お姉様に夢中なはずなのにその他の誘惑が多すぎます

那須野 紺

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羨望

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この半年近くの間、自分は何を見ていたのだろうか、と思う。

目に見えている事、それは勿論現実と呼べるのだろうけれど、それはあくまでも一面にすぎないのだ。
例えば、社内において秘書課がどういう風に思われているのかも、私はよく知らないままだ。
個人個人の抱く印象は知る事ができても、そこから俯瞰して、客観的と呼べる判断を下す事はできていないだろう。

ある日梢さんに教えてもらうまで全く気付く事すらなかったが、私の指導役である夏川真帆さんは、秘書課女子からの人気が最も高い女性だそうだ。
私は異動早々に真帆さんと組む事になったから、何も知らなかった。

その話をしてくれた時、梢さんは「どれだけ冴子ちゃんが羨ましい事か」とも言っている。
そもそも真帆さんが、異動したての新人を指導する事など、これまでにはなかったらしい。
つまり私のポジションは、秘書課女子の大半にとって羨望の位置という事になるのだ。

そして梢さん然り、課長代理である亜里沙さん然り、彼女らが真帆さんに近づいていって惚れているという事なのだ。
放っておいても、真帆さんの下には、気のある女性が湧いてくるという事らしい。

真帆さん自身からは、いわゆる飢えているような要素とは無縁の、ゆとりある落ち着きしか感じない。
それが魅力として写るのか、嫉妬や焦りを煽るのか、無意識的に女性を惹きつけるものがあるという事なのだろう。
真帆さんはとんでもない女性キラーであるという事だ。

梢さんも、真帆さんの事は内心かなり好きで、だがまともに相手にしてもらえる気がしなかったから、という理由でふざけ半分に身体を差し出して戯れに興じているという事を、後から打ち明けられた。

「あれ、冴子ちゃんはそうじゃないの?…」
「…そうじゃない、とは」
「私みたいに身体に触って欲しくなったり、逆に遊ばれちゃったりしてないのかなって」
「…そういう事には、なってないです」
「えーっ、意外、冴子ちゃんじゃなかったら100パーあり得ない」

私と梢さんは、休憩スペースの一角でひっそりとそんな会話を交わしていた。

確かに真帆さんは魅力的な人だとは思うけれど、その佇まいから感じるものは癒しとか、親近感であって、ときめきや緊張感、あるいは皆が言うような謎めいた魅力、というものは私にはほとんど感じられない。

「何、そこだけプラトニックにやっちゃってるの」
「プラトニックって…」
「…もしかしたら冴子ちゃんが、そういう子だってわかってて、その上でマンツー指導を買って出たのかもね、真帆さんは」
「……」

どうだろうか。
真帆さんが他の人と私を何故区別しているのかは私にはわからない。
強いて言うなら、真帆さんなりに美咲さんの態度から私の存在を知って、それでわざわざ普段はしない役割を引き受けてくれたのではないか、という事ぐらいだけど。

「まあそう言う冴子ちゃんも、みんなが狙ってるんだから、気をつけてね」

それを梢さんが言うのだけは違う気がする。
…という気持ちが顔に出ていたのか、梢さんは「そうそう、私も含めてだけど」と笑いながら付け足してきた。

「じゃ」と明るく言いながら、梢さんは去り際に私の頬から耳のあたりをそっと指先でかすめるように触れていく。

「…」

明るく、かつさりげなくこういう事を繰り出すのは梢さんの得意技なのだろうけど、何回やられてもこちらは少しどぎまぎしてしまう。
「冴子ちゃんもむらむらしたら、いつでも言ってよね、付き合ってあげるから」とまで言われているし、梢さんは性格上、頼めば惜しみなく身体も感じている姿も晒すだろう。
そういう事をこちらが忘れてしまわないように、ああして時折性的イメージを想起させるような事をしてくるのだ。

別に私は、誘惑に流されない事が立派だとか、流されるから間抜けだとかいう事は考えていないけれど、なんとなく、一歩踏み出せば二度と抜け出せない沼の前に立っているような気がして、気軽にその一歩を踏み出す気になれないだけなのだ。

今でも思い出せるけれど、あの時の梢さんのしなやかで張りのある肢体と、そこから漏れ出る声や愛液がやけに綺麗だった事、仮にあれを呼び起こしていたのが真帆さんのテクニックによるものだとしても、ああいうストレートな反応で高まりを表現されると、こちらも平静ではいられなくなる。

