4 / 17
1.きみと出逢って
青空を茜色の夕焼けに染めて
しおりを挟む
外を歩けば、服がラップのように背中に貼り付き、水玉模様はいつしか水溜まりのように生地が透けていく。
いくら天気予報を眺めていても、一向に変わろうとしない雨マークに、綺麗なお天気お姉さんさえも、少し憎たらしく見えてくる。
来週から期末テストが始まる。つまり、七月になるということだ。夏が始まるというのに、このままでは余計に暗くなってしまいそうだ。
今日からテスト期間で部活が休みになるし、一体何をしたらいいものか……。
もしひとりなら、家に帰ってダラダラしているだけかもしれない。けれど、数人いると話が違ってくる。
「今日どーする? 初日だしカラオケとか?」
「いいんじゃね? 俺はカラオケで」
「うちもカラオケ賛成」
みっちゃんと輝紀の話に初めに乗ったのは新座だ。
正門から出ると、ちょうど雨が上がっていた。灰色の空がうっすらと青を透かし、雲間から艶やかな陽が差し込んでくる。ポプラ並木の所々で、水玉をキラキラと輝かせる木漏れ日が降っていた。
「新座さん? だっけ、カラオケうまそうだよね?」
「うまいだなんて、そんなこと……あるのかなー?」
輝紀とみっちゃん、葵さんが少し前を歩くのを確認すると、新座が俺と福居に手招きをしてきた。
「新座、どしたの?」
「いつになったら誘うわけ?」
「誘うって何のこと?」
何かよくわからないけれど、隙を窺うように前を見ている。
「葵さん。他の部活に勧誘されてもいいの? アイドル部に入部希望らしいし」
「えっ? そんな話聞いてないけど」
「ロカオンも福助も同じクラスなのに任せてられない。うちが直談判する」
「直談判?」
肘を曲げて、意を決したように手を握りしめた。
「あ、あ、葵さん?」
……どう見てもわざとらしく葵さんの方を向いた。いつものあの軽快な演技派はどこへいったのか、ダイコンすぎてふたりで顔を見合わせて、呆然としてしまう。
「新座さん、どうしたの?」
「えっ? うちは知っての通り、ロカオンと福助の悪友で演劇部」
「悪友……?」
「新座さん、おもろいね!」
輝紀がみっちゃんと葵さんを挟んで歩く新座に、親指を立てて調子こいた顔をした。
「しまった! うちとしたことが滑舌悪いならまだしも、言葉を間違えるとか、終わってる」
「どうしてそんなこと言うの? 新座さんは終わってなんかいないよ。まだまだこれから」
手をグーにして肘を曲げて、弾むように動かした。頑張ってと言っているようだ。
羨ましすぎる。俺が新座と変わっていたら、あの笑顔を独り占めにできていたのに、なんて酷いんだ神様と、自分の行動力のなさを誰かのせいにしたくなる。
「葵さんってかわいいよな? あんな笑顔で見られたら、秒で落ちるわ」
すかさず福居に顔を向けた。
「な、なんだよ。そんな顔して」
「ふ、福居まさか……」
「ちょっと、うちには無理だわ。あの淑女みたいなオーラに太刀打ちできない」
前を歩いていた新座が、何気にこちらへと戻ってきた。
「淑女、それな! ロカ男もそう思うだろう?」
「あ、ああ」
頭を抱えて足をふらつかせた。もちろん、わざとだった。そう、わざとだ。それなのに、自分の間抜けさを恨みたい。
まるで、小さい子が転けるように、膝から前に倒れてしまった。
「ロカ男!」
「ロカオン!」
響きのいい声に、前を行く三人が振り返った。
膝に痛みはあったけれど、数秒だろうか、恥ずかしさが込み上げて立ち上がるのを拒んでいた。でも、そういうわけにはいかない。浅くため息を吐き、ゆっくり立ちあがろうとした。
「いってぇー」
「絽薫何してんだよ」
「ろくんどーしたの?」
みんなが心配の声を上げている一瞬の間に、ささっと肩を抱いて、支えてくれたのは葵さんだった。
「大丈夫? 立てる?」
「う、うん」
ぬかるんだ道路が容赦なく服を汚した。自分だけ小さな子どもの帰り道のようだ。
「待って」
そう言うとポケットからハンカチを取り出して、汚れを叩くように拭いてくれた。呆然と見ることしかできない。ふんわりといい香りが漂ってくる。
「葵さん、ごめんね。ちょっとろくん自分で拭きなよ」
「女子にこんなことさせて、見惚れてんなよ」
「そ、そんなこと……」
「いいの。わたし、こんなことくらいしかできないし、笹井くんに……」
「うらやましー! 俺が転けてもやってくれるかな?」
「福助、図々しいわ。こんな淑女にやらせようなんて、うちが許さないから」
「新座、何ゆえ!」
「葵さん、ありがと。もう大丈夫だよ」
「えっ、うん」
ニコッと笑顔でこちら見た。澄んだ碧い瞳が、宝石のように輝いて見えた。
「きれいだね」
「んっ?」
「いや、何でも……」
カラオケはひとつ先の駅にあるため、再び歩き出した。
「あのさ、葵さんってハーフ?」
「えっ?」
「それ、あたしも気になってた」
「ハーフ? パパもママも日本人だよ」
