週間まるまる二人きりで好きな事をして過ごすのもいい。
「冴子」
聞こえるか聞こえないか程度の小声で呼んでみる。反応はない。
…キスしたいけど、それだと苦しいだろうから、目の前にある冴子の髪に顔を生めて再び眠る事にした。
この子が36歳になる時、私は50歳を迎える。
考えても仕方がないし、それはすごく先の事で、恐れた所でどうにもならない事なのに、どうしても時にはその事が思い浮かんでしまう。
私を切り捨てたあの人は、私の人生の時間を奪う事はしなかった。
今の私は、冴子を裏切る事はしていないと思うけど、冴子の人生の時間を奪ってしまうかもしれない。
いつか冴子に「時間を返せ」と言われるかもしれないし、少しだけどその覚悟はできている。仮にそう言われたとしても、「自分が選んだ事でしょ」などと反論はすまい。ただ謝罪しようと心に決めている。
きっと5年も経てば周りの友達がどんどん結婚して親族からも煽られて、複雑な思いをするだろう。
妊娠や出産について真剣に考える日も来るだろう。
それら全てを諦める、もしくは選ばないという事であれば私が通った道であり、冴子に教えてあげられる事はあると思う。
けれども今の私には冴子がいて、その時の冴子には同等の存在がなかったとしたら、冴子は憤るに違いない。
…でも。
今の冴子にそんな事を話ても無意味だし、野暮だろう。
冴子は夢中になってくれているし、前に進もうともしている。
私はと言えば、そういう訳ではない。だから怯えているのだ。
「…ごめんね」
そう声に出さずにはいられなかった。
冴子の求めるものを誰より多く与えて、どれだけ濃密な時間を過ごしたとしても、それが「いい相手だった」かどうかを決めるのは冴子自身だ。
どれだけ、いい思い出を作ったり言葉を交わしたとしても、それがいい恋愛だったかどうかはまた別の話だ。
私は、どうすれば一つの恋愛を綺麗に終わらせる事ができるのかなんて知らない。
かと言って、今の日本ではほとんど認められてないけれど、同性婚ができればそれで完結するとも思えない。
冴子が欲しがっているのはそういう物ではないだろう。
明日の夜、それから先の夜、きっと私はこれまで以上に冴子を激しく犯すような気がする。
そうやって、男がするみたいに冴子の記憶を上書きしようとするのではないだろうか。
今日どんな事があってどんな人と出会い話したのかもろくに聞かず、むしろそれを避けるような真似をして、とにかく冴子にいやらしい事をしようとするのではないか。
そんな風にされて冴子が心底喜ぶとは思えない。…いや、それでも身体はそこそこ喜ぶのかもしれないが。
「ごめん」
もう一度、明日から多分冴子に妬くであろう自分の未熟さを詫びる。
それと、本当に昼休みとか業務時間中に冴子を連れ出して、あるいはトイレなどで何かしてしまうかもしれない事も先に詫びておく。
あちこちからそういう目で見られて嫌だろうけど、これはもう致し方ない。
秘書課の誰かが来るならこちらも行くしかないのだ。そうしないと、きっと奪われる、そんな気がしてならない。
これが単なる取り越し苦労なら、それにこした事はないのだが。
…だけど、送別会への飛び入り参加や悪戯だけでもあんなに怒らせてしまったし。
これは冴子からの反発もそれなりに覚悟しなくてはならない、と思った。
*-*-*-*-*-
明け方、それよりも何よりも重要なミスを犯した事に思い至る。
冴子だけでも化粧を落として寝かせるべきだった。
「……あ」
冴子が目覚めた時私は半分以上眠っていて、あまり反応できなかった。
こんな風に帰宅するやいなや抱き合う事もあるから、ベッドサイドにはクレンジングシートを常備しているけど、冴子がそれを使っている様子になんとなく気付いて、その時こそ心から申し訳ないという気持ちを込めて詫びる。
「…あ、ごめんね、気が付かなくて」
「大丈夫です」
半分眠った人間の言う謝罪にどの程度本気度が現れているのか、自分でも疑わしい限りだが、冴子は「どうせ忘れちゃうなら落とさなくてもいいぐらいの化粧品に変える」と言って、だいぶ前に美容成分だけで作られているブランドコスメに入れ替えを完了させている。