梢さん自身は自分を普通だと思っているようだけど、決してそのような事はない。十分に人並み外れて魅力的な人だ。

…かつて美咲さんが言っていたように、こちらが勝手に忠義を尽くす事は、もしかすると馬鹿らしい事なのかもしれない。
ただ、行為そのものにのめり込んでしまうのはどうもいけない事のような気がするし、どちらかと言うと私は「それはそれ」的な割り切りのできないタイプだから、結局一番多く交わった人を一番好きでいるだけの事のように思えてならないのだ。

そういう意味で、一日のうちで多くの時間を共に過ごす、いわゆる同僚と関係を結んでしまうのは危険な気がする。

それにしても。
私は真帆さんが皆からどう思われているかなんてよく知らなかった。
梢さんに「羨ましい」と言われた半面「でも冴子ちゃんだからしょうがない」という事も言われた事がある。
私と真帆さんの関係はごくごく普通の、先輩と後輩というだけの事で、それ以上でも以下でもない。

ただ、改めて真帆さんの見られ方を知ってしまうと、その他の秘書課員に対する見え方というのも変わってきてしまうから不思議だ。
亜里沙さんこそ真帆さんにゾッコンという図式を描けなかった自分が、大変に想像力の乏しい人間だと思い知る。

あっと思い、私は慌ててスマホを取り出した。
そんな事をしても無駄だとはわかっていたけれど、久々に『WS』アプリのマッチングリストを確認する。

…それらしい人物は居なかった。
それに、探そうにも探しようがない。
だけど、一瞬だけ真帆さんがもしかしてこのアプリを使っているかもしれないと考えてしまったから、探さずにはいられなかった。

そう簡単に目につくリストに居るわけがない、と思いつつスマホをポケットにしまっていると、真帆さんがこちらにやって来た。

「冴子ちゃん、ここにいたのね」
「はい、あ…お探しでしたか、すみませんでした」
「いえ、大丈夫」

真帆さんは休憩スペースの自販機で飲み物を買うつもりらしい。
私は、進藤部長から次の部長会ランチに誘われた事を報告した。

「凄いじゃない、さすがね」

真帆さんは、レモンフレーバーの強炭酸水のボトルをプシュッと開きながら応じてくれる。

「…でも、きっと場違いな感じだから、どうなのかなと思ってます」
「うーん…」

真帆さんは複雑な表情を見せる。

「勿論単なる付き添いみたいなものだから、冴子ちゃん自身が楽しいと思える事はないだろうけど…」
「…はい」
「でも、偉い人とたくさん話ができるのは、いい事よ」
「そうなんでしょうか…」
「あー見えて進藤部長は強かな人だから、実際にスケジュールを全部握ってる冴子ちゃんの顔と名前だけじゃなくて、どんな子かって事も、まわりにわからせるのが大事だと思ってるんじゃないかな」
「なるほど」

真帆さんは炭酸水を一口だけ口に含む。
一気に飲めるような代物じゃないから、そういう飲み方になるのは自然なのだけれど、上品に見えるそんな仕草に、そこはかとない艶っぽさを感じてしまった。

「それに、冴子ちゃんだって、いろんな人を観察できるわよ」

具体的な話にはならなかったが、含みのある言い回しにどきりとした。
…そうだ、そこには美咲さんも来る。
場の中では秘書を除いては女性幹部は美咲さんしかおらず、リアルに幹部の一員として美咲さんがどういう立ち位置で、どんな振る舞いをしているのかを見られる数少ないチャンスかもしれない。

「……」
「冴子ちゃん、わかりやすい」

真帆さんがくすくすと笑う。

「すみません」

慌てて謝罪するが、真帆さんはちっとも不快ではなさそうだ。

「そういうわかりやすい所がほんと可愛いのよね」

容姿を含めて真帆さんから「可愛い」などと言われたのはこれが初めてだったけど、そう言われて初めて、梢さんの言っていた「何もないなんてあり得ない」の意味を私は理解した。

「可愛い」とは美咲さんにも何度も言われている言葉だけど、真帆さんの言うそれは、また違った意味合いで撃ち抜かれるような、全部溶かされるような威力がある。
あー、こういう事かと思いつつ私は何も言葉を返せずに、ただあたふたしてしまっていた。

「ま、あの方にとってはさぞかし不愉快な場でしょうけど、冴子ちゃんがいてくれるというだけでもきっと一服の清涼剤として、癒しになるかもしれないわね」
「……」

部長会とはそんなに殺伐としているのだろうか。
少なくとも、真帆さんは私の知らない美咲さんの「仕事の顔」を知っているはずで、幹部の集まりというものにもある程度知識はあるはずだ。