「そーなんだ。目って元々なの? 色」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「あー、えっと……わたし、色素が薄いらしくて、それで目が少し碧くて髪もグレーっぽくなっちゃうんだって」
「へー、生まれながら勝組じゃん。持って生まれた星ってやつだよな?」
「それを言うなら俺の身長だってどーだ? ほれほれ」
ここで張り合う意味がわからない。どこにいてもそんなに目立ちたいものなのか。
「福居くんって身長大きいよね? 将来はモデルになるの?」
「いや……そーだな。俺はモデルになる!」
福居は立ち止まり、意味のわからないポーズをした。
「俳優じゃなかったんかい!」
両脇腹を突っついてやった。あうんっと声を漏らし、片膝をついて崩れた。
「ロカ男、今日強ない?」
「そんなことないし」
確かに少し力が入ってしまったような気がする。
葵さんの笑顔が堪らなく尊い。俺だってもっと見たいし、見たいし、見たいし……他のやつと楽しそうにしているところなんて見たくない。葵さんのタイプは知らないけれど、福居の身長と男らしさ、輝紀のおしゃれで陽キャ、こんなふたりが近くにいたら、無駄に気を揉んでしまう。
ポプラ並木を過ぎた辺りで、十字路を左に行く。すぐに大通りに突き当たり、角にコンビニがある。持ち込み自由なカラオケだから、そこで各々必要なものを買い揃える。
「あっ、葵さんそれ買うなら俺も買おー」
「別のでもいいんだよ」
俺が飲み物を選んでいる間に、いつの間にか福居と葵さんが、スイーツショーケース前でイチャついていた。
葵さんは身長が高くて男らしいやつがタイプなんだろうか? 演劇部でも次期部長と言われているし、今の俺なんか叶わない。サッカー部でキャプテンをやっていたあのときの俺なら、立ち向かおうって思えたのかもしれないけれど、演技も下手で音響の俺なんて、きっと見向きもしない。
晴れ間の出ている外とは違い、俺の心は朝に逆戻りしたように、雨が降り始めた。
「ちょっとロカオン、何やってんの? 買わないの?」
「買わないよ」
考えることもできなくて、そのまま流れに任せて答えていた。
「えっ? ロカオンどーかしたの? もしかして体調悪いとか?」
「えっ? なんで?」
「はっ? 何ではこっちだよ」
「えっ?」
「はー、ロカオン、まだわかんないよ。福助がいいって聞いたわけ?」
「えっ、な、な、何言ってんの? 急に」
「だってさ、わかりやすいじゃん、ロカオン」
ため息を吐きながら、新座は首を横に振った。
「そ、そ、それは……」
「大丈夫?」
それはそよ風のようにふんわりと心地よくて、ほのかに甘い香りを漂わせて、気付かぬ間に俺の前にいた。
「葵さん……」
一瞬自分の目を疑った。なぜ今俺の前に彼女がいるのかわからなかった。それと同時にめちゃくちゃ嬉しい。手が届かないのかもと思っていたら、目の前に、しかも手を握っている。……自分の今の状況を飲み込めたら、一気に身体が沸騰して、心臓が解放されたダムのように、一気に血液を流し出す。
「体調大丈夫?」
「えっ? あ、ああ。あっ」
手の力が抜けて、右手に持っていた飲み物やガムなど落としてしまった。
「ふふふ、大丈夫? はい」
「ありがと」
「うん」
落ちたものを屈んで拾い、笑顔で渡してくれた。前に垂れてしまった髪を耳にかける。ただ、それだけの仕草が無性にエロくて、はち切れそうな気分だった。頭がおかしくなってしまう前に、視線をズラそうと先を見ると、福居と目が合った。バカなことしているだろ? とニヤけて見せたのに、目を逸らされた。
意味がわからない。いつもなら【葵さん大丈夫? バカには近づかないほうがいいよ】とか【あれあれ、あー! 俺も落としちゃったよ。……葵さん】とかバカにバカで返してくるはずだけれど、どうしたのだろう……無視されたような気がする。
福居に目を向ける。普通にレジで会計をして、葵さんに何か言うと、ランウェイを歩くように店を出て行った。俺の考えすぎだったのか……。
コンビニを出ると、早速カラオケに向かった。
ますます日が差し込み、青空が広がっていく。街路樹は雫から光が漏れ出すように輝き、宝石が散りばめられたような、少し幻想的な世界を見せてくれる。
先に出ていた福居と葵さんを追う形で歩いていく。輝紀とみっちゃんがあのふたりあんな仲良かったっけ? と首を傾げていた。三咲は福助にやっと春がくるのかな? と、とぼけた表情で言っていたし、なんだか取り残された気分だった。
俺の思いを誰にも言っていないし、知らないだろうし、濃いめのブラックコーヒーでも飲まされたような気分だ。
二時間みっちりと歌い切った。けれど、楽しくなかった。いや、それは言い過ぎかもしれない。けれど、いつものように楽しめなかった。
葵さんの隣には福居がいた。俺はテーブルを挟んで向かいに座り、ふたりを見ることしかできなかった。目が合いニコッと笑いかけてくれても、イチャつかれていたら完全に萎えてしまう。
