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素敵な思いつきと、アイ・ラブ・ユー
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~右口さん~
彼の誕生日から、しばらく経った。
クッキーの件はお礼を言われたけれど、女の子のことについては、何も言われていない。
当日の書類も確認したし、不良置き場も探してみたけれど、あの製品は見つからなかった。もう粉砕されちゃったのだろうか。
いつもの作業をこなしながら、ついでに機械の生産ログを覗き見る。カウンターを呼び出し、数字を順番にメモしていく。反応の悪いコンパネにイライラする。タッチパネルに残った白い手垢の跡は、こすったくらいじゃ落ちやしない。
えーと、あとは、原料の使用履歴かな。
「うーん、やっぱり持って帰っちゃったのかなー」
思った通りだった。
あれから色々確認してみたけれど、どうやったって女の子一体分の数が合わない。
バレないように、少しだけ数字をいじって隠してあるけれど、ひとつひとつ数字を追っていくと、どうやったって齟齬が出る。
「もう、しょーがないなー」
こういう詰めの甘さも可愛いものだ。
私は停止記録とパージ原料を少しずつ増やし、つじつまが合うようにしておいてあげた。これで万が一にでもバレることはないはずだ。悪いことというのは、なぜか重なるものなのだ。いつクレームが来てこの日の記録を見返すことになるか、わかったもんじゃない。
私がフォローしたことがわかれば、彼は驚くだろうか。感謝してくれるだろうか。でも、こういうのは自分から言ってはダメなのだ。
言ってはダメだけど気づいては欲しいので、彼が自分で気づくように、そっと書類を回しておく。そして、彼が私に声をかけてきたところで、こう言うのだ。
「ええそうですよ、私にはバレバレです。こことそこ、危なかったので修正しておきました。次からは気を付けてくださいね」と。
むふふ、と変な笑い声が出た。
さて、コーヒーでも飲んで一休みしようかと、私は休憩室に入る。
そこには、うなだれた様子の島田さんがいた。
「あ、島田さん。お疲れさまです」
「え? ……ああ、お疲れ」
島田さんはぼんやりとした調子で言った。
島田さんがおかしくなったのは、先週からだ。ちょうど彼の誕生日くらいだと思う。いつも通りコンプレッサー室のほうから、女の子のすすり泣く声がしたらしい。
「幽霊なんてばかばかしい、俺が捕まえてきてやるよ!」
島田さん、そりゃフラグだよ。
一応回りの人間も止めはしたのだが、彼は聞く耳持たず、一人で暗闇へと消えていった。
次に見つかったのは、翌日のお昼前。クーリングタワーの横で、眠っている島田さんが発見された。島田さんはお腹を出して寝ていたらしいが、そのお腹からは、おへそが消えていた。
「別にヘソなんか今更なくなって困るもんじゃないし、気にしてないよ」
そう言って強がっていたけれど、私は見てしまった。シャツをたくし上げ、つるんとしたお腹をじーとにらむ島田さんを。
そのときの島田さんは、ぶつぶつとひとりごとも言っていた。
「あいつらめ、自分が持ってないからって、ヘソなんか奪いやがって」と。
なるほど。島田さんの出会った女の子には、おへそが無かったのか。もっとも、うちで作っている女の子のお腹は、たしか全部つるつるのはずだけど。
なんにせよ、おへそでよかった。奪われたのが手や足だったら大変なことだ。
ふと私は、あることを思いついた。
「ねえ島田さん」
「ん、なんだよ?」
「えーと、そのー、おへそがある人形って、人間ですかねえ?」
「そんなわけねえだろ、ただのヘソがある人形だよ」
「ですよねえ」
そりゃそうだ。人形か人間かの区別は、法律でしっかり決まっている。おへそなんかじゃ決まらない。でも――。
数日後、すっかり準備を終えた私は、仕事帰りに辻田さんの家を訪れた。
今までも何度か来たことはあるけれど、遠くから覗くだけだった。私は用事もないのに急に押し掛けるような、非常識な人間ではないからだ。いくら同僚でもそのくらいはわきまえている。
初めてだ、ちゃんと用事があって訪ねるのは。私の鼓動はどくどくとスピードを増していた。
アパートは古く、階段を踏み込むたびに、薄い鉄板が頼りなげにたわんだ。
インターホンを押す。すこすこと手ごたえはない。鳴っているのかも怪しかった。
意を決して、こんこんこんと、ノックをしてみる。
「はーい」
女性の声だった。思った通り、きっとあの女の子だ。
がちゃりと扉が開く。
「すみません、辻田は外出中です」
うん、知ってるわ。さっきお疲れさまを言ったばかりだもの。
風に乗って、柑橘系の香水の匂いがした。湧き上がる嫉妬を押さえつけ、私は笑顔を作った。
「はじめまして、お人形さん。実は、あなたにお願いがあって来たの」
私は大型のニッパーを取り出した。うまく切れればいいのだけど。
彼の誕生日から、しばらく経った。
クッキーの件はお礼を言われたけれど、女の子のことについては、何も言われていない。
当日の書類も確認したし、不良置き場も探してみたけれど、あの製品は見つからなかった。もう粉砕されちゃったのだろうか。
いつもの作業をこなしながら、ついでに機械の生産ログを覗き見る。カウンターを呼び出し、数字を順番にメモしていく。反応の悪いコンパネにイライラする。タッチパネルに残った白い手垢の跡は、こすったくらいじゃ落ちやしない。
えーと、あとは、原料の使用履歴かな。
「うーん、やっぱり持って帰っちゃったのかなー」
思った通りだった。
あれから色々確認してみたけれど、どうやったって女の子一体分の数が合わない。
バレないように、少しだけ数字をいじって隠してあるけれど、ひとつひとつ数字を追っていくと、どうやったって齟齬が出る。
「もう、しょーがないなー」
こういう詰めの甘さも可愛いものだ。
私は停止記録とパージ原料を少しずつ増やし、つじつまが合うようにしておいてあげた。これで万が一にでもバレることはないはずだ。悪いことというのは、なぜか重なるものなのだ。いつクレームが来てこの日の記録を見返すことになるか、わかったもんじゃない。
私がフォローしたことがわかれば、彼は驚くだろうか。感謝してくれるだろうか。でも、こういうのは自分から言ってはダメなのだ。
言ってはダメだけど気づいては欲しいので、彼が自分で気づくように、そっと書類を回しておく。そして、彼が私に声をかけてきたところで、こう言うのだ。
「ええそうですよ、私にはバレバレです。こことそこ、危なかったので修正しておきました。次からは気を付けてくださいね」と。
むふふ、と変な笑い声が出た。
さて、コーヒーでも飲んで一休みしようかと、私は休憩室に入る。
そこには、うなだれた様子の島田さんがいた。
「あ、島田さん。お疲れさまです」
「え? ……ああ、お疲れ」
島田さんはぼんやりとした調子で言った。
島田さんがおかしくなったのは、先週からだ。ちょうど彼の誕生日くらいだと思う。いつも通りコンプレッサー室のほうから、女の子のすすり泣く声がしたらしい。
「幽霊なんてばかばかしい、俺が捕まえてきてやるよ!」
島田さん、そりゃフラグだよ。
一応回りの人間も止めはしたのだが、彼は聞く耳持たず、一人で暗闇へと消えていった。
次に見つかったのは、翌日のお昼前。クーリングタワーの横で、眠っている島田さんが発見された。島田さんはお腹を出して寝ていたらしいが、そのお腹からは、おへそが消えていた。
「別にヘソなんか今更なくなって困るもんじゃないし、気にしてないよ」
そう言って強がっていたけれど、私は見てしまった。シャツをたくし上げ、つるんとしたお腹をじーとにらむ島田さんを。
そのときの島田さんは、ぶつぶつとひとりごとも言っていた。
「あいつらめ、自分が持ってないからって、ヘソなんか奪いやがって」と。
なるほど。島田さんの出会った女の子には、おへそが無かったのか。もっとも、うちで作っている女の子のお腹は、たしか全部つるつるのはずだけど。
なんにせよ、おへそでよかった。奪われたのが手や足だったら大変なことだ。
ふと私は、あることを思いついた。
「ねえ島田さん」
「ん、なんだよ?」
「えーと、そのー、おへそがある人形って、人間ですかねえ?」
「そんなわけねえだろ、ただのヘソがある人形だよ」
「ですよねえ」
そりゃそうだ。人形か人間かの区別は、法律でしっかり決まっている。おへそなんかじゃ決まらない。でも――。
数日後、すっかり準備を終えた私は、仕事帰りに辻田さんの家を訪れた。
今までも何度か来たことはあるけれど、遠くから覗くだけだった。私は用事もないのに急に押し掛けるような、非常識な人間ではないからだ。いくら同僚でもそのくらいはわきまえている。
初めてだ、ちゃんと用事があって訪ねるのは。私の鼓動はどくどくとスピードを増していた。
アパートは古く、階段を踏み込むたびに、薄い鉄板が頼りなげにたわんだ。
インターホンを押す。すこすこと手ごたえはない。鳴っているのかも怪しかった。
意を決して、こんこんこんと、ノックをしてみる。
「はーい」
女性の声だった。思った通り、きっとあの女の子だ。
がちゃりと扉が開く。
「すみません、辻田は外出中です」
うん、知ってるわ。さっきお疲れさまを言ったばかりだもの。
風に乗って、柑橘系の香水の匂いがした。湧き上がる嫉妬を押さえつけ、私は笑顔を作った。
「はじめまして、お人形さん。実は、あなたにお願いがあって来たの」
私は大型のニッパーを取り出した。うまく切れればいいのだけど。
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