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1.きみと出逢って

青空を茜色の夕焼けに染めて

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 外を歩けば、服がラップのように背中に貼り付き、水玉模様はいつしか水溜まりのように生地が透けていく。
 いくら天気予報を眺めていても、一向に変わろうとしない雨マークに、綺麗なお天気お姉さんさえも、少し憎たらしく見えてくる。
 来週から期末テストが始まる。つまり、七月になるということだ。夏が始まるというのに、このままでは余計に暗くなってしまいそうだ。
 今日からテスト期間で部活が休みになるし、一体何をしたらいいものか……。
 もしひとりなら、家に帰ってダラダラしているだけかもしれない。けれど、数人いると話が違ってくる。

「今日どーする? 初日だしカラオケとか?」
「いいんじゃね? 俺はカラオケで」
「うちもカラオケ賛成」

 みっちゃんと輝紀の話に初めに乗ったのは新座だ。
 正門から出ると、ちょうど雨が上がっていた。灰色の空がうっすらと青を透かし、雲間から艶やかな陽が差し込んでくる。ポプラ並木の所々で、水玉をキラキラと輝かせる木漏れ日が降っていた。
 

「新座さん? だっけ、カラオケうまそうだよね?」
「うまいだなんて、そんなこと……あるのかなー?」

 輝紀とみっちゃん、葵さんが少し前を歩くのを確認すると、新座が俺と福居に手招きをしてきた。

「新座、どしたの?」
「いつになったら誘うわけ?」
「誘うって何のこと?」

 何かよくわからないけれど、隙を窺うように前を見ている。

「葵さん。他の部活に勧誘されてもいいの? アイドル部に入部希望らしいし」
「えっ? そんな話聞いてないけど」
「ロカオンも福助も同じクラスなのに任せてられない。うちが直談判する」
「直談判?」

 肘を曲げて、意を決したように手を握りしめた。

「あ、あ、葵さん?」

 ……どう見てもわざとらしく葵さんの方を向いた。いつものあの軽快な演技派はどこへいったのか、ダイコンすぎてふたりで顔を見合わせて、呆然としてしまう。

「新座さん、どうしたの?」
「えっ? うちは知っての通り、ロカオンと福助の悪友で演劇部」
「悪友……?」
「新座さん、おもろいね!」

 輝紀がみっちゃんと葵さんを挟んで歩く新座に、親指を立てて調子こいた顔をした。

「しまった! うちとしたことが滑舌悪いならまだしも、言葉を間違えるとか、終わってる」
「どうしてそんなこと言うの? 新座さんは終わってなんかいないよ。まだまだこれから」

 手をグーにして肘を曲げて、弾むように動かした。頑張ってと言っているようだ。
 羨ましすぎる。俺が新座と変わっていたら、あの笑顔を独り占めにできていたのに、なんて酷いんだ神様と、自分の行動力のなさを誰かのせいにしたくなる。

「葵さんってかわいいよな? あんな笑顔で見られたら、秒で落ちるわ」

 すかさず福居に顔を向けた。

「な、なんだよ。そんな顔して」
「ふ、福居まさか……」
「ちょっと、うちには無理だわ。あの淑女みたいなオーラに太刀打ちできない」
  
 前を歩いていた新座が、何気にこちらへと戻ってきた。

「淑女、それな! ロカ男もそう思うだろう?」
「あ、ああ」

 頭を抱えて足をふらつかせた。もちろん、わざとだった。そう、わざとだ。それなのに、自分の間抜けさを恨みたい。
 まるで、小さい子が転けるように、膝から前に倒れてしまった。

「ロカ男!」
「ロカオン!」

 響きのいい声に、前を行く三人が振り返った。
 膝に痛みはあったけれど、数秒だろうか、恥ずかしさが込み上げて立ち上がるのを拒んでいた。でも、そういうわけにはいかない。浅くため息を吐き、ゆっくり立ちあがろうとした。