何も気にしていない、俺には関係ない、そんな素振りをしていたから誰も気づいていないと思う。でも、心は大荒れだった。雹が降ったかと思えば、猛暑で干からびたり、雷が鳴り大雨で洪水になったり、自分でも自分の感情がコントロールできなかった。
うまく笑い返せていたのだろうか……。
「カラオケ楽しかったね」
「うん」
「福居くんっておもしろいね」
「うん」
「わたしあまり慣れてなくて」
「うん」
「どうしたらいいのか、よくわからなくて」
「…………」
「笹井くん、どうかしたの?」
「えっ?」
帰り道、まったく知らなかったけれど、最寄駅が一緒だった。
カラオケでのことを思うと、うまく喋ることができない。頷くだけで精一杯だった。
葵さんは俺があまりにも無愛想だったからなのか、目の奥を覗き込むように、こちらを見てきた。
「いつもおもしろいのに、あまり喋らないから」
「えっ? おもしろい?」
「うん。福居くんといつも変なことしてるでしょ?」
また福居かと、心臓にデコピンでも食らったようだ。
心が痛むせいなのか、それとも意地悪なのか、こんなこと聞いていいのかわからないけれど、どうしても聞かなくてはいられなかった。
「葵さんって福居のこと……好きなの?」
好きなんて、そんな簡単になるものではないとわかっている。時間をかけてゆっくりとお互いを……、いや、俺はあの一瞬で葵さんに恋をした。
聞いたことに後悔だ。葵さんが俺と一緒の考えなら、恋をしているのかもしれない。
「好きだよ。」
聞きたくない言葉が右から左に流れていった。
胸を熱いアスファルトに押し付けられ、焼けて溶けていくようだった。
「えっ、そ、そーなんだ。アハハっ、そりゃそーだよね? 身長のでかさハンパないし、身長でかいほうがかっこいいもんね?」
「そーだね。身長大きいとかっこよく見えるのかもね」
熱かったのも数秒で、自分の周りだけ冬のようで、鼻水と涙が出てきそうだった。
葵さんはふふふっと笑顔になり思い出しているようだ、これは完全に敗北だ。
好きな人がいる相手を好きになったとしても、何も残るものなんてない。いい友達なのに、変な関係になるのも嫌だから、のめり込む前に引き下がろう。そう言い聞かせるしかなかった。
花陽公園を歩く頃、夕日が差していた。それに合わせるように、紫陽花が炎を纏うように、オレンジ色を映していく。
「あっ、きれい、紫陽花」
「えっ? そーだね。こういうのは好きな人と見たほうが雰囲気もよくなるんじゃない?」
「そーかも」
誰を想像してそーかもなんて言ったのか、惨めでしかない。鎌をかけた自分もダメだと思うけれど、葵さんのことが好きだから、他のやつとなんて考えたくもない。そりゃ、福居はいいやつだし、頼れるし、おもしろいし、男前だし……ヤバい、悪いところが思いつかない。俺なんてこんなにぐちぐちねちっこくて、友達のこと妬んだり、マジで男として情けなさすぎる。そんなことを考えていると、虚しさで胸がいっぱいになり、これ以上一緒にいることはできないと思った。
「なら今度福居とデートでもしたら? 今日は俺とでごめんけど。じゃあ」
俺にとっては精一杯の思いやりだった。拳を強く握りしめて、この場から走り去ろうとした。
「どうしてそんなこと言うの?」
聞こえないふりをして走ろうとしたけれど、葵さんが大きな声で呼び止めるから、立ち止まるしかなかった。
「待って!」
ゆっくりと振り返った。本当は泣きそうだった。好きな人を諦めて身を引こうとしているのに、こんな時にその本人を目の前なんかにしたくない。
「なに?」
心配そうな表情でこちらへと駆け寄ってきた。
「あの、これ」
「んっ?」
「はんぶんこしない?」
そう言うと俺の手に何かを渡した、両手でそっと俺の手を握るように。
「なに、これ?」
もしかしたら、涙が滲んでいたのかもしれない。けれど、そんなことは気にしていられない。
「チョコ大福」
「えっ?」
「カラオケで食べようと思ったんだけど、食べるの忘れちゃって……」
はにかむようにこちらを伺い、何度もチラチラと目を合わせてくる。
「うん」
「ほら、食べないともったいないし、ひとりで食べたら夕飯前でママに怒られちゃうし、それに、何か嫌なことあったときは甘いものがいいって」
「へー」
嫌なこと……それは葵さんが原因でもあるけれど、それは言えないし、そんなこと言われたら断れない。
「ダメかな?」
「いや……食べよ」
「よかった。じゃあ、公園のベンチにいく?」
「うん」
やっぱり、好きだ。この気持ちを抑えることなんかできない。ベンチに座る横顔を見ていると、心が穏やかになった。そして、自分でもなぜだかわからないけれど、確信した、両思いになると。
「どうかした?」
「えっ? いや、何でもない、何でもない、アハハっ……かわいい」
「えっ?」
何も言わずに笑顔を向けてくれた。
何も考えずに笑顔を返した。
「手、汚れちゃったから洗ってくるね」
「なら俺も」
手を払い、「先行くねー」と無邪気に水道のある砂場近くに駆け出していった。「ちょっと待ってよー」と追いかけた。
もともと知っていた関係のように、自然と笑顔で、何が楽しいのかと聞かれても答えに困りそうだ。それでも、理由なんてどうだってよかった。ふたりでこんな風にすることを、ずっと前から望んでいたような気がした。
ふと空を見上げるといつの間にか夕焼けに染まっていた。太陽の近くは茜色に揺らぐ炎のようで、その手前は、昼を終わらせたくないかのように青色を強く主張する、その奥は夜の静けさを纏う濃い紺色になっていた。
まるで、空が染め物のように、ジワジワと色を重ねられていく。
俺も同じだ。
俺の心が葵さんに染まっていく。
————。
自分の妄想にドン引きしそうだった。こんなこと本人のいる前でするもんじゃない。こんな淑女、いや天使みたいな子には引く以上に嫌われてしまう、きっと。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
「そう」
「うん」
はい、とハンカチを貸してくれた。一瞬、使うか否か迷ったけれど、ありがたく使わせてもらった。ハンカチが少しいい匂いだった。
公園の出入り口を抜けたところで急に眩暈がした。足下が少し振らつき葵さんが支えてくれた。
「大丈夫?」
初めてのことでよくわからなかったけれど、確かにこの場所だった。
日差しが眩しくて、小さな子どもと母親と自動車の音がしていた。前を見ると、どこかで見たことあるような女子が立っていた。
これは一体何なのだろうか、フラッシュバックとでも言えばいいのか、何もわからない。
「うん」
心配そうにこちらを見つめて、支える体に力が入った。
「ごめん、重いよね?」
「うん、ちょっと」
照れたように微笑む仕草が、余計に胸を焦がす。
「葵さん……」
「んっ?」
「んっ? 何でもないよ」
クラっとしたとき、目の前に広がった光景は何なのかわからないけれど、そこにいた女子が、葵さんに見えてしまった。
そんなこと言えるはずもなくて、愛想笑いをするしかなかった。
可愛いは罪だ。俺の記憶の中さえも弄ぶ。ということは……
「有罪だ」
心の声が出てしまった。恥ずかしすぎて目を見れない。
「有罪? わたし捕まっちゃうの?」
なぜだろうか、手を握り今度はばっちりと視線を合わせていた。
「そう! ……俺が逮捕する。だって葵さん、かわいくて、かわいくて……かわいくて、他の誰かに連れて行かれる前に、俺が連行する。あっ! 心の声がダダ漏れだ」
我に帰るとはこのことか。本人を目の前にしてこんなこと言うなんて、下手なドラマよりもくさすぎる。いくら演劇部だからといって、完全なる駄作だ。
手を離し再び目が見れなくなった。自分自身が重苦しくて、屈んで膝に手をついた。
「やっぱり、おろしろいね。私、好きだよ、笹井くん」
————。
「かっこいいし」
王様の耳はロバの耳! 隠れたくてどうしようもなかったのに、好きの言葉だけは聞き逃せなかった。喜びのあまり、再び手を握ろうと葵さんの方を向く。
「あおいさ……」
「みんな好き。わたしのこと気を遣って話してくれたり、お昼ごはん一緒に食べたり、遊んだり、いい人たちばかり」
胸の前で手を握り、願いを込めるように話していた。
「……ははっ、そ、そーだよね? そそそ、みんないいやつだよね?」
「うん。笹井くん、今日はありがと。帰ろ」
「うん、かえろ……ちょいまち!」
少し歩き始めた葵さんを呼び止めた。
頭の中で好きという言葉を高速で振り返った。一つの答えに行きついた。
「どうしたの?」
こちらを振り返り、ニコッと笑顔を見せた。
「聞いていい?」
「うん」
「福居のこと好きって言ったのも、今言った好きと一緒? それとも……個人的に……」
「好きは好きでしょ? みんなと一緒だよ」
穴という穴が開いた。
心の中では、教会の鐘が鳴り響き、白い鳩が飛んでいく。透き通った青空に眩しく太陽が輝く。すべてが喜びに満ちていた。
その中に俺は立ち、叫んだ。『福居、ごめーん! 葵さんは俺のものだー!』
「どーしたの? 腕でも痛いの?」
「えっ? いやそんなことないよ。絶好調!」
手を下に向けたまま、何気にガッツポーズをしていた。
ふたりで並んで公園を後にした。道路に映る影がハートに見えた。こんなにも明日が待ちどうしいのは初めてだ。
葵さんと別れた後、スキップをしながら帰った。玄関のドアノブに手をかけたところで、そこにいつもはあるはずのものがないことに気づいてしまった。自転車だ。すっかり忘れてしまっていた。駅の方を遠目で見て、深いため息を吐いた。
いくら天気予報を眺めていても、一向に変わろうとしない雨マークに、綺麗なお天気お姉さんさえも、少し憎たらしく見えてくる。
来週から期末テストが始まる。つまり、七月になるということだ。夏が始まるというのに、このままでは余計に暗くなってしまいそうだ。
今日からテスト期間で部活が休みになるし、一体何をしたらいいものか……。
もしひとりなら、家に帰ってダラダラしているだけかもしれない。けれど、数人いると話が違ってくる。
「今日どーする? 初日だしカラオケとか?」
「いいんじゃね? 俺はカラオケで」
「うちもカラオケ賛成」
みっちゃんと輝紀の話に初めに乗ったのは新座だ。
正門から出ると、ちょうど雨が上がっていた。灰色の空がうっすらと青を透かし、雲間から艶やかな陽が差し込んでくる。ポプラ並木の所々で、水玉をキラキラと輝かせる木漏れ日が降っていた。
「新座さん? だっけ、カラオケうまそうだよね?」
「うまいだなんて、そんなこと……あるのかなー?」
輝紀とみっちゃん、葵さんが少し前を歩くのを確認すると、新座が俺と福居に手招きをしてきた。
「新座、どしたの?」
「いつになったら誘うわけ?」
「誘うって何のこと?」
何かよくわからないけれど、隙を窺うように前を見ている。
「葵さん。他の部活に勧誘されてもいいの? アイドル部に入部希望らしいし」
「えっ? そんな話聞いてないけど」
「ロカオンも福助も同じクラスなのに任せてられない。うちが直談判する」
「直談判?」
肘を曲げて、意を決したように手を握りしめた。
「あ、あ、葵さん?」
……どう見てもわざとらしく葵さんの方を向いた。いつものあの軽快な演技派はどこへいったのか、ダイコンすぎてふたりで顔を見合わせて、呆然としてしまう。
「新座さん、どうしたの?」
「えっ? うちは知っての通り、ロカオンと福助の悪友で演劇部」
「悪友……?」
「新座さん、おもろいね!」
輝紀がみっちゃんと葵さんを挟んで歩く新座に、親指を立てて調子こいた顔をした。
「しまった! うちとしたことが滑舌悪いならまだしも、言葉を間違えるとか、終わってる」
「どうしてそんなこと言うの? 新座さんは終わってなんかいないよ。まだまだこれから」
手をグーにして肘を曲げて、弾むように動かした。頑張ってと言っているようだ。
羨ましすぎる。俺が新座と変わっていたら、あの笑顔を独り占めにできていたのに、なんて酷いんだ神様と、自分の行動力のなさを誰かのせいにしたくなる。
「葵さんってかわいいよな? あんな笑顔で見られたら、秒で落ちるわ」
すかさず福居に顔を向けた。
「な、なんだよ。そんな顔して」
「ふ、福居まさか……」
「ちょっと、うちには無理だわ。あの淑女みたいなオーラに太刀打ちできない」
前を歩いていた新座が、何気にこちらへと戻ってきた。
「淑女、それな! ロカ男もそう思うだろう?」
「あ、ああ」
頭を抱えて足をふらつかせた。もちろん、わざとだった。そう、わざとだ。それなのに、自分の間抜けさを恨みたい。
まるで、小さい子が転けるように、膝から前に倒れてしまった。
「ロカ男!」
「ロカオン!」
響きのいい声に、前を行く三人が振り返った。
膝に痛みはあったけれど、数秒だろうか、恥ずかしさが込み上げて立ち上がるのを拒んでいた。でも、そういうわけにはいかない。浅くため息を吐き、ゆっくり立ちあがろうとした。
「いってぇー」
「絽薫何してんだよ」
「ろくんどーしたの?」
みんなが心配の声を上げている一瞬の間に、ささっと肩を抱いて、支えてくれたのは葵さんだった。
「大丈夫? 立てる?」
「う、うん」
ぬかるんだ道路が容赦なく服を汚した。自分だけ小さな子どもの帰り道のようだ。
「待って」
そう言うとポケットからハンカチを取り出して、汚れを叩くように拭いてくれた。呆然と見ることしかできない。ふんわりといい香りが漂ってくる。
「葵さん、ごめんね。ちょっとろくん自分で拭きなよ」
「女子にこんなことさせて、見惚れてんなよ」
「そ、そんなこと……」
「いいの。わたし、こんなことくらいしかできないし、笹井くんに……」
「うらやましー! 俺が転けてもやってくれるかな?」
「福助、図々しいわ。こんな淑女にやらせようなんて、うちが許さないから」
「新座、何ゆえ!」
「葵さん、ありがと。もう大丈夫だよ」
「えっ、うん」
ニコッと笑顔でこちら見た。澄んだ碧い瞳が、宝石のように輝いて見えた。
「きれいだね」
「んっ?」
「いや、何でも……」
カラオケはひとつ先の駅にあるため、再び歩き出した。
「あのさ、葵さんってハーフ?」
「えっ?」
「それ、あたしも気になってた」
「ハーフ? パパもママも日本人だよ」
「そーなんだ。目って元々なの? 色」
ずっと気になっていたことを聞いてみた。
「あー、えっと……わたし、色素が薄いらしくて、それで目が少し碧くて髪もグレーっぽくなっちゃうんだって」
「へー、生まれながら勝組じゃん。持って生まれた星ってやつだよな?」
「それを言うなら俺の身長だってどーだ? ほれほれ」
ここで張り合う意味がわからない。どこにいてもそんなに目立ちたいものなのか。
「福居くんって身長大きいよね? 将来はモデルになるの?」
「いや……そーだな。俺はモデルになる!」
福居は立ち止まり、意味のわからないポーズをした。
「俳優じゃなかったんかい!」
両脇腹を突っついてやった。あうんっと声を漏らし、片膝をついて崩れた。
「ロカ男、今日強ない?」
「そんなことないし」
確かに少し力が入ってしまったような気がする。
葵さんの笑顔が堪らなく尊い。俺だってもっと見たいし、見たいし、見たいし……他のやつと楽しそうにしているところなんて見たくない。葵さんのタイプは知らないけれど、福居の身長と男らしさ、輝紀のおしゃれで陽キャ、こんなふたりが近くにいたら、無駄に気を揉んでしまう。
ポプラ並木を過ぎた辺りで、十字路を左に行く。すぐに大通りに突き当たり、角にコンビニがある。持ち込み自由なカラオケだから、そこで各々必要なものを買い揃える。
「あっ、葵さんそれ買うなら俺も買おー」
「別のでもいいんだよ」
俺が飲み物を選んでいる間に、いつの間にか福居と葵さんが、スイーツショーケース前でイチャついていた。
葵さんは身長が高くて男らしいやつがタイプなんだろうか? 演劇部でも次期部長と言われているし、今の俺なんか叶わない。サッカー部でキャプテンをやっていたあのときの俺なら、立ち向かおうって思えたのかもしれないけれど、演技も下手で音響の俺なんて、きっと見向きもしない。
晴れ間の出ている外とは違い、俺の心は朝に逆戻りしたように、雨が降り始めた。
「ちょっとロカオン、何やってんの? 買わないの?」
「買わないよ」
考えることもできなくて、そのまま流れに任せて答えていた。
「えっ? ロカオンどーかしたの? もしかして体調悪いとか?」
「えっ? なんで?」
「はっ? 何ではこっちだよ」
「えっ?」
「はー、ロカオン、まだわかんないよ。福助がいいって聞いたわけ?」
「えっ、な、な、何言ってんの? 急に」
「だってさ、わかりやすいじゃん、ロカオン」
ため息を吐きながら、新座は首を横に振った。
「そ、そ、それは……」
「大丈夫?」
それはそよ風のようにふんわりと心地よくて、ほのかに甘い香りを漂わせて、気付かぬ間に俺の前にいた。
「葵さん……」
一瞬自分の目を疑った。なぜ今俺の前に彼女がいるのかわからなかった。それと同時にめちゃくちゃ嬉しい。手が届かないのかもと思っていたら、目の前に、しかも手を握っている。……自分の今の状況を飲み込めたら、一気に身体が沸騰して、心臓が解放されたダムのように、一気に血液を流し出す。
「体調大丈夫?」
「えっ? あ、ああ。あっ」
手の力が抜けて、右手に持っていた飲み物やガムなど落としてしまった。
「ふふふ、大丈夫? はい」
「ありがと」
「うん」
落ちたものを屈んで拾い、笑顔で渡してくれた。前に垂れてしまった髪を耳にかける。ただ、それだけの仕草が無性にエロくて、はち切れそうな気分だった。頭がおかしくなってしまう前に、視線をズラそうと先を見ると、福居と目が合った。バカなことしているだろ? とニヤけて見せたのに、目を逸らされた。
意味がわからない。いつもなら【葵さん大丈夫? バカには近づかないほうがいいよ】とか【あれあれ、あー! 俺も落としちゃったよ。……葵さん】とかバカにバカで返してくるはずだけれど、どうしたのだろう……無視されたような気がする。
福居に目を向ける。普通にレジで会計をして、葵さんに何か言うと、ランウェイを歩くように店を出て行った。俺の考えすぎだったのか……。
コンビニを出ると、早速カラオケに向かった。
ますます日が差し込み、青空が広がっていく。街路樹は雫から光が漏れ出すように輝き、宝石が散りばめられたような、少し幻想的な世界を見せてくれる。
先に出ていた福居と葵さんを追う形で歩いていく。輝紀とみっちゃんがあのふたりあんな仲良かったっけ? と首を傾げていた。三咲は福助にやっと春がくるのかな? と、とぼけた表情で言っていたし、なんだか取り残された気分だった。
俺の思いを誰にも言っていないし、知らないだろうし、濃いめのブラックコーヒーでも飲まされたような気分だ。
二時間みっちりと歌い切った。けれど、楽しくなかった。いや、それは言い過ぎかもしれない。けれど、いつものように楽しめなかった。
葵さんの隣には福居がいた。俺はテーブルを挟んで向かいに座り、ふたりを見ることしかできなかった。目が合いニコッと笑いかけてくれても、イチャつかれていたら完全に萎えてしまう。
何も気にしていない、俺には関係ない、そんな素振りをしていたから誰も気づいていないと思う。でも、心は大荒れだった。雹が降ったかと思えば、猛暑で干からびたり、雷が鳴り大雨で洪水になったり、自分でも自分の感情がコントロールできなかった。
うまく笑い返せていたのだろうか……。
「カラオケ楽しかったね」
「うん」
「福居くんっておもしろいね」
「うん」
「わたしあまり慣れてなくて」
「うん」
「どうしたらいいのか、よくわからなくて」
「…………」
「笹井くん、どうかしたの?」
「えっ?」
帰り道、まったく知らなかったけれど、最寄駅が一緒だった。
カラオケでのことを思うと、うまく喋ることができない。頷くだけで精一杯だった。
葵さんは俺があまりにも無愛想だったからなのか、目の奥を覗き込むように、こちらを見てきた。
「いつもおもしろいのに、あまり喋らないから」
「えっ? おもしろい?」
「うん。福居くんといつも変なことしてるでしょ?」
また福居かと、心臓にデコピンでも食らったようだ。
心が痛むせいなのか、それとも意地悪なのか、こんなこと聞いていいのかわからないけれど、どうしても聞かなくてはいられなかった。
「葵さんって福居のこと……好きなの?」
好きなんて、そんな簡単になるものではないとわかっている。時間をかけてゆっくりとお互いを……、いや、俺はあの一瞬で葵さんに恋をした。
聞いたことに後悔だ。葵さんが俺と一緒の考えなら、恋をしているのかもしれない。
「好きだよ。」
聞きたくない言葉が右から左に流れていった。
胸を熱いアスファルトに押し付けられ、焼けて溶けていくようだった。
「えっ、そ、そーなんだ。アハハっ、そりゃそーだよね? 身長のでかさハンパないし、身長でかいほうがかっこいいもんね?」
「そーだね。身長大きいとかっこよく見えるのかもね」
熱かったのも数秒で、自分の周りだけ冬のようで、鼻水と涙が出てきそうだった。
葵さんはふふふっと笑顔になり思い出しているようだ、これは完全に敗北だ。
好きな人がいる相手を好きになったとしても、何も残るものなんてない。いい友達なのに、変な関係になるのも嫌だから、のめり込む前に引き下がろう。そう言い聞かせるしかなかった。
花陽公園を歩く頃、夕日が差していた。それに合わせるように、紫陽花が炎を纏うように、オレンジ色を映していく。
「あっ、きれい、紫陽花」
「えっ? そーだね。こういうのは好きな人と見たほうが雰囲気もよくなるんじゃない?」
「そーかも」
誰を想像してそーかもなんて言ったのか、惨めでしかない。鎌をかけた自分もダメだと思うけれど、葵さんのことが好きだから、他のやつとなんて考えたくもない。そりゃ、福居はいいやつだし、頼れるし、おもしろいし、男前だし……ヤバい、悪いところが思いつかない。俺なんてこんなにぐちぐちねちっこくて、友達のこと妬んだり、マジで男として情けなさすぎる。そんなことを考えていると、虚しさで胸がいっぱいになり、これ以上一緒にいることはできないと思った。
「なら今度福居とデートでもしたら? 今日は俺とでごめんけど。じゃあ」
俺にとっては精一杯の思いやりだった。拳を強く握りしめて、この場から走り去ろうとした。
「どうしてそんなこと言うの?」
聞こえないふりをして走ろうとしたけれど、葵さんが大きな声で呼び止めるから、立ち止まるしかなかった。
「待って!」
ゆっくりと振り返った。本当は泣きそうだった。好きな人を諦めて身を引こうとしているのに、こんな時にその本人を目の前なんかにしたくない。
「なに?」
心配そうな表情でこちらへと駆け寄ってきた。
「あの、これ」
「んっ?」
「はんぶんこしない?」
そう言うと俺の手に何かを渡した、両手でそっと俺の手を握るように。
「なに、これ?」
もしかしたら、涙が滲んでいたのかもしれない。けれど、そんなことは気にしていられない。
「チョコ大福」
「えっ?」
「カラオケで食べようと思ったんだけど、食べるの忘れちゃって……」
はにかむようにこちらを伺い、何度もチラチラと目を合わせてくる。
「うん」
「ほら、食べないともったいないし、ひとりで食べたら夕飯前でママに怒られちゃうし、それに、何か嫌なことあったときは甘いものがいいって」
「へー」
嫌なこと……それは葵さんが原因でもあるけれど、それは言えないし、そんなこと言われたら断れない。
「ダメかな?」
「いや……食べよ」
「よかった。じゃあ、公園のベンチにいく?」
「うん」
やっぱり、好きだ。この気持ちを抑えることなんかできない。ベンチに座る横顔を見ていると、心が穏やかになった。そして、自分でもなぜだかわからないけれど、確信した、両思いになると。
「どうかした?」
「えっ? いや、何でもない、何でもない、アハハっ……かわいい」
「えっ?」
何も言わずに笑顔を向けてくれた。
何も考えずに笑顔を返した。
「手、汚れちゃったから洗ってくるね」
「なら俺も」
手を払い、「先行くねー」と無邪気に水道のある砂場近くに駆け出していった。「ちょっと待ってよー」と追いかけた。
もともと知っていた関係のように、自然と笑顔で、何が楽しいのかと聞かれても答えに困りそうだ。それでも、理由なんてどうだってよかった。ふたりでこんな風にすることを、ずっと前から望んでいたような気がした。
ふと空を見上げるといつの間にか夕焼けに染まっていた。太陽の近くは茜色に揺らぐ炎のようで、その手前は、昼を終わらせたくないかのように青色を強く主張する、その奥は夜の静けさを纏う濃い紺色になっていた。
まるで、空が染め物のように、ジワジワと色を重ねられていく。
俺も同じだ。
俺の心が葵さんに染まっていく。
————。
自分の妄想にドン引きしそうだった。こんなこと本人のいる前でするもんじゃない。こんな淑女、いや天使みたいな子には引く以上に嫌われてしまう、きっと。
「どうしたの?」
「何でもないよ」
「そう」
「うん」
はい、とハンカチを貸してくれた。一瞬、使うか否か迷ったけれど、ありがたく使わせてもらった。ハンカチが少しいい匂いだった。
公園の出入り口を抜けたところで急に眩暈がした。足下が少し振らつき葵さんが支えてくれた。
「大丈夫?」
初めてのことでよくわからなかったけれど、確かにこの場所だった。
日差しが眩しくて、小さな子どもと母親と自動車の音がしていた。前を見ると、どこかで見たことあるような女子が立っていた。
これは一体何なのだろうか、フラッシュバックとでも言えばいいのか、何もわからない。
「うん」
心配そうにこちらを見つめて、支える体に力が入った。
「ごめん、重いよね?」
「うん、ちょっと」
照れたように微笑む仕草が、余計に胸を焦がす。
「葵さん……」
「んっ?」
「んっ? 何でもないよ」
クラっとしたとき、目の前に広がった光景は何なのかわからないけれど、そこにいた女子が、葵さんに見えてしまった。
そんなこと言えるはずもなくて、愛想笑いをするしかなかった。
可愛いは罪だ。俺の記憶の中さえも弄ぶ。ということは……
「有罪だ」
心の声が出てしまった。恥ずかしすぎて目を見れない。
「有罪? わたし捕まっちゃうの?」
なぜだろうか、手を握り今度はばっちりと視線を合わせていた。
「そう! ……俺が逮捕する。だって葵さん、かわいくて、かわいくて……かわいくて、他の誰かに連れて行かれる前に、俺が連行する。あっ! 心の声がダダ漏れだ」
我に帰るとはこのことか。本人を目の前にしてこんなこと言うなんて、下手なドラマよりもくさすぎる。いくら演劇部だからといって、完全なる駄作だ。
手を離し再び目が見れなくなった。自分自身が重苦しくて、屈んで膝に手をついた。
「やっぱり、おろしろいね。私、好きだよ、笹井くん」
————。
「かっこいいし」
王様の耳はロバの耳! 隠れたくてどうしようもなかったのに、好きの言葉だけは聞き逃せなかった。喜びのあまり、再び手を握ろうと葵さんの方を向く。
「あおいさ……」
「みんな好き。わたしのこと気を遣って話してくれたり、お昼ごはん一緒に食べたり、遊んだり、いい人たちばかり」
胸の前で手を握り、願いを込めるように話していた。
「……ははっ、そ、そーだよね? そそそ、みんないいやつだよね?」
「うん。笹井くん、今日はありがと。帰ろ」
「うん、かえろ……ちょいまち!」
少し歩き始めた葵さんを呼び止めた。
頭の中で好きという言葉を高速で振り返った。一つの答えに行きついた。
「どうしたの?」
こちらを振り返り、ニコッと笑顔を見せた。
「聞いていい?」
「うん」
「福居のこと好きって言ったのも、今言った好きと一緒? それとも……個人的に……」
「好きは好きでしょ? みんなと一緒だよ」
穴という穴が開いた。
心の中では、教会の鐘が鳴り響き、白い鳩が飛んでいく。透き通った青空に眩しく太陽が輝く。すべてが喜びに満ちていた。
その中に俺は立ち、叫んだ。『福居、ごめーん! 葵さんは俺のものだー!』
「どーしたの? 腕でも痛いの?」
「えっ? いやそんなことないよ。絶好調!」
手を下に向けたまま、何気にガッツポーズをしていた。
ふたりで並んで公園を後にした。道路に映る影がハートに見えた。こんなにも明日が待ちどうしいのは初めてだ。
葵さんと別れた後、スキップをしながら帰った。玄関のドアノブに手をかけたところで、そこにいつもはあるはずのものがないことに気づいてしまった。自転車だ。すっかり忘れてしまっていた。駅の方を遠目で見て、深いため息を吐いた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
独身男の会社員(32歳)が女子高生と家族になるに至る長い経緯
あさかん
ライト文芸
~以後不定期更新となります~
両親が他界して引き取られた先で受けた神海恭子の絶望的な半年間。
「……おじさん」
主人公、独身男の会社員(32歳)渡辺純一は、血の繋がりこそはないものの、家族同然に接してきた恭子の惨状をみて、無意識に言葉を発する。
「俺の所に来ないか?」
会社の同僚や学校の先生、親友とか友達などをみんな巻き込んで物語が大きく動く2人のハートフル・コメディ。
2人に訪れる結末は如何に!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる