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そして別れ
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夜見市総合病院、時刻は午前十一時、朝から空を覆っていた雨雲は時間の経過と共に厚くなり、ついにははらはらと雨を降らせていた。窓に降りかかる雨粒を優心は青白い顔で眺めていた。
搬送後すぐに活美は集中治療室に運ばれ、そろそろ一時間が経過しようとしていた。
「優心……大丈夫?」
「あたしのことはどうでもいいよ……それより活美が……」
二人して治療室の前のベンチに座り込み、じっと窓の外を見ていた。お互いにきっと自分は酷い顔をしているだろうと思い、目を合わせなかった。
「水が……少なすぎたのかな?」
星河がポツリと呟く、泣きはらした様な赤い目をしていた。
「あたし達がもっと上手く洞窟を探索できていたら」
優心が拳を握る微かな音が、なんだかとても大きく聞こえた。
「優心……自分を責めるなよ、あの洞窟の水はほとんど枯れていて、あれしかなかったんだよ」
「あたし達の夏休みの冒険って……結局なんだったんだろう? 命を懸けて、何度も危険な目に遭って」
「優心……」
星河の目には涙が光っている、でも優心は少しも泣いていなかった。ただ光の無いどんよりとした目をしている。
「活美と悟志おじさんも助けられなかった……結局二人とも死んじゃうのかな?」
「わからない……でも活美ちゃんは頑張っている、今も」
二人ともじっと黙り込み、俯いてしまった。
「星河君……優心ちゃん、そこにいたの?」
「あ……お母さん」
星河は立ち上がって頭を下げる。そこには優心達のように少し青ざめた顔色の活美の母がいた。
「いよいよこの時が来たのね、昨日は楽しかった?」
「昨日は本当に幻みたいで……でも、活美ちゃんは笑ってました」
「活美から携帯にメッセージが来ていてね、本当に楽しいって、今まで遊べなかった分を取り返すんだって」
母の目に涙がこぼれた、ポロポロと途切れなく。
「最後に良い思い出をありがとう……貴方達が活美の友達で本当に良かった」
母は二人に深々と頭を下げた。優心達もそれに続く。
その時、集中治療室のドアが開き、医師と看護師数名が移動式ベッドに活美を乗せて出てきた。優心が立ち上がる。
「あの……活美は?」
医師はマスクを被っていたが、眉間の皺から渋面を作っているのがわかる。
「打てるだけの手は打ちました……ですがもう……これが最後のお別れになるかもしれません、意識が有るうちにお話をしてあげてください」
その後活美はいつもの病室に移された。何人かの知人や親類が活美と短い言葉を交わし、母に一礼し病室を出ていった。
「ゆっくりとお話しなさいね、誰も貴方達の邪魔はしないから」
そう言って母も出ていき、病室には活美と優心と星河が残される。
「あは……優心ちゃん星河君、ごめんね……私は……もう駄目みたい」
「活美っ! ごめんねっ! ごめんねっ!」
「なんで優心ちゃんが謝るの? 悪いのは私の病気……優心ちゃんは何にも悪くないよ」
「活美の事……もっと考えてあげてたら、冒険とか言って一人で浮かれていて……あたしは最低だ」
優心はこの時も涙を流さなかった。ただ心で泣いていた。
「悟志おじさんを殺して、やっと手に入れた水も一日しか効果が無かった。あたしの冒険なんて無意味だった!」
一瞬、病室が静まり返る。星河は何も言えなかった。でも活美は違った。
「ううん、生きてるよ。優心ちゃんの冒険は私の中に生きて、そして私の作品の中に生きている」
「活美……」
力強い断言だった。活美の意志は少しも揺らいでない。
「中学生だったあの時から、優心ちゃんが冒険家を目指して、私が小説家を目指したあの時から、優心ちゃんの冒険の話を聞くのが私の生きがいだった」
瀕死の人間とは思えない力強い言葉で活美は言う。
「だから……優心ちゃんの冒険は無意味なんかじゃない」
優心は背中を震わせながら活美の手を握った。その胸中にどんな感情が渦巻いているのか、星河には推測することしかできなかったが、その想いが伝わってくるように星河の目に雫が光った。
「あらら……星河君は泣き虫だね」
活美がうっすらと微笑む。
「星河君もこっちに来て」
ベッドを挟んで優心の向かい側に星河は立った。右手は優心が左手は星河が握る。活美の手は驚くくらい冷たかった。
「二人の手……暖かいよ……私は幸せ者……二人が友達で本当に良かった……ありがとね……」
「活美ちゃん……僕は絶対に活美ちゃんのことを忘れない……何があってもだ!」
「うん……ありがとう……私も天国から二人の事ずっと見ている……だから幸せになって」
活美は泣いていた、でも、満足げな笑顔だった。この笑顔が絶望から二人を救った。こんな笑顔が出来るくらい活美が幸せを感じているんだってわかったから。
