69 / 70
着て欲しいドレス
しおりを挟む
「…結婚式、してみたい?」
「…………何の、話ですか」
「いや、だから結婚式だよ」
美咲さんがそんな事を言い出したのは、普段と変わらない、何でもない土曜日の朝食を摂っている最中の事。
私はびっくりし過ぎて、変な反応をしたのだろうと思う。
少し考えてから、私は素直な自分の気持ちを言葉にした。
「そうですね……子供の頃はちょっと憧れてましたけど、成人してからはあまり…」
「だと思った」
「?」
話し始めからそうだけど、美咲さんはこの話題を何でもない事のように、ヨーグルトを口に運びながら続ける。
「置き物みたいになって自分のドレス姿を見せびらかしたい、ってタイプじゃないからね…冴子は」
「……はい、でもそれをどうして今」
「私も似たような考えだけど、でも冴子のドレス姿は見たいなあ、ってふと思ったから」
「………」
それを言うなら私だって、自分のはともかく美咲さんのドレス姿は見てみたいと思う。
しかしその瞬間脳裏に浮かんだ絵面は、何故だか美咲さんと…袴田氏の2ショットで。
思わず頭を抱えたくなるのを堪え、動作としてはかろうじて小さく首を振るのみに留めた。
「どうしたの?…冴子」
「お姉さまのドレス姿を想像したら不必要な事まで考えてしまいました」
「…ふーん」
袴田氏の名前は意地でも口にすまいと思い苦笑でごまかす。
「じゃあ、しよっか?式っぽい事だけ」
「……え」
えらく軽いノリで言ってるけど。
美咲さん自身はそれで良いのだろうか。
「何なら毎年違うドレスでやる?」
世界は広いと思うが、毎年儀式だけを繰り返すという結婚の形を私は聞いた事がない。
まあ「ドレス姿を見たい」という目的だけを思えば、それは欲張りだがある意味合理的とも言える。
「お金…かかるじゃないですか」
「まあね、でもお客さんを大勢呼んだり、凄い場所で披露宴をやるとかしないなら、そんなでもないと思うんだけど」
「そうでしょうか…」
私には到底そうは思えない。
でも、私が変に抵抗すると美咲さんはむしろ固執しそうな気がした。
美咲さんの収入はなんとなく知ってるけれど、だからと言って有り金を全て使い果たして良い訳でもないだろうに。
私が黙っているのを何か勘違いしたのだろう、美咲さんはこう付け加えた。
「…あー別に焦ってるとかそういう訳じゃなくて、なんとなくの思い付きだからね」
「もしかして…お知り合いの結婚式に呼ばれたとかですか」
「それも、ある……そういう時って、ちょっと充てられて変なテンションにもなるけど、自分の事となるとね、気が進まないというのが実は本音かな」
「…ですよね」
そこでリアルに考えてしまったのは、美咲さんのご両親についての事だ。
お互い、どんな家庭に育ったのかとか、親がどこに住んでいるのかとか、そのくらいは知っているけれど。
30代後半という、美咲さん世代の親というのはやはり娘の結婚に関して気にかけたり、あるいは何か言って来たりなどするものなのだろうか。
美咲さんの口からはそれに関する話題を聞いた事はないが、例え親御さんからしつこく迫られていたとしても、それについてわざわざ私には話さないだろうな、と思った。
だから私から聞くなら今は絶好の機会であると考え、思い切って尋ねる事にする。
「あの…お姉さまのご家族は、結婚して欲しいとかそういう話、されたりするんですか」
こちらの緊張感が伝わってしまっただろうか。少し語尾が震えた気がする。
でも美咲さんはそれには触れる事なく、先ほどと変わらぬ調子で答えてくれた。
「…ちょっと前まではね。でもここ1年くらいは何も言わなくなった、諦めたんじゃないかな?私の事、仕事人間だと思ってるし、それは事実だしね」
「…そうですか」
「冴子は?言われない?…まだそんな歳でもないか」
乾いた笑い混じりに美咲さんが聞き返してくる。
私は正直に答えた。
「なんとなく…私がダメンズに引っかかりやすいのを認識しているのか…わかりませんが、何故か何も言われません」
「へー、意外」
「?」
思わず美咲さんの顔を直視してしまう。
「変な虫がつかないうちにさっさと相手を決めなさいとか、言って来そうだから」
「…そうですか?」
「私が冴子のお母さんならそう言うと思うわ」
「……」
「ま、貴女は悩み多き恋から逃れられない…ってのは事実だし」
私はそれに対して『はい』とも『いいえ』とも言えなかった。
美咲さんは自嘲気味に笑っているので、半分冗談なのはわかるけど。
「だから私が冴子の親なら、見合い推奨でそれ以外はお勧めしないわね」
「そんなの、嫌です…」
「…だよねぇ」
再びカラカラと笑ってから、美咲さんはホットコーヒーに口を付けた。
そのコーヒーを淹れたのは、最近この部屋にやって来た、全自動のコーヒーマシンである。
私も美咲さんもコーヒー党ではないが、梨々香さんに勧められて私が購入し美咲さんにプレゼントした。プレゼントとは言え結局二人で使用しているのだけれど。
ホールのコーヒー豆と水があれば、あとは自動的にミルが動いて抽出までしてくれる。コンビニにあるコーヒーマシンと基本的な仕組みは同じだ。
この、抽出したばかりの香りが良くて、朝食の際には稼働する場面が増えてきている。
缶コーヒーのように余計な物は入っていないし、その上経済的なのだから使ってみてはどうか、というのが梨々香さんの提案で。