「お姉さまこそ大丈夫なんですか」
私はそういうコスメを使ってはいない。それを冴子は知っているから、クレンジングシートをもう一枚取り出して、私に差し出してきた。
私がなかなか受け取らないので、迷った後私の顔面にそのシートを乗せてくる。
どうにか、私は目だけを開けて言い返した。
「…今ババア扱いしたでしょ」
「してませんよ」
時計は見ていないがもう外は明るい。
今更、とも思い手を動かすのも億劫で、冴子が置いたきりの状態で顔面にクレンジングシートを乗せていると、冴子がそれを再び手に取り私の顔の拭き取りを始めた。
「…いいのに」
「もったいないじゃないですか、シートが」
拭き取りが妙に上手いのは、おそらくサロンでやられている方法を真似ているからだろう。
「エッチしてるから内側から綺麗になってるの」
眠気にかこつけてぐだぐだ抵抗してみる。
実際、私はあまり寝起きが良い方ではない。普段は起きるべき時間のためにかなり無理をしている。
「何言ってるんですか」
拭き取りの手を動かしながら冴子は呆れたように言う。
この、眠気にかこつけたぐだぐだにもだいぶ慣れてしまったのだろう。
「…ほら、多少すっきりしたでしょ」
「うん、ありがとう」
「いいですよ…別に」
冴子は、改まってお礼を言われる事をあまり喜ばないふしがある。
だから、やたらめったら「ありがとう」を連発しないように気を付けてはいるけれど。
「お姉さま今日は入社式に少し参加されるんじゃないですか」
「あー、忘れてた、よくそんな事覚えてるわね」
徐々に覚醒しつつあるが、もう少しだけでも、仕事の事は忘れていたい。
冴子が拭き取りを終えてシートを捨てた所で、強引に腕を掴み冴子の身体を抱きすくめた。
「…まだ、仕事の話はしちゃだめ」
「わかりました」
脚と脚が密着して、つい数時間前まで行われていた行為の痕跡を色濃く感じる。
「あ……そうだ」
「何ですか?」
私に身体を預けたまま冴子が目だけを上げる。
「もし、やりたかったら…私がリモコンローター付けて冴子に操作してもらう、ってのもいいかもね」
言うやいなや冴子の顔が真っ赤になった。
「…何、言ってるんですか」
「…やりたくないの?」
「そんな事絶対にできませんっ」
「そうなんだ…」
いい思い付きだと思ったけど、今一つのようだ。
「…だって、いろんな人とか、男の人とかの前で…お姉さまが感じてしまってる所を、例えその人たちがわからなくても、見られるのは嫌です」
「…私が感じてる所を他の人に見せたくないって事?」
「そうです」
既に十分密着しているのに、冴子が更に身体を寄せてくる。冴子の大きな胸が押しつぶされて痛くはないのか心配になるほどだ。
「…でも、自分は見られてると興奮するんでしょ?」
「…はい」
恥ずかしくなったのか、冴子は下を向いて私の胸に顔を生めてしまった。
あまり虐めてもいけないと思い、再び襲ってきた眠気に身を任せる。
寝ている間に、冴子の唇や舌が私の身体のいくつかの場所を吸ったり舐めたりしていた気はするが、それさえも心地良く眠るための材料になった。その時の愛撫は、何かを期待し求めているのとは違うものだったから。
それでも私の頭の中には、既に今日一日のスケジュールの事がぼんやりと浮かんできてしまっている。
…秘書課での歓迎会はあるのだろうか、だとしたら今日は私が先に帰るのかもな、などという事まで考えたりして。
「冴子…愛してる」
それが実際に言葉として口から出たのか、心の中だけでのものだったか、私にはわからない。
でも、紛れもなく今、私はそう思っている。
こんなにも可愛らしく、艶めかしく、私を慕い何もかもを求めてくる健気な所も、全てにおいて冴子を愛おしいと思う。
だから大丈夫、私が必ず冴子を幸せにする。
どういう形になるのかはわからないけど。
「私も…」
そんな声が聞こえたような気がするけど、聞き流してもいいだろう、と思えたのは、既にどこかで満たされているからなのかもしれない。
-END-
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