「いってぇー」
「絽薫何してんだよ」
「ろくんどーしたの?」

 みんなが心配の声を上げている一瞬の間に、ささっと肩を抱いて、支えてくれたのは葵さんだった。

「大丈夫? 立てる?」
「う、うん」

 ぬかるんだ道路が容赦なく服を汚した。自分だけ小さな子どもの帰り道のようだ。

「待って」

 そう言うとポケットからハンカチを取り出して、汚れを叩くように拭いてくれた。呆然と見ることしかできない。ふんわりといい香りが漂ってくる。

「葵さん、ごめんね。ちょっとろくん自分で拭きなよ」
「女子にこんなことさせて、見惚れてんなよ」
「そ、そんなこと……」
「いいの。わたし、こんなことくらいしかできないし、笹井くんに……」
「うらやましー! 俺が転けてもやってくれるかな?」
「福助、図々しいわ。こんな淑女にやらせようなんて、うちが許さないから」
「新座、何ゆえ!」
「葵さん、ありがと。もう大丈夫だよ」
「えっ、うん」

 ニコッと笑顔でこちら見た。澄んだ碧い瞳が、宝石のように輝いて見えた。

「きれいだね」
「んっ?」
「いや、何でも……」

 カラオケはひとつ先の駅にあるため、再び歩き出した。

「あのさ、葵さんってハーフ?」
「えっ?」
「それ、あたしも気になってた」
「ハーフ? パパもママも日本人だよ」
「そーなんだ。目って元々なの? 色」

 ずっと気になっていたことを聞いてみた。

「あー、えっと……わたし、色素が薄いらしくて、それで目が少し碧くて髪もグレーっぽくなっちゃうんだって」
「へー、生まれながら勝組じゃん。持って生まれた星ってやつだよな?」
「それを言うなら俺の身長だってどーだ? ほれほれ」

 ここで張り合う意味がわからない。どこにいてもそんなに目立ちたいものなのか。

「福居くんって身長大きいよね? 将来はモデルになるの?」
「いや……そーだな。俺はモデルになる!」
 
 福居は立ち止まり、意味のわからないポーズをした。

「俳優じゃなかったんかい!」

 両脇腹を突っついてやった。あうんっと声を漏らし、片膝をついて崩れた。

「ロカ男、今日強ない?」
「そんなことないし」

 確かに少し力が入ってしまったような気がする。
 葵さんの笑顔が堪らなく尊い。俺だってもっと見たいし、見たいし、見たいし……他のやつと楽しそうにしているところなんて見たくない。葵さんのタイプは知らないけれど、福居の身長と男らしさ、輝紀のおしゃれで陽キャ、こんなふたりが近くにいたら、無駄に気を揉んでしまう。
 ポプラ並木を過ぎた辺りで、十字路を左に行く。すぐに大通りに突き当たり、角にコンビニがある。持ち込み自由なカラオケだから、そこで各々必要なものを買い揃える。

「あっ、葵さんそれ買うなら俺も買おー」
「別のでもいいんだよ」

 俺が飲み物を選んでいる間に、いつの間にか福居と葵さんが、スイーツショーケース前でイチャついていた。
 葵さんは身長が高くて男らしいやつがタイプなんだろうか? 演劇部でも次期部長と言われているし、今の俺なんか叶わない。サッカー部でキャプテンをやっていたあのときの俺なら、立ち向かおうって思えたのかもしれないけれど、演技も下手で音響の俺なんて、きっと見向きもしない。
 晴れ間の出ている外とは違い、俺の心は朝に逆戻りしたように、雨が降り始めた。

「ちょっとロカオン、何やってんの? 買わないの?」
「買わないよ」

 考えることもできなくて、そのまま流れに任せて答えていた。

「えっ? ロカオンどーかしたの? もしかして体調悪いとか?」 
「えっ? なんで?」
「はっ? 何ではこっちだよ」
「えっ?」
「はー、ロカオン、まだわかんないよ。福助がいいって聞いたわけ?」
「えっ、な、な、何言ってんの? 急に」
「だってさ、わかりやすいじゃん、ロカオン」

 ため息を吐きながら、新座は首を横に振った。

「そ、そ、それは……」
「大丈夫?」

 それはそよ風のようにふんわりと心地よくて、ほのかに甘い香りを漂わせて、気付かぬ間に俺の前にいた。

「葵さん……」

 一瞬自分の目を疑った。なぜ今俺の前に彼女がいるのかわからなかった。それと同時にめちゃくちゃ嬉しい。手が届かないのかもと思っていたら、目の前に、しかも手を握っている。……自分の今の状況を飲み込めたら、一気に身体が沸騰して、心臓が解放されたダムのように、一気に血液を流し出す。