1杯分ずつ淹れられる機械なのだけれど、美咲さんがコーヒーを飲んでいると良い香りに誘われて私もつい一緒に飲んでしまいたくなり、結局二人で朝食後のコーヒーを楽しむのが習慣になりつつあった。
「…ごめんね?冴子、悩ませちゃって」
からかうような調子で、美咲さんはソーサーにカップを置きながら言う。
私は、とっさに「違います」と否定の言葉だけを口にした。
相手を悩ませているのは美咲さんの方じゃない。私の方なのだから。
「…その上結婚式させろとか要求してるし、困るよね?」
顔も声も笑っているので明らかに冗談のつもりなのだろうが、私にはそう思えなくてつい「やりましょう、結婚式」と応じていた。
「十回ぐらいお色直しすれば良いですか…」
美咲さんがぶっと吹き出して爆笑する。笑い過ぎて目に涙まで浮かべる勢いだ。
その間私は待つ事しかできなくて、手元にあるカットフルーツに小さなフォークを突き刺して口に運ぶ事ぐらいしかできなかった。
「冴子、真面目にそれしろって言ったら、やりそうで怖い」
「…やりますよ」
「…でも冴子のそういう所、けっこう好きだったりするんだ、私」
「………」
自棄になってたまに開き直るような事を言うのは、自分の容姿をひけらかしているみたいで本意ではない。
でも、美咲さんは私がたまにする、そういう態度を見たがっているように思える事がある。
「ところで式場とドレス、どっちを先に選ぶものなの?知らないんだけど」
「…私もです」
*-*-*-*-*-
美咲さんが招待されていたのは、前職の--つまり私が受付や秘書として働いていた、あの会社の--当時、美咲さんの部下だった男性の結婚式という事で。
「懐かしい方々とお会いできるかもしれませんね」
「…だと思うけど、席次は当日配布みたいで、誰が来るのかはわからないんだよね」
今は式をやらなかったり、レストランウェディングや人前式など、ごく親しい間柄だけで済ませる事も多くなっている中で、今回はホテルでの式と披露宴という事だから招待客はそこそこの人数なのだろう。
つい、ホテル名をチェックしてしまうのは今の職業柄仕方ない事かもしれない。
「…立派な所じゃないですか」
「そう、奴も出世したって事でしょ」
「……」
厳密に言えば、私は美咲さんの直属の部下として仕事をした事はない。
秘書として傍にいて、仕事をサポートする立場ではあるけれども、美咲さんから直接、業務の心得ややり方を教わるみたいな経験はないし、この先もそういう関係にはならなさそうに思う。
「こういうのに招待されるのってめっちゃ久しぶりだな~、着て行く服買わなきゃダメかも」
「あの、それ…ご一緒しても良いですか」
美咲さんは少し驚いたようだったけど、「勿論」と答えてくれた。
*-*-*-*-*-
翌日二人で出かけたのは、ターミナル駅に隣接するビル内のフォーマルドレスショップ。
以前美咲さんが利用した事のあるお店という事で、そこにした。
事前のリサーチ段階では、レンタルのドレス市場もとても充実しているのだなと知り、こんなのもあるんだねと二人で話したけれど、私も美咲さんも、レンタルというのは元々想定していないという点では同じ考えだった。
候補となるドレスは私に選ばせて欲しい、とお願いし、お店に入るなりハンガーラックを見渡して、これはと思う一着を見つける。
…本当は他にもいくつかピックアップする予定だったけど、もうこれしかないと思えるものが目に留まり、サイズを確認してもらう最中にももう、私には美咲さんの着用イメージが思い浮かべられるぐらいだった。
それは、光沢のある黒ベースのパーティドレスで。
ふくらはぎ丈の裾はマーメイドシルエットになっていて美咲さんの体形に映える。
生地に光沢があるので、黒なのか…厳密にはダークグレーかシルバーのようにも見えなくはないけれど。
色だけなら沈んだ印象だが、袖は透けるレース仕立てになっていてゴールドのラメ刺繍が施されており、トータルで見るとシックかつ華やかな装いの品だった。
レースは袖から胸にかけて上半身の身頃にも続いており、デコルテ周りのレースには、袖と同じゴールドの刺繍が重ねられている。
レースが立体的で、刺繍糸の色が変化している所が珍しく、大人女性の美咲さんの着用に堪えるデザインだと思う。
「とりあえずこれを着てみてください」
私の中ではこれで決定なのだけれど、まずは試着してもらう事にする。
「これ素敵ですよね、新作なんですよ」と、女性の店員さんに説明され、私は力強く頷きを返した。
「はい、間違いないと思います」
とは言え美咲さんの着替えを待つ間には、店員さんが他の候補もいくつか持って来てくれた。
ロイヤルブルーのベースにダークネイビーのオーガンジーを重ねたようなドレスが出て来て、ぱっと見地味に見えたがじっくり見るとなるほどこちらも捨て難い、という気持ちになる。
店員さんがカーテン越しに「背中のファスナーは…」と言いかけた所で、すかさず被せて「私が手伝います」と発する。
もう一つの候補に目をやると、こちらはかなり深いボルドーカラーの、落ち着いた感じの一着。
派手目のアクセサリーを合わせると、ちょうど良く上品に決まる感じで、こちらも手堅い品だ。