「冴子ちゃんは気にせず、飲食を楽しむぐらいの気持ちで居ればいいのよ、若いんだし」
「はい」

そんな話をしているうちに、進藤部長と約束していた時間が迫ってきたので、私は休憩スペースを後に舌。

*-*-*-*-*-

最近『WS』アプリでは、曜日連載の小説が掲載されるようになっている。
女性同士のささやかな恋の物語もあれば、際どい表現も含むような大人向けのものまで、バリエーションは様々だった。

その中で最近私が楽しみにしている連載は、女性同士で疑似的に、主従の契を交わして、ごっこ遊びのようにではあるが少し過激な交わりを繰り返す、そんな物語だ。

特にお気に入りは「主」側の女性で、気高いのに優しく、人を安心させる事に長けているのに、その逆にわざと緊張感いっぱいに相手を煽るような事もしたりする所である。

考えてみれば、人を安心させる技術があるという事は、裏を返せば緊張感を故意に作り出す事もできるわけで、彼女のコントロール下で精神的にも肉体的にも翻弄される「従」側の女性に、ついつい感情移入してしまう。

…美咲さんも、この登場人物に負けず劣らず、人の心をコントロールする術を持っているし、さっきの真帆さんなんかも、それができるタイプだろう。
私にはその技術はないように思えるから、こういう事を簡単にやってのける女性に、とても惹かれてしまうのだ。

物語の中には、「従」側の女性がよその誘惑に負けてしまいそうになった事を懺悔して、わざといやらしいお仕置きをねだるシーンがある。
私はその「いやらしいお仕置き」という響きに、心を奪われてしまった。

気が付くと、時折考えてしまっている。
美咲さんに、いやらしいお仕置きをされてみたい、と。
そして、どうしたらそういう流れに入っていけるのだろうか、とも。

因みに物語の中でのお仕置きの内容としては、「従」側の女性が両手首を拘束された状態で、「主」側の女性に口淫を施すというものだった。
しかも事前に「従」側の女性のショーツの中にはローターが固定され、不意打ちでそれが振動するように仕込まれている状態である。

腕を組んで立っている「主」側の女性の足元に跪いて、不器用に顔だけを動かして口淫に励む女性に、「主」側の女性もとても興奮しているという描写があった。

…この物語を読んで以来、どうしても美咲さんにいやらしいお仕置きをされてみたいという願望が頭から離れないでいる。
もはや、それのためなら軽く美咲さんを怒らせる事もいとわないぐらいの勢いだ。
これだけ誘惑の多い部署にいて、一度やそこら流されてしまった、という事はいつあってもおかしくないし、それにより美咲さんにお仕置きされるのならそれほど嬉しい事はないとさえ思っている。

…そもそも、動機として最終目的に「お仕置き」ありきで考えているのがだいぶおかしいのだけど。

かと言って、いきなり「お仕置きされたいんです」と美咲さんに頼んだ所で、意味がわからないだろう。

なんとなく、今度の部長会ランチで悪だくみはできそうな気がしているが、そんな事をして良いものかどうか。

以前に買ってもらった、あのリモコンローターを使えば、何かしらの事はできる。
ただ、慣れないビュッフェランチの席でそれをするというのは勇気が必要だ。

「…」

一緒に暮らしているのだから、こんなまわりくどい事をする必要はないかもしれないけれど、日常の中で何の前触れもなくお仕置きなどされるきっかけなどないのだから、何か非日常の場を利用するより他にない。

秘書課の誰かに何かされたと申告した所で、それは所詮自己申告でしかなく、美咲さん自身がその事実を確認する術がないし、私が「いやらしいお仕置き」ありきで捏造している作り話かもしれないわけで、どうしてもリアリティが伴わない。

真帆さんの話では、どうやらその場は美咲さんにとって楽しめる場ではないらしいし、趣味は悪いがこんな悪戯をして慌てる美咲さんの顔も見てみたい気がしていた。
そうすれば、夜にはたっぷり叱って、虐めてくれるかもしれない。

日々の交わりにマンネリが訪れているとはちっとも思わないけれど、私は連載小説の影響で、どうしてもそれだけはやってみたい気持ちに囚われている。
あれと同じでなくても良いけど、美咲さんなりの思う事をして欲しい。
優しくしてくれるが故に、そうではない顔も見たくなる。

そういう意味では私は我儘で贅沢なのかもしれないけれど、いつもと違う刺激に悶える自分の姿を見て、美咲さんにも興奮してもらいたいと願っていた。
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