「星河君……本当のことを言ってくれてありがとう、やっぱり星河君と優心ちゃんはお似合い……二人で支え合って生きればなんだって乗り越えられる」
「うん……でも活美ちゃんのことも僕は本当に好きだったよ。一番の大親友だって思ってる」
「ありがとう……私嬉しい……えへへ、男女の間で大親友ってあんまりないよね」
「僕と活美ちゃんの間ではありだよ」
また星河が涙をこぼす。握り合った手に雫が零れる。
「星河君……また泣いてる? あれ? 目が良く見えないや、私も泣いているせいかな?」
「活美ちゃん……」
活美の目はもう光を失いつつあった。瞳孔が開きかけ輝きを失っていく。
「ああ……いよいよその時が来たんだね。私……本当は死にたくないよ」
「活美……やっぱり死んじゃあ嫌だよぉ」
「死にたくないね……ブドウ狩りも行きたかった。何より三人で一緒にいて小説をちゃんと完成させたかったよ」
活美はベッドの脇にあるノートパソコンと紙の束の方をちらりと見た。
「そこに私の書いた小説の原稿とデータの入ったノートパソコンがあるの」
「うん、活美の小説……あたしは大好きだよ」
「最後がね……最後がどうしても決まらなかったの。ずっと冒険をしていたかったから」
優心が小さく頷く、活美の手を両手でぎゅっと握った。
「それで……どうして欲しいの?」
「優心ちゃんの手で……最後を書いて完成させてほしいの、そして……どんな形でも良いから、これを世に出して」
「うん……分かったよ。必ずこの小説を世に出す。約束ね」
「これが最後の私の叫び……私はここにいるんだぞっていう最後の……」
「そうだね……僕たちは」
「あたし達は」
「「ここにいる」」
それほど大きな声じゃなかったが、力強く呟いた。この時三人の心はひとつになった。
「これで……一応……思い残すことは無いよ。ちゃんとお別れできた……私は幸せ」
「活美ちゃん……さようなら」
「活美……バイバイ」
「私疲れちゃった……ちょっと眠るね」
「うん……ゆっくり休んで」
活美のまぶたが少しずつ閉じていく、目を閉じるとふう……と大きなため息をついた。それが活美の最期(さいご)だった。
「ご臨終です……」
医師が最後を確認した時、親族、知人一同はすすり泣いた。星河も涙が止まらなかった。でもこの時も優心は泣かなかった、険しい顔をしてじっと活美を見つめていた。
「終わっちゃったね……」
隣にいる星河にだけ聞こえる様に優心が呟いた。星河は顔を上げて優心を見る、相変わらず険しい顔でじっと唇を噛んでいた。
「終わったんだ……あたしの冒険は……」
手を握りしめ、肩を震わせ、涙を流さず優心は心で泣いた。
搬送後すぐに活美は集中治療室に運ばれ、そろそろ一時間が経過しようとしていた。
「優心……大丈夫?」
「あたしのことはどうでもいいよ……それより活美が……」
二人して治療室の前のベンチに座り込み、じっと窓の外を見ていた。お互いにきっと自分は酷い顔をしているだろうと思い、目を合わせなかった。
「水が……少なすぎたのかな?」
星河がポツリと呟く、泣きはらした様な赤い目をしていた。
「あたし達がもっと上手く洞窟を探索できていたら」
優心が拳を握る微かな音が、なんだかとても大きく聞こえた。
「優心……自分を責めるなよ、あの洞窟の水はほとんど枯れていて、あれしかなかったんだよ」
「あたし達の夏休みの冒険って……結局なんだったんだろう? 命を懸けて、何度も危険な目に遭って」
「優心……」
星河の目には涙が光っている、でも優心は少しも泣いていなかった。ただ光の無いどんよりとした目をしている。
「活美と悟志おじさんも助けられなかった……結局二人とも死んじゃうのかな?」
「わからない……でも活美ちゃんは頑張っている、今も」
二人ともじっと黙り込み、俯いてしまった。
「星河君……優心ちゃん、そこにいたの?」
「あ……お母さん」
星河は立ち上がって頭を下げる。そこには優心達のように少し青ざめた顔色の活美の母がいた。
「いよいよこの時が来たのね、昨日は楽しかった?」
「昨日は本当に幻みたいで……でも、活美ちゃんは笑ってました」
「活美から携帯にメッセージが来ていてね、本当に楽しいって、今まで遊べなかった分を取り返すんだって」
母の目に涙がこぼれた、ポロポロと途切れなく。
「最後に良い思い出をありがとう……貴方達が活美の友達で本当に良かった」
母は二人に深々と頭を下げた。優心達もそれに続く。
その時、集中治療室のドアが開き、医師と看護師数名が移動式ベッドに活美を乗せて出てきた。優心が立ち上がる。
「あの……活美は?」
医師はマスクを被っていたが、眉間の皺から渋面を作っているのがわかる。
「打てるだけの手は打ちました……ですがもう……これが最後のお別れになるかもしれません、意識が有るうちにお話をしてあげてください」
その後活美はいつもの病室に移された。何人かの知人や親類が活美と短い言葉を交わし、母に一礼し病室を出ていった。
「ゆっくりとお話しなさいね、誰も貴方達の邪魔はしないから」
そう言って母も出ていき、病室には活美と優心と星河が残される。
「あは……優心ちゃん星河君、ごめんね……私は……もう駄目みたい」
「活美っ! ごめんねっ! ごめんねっ!」
「なんで優心ちゃんが謝るの? 悪いのは私の病気……優心ちゃんは何にも悪くないよ」
「活美の事……もっと考えてあげてたら、冒険とか言って一人で浮かれていて……あたしは最低だ」
優心はこの時も涙を流さなかった。ただ心で泣いていた。
「悟志おじさんを殺して、やっと手に入れた水も一日しか効果が無かった。あたしの冒険なんて無意味だった!」
一瞬、病室が静まり返る。星河は何も言えなかった。でも活美は違った。
「ううん、生きてるよ。優心ちゃんの冒険は私の中に生きて、そして私の作品の中に生きている」
「活美……」
力強い断言だった。活美の意志は少しも揺らいでない。
「中学生だったあの時から、優心ちゃんが冒険家を目指して、私が小説家を目指したあの時から、優心ちゃんの冒険の話を聞くのが私の生きがいだった」
瀕死の人間とは思えない力強い言葉で活美は言う。
「だから……優心ちゃんの冒険は無意味なんかじゃない」
優心は背中を震わせながら活美の手を握った。その胸中にどんな感情が渦巻いているのか、星河には推測することしかできなかったが、その想いが伝わってくるように星河の目に雫が光った。
「あらら……星河君は泣き虫だね」
活美がうっすらと微笑む。
「星河君もこっちに来て」
ベッドを挟んで優心の向かい側に星河は立った。右手は優心が左手は星河が握る。活美の手は驚くくらい冷たかった。
「二人の手……暖かいよ……私は幸せ者……二人が友達で本当に良かった……ありがとね……」
「活美ちゃん……僕は絶対に活美ちゃんのことを忘れない……何があってもだ!」
「うん……ありがとう……私も天国から二人の事ずっと見ている……だから幸せになって」
活美は泣いていた、でも、満足げな笑顔だった。この笑顔が絶望から二人を救った。こんな笑顔が出来るくらい活美が幸せを感じているんだってわかったから。
「星河君……本当のことを言ってくれてありがとう、やっぱり星河君と優心ちゃんはお似合い……二人で支え合って生きればなんだって乗り越えられる」
「うん……でも活美ちゃんのことも僕は本当に好きだったよ。一番の大親友だって思ってる」
「ありがとう……私嬉しい……えへへ、男女の間で大親友ってあんまりないよね」
「僕と活美ちゃんの間ではありだよ」
また星河が涙をこぼす。握り合った手に雫が零れる。
「星河君……また泣いてる? あれ? 目が良く見えないや、私も泣いているせいかな?」
「活美ちゃん……」
活美の目はもう光を失いつつあった。瞳孔が開きかけ輝きを失っていく。
「ああ……いよいよその時が来たんだね。私……本当は死にたくないよ」
「活美……やっぱり死んじゃあ嫌だよぉ」
「死にたくないね……ブドウ狩りも行きたかった。何より三人で一緒にいて小説をちゃんと完成させたかったよ」
活美はベッドの脇にあるノートパソコンと紙の束の方をちらりと見た。
「そこに私の書いた小説の原稿とデータの入ったノートパソコンがあるの」
「うん、活美の小説……あたしは大好きだよ」
「最後がね……最後がどうしても決まらなかったの。ずっと冒険をしていたかったから」
優心が小さく頷く、活美の手を両手でぎゅっと握った。
「それで……どうして欲しいの?」
「優心ちゃんの手で……最後を書いて完成させてほしいの、そして……どんな形でも良いから、これを世に出して」
「うん……分かったよ。必ずこの小説を世に出す。約束ね」
「これが最後の私の叫び……私はここにいるんだぞっていう最後の……」
「そうだね……僕たちは」
「あたし達は」
「「ここにいる」」
それほど大きな声じゃなかったが、力強く呟いた。この時三人の心はひとつになった。
「これで……一応……思い残すことは無いよ。ちゃんとお別れできた……私は幸せ」
「活美ちゃん……さようなら」
「活美……バイバイ」
「私疲れちゃった……ちょっと眠るね」
「うん……ゆっくり休んで」
活美のまぶたが少しずつ閉じていく、目を閉じるとふう……と大きなため息をついた。それが活美の最期(さいご)だった。
「ご臨終です……」
医師が最後を確認した時、親族、知人一同はすすり泣いた。星河も涙が止まらなかった。でもこの時も優心は泣かなかった、険しい顔をしてじっと活美を見つめていた。
「終わっちゃったね……」
隣にいる星河にだけ聞こえる様に優心が呟いた。星河は顔を上げて優心を見る、相変わらず険しい顔でじっと唇を噛んでいた。
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