ただ9月という時期を考えると、このドレスはもう少し、秋らしい季節にはまるような感じもする。気にするほどの事ではないのだが。
試着室の中から「冴子」という声が聞こえて、私ははっとそちらに向き直り、カーテンをほんの少しだけ開いた。
外からは中が見えないように注意しつつ身体をカーテンの内側に滑り込ませ、美咲さんの背中のファスナーを引き上げる。
美咲さんは、その時に自分で自分の後ろ髪を掴んでまとめ、少し前傾した首の右側から前側に流した。
期せずして美咲さんのうなじを目の当たりにする事となり、そう言えば案外こんな感じで真後ろから美咲さんの首筋を見た事はなかったかも、と思いやけに意識してしまう。
美咲さんは、普段は髪をゆるめに巻いて下ろしているスタイルが多いので、こうして自分からうなじを晒す事はない。
言わば秘められた部分を躊躇なく見せられていると、何やらいやらしい気分になってしまいそうになるが、今日の本題はそこではない、と自分を戒める。
「いいですよ」と声をかけると、美咲さんが前に流していた髪を再び背中に戻し姿勢を正した。
「カーテン、開きますね」
「うん」
私は試着室から身体を後ろに引いて、店員さんの横に並んで立つ。
美咲さんは、ショップ備品のヒールパンプスを履いてフロアに降りて来た。
…見るまでもないとは思ったが、予想通り。
柔和な印象の美咲さんには、これぐらいキレのあるドレスが似合うのだ。
「わ~、お似合いですね」
私と近い年頃であろう店員さんは感嘆の声をあげる。
私は、そんなのは当然だと思うので特に表情を変えなかった。
美咲さんは、そんな私達の様子は一旦スルーしつつ試着室の鏡に正対するように立った。
ちょうどこちらからは美咲さんのリアルな後ろ姿と、鏡に映った正面の、両方が確認できる。
「……?」
鏡越しに、美咲さんが伺うような視線を向けてくる。
私は冷静な表情のまま黙って頷いた。
…他の候補も一応用意はあるが、これで間違いない、という意図を込めて。
「サイズは大丈夫そうですね」
店員さんが美咲さんに近付き、胴回りや袖のゆとりなどをチェックする。
美咲さんは自分自身の姿を一通り鏡で確認した後、別の候補も試着するという事で、用意されていた二着のドレスも続けて試着した。
最後にもう一度、初めに私が選んだ黒ベースのドレスに着替え、自分の姿を確認する。
「やっぱり、これでしょ」
私の呟きに店員さんも全面的に同意である。
美咲さんは「なんか…若干エロくない?」と心配そうなご様子だが。
「良い意味でエロいと言えばエロいですけど、品がない訳じゃないです」
「…お連れ様のおっしゃる通りです、当店ではパーティドレスとしてふさわしいデザインのものしか取り扱っておりませんし、華やかな場でしたらこれぐらい大胆なものでも、決して目立ち過ぎる事はないと思います」
…まあ、美咲さんの心配もごもっともなのだが、それは顔や身体つきに品のない者が着れば、このドレスの印象はがらりと変わるだろう、という事であって。
美咲さんの全体的な印象としては、そんな懸念には及ばない人なのだから、それを過剰に気にする必要はない。
でも先ほど私が言葉にした事は、私個人にとっては事実であって。
この服はまず、美咲さんに似合うと思うのが第一印象、それから、ちょっと近寄り難いという印象が次に来る。
もう一つ進むと、ちょっと色気ありますよね的な、大人の女性特有の艶っぽさが醸し出されている。
…招待客の中で、そういう印象に至るほど美咲さんをじろじろ見る者はいないだろうと思うけど、私個人の感想としては、その、大人の艶っぽさが絶妙に醸し出されているこのスタイルは特別、美咲さんを引き立てる装いだと思えるのだ。
他のドレスも、決して似合っていないという訳ではなかったが、これだけはその点で決定的に違う。
だからこそ「これで決まり」なのだ。
この際羽織り物とパンプスも揃えて購入するという事になり、その選択は店員さんも交えて三人で行った。
ドレスがとにかく即決だったので、店を出るまでにはそう多くの時間を費やす事はなく終わった。
買うべきものが購入できて美咲さんもほっとしているようだったが、時間もあるしなんとなく二人で、別のドレスショップを梯子した。
そう、つまりウェディングドレスを扱う店に立ち寄ったのである。
ウェディングドレスとなるとさすがにレンタルが主流で、冷やかし半分はどうかと思いながらも、私達は都心の複合ビル内にある、ウェディングドレス専門の大手レンタルドレスサロンを訪れた。
目立つ所にショーケースがあって、そこにディスプレイされているのは今一押しの品なのだろう。
いざ現地まで来ておいて何なのだが、男女カップルではない私達が来て良かったのだろうかと、今更不安になってくる。
あまり目立たないようにしつつショーケースを二人で観察していると、店員さんに気付かれてしまった。
何故か私は逃げ腰になるが、美咲さんはそうではない。
それまでもなんとなく手は繋いでいたけれども、美咲さんは私の、美咲さんと色違いの指輪を装着した方の手を握って来る。
…実はさっきのパーティドレスショップでは、私だけがその指輪を外していたのだ。店を出た後再び装着したのだけれど。
「…?」
やけに強くその手を引っ張られるなあと思うけれども、私は美咲さんに身を任せた。
店員さんの、第一声が怖い。
「こんにちは、ドレスをお探しですか?」
店員さんの明るい笑顔と質問に、美咲さんは「はい」と答える。
「ほとんど、ただ見に来ただけなんですけど」
「そうでしたか…ご遠慮なさらずに、ご覧ください。…もしご試着をご希望でしたら、予約制となっておりますので、まずはカタログからお好みのものがあるかどうか、ご確認いただいてからが宜しいかと思います」
「ありがとうございます」
美咲さんが変な態勢のまま店員さんと話しているので、私はろくに店員さんの顔を見られなかった。
でも、それには意図があったらしく。
店員さんがカタログを取りに行く為に店の中に戻った隙に、美咲さんは「ちゃんと見てたから、大丈夫」と言う。
「何をですか」
「……」
美咲さんの視線が手元の指輪に注がれた。
私と、美咲さんそれぞれお揃いデザインで、石の色だけが違う指輪を着けている。
しかも指輪に収まっている石は、お手頃なカラーストーンとは訳が違う代物だ。
私が美咲さんからもらったプレゼントの中では、ずば抜けて高価な物である。
それを、ここの店員さんは「見ていた」という事のようで。
つまり私達の事情を察してくれただろう、と美咲さんは言いたいようだった。
先ほどパーティドレスショップであえて私だけが指輪を外したのは、その手の装いに敏感であろう店員さんにそれを見られて、余計な想像をさせたくなかったから。
美咲さんだけがその指輪を着けている分には、そこそこの富裕層の普段使いでこの価格帯の指輪をしているのも、別に異常な事ではないと思える。
ところが私がお揃いで色違いの指輪を着けていれば、親がお金持ちの姉妹であるという設定を除けば間違いなく、見る人が見て私達の関係がただの有人ではないというのが感じ取れるはずで。
また、美咲さんだけが指輪を外していると、私がその指輪を着けていれば勿論、それは誰かから贈られたものであると受け取られる事だろう。贈り主は美咲さんなので別に問題はないのだが、どちらか一方だけが指輪を着けるなら、それは美咲さんの方がより自然であるのには違いない。
「…思った通り、きっと同性カップルも来たりしてるんだよ」
「はぁ…それはそうなんでしょうけど」
どうにか態勢を立て直すと、先ほど引っ込んだ店員さんがカタログを手にこちらに戻って来る所だった。
「宜しければあちらに椅子もございますので、そちらで眺めてみてください」
…店員さん、めっちゃ笑顔だけど。
そう思って美咲さんの方を見ると、美咲さんはもっと笑顔だった。
……あの笑顔は、単に美咲さんの笑顔に返しただけの事だったのかもしれない。
「ありがとうございます、いただいて帰ります」
「はい、ありがとうございました」
てっきり席を借りるのかと思ったが、美咲さんはカタログを入手できて満足したらしい。
店員さんも特に気にする事なく見送ってくれた。
ウェディングドレスの分厚いカタログは、私が持っていたドレスショップの巨大なショッパーの中に納められ、私達は帰路に就いた。
「この紙袋を持ってあそこに寄り道って…いかにも『ついで』っぽく見られちゃったかもしれませんね」
「まあついででも何でも、その気にならなきゃあんな所に行かない訳だし、迷惑かけた訳でもないから平気でしょ」
「…そうですね」
指輪をもらった時には、過剰に高価なものなのでものすごく恐縮したけれど、まさかああいう場面で言葉以上の説得力を持つとは思いもよらなかった。
自分としてはだいぶ見慣れたけれど、見る人が見ればやっぱりその威力は絶大なのだと改めて実感する。
…思えばこの指輪によって大ダメージを受けたであろう最初の被害者は、袴田氏だったな、と思い出した。
帰宅後美咲さんと一緒に、カタログのページをぱらぱらとめくるけれども、本当に種類が多くて見比べるのも大変な量だった。
「これじゃ本当に十回ぐらいお色直ししても追いつかないレベルだわ」
「……」
よく見ると、ウェディングドレスにもデザイン上の分類があり、その中から選ぶか、もしくはブランドから選ぶかといった選択上のポイントはある。細かく言えば更に流行の取り入れ具合なども関連していそうだ。
「お姉さまが言ってた通り、毎年一つずつ着ても良いような気がしてきました」
「…?」
「その、式っぽい事はしなくても…写真と動画だけ撮って、みたいな…」
「なるほどね」
パーティドレスの試着で想像力がたくましくなってしまったのか、カタログを眺めているだけでも美咲さんに着て欲しいドレスがいくつも目に留まる。
私は、気になった物のページに付箋を貼り付けていった。
「あ、私もそうしようと思ってたのに、どっちのだかわからなくなるじゃん」
「付箋の色か貼る位置を変えれば大丈夫ですよ」
「んー…カタログ、もう一冊もらって来れば良かったかも」
「そんなに、たくさん貼るんですか」
「まあね」
「……」
「あと、洋装だけとは限らないよ?」
まさか…和装も検討の対象なのだろうか。
「冴子において和装を無視するのは論外でしょ」
「はぁ……そうですか」
美咲さんのやる気には脱力感を覚えるが、でも純粋に、こういうカタログを見ているだけでも気分が上がって来る。
実際にレンタルしなかったとしても、こうしてあれこれと「着て欲しいドレス」を選び合うのは楽しい時間となった。
「…………何の、話ですか」
「いや、だから結婚式だよ」