「体調大丈夫?」
「えっ? あ、ああ。あっ」

 手の力が抜けて、右手に持っていた飲み物やガムなど落としてしまった。

「ふふふ、大丈夫? はい」
「ありがと」
「うん」

 落ちたものを屈んで拾い、笑顔で渡してくれた。前に垂れてしまった髪を耳にかける。ただ、それだけの仕草が無性にエロくて、はち切れそうな気分だった。頭がおかしくなってしまう前に、視線をズラそうと先を見ると、福居と目が合った。バカなことしているだろ? とニヤけて見せたのに、目を逸らされた。
 意味がわからない。いつもなら【葵さん大丈夫? バカには近づかないほうがいいよ】とか【あれあれ、あー! 俺も落としちゃったよ。……葵さん】とかバカにバカで返してくるはずだけれど、どうしたのだろう……無視されたような気がする。
 福居に目を向ける。普通にレジで会計をして、葵さんに何か言うと、ランウェイを歩くように店を出て行った。俺の考えすぎだったのか……。
 コンビニを出ると、早速カラオケに向かった。
 ますます日が差し込み、青空が広がっていく。街路樹は雫から光が漏れ出すように輝き、宝石が散りばめられたような、少し幻想的な世界を見せてくれる。
 先に出ていた福居と葵さんを追う形で歩いていく。輝紀とみっちゃんがあのふたりあんな仲良かったっけ? と首を傾げていた。三咲は福助にやっと春がくるのかな? と、とぼけた表情で言っていたし、なんだか取り残された気分だった。
 俺の思いを誰にも言っていないし、知らないだろうし、濃いめのブラックコーヒーでも飲まされたような気分だ。
 
 
 二時間みっちりと歌い切った。けれど、楽しくなかった。いや、それは言い過ぎかもしれない。けれど、いつものように楽しめなかった。
 葵さんの隣には福居がいた。俺はテーブルを挟んで向かいに座り、ふたりを見ることしかできなかった。目が合いニコッと笑いかけてくれても、イチャつかれていたら完全に萎えてしまう。
 何も気にしていない、俺には関係ない、そんな素振りをしていたから誰も気づいていないと思う。でも、心は大荒れだった。雹が降ったかと思えば、猛暑で干からびたり、雷が鳴り大雨で洪水になったり、自分でも自分の感情がコントロールできなかった。
 うまく笑い返せていたのだろうか……。


「カラオケ楽しかったね」
「うん」
「福居くんっておもしろいね」
「うん」
「わたしあまり慣れてなくて」
「うん」
「どうしたらいいのか、よくわからなくて」
「…………」
「笹井くん、どうかしたの?」
「えっ?」
 
 帰り道、まったく知らなかったけれど、最寄駅が一緒だった。
 カラオケでのことを思うと、うまく喋ることができない。頷くだけで精一杯だった。
 葵さんは俺があまりにも無愛想だったからなのか、目の奥を覗き込むように、こちらを見てきた。

「いつもおもしろいのに、あまり喋らないから」
「えっ? おもしろい?」
「うん。福居くんといつも変なことしてるでしょ?」

 また福居かと、心臓にデコピンでも食らったようだ。
 心が痛むせいなのか、それとも意地悪なのか、こんなこと聞いていいのかわからないけれど、どうしても聞かなくてはいられなかった。

「葵さんって福居のこと……好きなの?」

 好きなんて、そんな簡単になるものではないとわかっている。時間をかけてゆっくりとお互いを……、いや、俺はあの一瞬で葵さんに恋をした。
 聞いたことに後悔だ。葵さんが俺と一緒の考えなら、恋をしているのかもしれない。

「好きだよ。」

 聞きたくない言葉が右から左に流れていった。
 胸を熱いアスファルトに押し付けられ、焼けて溶けていくようだった。

「えっ、そ、そーなんだ。アハハっ、そりゃそーだよね? 身長のでかさハンパないし、身長でかいほうがかっこいいもんね?」
「そーだね。身長大きいとかっこよく見えるのかもね」

