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第六章

視野と車両感覚と、赤信号

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教習所の外周コースを回ること4時間。
ええ、4時間です。それは年齢のせいだけではなく、私の資質の問題が大きい。
いくら50才でも外周コースだけで4時間の教習を普通のレベルとは言い難いと思う。

直線部分ですら、自動車を真っすぐに保てない状態で、指摘されたのが
「視野を広くすること」
だった。
自動車のふらつきをなんとかしようと私は、白線の位置を確認するため姿勢が前のめりになっていたのだ。
「前のめりになって下を見ようとすれば視野が狭くなるんですよ」
あ、確かに。頭ではなるほどとこの指摘はすんなり理解できた。
とはいえ、理解が運転に反映されないのが悲しいところだ。
視野を広くしたいと意識すればするほど、車のボンネットやドアが邪魔で仕方がなかった。
車のボンネットやドア、ついでに床が透明になればいいのに、と本気で思った。
特に床が透明になったら白線の確認が楽になりそうで、いいアイディアだなと思った。
しかし、当然だが、下を向いて運転するのはわき見運転である。透明な床の自動車が実現することはないだろう。

視野を広く持てと言われて、日常生活で気が付いたことがある。
私は下を向いて歩くクセがあったのだ。
下を向いて歩くことを危険と感じないで歩いて、生きてきたというわけである。
下を向いて歩いていた顔を上げると、広い世界が目に飛び込んできた。
地面が視野に入るとまた顔を上げる。
自動車の邪魔なボンネットやドアがない分、のびのびとした世界が広がっていた。
中年までに染み付いたクセを、自動車の運転の練習によって、矯正された。
つくづく思う、道路標識もだが、私はうつむいて地面しか見ないで、見える物をたくさん見落として、生きてきた。
そして、危険の認識がないまま、歩行や自転車の運転をしていたことに、この期に及んで気が付いたわけである。

また話がそれた、本題に戻そう。
直線コースで運転する車がフラフラしだすと、「頭を上げて、下を向かない」を心の中で念仏のように唱えた。
しかし、ボンネットやドアが邪魔だという感覚はいつまでも抜けなかったし、視野を広くしようと顔を上げたところで車はやはりフラフラと揺れている。

外周のコースを曲がるときに指摘されたのが
「車両感覚」
車は自分より大きいということを「感覚」で理解することで、スムーズにカーブを曲がることが出来るということらしい。
しかし、感覚を掴むという抽象的なことを会得するのは、ざると化した脳で理解するより、さらに私には難度の高いことだった。
広い視野と車両感覚が身についたという感覚全く私にはなかったが、先生は、教習所のコースをグルグル回るところから、私を新しい段階に進ませる決心をしたようで。
外周コースの内側にあるごちゃごちゃしたコースでの練習に私は突入した。

外周コースから内部に向かって90度左折することをから、それは始まった。
外周コースのカーブの比ではなかった。
どのタイミングでハンドルを回し始めたら、すんなり左折して侵入できるのかが、全くわからないのだ。
スピードとハンドルの調和が身についていない私は、縁石に乗り上げて失敗し、その次は車が膨らみ中央線を越える失敗をする繰り返していた。
外周のコースの方がはるかに楽だったことにようやく気が付く。
外周以上に魑魅魍魎としたゴチャゴチャしたコースが、私に不気味にな笑みを浮かべ呑み込んだ。
艱難辛苦の世界が待っている場所だった。

左折した内部のコースには信号があった。
地獄の入り口を入った直後にあるその信号だけは、私の敵ではなかったのである。
必死に外周から内部のコースに侵入して待っている赤信号は私の大好きな場所になった。
ブレーキを堂々と踏んづけていられる赤信号は、私の練習中の癒しの時間だった。
先生は、信号機で止まる前に私が犯したミスを赤信号の時間を使って、山のように指摘した。
先生の指摘を頭に刻みながら、私は赤信号を見つめていた。
直角に左折して信号が青のタイミングの時は、ほんとにがっかりである。
青信号を通過した先からが真の地獄コースである。
「さあ、地獄のコースへ入りましょう」
青信号に導かれて私は、地獄のコースへ突入するのだ。

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