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内示

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「…という訳で、4月からも頑張ってね」
「……」
「二宮さん?」
「あ、はい」
「では以上です」
「は、はい、失礼いたします」

今日は何月何日だっけ。
…そう、3月11日ではないか。
日本を、文字通り揺るがすような出来事のあった日と同じだ。
だからというわけじゃないけど、きっと今日内示を受けた事も、長く忘れる事はないだろう。

*-*-*-*-*-

その呼出しは唐突だった。
私たち受付担当は、課や室という単位ではなく直接総務部内の一チームという所属となっている。
総務部長に呼ばれて会議室へ向かうと、そこに総務部長だけではなく秘書課の人も同席していた。

それでいきなり、4月からの秘書課への異動を言い渡されたのだ。
私にとっては願ってもない事ではあるけれど、まだ例の秘書検定の上の級にも合格しているわけではないし、上司に対して秘書課への異動を殊更にアピールした事もない。
…ほんの一瞬だけ、美咲さんか、あるいは袴田氏の根回しがあったのか?という考えが過るものの、少なくとも美咲さんに関しては、「そういう事はしない」と断言していたから、それを破るような事はしないはずだ。

それでも、やっぱりびっくりはしたし、これから先やっていけるのか、という不安もある。
今の受付担当と、ある意味一番似通った部署ではあるのだろうから、恵まれていると言われれば、そうかもしれないけれど。
それでも、さっきの内示が本当に事実なのか、まだきちんと認識できないぐらいに、私は混乱していた。

その日の業務は全く力も入らずといった有様で、友紀に心配されるほどだった。

「冴子具合でも悪いの?なんか顔が赤いけど」
「…どうかな」
「熱、測った方がいいんじゃないの」

言われるままにエントランスから下がり事務所で検温してみるが、特に熱が高いというわけではなかった。

…なんで?嬉しいはずなのに、なんだかもやもやする。
私は、ちゃんと公司共に美咲さんを支えられるだろうか。その資格があるのだろうか。
と言うかその前に、私はまず誰の担当になるのだろうか。はじめのうちは見習いみたいな形で、先輩のサポートをするのだろうか。

「…」

さっきの面談で、そういう事を質問すれば良かった、という後悔が今になって押し寄せてくる。
とりあえず、発令までは口外しないようにと言われているし、あまりその事について考えてしまうと、うっかり誰かに話てしまいそうで、複雑だった。
こういう事は、美咲さんには話しても問題ないのだろうか。
はっきり答えは出ないけど、とりあえず黙っておく事にする。
美咲さんの事だから、そんな私を「真面目すぎ」とからかうのかもしれないけど。

…だって、私には役職者が何を知っていて、秘書がそのうちのどこまでを知っていても問題ないのか、もしくは知っていなければならないのか、まだ全くわからない。
そういう事も、異動したら理解しておかなければならない事項になるのだろうな、と思う。

体温計を事務所の薬箱に戻して、落ち着くためにも一旦トイレの個室にこもってみる事にする。

用を足してそのまま便座に座り込む、というつもりでとりあえずストッキングとショーツを下ろした時に、ふいに視界に入った自分の内腿から、先日の晴香ちゃんとの逢瀬を思い出してしまった。

…調子に乗って私は晴香ちゃんの内腿にも、自分の跡を残してしまった。
済んだ事とは言え、自制心のなさにがっかりする。
あの時晴香ちゃんは、全部自分の所為にしてもらって構わない、私が誘惑したんだからと、わざわざ私に言い聞かせてくれていたような気はするが、だからと言ってただ流されて良かったものかどうか。

だけど、あんな美少女にガチで告白されて、誘われたら、そんなのどれだけガードが堅い人だって無理だろう、という諦めもある。
私には言い訳の余地は山ほどあるのだ、とあの日開き直って行為に及んだのではないか。
ところが、いざ事に及んでみれば、およそ初めてというのが嘘ではないかというぐらいに晴香ちゃんは器用に「あれ」を使いこなし、さんざん突きまくられて、私は何度もイかされてしまった。
申告してないのも含めて軽く10回以上達したように思う。多すぎてだいたいの回数しか覚えてないけれど。

「…」

はっと気が付くと、個室に流れていた、流水のサウンドが時間切れとなり静寂が訪れていた。
ちょっと、長居しすぎたか。
一つ深呼吸をしてみるけれど、今日の内示の事やら先日の晴香ちゃんの事やらが混じり合って、頭の中はますますごちゃつくばかりだった。

仕事はきちんとやらないと、とは思うのだけれど、見た目に宜しくない状況なのであれば、早退を申し出る方が得策かもしれない。

化粧室を出てから、私は受付担当の先輩社員にありのままを相談した。熱があるわけではないが少し調子が悪いので早退したい、と。
先輩は特に問題ない、と了承してくれたので、私はそのまま上がる事になった。
友紀に一言だけ声をかけて帰宅する。

