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八話 気持ちのズレの訪れ

六 挿絵あり

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「あった!」 

 迷わず行くことが出来れば一時間もかからないのだが、ココロは二時間かけてやっとの思いで辿り着いた。元々住んでいた家は白く塗装された一軒家だ。
 用意してきたスペアキーで解錠し扉を開く。 

「ただいま」 

 返事が返ってこないのは承知の上で別に気にすることはない。そんなことよりもこの後の期待が膨らんできて気持ちが逸る。
 靴を脱ぎ廊下を進んでリビングへ足を踏み入れた。 

「…………なにもない」 

 記憶上では物が乱雑に置かれているイメージは今までになく、最低限の物が揃っていて綺麗に整えられたリビングだった。
 テーブル、椅子、棚。そんな家具が今は一切置かれていない。家具どころか冷蔵庫やテレビなどの家電も、キッチンには調理器具も、記憶にある物が何もかも無くなっている。
 今更になってそういえば引っ越す直前はこんな感じだったような気がしてきた。 

「あ…………そっか……、おひっこししたから……ものはないんだ」
「ピィ?」
「ちょっとくらいから電気点けようかな」 

 ケージをフローリングの床に置き、立ち上がって壁にある照明スイッチを切り替える。しかし当然だが電球一つなく電気の普及もしていない家である為明かりは灯らない。 

 カチッカチッカチッカチッ 

 何度繰り返しても電気は点かなかった。 

「……点かないや」 

 照明スイッチを呆然と数秒眺めて、それからケージの傍で体育座りをする。 

「点かないけど大丈夫だよ。パパたちが帰ってきたら直してもらえるから」 

 両手のひらの上にクックを乗せてケージから出して床に下ろしてやる。
 クックが歩くとフローリングに爪が擦れてカッカッと音を立てる。そんなことは気にせずクックはケージの付近やココロの周りを走り回っている。何も無い広い空間が余程気に入ったようだ。 

「ピギョー」
「うん」
「ピッピッピギョォ~」
「うん……うん……」 

 体育座りのままクックの動きを目で追い、鳴き声に頷いたり相槌を打った。クックが近寄ってくれば体や頭を撫でてやった。
 そうして時間はどんどん過ぎ去っていく。外からの明かりも少なく薄暗いリビング。そこに子供の声が聞えてくる。母親といるであろう子供の声だけが聞こえてきた。『今日のご飯はなに?』『やったー』と。
 まるで窓が境界線のようだ。
 あまりにも楽しそうな声だった。
 自分だって楽しい。そう言い聞かせている。なのにどうしてだろうか。声が震える。 

「楽しいよ……楽しいの……大丈夫、……だい、じょぶ……っ」 

 腹から喉へ何かがこみ上げてくる。息がしづらい感覚がした。視界は潤み歪んでいく。 

「ピッ、ピギョッ! ピギョ!」
「だいじょ…………ぶ、じゃ……ない…………」 

 否定の言葉を漏らした瞬間、目から溢れるものは止められなかった。頬を伝ってポタポタと床に水滴が落ちて溜まっていく。目も頬も何度擦っても、それは止められなかった。 

「なんでっ、止まって……、止まってよぉ…………ママ……パパ…………なんで……、なんで帰ってきてくれないの……? 早く帰ってきて……おねがいだから、いい子にしてるからぁ……ぁああっ……あぁ、ぁあああっ……っ」 

 うずくまり膝を抱えて泣きじゃくる。悲しさと寂しさに体が支配されて、押し潰されそうで、声を上げて泣くことでしか発散出来そうになかった。声が嗄れて咳き込み、声を出すことが辛いのに、それでも気持ちは払拭出来ずまた声を上げて涙を流す。泣くことは体力が必要で、目元を腫らし目を開くことにも声を出すことにも疲れて床にくずおれた。
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