美咲さんがそんな事を言い出したのは、普段と変わらない、何でもない土曜日の朝食を摂っている最中の事。
私はびっくりし過ぎて、変な反応をしたのだろうと思う。
少し考えてから、私は素直な自分の気持ちを言葉にした。
「そうですね……子供の頃はちょっと憧れてましたけど、成人してからはあまり…」
「だと思った」
「?」
話し始めからそうだけど、美咲さんはこの話題を何でもない事のように、ヨーグルトを口に運びながら続ける。
「置き物みたいになって自分のドレス姿を見せびらかしたい、ってタイプじゃないからね…冴子は」
「……はい、でもそれをどうして今」
「私も似たような考えだけど、でも冴子のドレス姿は見たいなあ、ってふと思ったから」
「………」
それを言うなら私だって、自分のはともかく美咲さんのドレス姿は見てみたいと思う。
しかしその瞬間脳裏に浮かんだ絵面は、何故だか美咲さんと…袴田氏の2ショットで。
思わず頭を抱えたくなるのを堪え、動作としてはかろうじて小さく首を振るのみに留めた。
「どうしたの?…冴子」
「お姉さまのドレス姿を想像したら不必要な事まで考えてしまいました」
「…ふーん」
袴田氏の名前は意地でも口にすまいと思い苦笑でごまかす。
「じゃあ、しよっか?式っぽい事だけ」
「……え」
えらく軽いノリで言ってるけど。
美咲さん自身はそれで良いのだろうか。
「何なら毎年違うドレスでやる?」
世界は広いと思うが、毎年儀式だけを繰り返すという結婚の形を私は聞いた事がない。
まあ「ドレス姿を見たい」という目的だけを思えば、それは欲張りだがある意味合理的とも言える。
「お金…かかるじゃないですか」
「まあね、でもお客さんを大勢呼んだり、凄い場所で披露宴をやるとかしないなら、そんなでもないと思うんだけど」
「そうでしょうか…」
私には到底そうは思えない。
でも、私が変に抵抗すると美咲さんはむしろ固執しそうな気がした。
美咲さんの収入はなんとなく知ってるけれど、だからと言って有り金を全て使い果たして良い訳でもないだろうに。
私が黙っているのを何か勘違いしたのだろう、美咲さんはこう付け加えた。
「…あー別に焦ってるとかそういう訳じゃなくて、なんとなくの思い付きだからね」
「もしかして…お知り合いの結婚式に呼ばれたとかですか」
「それも、ある……そういう時って、ちょっと充てられて変なテンションにもなるけど、自分の事となるとね、気が進まないというのが実は本音かな」
「…ですよね」
そこでリアルに考えてしまったのは、美咲さんのご両親についての事だ。
お互い、どんな家庭に育ったのかとか、親がどこに住んでいるのかとか、そのくらいは知っているけれど。
30代後半という、美咲さん世代の親というのはやはり娘の結婚に関して気にかけたり、あるいは何か言って来たりなどするものなのだろうか。
美咲さんの口からはそれに関する話題を聞いた事はないが、例え親御さんからしつこく迫られていたとしても、それについてわざわざ私には話さないだろうな、と思った。
だから私から聞くなら今は絶好の機会であると考え、思い切って尋ねる事にする。
「あの…お姉さまのご家族は、結婚して欲しいとかそういう話、されたりするんですか」
こちらの緊張感が伝わってしまっただろうか。少し語尾が震えた気がする。
でも美咲さんはそれには触れる事なく、先ほどと変わらぬ調子で答えてくれた。
「…ちょっと前まではね。でもここ1年くらいは何も言わなくなった、諦めたんじゃないかな?私の事、仕事人間だと思ってるし、それは事実だしね」
「…そうですか」
「冴子は?言われない?…まだそんな歳でもないか」
乾いた笑い混じりに美咲さんが聞き返してくる。
私は正直に答えた。
「なんとなく…私がダメンズに引っかかりやすいのを認識しているのか…わかりませんが、何故か何も言われません」
「へー、意外」
「?」
思わず美咲さんの顔を直視してしまう。
「変な虫がつかないうちにさっさと相手を決めなさいとか、言って来そうだから」
「…そうですか?」
「私が冴子のお母さんならそう言うと思うわ」
「……」
「ま、貴女は悩み多き恋から逃れられない…ってのは事実だし」
私はそれに対して『はい』とも『いいえ』とも言えなかった。
美咲さんは自嘲気味に笑っているので、半分冗談なのはわかるけど。
「だから私が冴子の親なら、見合い推奨でそれ以外はお勧めしないわね」
「そんなの、嫌です…」
「…だよねぇ」
再びカラカラと笑ってから、美咲さんはホットコーヒーに口を付けた。
そのコーヒーを淹れたのは、最近この部屋にやって来た、全自動のコーヒーマシンである。
私も美咲さんもコーヒー党ではないが、梨々香さんに勧められて私が購入し美咲さんにプレゼントした。プレゼントとは言え結局二人で使用しているのだけれど。
ホールのコーヒー豆と水があれば、あとは自動的にミルが動いて抽出までしてくれる。コンビニにあるコーヒーマシンと基本的な仕組みは同じだ。
この、抽出したばかりの香りが良くて、朝食の際には稼働する場面が増えてきている。
缶コーヒーのように余計な物は入っていないし、その上経済的なのだから使ってみてはどうか、というのが梨々香さんの提案で。