 熱かったのも数秒で、自分の周りだけ冬のようで、鼻水と涙が出てきそうだった。
 葵さんはふふふっと笑顔になり思い出しているようだ、これは完全に敗北だ。
 好きな人がいる相手を好きになったとしても、何も残るものなんてない。いい友達なのに、変な関係になるのも嫌だから、のめり込む前に引き下がろう。そう言い聞かせるしかなかった。
 花陽公園を歩く頃、夕日が差していた。それに合わせるように、紫陽花が炎を纏うように、オレンジ色を映していく。

「あっ、きれい、紫陽花」
「えっ? そーだね。こういうのは好きな人と見たほうが雰囲気もよくなるんじゃない?」
「そーかも」

 誰を想像してそーかもなんて言ったのか、惨めでしかない。鎌をかけた自分もダメだと思うけれど、葵さんのことが好きだから、他のやつとなんて考えたくもない。そりゃ、福居はいいやつだし、頼れるし、おもしろいし、男前だし……ヤバい、悪いところが思いつかない。俺なんてこんなにぐちぐちねちっこくて、友達のこと妬んだり、マジで男として情けなさすぎる。そんなことを考えていると、虚しさで胸がいっぱいになり、これ以上一緒にいることはできないと思った。

「なら今度福居とデートでもしたら? 今日は俺とでごめんけど。じゃあ」

 俺にとっては精一杯の思いやりだった。拳を強く握りしめて、この場から走り去ろうとした。

「どうしてそんなこと言うの?」

 聞こえないふりをして走ろうとしたけれど、葵さんが大きな声で呼び止めるから、立ち止まるしかなかった。

「待って!」

 ゆっくりと振り返った。本当は泣きそうだった。好きな人を諦めて身を引こうとしているのに、こんな時にその本人を目の前なんかにしたくない。

「なに?」

 心配そうな表情でこちらへと駆け寄ってきた。

「あの、これ」
「んっ?」
「はんぶんこしない?」

 そう言うと俺の手に何かを渡した、両手でそっと俺の手を握るように。

「なに、これ?」

 もしかしたら、涙が滲んでいたのかもしれない。けれど、そんなことは気にしていられない。

「チョコ大福」
「えっ?」
「カラオケで食べようと思ったんだけど、食べるの忘れちゃって……」

 はにかむようにこちらを伺い、何度もチラチラと目を合わせてくる。

「うん」
「ほら、食べないともったいないし、ひとりで食べたら夕飯前でママに怒られちゃうし、それに、何か嫌なことあったときは甘いものがいいって」
「へー」

 嫌なこと……それは葵さんが原因でもあるけれど、それは言えないし、そんなこと言われたら断れない。

「ダメかな?」
「いや……食べよ」
「よかった。じゃあ、公園のベンチにいく?」
「うん」

 やっぱり、好きだ。この気持ちを抑えることなんかできない。ベンチに座る横顔を見ていると、心が穏やかになった。そして、自分でもなぜだかわからないけれど、確信した、両思いになると。

「どうかした?」
「えっ? いや、何でもない、何でもない、アハハっ……かわいい」
「えっ?」

 何も言わずに笑顔を向けてくれた。
 何も考えずに笑顔を返した。

「手、汚れちゃったから洗ってくるね」
「なら俺も」

 手を払い、「先行くねー」と無邪気に水道のある砂場近くに駆け出していった。「ちょっと待ってよー」と追いかけた。
 もともと知っていた関係のように、自然と笑顔で、何が楽しいのかと聞かれても答えに困りそうだ。それでも、理由なんてどうだってよかった。ふたりでこんな風にすることを、ずっと前から望んでいたような気がした。
 ふと空を見上げるといつの間にか夕焼けに染まっていた。太陽の近くは茜色に揺らぐ炎のようで、その手前は、昼を終わらせたくないかのように青色を強く主張する、その奥は夜の静けさを纏う濃い紺色になっていた。
 まるで、空が染め物のように、ジワジワと色を重ねられていく。
 俺も同じだ。
 俺の心が葵さんに染まっていく。
 ————。
 自分の妄想にドン引きしそうだった。こんなこと本人のいる前でするもんじゃない。こんな淑女、いや天使みたいな子には引く以上に嫌われてしまう、きっと。

「どうしたの?」
「何でもないよ」
「そう」
「うん」

 はい、とハンカチを貸してくれた。一瞬、使うか否か迷ったけれど、ありがたく使わせてもらった。ハンカチが少しいい匂いだった。
 公園の出入り口を抜けたところで急に眩暈がした。足下が少し振らつき葵さんが支えてくれた。

「大丈夫?」

 初めてのことでよくわからなかったけれど、確かにこの場所だった。
 日差しが眩しくて、小さな子どもと母親と自動車の音がしていた。前を見ると、どこかで見たことあるような女子が立っていた。
 これは一体何なのだろうか、フラッシュバックとでも言えばいいのか、何もわからない。
 
「うん」

 心配そうにこちらを見つめて、支える体に力が入った。

「ごめん、重いよね?」
「うん、ちょっと」

 照れたように微笑む仕草が、余計に胸を焦がす。

「葵さん……」
「んっ?」
「んっ? 何でもないよ」

 クラっとしたとき、目の前に広がった光景は何なのかわからないけれど、そこにいた女子が、葵さんに見えてしまった。
 そんなこと言えるはずもなくて、愛想笑いをするしかなかった。
 可愛いは罪だ。俺の記憶の中さえも弄ぶ。ということは……

「有罪だ」

 心の声が出てしまった。恥ずかしすぎて目を見れない。

「有罪? わたし捕まっちゃうの?」

 なぜだろうか、手を握り今度はばっちりと視線を合わせていた。

「そう! ……俺が逮捕する。だって葵さん、かわいくて、かわいくて……かわいくて、他の誰かに連れて行かれる前に、俺が連行する。あっ! 心の声がダダ漏れだ」

 我に帰るとはこのことか。本人を目の前にしてこんなこと言うなんて、下手なドラマよりもくさすぎる。いくら演劇部だからといって、完全なる駄作だ。
 手を離し再び目が見れなくなった。自分自身が重苦しくて、屈んで膝に手をついた。

「やっぱり、おろしろいね。私、好きだよ、笹井くん」

 ————。

「かっこいいし」

 王様の耳はロバの耳! 隠れたくてどうしようもなかったのに、の言葉だけは聞き逃せなかった。喜びのあまり、再び手を握ろうと葵さんの方を向く。

「あおいさ……」
「みんな好き。わたしのこと気を遣って話してくれたり、お昼ごはん一緒に食べたり、遊んだり、いい人たちばかり」

 胸の前で手を握り、願いを込めるように話していた。

「……ははっ、そ、そーだよね? そそそ、みんないいやつだよね?」
「うん。笹井くん、今日はありがと。帰ろ」
「うん、かえろ……ちょいまち!」

 少し歩き始めた葵さんを呼び止めた。
 頭の中で好きという言葉を高速で振り返った。一つの答えに行きついた。

「どうしたの?」
 
 こちらを振り返り、ニコッと笑顔を見せた。

「聞いていい?」
「うん」
「福居のこと好きって言ったのも、今言った好きと一緒? それとも……個人的に……」
「好きは好きでしょ? みんなと一緒だよ」

 穴という穴が開いた。
 心の中では、教会の鐘が鳴り響き、白い鳩が飛んでいく。透き通った青空に眩しく太陽が輝く。すべてが喜びに満ちていた。
 その中に俺は立ち、叫んだ。『福居、ごめーん! 葵さんは俺のものだー!』

「どーしたの? 腕でも痛いの?」
「えっ? いやそんなことないよ。絶好調!」

 手を下に向けたまま、何気にガッツポーズをしていた。
 ふたりで並んで公園を後にした。道路に映る影がハートに見えた。こんなにも明日が待ちどうしいのは初めてだ。
 
 葵さんと別れた後、スキップをしながら帰った。玄関のドアノブに手をかけたところで、そこにいつもはあるはずのものがないことに気づいてしまった。自転車だ。すっかり忘れてしまっていた。駅の方を遠目で見て、深いため息を吐いた。


 
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