…一旦、美咲さんの部屋ではなく自分の部屋へ行こう。
昼間のうちからあの恵比寿のマンションへ帰るのは、どうもいけない事のような気がしてしまってだめだ。

いつもの通勤路なのに、真昼に帰宅する道中というのはどうしてこうも違和感に溢れているのだろう。
まるで、この世界には本来私がいないはず、とでも感じてしまうような。
サラリーマンの姿がなく、子供連れのお母さんたちや中高生なんかが街の主役を張っている時間帯、だからだろうか。
だから居心地が悪いような錯覚を覚える。

部屋に入って私はどかっとローテーブルの傍らに腰を下ろしてそのままじっとしていた。
何分間ぐらいそうしていたのかもわからない。
ブーブーッとスマホが振動する音が、バッグの中から聞こえてくるまで、私はぼんやりしていた。

…どうせ何かの通知だろう、と思いスマホの振動は無視する。
改めて記憶を整理しようにも、晴香ちゃんとのあの日の事は、正直あまりきちんと思い出せないのだ。特に最後の方になればなるほど、私は何を話して晴香ちゃんは何と言ったのか。どういう風に別れたかもあまり記憶がない。
それぐらいに私は多くの回数達していて、ギリギリの状態だったのだ。
あるいは私が寝落ちしている間に晴香ちゃんはこっそり姿を消したのかもしれない。

…いつか、私の前で寝落ちした美咲さんも、こんな感じだったのだろうか。
美咲さんはさすがに、記憶がまるごと抜け落ちるなんてぐらいになるまで体力を使い果たす事はないのかもしれないけど。

思い出せないものは仕方ないが、とにかく私の記憶に焼き付いて離れないのは、いつか妄想したのと同じように、晴香ちゃんが黒々とした「あれ」を装着した姿と、晴香ちゃんの白い肌にどうしても私の跡を残したくなり衝動に任せてそれを実行した時の事、そして跡を付けられた時の晴香ちゃんの表情。
そしてとにかく、無尽蔵に繰り出されるあの激しい打ち込み。
それでいて本人は、何でもない事のように涼しい顔のまま、小悪魔宜しく意地悪な言葉を浴びせてきたり、やたらと「好きです」と私にすがってきたりして。
あの華奢な身体のどこに、それだけの体力と集中力が備わっているのか、正直言って謎だ。

だけど、それら全て、あらゆる要素が、ずるいぐらいに官能的なのだ。
何度考えても、あれに抗うなんて無理だ。

現に私は、わかりやすく誘惑され求められて、悪い気はしなかったし、むしろ晴香ちゃんの秘部を喜んでしゃぶっていた。
あの、白くてすべすべした、小さなお尻をつかんで。
そしてやはり小さく薄い花弁が本当に可愛らしくて。
その小さな蕾から、とめどなく甘い蜜がしたたり落ちてきて。
晴香ちゃんは派手に喘ぐタイプではないみたいだけど、時々こらえきれずに漏れる「はぁ」という甘く細い吐息も、とても繊細で、私が男ならそんな晴香ちゃんを壊してしまいたくなるだろう。

そういう可憐な仕草や佇まいとは裏腹に、彼女の内面には冷淡で傲慢なぐらいの欲望が潜んでいる。
あれを目の当りにして、やっぱり誰が抗えるのだろうか。

だいたい「あれ」を装着して早々にとんでもない勢いでその使い方をマスターして、何なら私以上に使いこなしていたのではないか。
…それも、にわかには信じ難い。
信じ難いのだが、あれは実際の出来事だ。
あれは多分、セックスというよりプレイと言う方が正しいような気がするけれど、ときめきとか、癒しとか、安心感とか、そういったものとは無縁の出来事だった。

その証拠に、私と晴香ちゃんはキスしただろうか。…どこかのタイミングで一度ぐらいはしたかもしれないけど、それだって私がねだってしたのではなかったか。
晴香ちゃんからはそういう甘い雰囲気を求める気配さえ感じなかった。
キスしたらしたで気持ちいいし、それさえも期待と興奮のブーストに使う事ができる子だけど。

私が何にショックを受けているか、それは紛れもなく、私が晴香ちゃんのスイッチを入れてしまった事だ。それも、おかしな方向の。
元々備わっていたものを単に開放しただけかもしれないし、相手が私だからそうなってしまっただけかもしれない。
だけど、晴香ちゃんにとってあれが「普通」なのだとしたら、とんでもない事をしたような気がする。
彼女に、道具の使い道とテクニックが身についてしまったら、それこそ手のつけられない小悪魔となってしまうだろう。

…私は妖精に「悪魔の力が宿った皆殺しの剣」を授けてしまった、魔女の使いなのかもしれない。
さながら私は剣の魔力に当てられて、自分を見失った愚かな奴隷とでもいった所だろうか。
ならば妖精が面白がって剣の力を試したいなら、私が受け止めるより他にないのかもしれない。剣を授けてしまった愚者の罰として。

私が晴香ちゃんに伝えたかったのは、そういう事なのだ。
仮に行為に及べば、間違いなく、ものすごくそういう意味での相性が良いという予感があったから。

…あれはだめだ。
いや、だめというわけでもなくそれはそれで強烈に魅力的ではあるのだけど。
私ばかりがひどく消耗する。

あの時だけで、脳にも身体にも絶え間なく、しかも強い刺激を送られ続けて、私は酩酊状態に陥った。
何故だろうか。
美咲さんとの交わりでは、私はむしろ元気をもらえる気さえするぐらいに満たされるのに。
相手が違うとこうも違うものなのだろうか。
晴香ちゃんとの交わりでは失うものが大きい気がする。

でも、それなのに、誘惑されたら抗い難いのだ。
燃え尽きて真っ白になるのがわかっているのに、そうなりたい衝動が抑えられない、それこそ禁じられた薬のようではないか。

「…」

ばたりとその場に仰向けに倒れて天井を眺める。

今こうして、真面目に考えているつもりではいるけれど、私の中では答えが出ている。それに向き合うのが怖いから、あれこれ思考しているふりをしているだけの事だ。
誰の事も気にせず自分の都合で言えば、美咲さんも晴香ちゃんも、全く違う魅力に溢れていて、私はどちらとの交わりもやめられる気がしない。
もっと正直に言うと、その二人から同時に攻められてもいいとさえ思っているぐらいなのだ。

だから、晴香ちゃんの誘いを断れないという前提に立って考えれば、私はもう、その回数以上に美咲さんと交わって、失った何かをまた満たすしかない…と、思う。

「…はー」

我ながら酷い結論だ、と思い呆れるけど、仕方ない。
こんな、魅力的な人二人とたまたま同時期に出会ってしまったのだから。
本来、これは悩むべき内容ではなく、喜ばしい事なのだ。
私の旺盛な性欲を、違った形で満たしてくれる人が、二人も現れたのだから。

…そういう事でいい。
もたなくなるまで続けたいと思っているのだから、それに従うまでだ。

ようやくその気になって寝転がったままバッグをあさり、スマホを取り出してみると、晴香ちゃんからのメッセージと、美咲さんからのメッセージの両方が届いていた。

先に美咲さんからのメッセージを開く。
そうしながら私は、もし美咲さんに全て白状しろと言われれば、包み隠さず何もかも話そう、と心に決めていた。
美咲さんは私の「お姉さま」なのだから。
他者との一時的な交わり程度で怒ったりしない、心の広い人なのだという気はするけれど、美咲さんがそれを暴きたいと思うのなら、そうして欲しい。それで叱られても、捨てられても、それは美咲さんが望む通りに、私は従うまでだ。

自分自身のたちの悪さに、また溜め息が出てしまう。
わざと罪を犯してそれを告白し、厳しい仕置きを受けたがっている、それもまた私の本音だ。
晴香ちゃんにされたみたいに、美咲さんにも性急で、刹那的に愛されたいとさえ願っている。
本当に酷い女だ。絶対に晩年罰が当たってろくな死に方ができない気がする。

「…」

美咲さんからは「今日は遅くなりそう」というメッセージが届いていた。
…今、何時だろう。まだ窓の外の陽は高い。

秘書課への異動の事、それもまた、新たな誘惑の扉を前にしているような、そんな感じだ。
だから、私は戸惑っているのかもしれない。

*-*-*-*-*-

それから十日くらい経ってようやく正式な発令があり、4月付けの異動者が発表された。
ようやくこれで、みんなに異動の事を話しても問題なくなるのか、とほっとしたのもつかの間、この時以降私の周囲はとても騒がしくなってしまい、かえって疲れるはめになる。

友紀は、私がこっそり勉強していた事も知っていたから、素直に「良かったね、おめでとう」という言葉をかけてくれたけど、その他に、もはや名前しか知らないぐらいの人からも話しかけられたりして、私は辟易した。

更に驚いたのは、用事もないのに美咲さんが受付にやって来て、「見たわよ」とふざけながら私に目くばせしてきた事だ。
私は一瞬反応できなかったけど、よく考えれば、私と美咲さんがお互い顔見知りで、美咲さんのオフィシャルな振る舞いとしても、この程度の事はやりそうだ、という事で、どぎまぎするような事態でもないのだけれど、私はそんなにシンプルに考えられないでいた。

その時は偶然近場に人の気配はなく、私は「わざわざ、それだけを言いにいらしたんですか」と尋ねる。

「うん」

屈託なく笑う美咲さんに、どうしたものかと考えていると、美咲さんは私にでさえぎりぎり聞こえる程度の小さな声で「秘書課も、女の園よね」と呟いた。
意味を図りかねて私は何も反応できない。

…やっぱり、気が付いている?それもそうか。
私はそれでも、努めて淡々と「そうですね」と応じた。
ここは会社だし、そうするしかないのだから。

「…あれ?知らないの?」

美咲さんは探るように、でもさっきほど意味深な風ではなく聞き返してくる。
私が「何をですか」と聞き返すより先に、美咲さんが続けてこう言った。

「ま、知らないのなら後で教えてあげるから」
「はぁ…」

私の反応をよそに美咲さんはさっさと受付から立ち去ってしまった。
多分、次のスケジュールが迫っているのだろう。小走りにエレベーターホールへ向かう美咲さんを、私はぼんやりと目で追っていた。
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