1杯分ずつ淹れられる機械なのだけれど、美咲さんがコーヒーを飲んでいると良い香りに誘われて私もつい一緒に飲んでしまいたくなり、結局二人で朝食後のコーヒーを楽しむのが習慣になりつつあった。
「…ごめんね?冴子、悩ませちゃって」
からかうような調子で、美咲さんはソーサーにカップを置きながら言う。
私は、とっさに「違います」と否定の言葉だけを口にした。
相手を悩ませているのは美咲さんの方じゃない。私の方なのだから。
「…その上結婚式させろとか要求してるし、困るよね?」
顔も声も笑っているので明らかに冗談のつもりなのだろうが、私にはそう思えなくてつい「やりましょう、結婚式」と応じていた。
「十回ぐらいお色直しすれば良いですか…」
美咲さんがぶっと吹き出して爆笑する。笑い過ぎて目に涙まで浮かべる勢いだ。
その間私は待つ事しかできなくて、手元にあるカットフルーツに小さなフォークを突き刺して口に運ぶ事ぐらいしかできなかった。
「冴子、真面目にそれしろって言ったら、やりそうで怖い」
「…やりますよ」
「…でも冴子のそういう所、けっこう好きだったりするんだ、私」
「………」
自棄になってたまに開き直るような事を言うのは、自分の容姿をひけらかしているみたいで本意ではない。
でも、美咲さんは私がたまにする、そういう態度を見たがっているように思える事がある。
「ところで式場とドレス、どっちを先に選ぶものなの?知らないんだけど」
「…私もです」
*-*-*-*-*-
美咲さんが招待されていたのは、前職の--つまり私が受付や秘書として働いていた、あの会社の--当時、美咲さんの部下だった男性の結婚式という事で。
「懐かしい方々とお会いできるかもしれませんね」
「…だと思うけど、席次は当日配布みたいで、誰が来るのかはわからないんだよね」
今は式をやらなかったり、レストランウェディングや人前式など、ごく親しい間柄だけで済ませる事も多くなっている中で、今回はホテルでの式と披露宴という事だから招待客はそこそこの人数なのだろう。
つい、ホテル名をチェックしてしまうのは今の職業柄仕方ない事かもしれない。
「…立派な所じゃないですか」
「そう、奴も出世したって事でしょ」
「……」
厳密に言えば、私は美咲さんの直属の部下として仕事をした事はない。
秘書として傍にいて、仕事をサポートする立場ではあるけれども、美咲さんから直接、業務の心得ややり方を教わるみたいな経験はないし、この先もそういう関係にはならなさそうに思う。
「こういうのに招待されるのってめっちゃ久しぶりだな~、着て行く服買わなきゃダメかも」
「あの、それ…ご一緒しても良いですか」
美咲さんは少し驚いたようだったけど、「勿論」と答えてくれた。
*-*-*-*-*-
翌日二人で出かけたのは、ターミナル駅に隣接するビル内のフォーマルドレスショップ。
以前美咲さんが利用した事のあるお店という事で、そこにした。
事前のリサーチ段階では、レンタルのドレス市場もとても充実しているのだなと知り、こんなのもあるんだねと二人で話したけれど、私も美咲さんも、レンタルというのは元々想定していないという点では同じ考えだった。
候補となるドレスは私に選ばせて欲しい、とお願いし、お店に入るなりハンガーラックを見渡して、これはと思う一着を見つける。
…本当は他にもいくつかピックアップする予定だったけど、もうこれしかないと思えるものが目に留まり、サイズを確認してもらう最中にももう、私には美咲さんの着用イメージが思い浮かべられるぐらいだった。
それは、光沢のある黒ベースのパーティドレスで。
ふくらはぎ丈の裾はマーメイドシルエットになっていて美咲さんの体形に映える。
生地に光沢があるので、黒なのか…厳密にはダークグレーかシルバーのようにも見えなくはないけれど。
色だけなら沈んだ印象だが、袖は透けるレース仕立てになっていてゴールドのラメ刺繍が施されており、トータルで見るとシックかつ華やかな装いの品だった。
レースは袖から胸にかけて上半身の身頃にも続いており、デコルテ周りのレースには、袖と同じゴールドの刺繍が重ねられている。
レースが立体的で、刺繍糸の色が変化している所が珍しく、大人女性の美咲さんの着用に堪えるデザインだと思う。
「とりあえずこれを着てみてください」
私の中ではこれで決定なのだけれど、まずは試着してもらう事にする。
「これ素敵ですよね、新作なんですよ」と、女性の店員さんに説明され、私は力強く頷きを返した。
「はい、間違いないと思います」
とは言え美咲さんの着替えを待つ間には、店員さんが他の候補もいくつか持って来てくれた。
ロイヤルブルーのベースにダークネイビーのオーガンジーを重ねたようなドレスが出て来て、ぱっと見地味に見えたがじっくり見るとなるほどこちらも捨て難い、という気持ちになる。
店員さんがカーテン越しに「背中のファスナーは…」と言いかけた所で、すかさず被せて「私が手伝います」と発する。
もう一つの候補に目をやると、こちらはかなり深いボルドーカラーの、落ち着いた感じの一着。
派手目のアクセサリーを合わせると、ちょうど良く上品に決まる感じで、こちらも手堅い品だ。
ただ9月という時期を考えると、このドレスはもう少し、秋らしい季節にはまるような感じもする。気にするほどの事ではないのだが。
試着室の中から「冴子」という声が聞こえて、私ははっとそちらに向き直り、カーテンをほんの少しだけ開いた。
外からは中が見えないように注意しつつ身体をカーテンの内側に滑り込ませ、美咲さんの背中のファスナーを引き上げる。
美咲さんは、その時に自分で自分の後ろ髪を掴んでまとめ、少し前傾した首の右側から前側に流した。
期せずして美咲さんのうなじを目の当たりにする事となり、そう言えば案外こんな感じで真後ろから美咲さんの首筋を見た事はなかったかも、と思いやけに意識してしまう。
美咲さんは、普段は髪をゆるめに巻いて下ろしているスタイルが多いので、こうして自分からうなじを晒す事はない。
言わば秘められた部分を躊躇なく見せられていると、何やらいやらしい気分になってしまいそうになるが、今日の本題はそこではない、と自分を戒める。
「いいですよ」と声をかけると、美咲さんが前に流していた髪を再び背中に戻し姿勢を正した。
「カーテン、開きますね」
「うん」
私は試着室から身体を後ろに引いて、店員さんの横に並んで立つ。
美咲さんは、ショップ備品のヒールパンプスを履いてフロアに降りて来た。
…見るまでもないとは思ったが、予想通り。
柔和な印象の美咲さんには、これぐらいキレのあるドレスが似合うのだ。
「わ~、お似合いですね」
私と近い年頃であろう店員さんは感嘆の声をあげる。
私は、そんなのは当然だと思うので特に表情を変えなかった。
美咲さんは、そんな私達の様子は一旦スルーしつつ試着室の鏡に正対するように立った。
ちょうどこちらからは美咲さんのリアルな後ろ姿と、鏡に映った正面の、両方が確認できる。
「……?」
鏡越しに、美咲さんが伺うような視線を向けてくる。
私は冷静な表情のまま黙って頷いた。
…他の候補も一応用意はあるが、これで間違いない、という意図を込めて。
「サイズは大丈夫そうですね」
店員さんが美咲さんに近付き、胴回りや袖のゆとりなどをチェックする。
美咲さんは自分自身の姿を一通り鏡で確認した後、別の候補も試着するという事で、用意されていた二着のドレスも続けて試着した。
最後にもう一度、初めに私が選んだ黒ベースのドレスに着替え、自分の姿を確認する。
「やっぱり、これでしょ」
私の呟きに店員さんも全面的に同意である。
美咲さんは「なんか…若干エロくない?」と心配そうなご様子だが。
「良い意味でエロいと言えばエロいですけど、品がない訳じゃないです」
「…お連れ様のおっしゃる通りです、当店ではパーティドレスとしてふさわしいデザインのものしか取り扱っておりませんし、華やかな場でしたらこれぐらい大胆なものでも、決して目立ち過ぎる事はないと思います」
…まあ、美咲さんの心配もごもっともなのだが、それは顔や身体つきに品のない者が着れば、このドレスの印象はがらりと変わるだろう、という事であって。
美咲さんの全体的な印象としては、そんな懸念には及ばない人なのだから、それを過剰に気にする必要はない。
でも先ほど私が言葉にした事は、私個人にとっては事実であって。
この服はまず、美咲さんに似合うと思うのが第一印象、それから、ちょっと近寄り難いという印象が次に来る。
もう一つ進むと、ちょっと色気ありますよね的な、大人の女性特有の艶っぽさが醸し出されている。
…招待客の中で、そういう印象に至るほど美咲さんをじろじろ見る者はいないだろうと思うけど、私個人の感想としては、その、大人の艶っぽさが絶妙に醸し出されているこのスタイルは特別、美咲さんを引き立てる装いだと思えるのだ。
他のドレスも、決して似合っていないという訳ではなかったが、これだけはその点で決定的に違う。
だからこそ「これで決まり」なのだ。
この際羽織り物とパンプスも揃えて購入するという事になり、その選択は店員さんも交えて三人で行った。
ドレスがとにかく即決だったので、店を出るまでにはそう多くの時間を費やす事はなく終わった。
買うべきものが購入できて美咲さんもほっとしているようだったが、時間もあるしなんとなく二人で、別のドレスショップを梯子した。
そう、つまりウェディングドレスを扱う店に立ち寄ったのである。
ウェディングドレスとなるとさすがにレンタルが主流で、冷やかし半分はどうかと思いながらも、私達は都心の複合ビル内にある、ウェディングドレス専門の大手レンタルドレスサロンを訪れた。
目立つ所にショーケースがあって、そこにディスプレイされているのは今一押しの品なのだろう。
いざ現地まで来ておいて何なのだが、男女カップルではない私達が来て良かったのだろうかと、今更不安になってくる。
あまり目立たないようにしつつショーケースを二人で観察していると、店員さんに気付かれてしまった。
何故か私は逃げ腰になるが、美咲さんはそうではない。
それまでもなんとなく手は繋いでいたけれども、美咲さんは私の、美咲さんと色違いの指輪を装着した方の手を握って来る。
…実はさっきのパーティドレスショップでは、私だけがその指輪を外していたのだ。店を出た後再び装着したのだけれど。
「…?」
やけに強くその手を引っ張られるなあと思うけれども、私は美咲さんに身を任せた。
店員さんの、第一声が怖い。
「こんにちは、ドレスをお探しですか?」
店員さんの明るい笑顔と質問に、美咲さんは「はい」と答える。
「ほとんど、ただ見に来ただけなんですけど」
