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第四章 イン・ラスト・プレイス

毒と薬

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「ここが例の生徒の部屋です」
「すみませんが、俺一人でやらせていただいてもかまいませんか?」

「え? ええ、いいですけど」

 メガネの担任が去ったのを確認し、俺はノックをして声をかけた。
「キャスリー・レノンフィールド、いるか?」

 返事はない。
 再度ノックをするが、部屋からは物音ひとつ聞こえない。
 試しにドアノブを回してみるが、ガチャガチャと乾いた音が響くのみ。

 俺は周囲を見回し、人気が無いことを確認して、そっと呪文を唱える。
「――≪透過シースルー≫」

 とぷりと泥の沼にはまるように、俺の腕は木製のドアを通過する。そして、そのまま俺は、ドアをくぐった。

 部屋の中はカーテンが閉められており、薄暗かった。
 ベッドの上では、静かに寝息を立てるキャスリーが、ワニのぬいぐるみを大切そうに抱きしめていた。

 俺はベッドの隣に腰を下ろし、そっとキャスリーの髪をかきあげる。
 優しいブロンドの綿毛が、指に絡みついた。

 耳元に唇を寄せ、呼びかける。
「キャスリー、起きろ。俺だ」

 二度目の呼びかけとともに、キャスリーは急にばちっと目を開けると、飛び跳ねるように上半身を起こした。
 俺は人差し指をたて、静かにしろと合図する。

 俺は女装のためにまとめていた髪をばらすと、ぐしぐしと手櫛で崩し、普段の容姿に戻った。

「キャシー、俺だ。わかるか?」

 キャシーは目を丸くして驚いた。が、声は出さず、無言でこくこくと何度も首を縦に振る。
 利発な子だ。やはりこの子に魔法の手ほどきをしたのは、間違っていなかった。
 キャシーのうわさは、クラスメイトたちから軽く聞いている。普段の様子も、今回やったことも。褒められたことでは無いけれど、理由も無しに他人を陥れるような子でもない。一体、なにが彼女をそうさせたのか、俺は気になっていた。

「久しぶりだな。元気にしていたか?」
 俺がふっとほほ笑むと、キャシーはたっぷりと深呼吸したあと、小声でささやいた。
「インギー、なんであなた、こんなところにいるんですの?」

「ちょっと事情があってな。ある偉い人からの依頼で、お前の助けになってやれと。今の俺の立場は、この魔法学院の予備教員だ。……女のふりをして、入り込んだ」

 キャシーは、わずかではあるが、笑ってくれた。俺もそれを見て、笑い返す。
 良かった。彼女は相変わらずだ。これなら、なんとかなるだろう。


「単刀直入に言うぞ、キャスリー。学校に来い。そして、授業を受けろ」

「それは、できませんわ」
「理由があるのか? 話せるかい?」

 キャシーは少しだけ迷ったように見えたが、やがて震える声で言った。
「レノンフィールド家の名誉と、意地がありますの。でも、今の私は、ただの負け犬ですわ」
 キャスリーの覚悟は固いように見えた。

「負け犬か」
 俺はベッドに座りなおすと、両手を後ろにつき、天井を仰いだ。

「インギーも、何かあったんですの? その、昔に」

「あったよ、色々と。……でも、俺はそもそも平民の出だからな。最初から負け犬みたいなもんだったよ」
「信じられませんわ、あの強くて素敵なインギーが」

「信じられないなら信じなくてもいいさ。でも、俺は、キャシーを信じている」
「でも――」

 なお迷い続けるキャシーに、俺は一つの瓶を渡した。中には液体に浸かった小さな果実が入っている。
 精神に作用する魔法薬というのは、流通も使用も、法で厳しく制限されていた。麻薬のようなものだから当然なのだが。
 俺が渡したのは、合法のとある薬。魔法ではなく、日本などでも古くから製造・使用されてきたものだ。
 こちらの世界でこれを探すのは苦労した。自分で精製しようにも、前世で知っていたものと同一の果実は、なかなか見つからなかったからだ。

「この瓶は?」
「どうしても勇気が出ないなら、明日、学校に行く前にこれを飲め。元気が出る薬だ」
「わざわざ私のために?」
「ああ。キャシーは俺の恩人だからな。以前世話になった礼だ」

 俺は立ち上がり、前髪を直す。ドアに手をかけ出ようとしたところで、キャシーが叫んだ。
「インギー! ……あの、わたくし、わたくし――」

 言い淀むキャシーを、俺は待たなかった。
 後ろ手に閉めたドアは、やけに重たく感じた。
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