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3.きみと隣で

デート日和

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 今日で夏休みが終わる。まだかまだかと待っていたものが、いつの間にか日にちが経ち、とうとう最終日を迎えてしまった。
 相変わらずエアコンの真下で服を着替えないと、汗でとろけてしまいそうだ。あの雨の日以来、ゲリラ豪雨すらない気がする。
 一階に降りてリビングの全身鏡でビジュをチェックする。

「朝から何やってんの? 自意識過剰?」
「はっ? お前が言う?」
「……なんで?」

 真顔で返す磨都こそが自意識過剰でしかない。

「磨都、お兄ちゃんにそんなこといわないの」
「へー、兄ちゃんびいき? まあいいけど」

 ツンデレのツンの部分なのだろうか、太々しくリビングのドアを開けて、大股で歩いて出て行った。

「磨都ったら、最近声変わりもしてきたし、身長も伸びてきてさ、反抗期だよね?」
「そーじゃない? 盆踊りのときもちらかしてったし」
「そーなの? あんたんときは素直にぶつかってきたから文句も言えたけど、磨都は計算高いよね? 言いづらいもん」

 手を焼いているわけではないようだけれど、ツンデレが激しくてこちらのペースが追いつかない。

「絽薫、デートなの? 十分かっこいいよ」

 突然、リビングのドアが勢いよく音を立てて開いた。

「ちょい待ち! そんなんじゃ詰んだな」
「はっ?」

 何がしたいのか磨都がリビングに戻ってきた。

「はいこれ。そのブレスレットに映えるように薄めのバンド貸してあげる。それにその髪型で行くの? 俺上手いからセットしてあげるよ」
「えっ?」
「えっ? じゃないよ。早くしないとデート遅れるんじゃないの?」

 まるで兄のような言いよう、俺が兄であること忘れていないですか?
 とりあえずお礼を言ってバンドを借り、髪のセットをしてもらった。鏡の前に立ち、全身を見る。

「ありがと、すげーいいよ」

 そう言いながら、磨都の髪をくしゃくしゃにするように頭を撫でた。

「やめろやい、ボサボサになるじゃん」

 言葉では煙たがっているけれど、笑顔満載だった。やはり、磨都は磨都なんだと思った。いくら生意気な態度を取ったり、パリピ風にしていても、人懐っこくて優しいところは変わらない。

 玄関へ行き、靴箱の鏡で髪型をもう一度チェックした。磨都も上手いけれど、輝紀も髪型作るのが上手い、どうしてこんなに自由に髪を扱えるのだろうか、俺って……不器用か。わかっていた事実を突きつけられた気がして落ち込みそうになった。けれど、この後の展開を想像するだけで……俺ってアホだ。
 いってきまーすとドアを開けて、自転車に跨った。空を見上げると濃い青色が覆いつくし、白い綿雲が浮かぶ。スカイブルーのシロップにぷかぷか浮かぶかき氷のようで、それを思う瞬間は暑さから逃れられる。
 でも、日差しを遮りそうでなかなか遮らない。何事も自分の思い通りにはいかないぞと、語り掛けられているようだ。
 ほんの数十秒自転車を走らせただけなのに、首に汗が垂れてくる。歩道に自転車を停めて、ネッククーラーの電源をオンにした。これが現実だと実感した。想像だけでは事足りないこともある。
 葵家の前に着き、ROWをした。返信が来ると同時に百彩が玄関から出てくる。

「ありがとう、お待たせ」

 手を振って笑顔であいさつ。朝から最高かよっ! と言いたくなる。
 薄い青色のジャンパースカート、確か開帳場にペンキを塗る前に調べた色に似ている……薄花色。歩いて揺れるスカートがこの暑さにとても涼やかな印象で、百彩の周りだけ春のように感じられる。レースのノースリーブシャツが肌の透明感を引き立たせて、麦わら帽子が小顔を強調して、もう、この世の何よりも尊いの一言だ。

「なんか、いつもと雰囲気違うね」

 いつもの服装はおしゃれで可愛くて少し色っぽい雰囲気がある、けれど、今日はなんというか、百彩の純白さが全面に押し出されていて、手を握るのも緊張してしまいそうだ。

「ふふっ、夏最後だし、こういう服装もしてみようかなって」
「でらかわいい」
「ありがと。絽薫も今日、髪型すごくいいね」
「うん、頑張った。行こっ」

 自転車の後ろに百彩を乗せて、走り出した。花陽公園の横道を抜けて、いつもの道に出る。ちょうどその時、どこかで見たような軽トラが目の前を過ぎていった。

「危ない!」

 目の前にこの花陽公園が見えた。そのものかもしれない。でも、違う気がする。今ではなくて……あれは……百彩のスカートの色が見えた気がした。
 何だか窮屈で仕方ない、心に蓋をされ、記憶が途切れたような感覚だ。

「どうしたの? トラック行っちゃったよ。絽薫? 絽薫どうしたの?」

 百彩は立ち上がり俺の背中を優しく摩った。その瞬間、跳ね上がっていた鼓動が嘘だったかのように穏やかだった。

「大丈夫?」
「えっ?」

 よくわからなかった。百彩に声をかけられて、何を考えていたのか、何を見たのか。この一瞬の思考なんて、滴る汗のように音もなく消えてしまったようだ。

「デート行こ」
「うん」

 おねだりするような視線に、生唾を飲み込んだ。ここではダメだと自分自身に言い聞かせて、「掴まって」と腰に掴まるように言った。再び自転車を走らせる。

 地下鉄、出口に近いと表示のあった五号車に乗り込んだ。汗ばんだ身体に恵みのオアシスのような冷たい風が頬を掠めて、座席までの足取りが軽くなる。
 いつものコンビニでジンジャエールを買ってきたので、席に座りキャップを開けた。

「飲む?」
「うん、ありがとう」

 喉にピリッと辛みのある炭酸がなんともいい刺激で、ダラけた思考を一気に目覚めさる。

「ってか、今日ホントに東山でよかったの?」
「んっ?」

 こちらを見て首を傾げた。キュルルと潤った瞳が子猫を見ているようでかわいらしい。

「かわいい」

 心の声が抑えられなかった。何でもない仕草でも、降り積もった小さなハートが、溢れそうな感情を刺激して、流れ出てしまうようだ。
 八月最終日の今日も日中は猛暑らしい。そんな中、日向を歩くことになるため、少し心配だ。けれど、百彩は動物園に行ってみたくてと、何度も推したのでそれならそうしようと決まった。
 俺は以前サッカーをやっていたし、暑さには多少慣れてるつもりだ。百彩はいつも涼しげにしているけれど、しっかり休憩を挟んで暑さ対策を忘れないようにしよう。

 地下鉄から出ると、広く歩道がある。その半分ほどのところと、道路側に並ぶように街路樹があり、照り返しも木陰に入れば涼しくて気持ちいい。時より聞こえる鳥の囀りが心地よくて、東山動植物園に着くまでの道のりは暑さが和らぐようだった。

「かわいいね」

 百彩は門の上を指差し微笑んだ。
 見ると門の端から端まで何かのキャラクターなのか、イラストが描かれていた。小学生の頃は気にも留めていなかったけれど、目に入れば可愛い絵に入場前から心が浮かれてしまう。
 チケットを買い、入場ゲートを潜る。畳まれた鉄柵の扉を横目に、門の影を踏みつけて通り抜ける。
 久しぶりに来てみると、懐かしさが風とともに身体に触れていく。けれど、もっと広くて建物も高かったように思う。成長したからなのか、小学生の頃ほどのだだっ広さは感じなかった。

「暑いけど大丈夫?」
「うん、わたしは平気だよ。行こっ」

 百彩はそう言うと、子どものように駆け出した、麦わら帽子が飛ばされないように手で押さえながら。
 暑くないことはない。でも、百彩のはしゃぐ姿を見ると、心臓が恋のキューピッドの矢で射られたようにキュンとなる。

「百彩、熱中症になったらどーすんの? 走んなくていいからー」

 百彩は動物会館の前で立ち止まった。

「ここって何があるの?」
「動物図鑑的な……」
「行こっ」

 中に入ると、冷房が効いていて暑苦しさはスッと力が抜けるように軽くなった。

「あっ、見てー。骨だよ」

 手を横に添えて知り合いでも紹介するような雰囲気だ。

「えっ、知り合い?」
「違うよ」

 普通に返された。そうだった、百彩は完全なる天然だった。ノリツッコミとかそんなことはお構いなしに、素直に答えてしまう。でも、そこがかわいい。
 まず目に入ったのは象の骨格、他にもゴリラや小動物やら剥製と一緒に展示してあった。かわいらしい動物も骨だけ見ると、化石を見せられているようで、なんとも変な感覚だ。
 先を進むと、ライオンの狩のジオラマがあった。まるで狩の瞬間を一時停止したような臨場感は、迫力があり違う角度から何枚も写真を撮ってしまった。
 動物会館を出て道なりに行くと、池に浸かるサイや雑草を頭につけたゾウがいた。大きくてゴツくて、でもゆったりとした雰囲気がかわいかった。
 生のライオンやトラを見ると、やはり迫力はあったけれど、人と同じようにこの猛暑にダレているようだ。
 久しぶりだからなのか、こんなにたくさんの動物がいることに感心してしまう。小学生の頃は何を考えて歩いていたんだろうと思えてくる。
 ○○館や、ふれあいやら、そんなところはまだ覚えている。骨を真似てみたり、ワニに吠えてみたり、鳥たちに大声を投げたり、うさぎを服に隠そうとしたり、それ以外はマラソン大会のように長い道のりをふざけながら走っていた気がする。

「絽薫、コアラかわいいね」
「うん」

 コアラの森に来た。東山と言ったらまずこれが浮かんでくる。たくさんのユーカリの木に抱きつくコアラが、ぬいぐるみのように見えてくる。トンネルのような室内は日差しが遮られている。そのためか、ネッククーラーからの風がやっと冷たく感じられた。

「あっ、見て見てあの子起きてる」

 みんな寝ていると思っていたところ、一匹起きていた。百彩は興奮気味に俺の肩を叩いた。

「あっ、本当だ」
「今、目が合ったよ」

 嬉しそうに小さく手を叩きながら、目を煌めかせた。

「俺も……えっ、睨まれた気がする」
「コアラちゃんがそんなことするはずないでしょ?」

 動物園がこんなに楽しいものだとは思わなかった。すごくて圧巻されるけれど、今までこんな風に楽しんでいたのかわからない。
 看板を見ると、今いるところから植物園と、動物園本園との分かれ道だった。時間を見ると一一時前だった。最後に遊園地に行くことを考えると、早めに食事を済ま せた方がよさそうなので、道の途中にあったフードコートまで戻ることにした。

 百彩はトマトとモッツァレラのパスタ、俺は和風ハンバーグ丼を食べた。テイクアウト仕様の紙皿には、動物園らしく、ライオンやらゴリラやらのイラストが描かれている。室内も、動物の影絵や、森のような雰囲気が少し保育園を思わせる。
 食後にアイスクリームを買ってきた。まずは映えように写真を何枚か撮り、それから吸い込むように口に入れた。突き刺すような冷たさが口から全身に波打っていくようだ。

「あーん」

 キャラメルアイスの周りにキャラメルポップコーンが並べられたライオンアイス、百彩はポップコーンにアイスをつけて、俺にあーんとしてきた。恥ずかしい気持ちはあったけれど、目を瞑って口を開けた。と同時に何かカシャっと音がした気がした。
 目を開けて百彩を見ると、にっこりと微笑んでいた。ただ、それだけなのに、天使のように可愛すぎて、音のことは頭の片隅に消えていた。

「うまっ」
「ねっ?」

 カリッとした甘塩っぱさとまったりとしたアイスが絶妙な塩梅で後を引く。
 いい気分で甘さに浸っていると、コアラの時計が目に入った。一一時四五分、楽しい時間はあっという間と聞いたことがあるけれど、まさにそれだ。

「そろそろ行く?」

 コアラの時計を指差して言った。

「えっ? あっ、かわいい」
「やっぱそれな」
「あっ、時間? そうだね。そろそろ混んできたし、行こっ」
「うん」

 自動ドアが開いた瞬間、足が竦む。この熱波の中よりも、ここの方が断然癒されるよと心が訴えている気がした。けれど、隣を見るとこんな邪心は一瞬にして消え去った。

「暑くていいね。夏って感じで」
「だよね?」

 キラッキラの笑顔に目が合えば、気温よりも体温の上昇が止まらない。
 フードコートを出て植物園の方へとやってきた。
 まず目に入ったのはバラ園だ。この暑さの中でも、綺麗に咲いているものもいくつかあった。バラのトンネルを通ると、まるでファンタジーの世界に迷い込んだようで、不思議な感覚がした。
 百彩が駆け出すと、まるで道案内の子猫が走っていくかのように見えてくる。花も相待って可愛さがダダ漏れだ。
 バラ園を抜けると、花木が道の両サイドを彩っていた。名前を確認しながらゆっくりと歩を進める。サルスベリ、キョウチクトウ、ノウゼンカズラ、木陰がおひさま宿りになっていて、ほんのりと涼しく風が通り抜ける。それとともに柔らかな花の匂いが身体を包めば、気持ちも癒してくれる。
 木にもたれかかって一息つく百彩を内緒でパシャリした。ついつい撮りたくなってしまう。
 向いには全てハイビスカスと思っていたら、それぞれ違いがあり、ムクゲとフヨウと書いてあった。花の大きさや葉の形が違うらしい。何気ない景色の中に、自然の豊かさや神秘さを感じずにはいられない。今日来なければ知らずに過ごしていた。知ったからといって、何かに役に立つわけではない。けれど、心に新しい彩りがプラスされたかのように、晴れやかな気分になる。
 花園を囲むように道があり、弧を描きながら歩いていく。涼しい林を抜けると、夏の定番、ひまわりが一面に咲いていた。黄色ばかりかと思っていたら、中には赤い花やボンボンのようなひまわり、大きさもさまざまで種類の多さに驚かされた。

「見て、赤い花だけど先だけ黄色だよ」
「本物? 作り物じゃないの?」

 俺の疑いに百彩は匂いをかいだ。

「本物だよ。いい香り」
「ほんとだ」

 カシャっと音がした。見ると百彩が写真を撮っていた。

「撮ったの? 不意打ち」
「だってかわいいもん」

 そう言って笑う百彩のほうが本当にかわいかった。でも、この笑顔をどこかで見たような気がした。

「どうしたの?」
「んっ? なんでもないよ」
「行こっ」

 百彩と一緒にいるんだから、いつだってこんな笑顔を見ているのか……。隣で、いつだって、どんなときだって、これからだって……、ずっと側にいたい。

 少し歩くと、合掌造りの家があり、その先には池があった。池には睡蓮の花が咲いていて趣きのある風景についつい足を止めてしまう。
 その先には昔のお茶屋のような建物があり、周りにはアジサイが……咲いているがずない。けれど、これはアジサイ……。近くまで行き立札を見てみると、ノリウツギ、ミナヅキ、ルリマツリ、アナベル、その中でもアナベルはアジサイと何も変わらなかった。ただ、花の色が不思議だった。白から緑色に変わっているものもある。

「そういえば絽薫と出会ったのもこんな晴れたアジサイの咲く頃だったね」
「確かに」

 誰かの笑顔が浮かんだ。さっきと同じ、百彩の笑顔が見えた気がした。いつもの笑顔、にこりと笑う……。

「えっ? 百彩の転校してきた日って雨じゃなかった?」
「あっ、そうだよね? 雨が降ってた」

 百彩はなんでもいい思い出にしたくなるのか、プラス思考と言えばいいのか、たまにおかしなことを言うときがある。やはり、天然の極みだからなのだろうか、ますますかわいすぎる。
 道なりに進むと、赤くなったホオズキが並んでいた。幼稚園くらいの思い出だろうか、かしゃかしゃ鳴らして遊んだ後、パンッと割って中の丸い実を出して遊んでいた気がする。

「小さいときよく割らなかった? 食べれるって言われてそのまま食べたらまずくて」
「絽薫っぽいね、そういうドジなところ」
「百彩が言う?」
「えっ? わたしドジ?」
「……かわいいだけ」
「ねぇ、花言葉知ってる? 花は自然美や心の平安ってあるんだけど、実は偽りとかごまかしなんだって」
「へー、実はなんでそんなネガティブなんだろうね? 食べれるのに」
「なんでだろうね、とっても綺麗なのに……」

 ゆっくりと歩いていたためか、思ったよりも時間が過ぎていた。来た道ではなく温室のある方へとやってきた。大きなガラス張りの温室は外観から圧倒された。そうなると、やはり中も見たくなる。ふたりで競歩選手のようにハイスピードで見て回った。身長よりも遥かに高いサボテンや色鮮やかな花、シダ植物、さらに暑さを感じる室内は海外の名所を巡っているようだった。
 少し休憩を挟みつつ、動物園北園を回った。アフリカゾーン、アメリカゾーンとそれぞれ違った動物たちの迫力やかわいらしさはこの夏の最高な思い出のひとつになった。
 先を歩いているとジェットコースターが見えた。絶叫なのか、歓声なのか、こちらまで声が聞こえてくる。生唾を飲み込み、百彩を見ると、笑う横顔があった。

「ジェットコースターだよー。早く行こー」

 ジェットコースターを指差して笑顔で駆け出した。早くーと手招きをしながら楽しそうだ。

「ジェットコースター逃げないから……」

 俺の言葉は聞こえていないようで、暑さの中走って追いかけた。

「楽しかったね。次はバイキング?」
「うん」

 何とか持ち堪えられた。勾配がなだらかで短かったこともあり、思ったよりも怖くなかった。
 高二だし、意外にイケるようになったのかもと胸を撫で下ろした。けれど、それも秒の世界だった。

「きゃーー!」
「ぎゃーー!」

 百彩の楽しそうに叫ぶ声と違い、完全に恐怖に満ちている俺の声。この瞬間に情けないなんてこれっぽっちも思えない。

「バイキングって気持ちいいよね。風が顔に当たる感覚とか最高」
 最初はそんなことを吹かしていたのに、あっという間に当たるどころではなくなった。俺の顔が風を切っている。
 地面と体が水平になるところまで振り上げられ、目が眩みそうになる。内臓が口から吐き出されそうな感覚に襲われ、悟られないようにせめて笑顔を作ろうと試みていた。公園の大きなブランコに乗っているだけだと言い聞かせて、その度に目の前は空と地面が混じり合い、思考なんて微塵も意味がないんだと思い知らされた。
 なぜか俺の膝だけが、震度五を観測していた。生唾を飲み込み、一気に立ち上がる。この足はただの棒、そう頭の中で唱えながらバイキングを降りた。なんとか無事に地面に足がついたところで、もう一回乗ろうと、俺よりも遥かに小さい子どもたちが、笑いながら入り口まで走っていった。横目で追いながら見ていると、笑顔で乗り込んでいく。平然と椅子に座り、無駄話をする余裕があるなんて、最近の子どもは気がおかしいんじゃないかと思ってしまう。バイキングが動き出す、なぜか身体が身震いをした。

「どーしたの? もう一回乗りたかった?」
「えっ?」

 思わず声が裏返ってしまった。

「次も乗っていいよ」

 俺の必死の演技で、絶叫マシーンが苦手なことを気付かれていないのはよかったけれど、だからと言って、もう一度乗るのは勘弁してほしい。けれど、笑顔の百彩を見ると、「うん!」としか言えなかった。これ以上情けないところなんて見せられない。漢を見せてやる!

「行こっ」

 気持ちに反して軽やかに言った。俺のバカやろう、心の中でそう呟いた。

 ふたりでの楽しい時間はあったという間に過ぎていく。東山動植物園を出て一時間半ほど栄をぶらついた。ファッションビルに行ったり、オアシス21のカフェでまったりしたり、デートを満喫。
 そこから午後六時になる頃、名城公園にやってきた。

「おーいこっちこっち」
「お待たせ」
「もっちゃん動物園はどうだった?」

 みっちゃんとアキホリは百彩の隣に寄ってきた。

「楽しかったよ。かわいい動物とかきれいなお花にすごく癒された」
「へー、じゃあ観覧車乗った?」
「うん、乗ったよ。ねっ?」

 思い出すように微笑み、こちらを向いた。




     ♧   ♧   ♧




「最後に観覧車乗ろーよ」
「えっ……うん」

 百彩があっ、と気付いたような顔をした。

「高いのダメだよね? ごめん」

 周りを見た。今日もハートの降り注ぐ中にいる、ダメなはずがない。すっと心が軽くなり、百彩の手を取り駆け出した。
 ふたりきりの空間、少し鼓動が早くなる。景色が模型のように少しずつ小さくなっていく。いつもなら怖くて震えそうなのに、今は平気だった。遠くの街並みが映画のワンシーンのように、ドラマチックに見えてくる。

「絽薫、大丈夫?」
「えっ?」

 俺を見つめる瞳、上目遣いで潤んでいて、これ以上ないほどにかわいい。重なった手を絡ませる。そのまま引き寄せ合うようにキスをした。
 観覧車の中に日差しが差し込み、窓に反射してキラキラと輝いている。まるで、雲の上にいるような感覚で、百彩が天使に見えた。
 こんなキスは初めてだ。




     ♧   ♧   ♧




 辺りが薄暗くなり、空は夕焼けに染まっていた。赤とオレンジが穏やかに、けれど、眩い光を残しながら燃えるように鮮やかだった。名残惜しいように、暖かな空気は体の周りから離れずにいる。
 暗くなるのを待たずに花火に火をつけた。動画を撮ったり、写真を撮ったり、夏の最後の思い出を楽しんだ。
 手持ち花火、ネズミ花火、噴出花火、打ち上げ花火、六人だけの花火大会は最高だ。
 花火を持ったまま、動画サイトでバズったダンスをしたり、遠近法で口から花火を吹き出させたり、後でYouFilmに投稿してみようと話していた。

「みんな離れて離れて」

 噴射花火に火をつける。
 百彩は青から緑、そして、黄色、白と色が変化していく様子を目を輝かせながら見ていた。

「色が変わるってきれいだね」
「うん」

 ほんのり頬をピンクに染めて、少し興奮気味にこちらを向いた。
 何度もやったことあるだろう花火、それなのに、こんなにも感動している姿を見ていると、もしかしてこれが幸せってやつなのかなと思った。
 何気ないことにも、ひとつひとつ真剣に向き合い、隣で笑いかけてくれる。百彩に出会えてよかったなと心からそう思った。
 
 いつしか辺りはすっかり暗くなり、半月が公園を照らすように真上に見えた。星の瞬きが雫になったかのように、街路灯が光を煌めかせた。
 最後に線香花火を取り出した。

「ここ明るいから少し向こうに行く?」

 みっちゃんは線香花火の火花が見やすいようにと考えてくれたようだ。
 バケツを持ち移動をした。

「願い事っていうかさ、願掛け? 残り半年の目標言うってのはどう? 火花が落ちるまでに」
「おっ、のぼるちゃんにしてはいいこと言うじゃん」
「だろっ?」
「福助、もし火花が落ちるまでに言えなかったらどうするの?」
「罰ゲーム!」
「のった、受けて立つ」

 みっちゃんは目力強く微笑んだ。

「百彩はなんかある? 残り半年の目標」
「……うん。でも今は言わないからね。順番が来てから……」

 一瞬考えるように下を向き、こちらに笑いかけた。急に目標と言われても困ってしまうし、少し考える時間がほしいんだろう。
 それぞれ花火を指で持ち、しゃがみ込んだ。順番に火をつけて火が落ちる前に目標を言えたらセーフ。みんな言えたならドローだ。
 まずは発案者の昇流から。

「中部大会突破して全国に行く! よしっ!」
「じゃあうちいくね。うちは秋にはカラコンつけて学校行く。よかったー」
「アキホリどした?」

 昇流が除くように見る。

「涼くんがカラコン似合いそうって言うからさ、つけてみようか? って」
「順調みたいでよかったじゃん。じゃあたしね。あたしはバドでシングル優勝。やった。はい、輝紀、火つけてあげる」
「おう、俺は秋大会突破して全国優勝! よっしゃ、セーフ。ほら、絽薫」
「えっ? あ、じゃ、じゃあ! 百彩の脚本で合発主役! セーフ」
「じゃねーから、完全アウトだからな絽薫」

 輝紀が火をつけてくれたことで慌てたせいなのか、それともいつも通りドジが発動したせいなのか、じゃあ! と力を込めた瞬間すでに火種は落ちていた。
 最後は百彩だ。少し考えているのか、また下を向いていた。

「百彩、火つけるよ」
「……うん。えっとわたしはまたみんなでこうして集まれたらいいな」

 俺だけだろうか、にっこりと笑って見せる横顔がどこか寂しそうに見えた気がする。
 みんなはいつめんなんだからいつだって集まろうと笑顔で答えていた。みんなの意気のあった会話を聞いていると、考え過ぎたなと思えた。
 まだ残っている線香花火にみんなで火をつけた。パチパチバチバチと小さくても火花を散らして、公園のこの一角だけが夏の終わりを告げるような、心地いい音と灯りに包まれていた。
 ゴミをまとめて、帰ろうかと歩いている時だった。公園の出入り口で昇流がみんなの前に立ち塞がり、片手を前に出して足を止めさせた。

「ゴホンッ、みなさん、何かお忘れでは?」
 
 みんな何のことかときょとんとしていた。

「……罰ゲーム! ロカオン罰ゲームじゃん」
「さあ、それではここで一発ギャグをやってもらいましょう! スリー、ツー、ワン!」

 舞台の演者を紹介するように、手を前に出されやるしかなかった。

「チクチクパチパチ乳首花火!」

 親指と人差し指で丸を作り、残りの指は限界まで開かせた。それを火花に見立てて、丸が中心になるように乳首の位置にセッティングした。かなり恥ずかしかったけれど、即興でここまでできた自分を褒めたいと思った。

 ————。

 三拍ほどの間ができ、失笑すら起きないのかと悲しくなりそうだった。その時、アハハハッと百彩の笑い声と共に、みんなゲラゲラと笑いが起きた。
 罰ゲームだからと笑いを堪えていたらしく、百彩の一笑で火種が燃え上がったようだ。
 道行く人の失笑が少し気になりはしたけれど、いい締めくくりができたと思う。

 静かになった公園には、まだ夏は終わらないと言うように、蝉の鳴き声が空虚を切るように響いていた。

 
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