「そうでしたか…ご遠慮なさらずに、ご覧ください。…もしご試着をご希望でしたら、予約制となっておりますので、まずはカタログからお好みのものがあるかどうか、ご確認いただいてからが宜しいかと思います」
「ありがとうございます」
美咲さんが変な態勢のまま店員さんと話しているので、私はろくに店員さんの顔を見られなかった。
でも、それには意図があったらしく。
店員さんがカタログを取りに行く為に店の中に戻った隙に、美咲さんは「ちゃんと見てたから、大丈夫」と言う。
「何をですか」
「……」
美咲さんの視線が手元の指輪に注がれた。
私と、美咲さんそれぞれお揃いデザインで、石の色だけが違う指輪を着けている。
しかも指輪に収まっている石は、お手頃なカラーストーンとは訳が違う代物だ。
私が美咲さんからもらったプレゼントの中では、ずば抜けて高価な物である。
それを、ここの店員さんは「見ていた」という事のようで。
つまり私達の事情を察してくれただろう、と美咲さんは言いたいようだった。
先ほどパーティドレスショップであえて私だけが指輪を外したのは、その手の装いに敏感であろう店員さんにそれを見られて、余計な想像をさせたくなかったから。
美咲さんだけがその指輪を着けている分には、そこそこの富裕層の普段使いでこの価格帯の指輪をしているのも、別に異常な事ではないと思える。
ところが私がお揃いで色違いの指輪を着けていれば、親がお金持ちの姉妹であるという設定を除けば間違いなく、見る人が見て私達の関係がただの有人ではないというのが感じ取れるはずで。
また、美咲さんだけが指輪を外していると、私がその指輪を着けていれば勿論、それは誰かから贈られたものであると受け取られる事だろう。贈り主は美咲さんなので別に問題はないのだが、どちらか一方だけが指輪を着けるなら、それは美咲さんの方がより自然であるのには違いない。
「…思った通り、きっと同性カップルも来たりしてるんだよ」
「はぁ…それはそうなんでしょうけど」
どうにか態勢を立て直すと、先ほど引っ込んだ店員さんがカタログを手にこちらに戻って来る所だった。
「宜しければあちらに椅子もございますので、そちらで眺めてみてください」
…店員さん、めっちゃ笑顔だけど。
そう思って美咲さんの方を見ると、美咲さんはもっと笑顔だった。
……あの笑顔は、単に美咲さんの笑顔に返しただけの事だったのかもしれない。
「ありがとうございます、いただいて帰ります」
「はい、ありがとうございました」
てっきり席を借りるのかと思ったが、美咲さんはカタログを入手できて満足したらしい。
店員さんも特に気にする事なく見送ってくれた。
ウェディングドレスの分厚いカタログは、私が持っていたドレスショップの巨大なショッパーの中に納められ、私達は帰路に就いた。
「この紙袋を持ってあそこに寄り道って…いかにも『ついで』っぽく見られちゃったかもしれませんね」
「まあついででも何でも、その気にならなきゃあんな所に行かない訳だし、迷惑かけた訳でもないから平気でしょ」
「…そうですね」
指輪をもらった時には、過剰に高価なものなのでものすごく恐縮したけれど、まさかああいう場面で言葉以上の説得力を持つとは思いもよらなかった。
自分としてはだいぶ見慣れたけれど、見る人が見ればやっぱりその威力は絶大なのだと改めて実感する。
…思えばこの指輪によって大ダメージを受けたであろう最初の被害者は、袴田氏だったな、と思い出した。
帰宅後美咲さんと一緒に、カタログのページをぱらぱらとめくるけれども、本当に種類が多くて見比べるのも大変な量だった。
「これじゃ本当に十回ぐらいお色直ししても追いつかないレベルだわ」
「……」
よく見ると、ウェディングドレスにもデザイン上の分類があり、その中から選ぶか、もしくはブランドから選ぶかといった選択上のポイントはある。細かく言えば更に流行の取り入れ具合なども関連していそうだ。
「お姉さまが言ってた通り、毎年一つずつ着ても良いような気がしてきました」
「…?」
「その、式っぽい事はしなくても…写真と動画だけ撮って、みたいな…」
「なるほどね」
パーティドレスの試着で想像力がたくましくなってしまったのか、カタログを眺めているだけでも美咲さんに着て欲しいドレスがいくつも目に留まる。
私は、気になった物のページに付箋を貼り付けていった。
「あ、私もそうしようと思ってたのに、どっちのだかわからなくなるじゃん」
「付箋の色か貼る位置を変えれば大丈夫ですよ」
「んー…カタログ、もう一冊もらって来れば良かったかも」
「そんなに、たくさん貼るんですか」
「まあね」
「……」
「あと、洋装だけとは限らないよ?」
まさか…和装も検討の対象なのだろうか。
「冴子において和装を無視するのは論外でしょ」
「はぁ……そうですか」
美咲さんのやる気には脱力感を覚えるが、でも純粋に、こういうカタログを見ているだけでも気分が上がって来る。
実際にレンタルしなかったとしても、こうしてあれこれと「着て欲しいドレス」を選び合うのは楽しい時間となった。
12
メールでのご感想はこちらまでどうぞ。
お気に入りに追加
305
あなたにおすすめの小説


ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる