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知恵と古文書
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倉橋知恵は図書館の司書である。背の中ほどまで届く黒いロングヘア、おっとりとした性格を現したようなたれ目がちの優しい容貌、背丈は平均より少し低めで小柄な女性だ。白いワンピースの長いスカートの上に緑の前掛けをしている。落ち着いた色の服装は彼女をとても清楚に見せている。
時刻はもう午後九時を過ぎており、閉館時刻はとうに経過していた。玲子たちが防犯カメラの映像を調べ始めようとし始めた時間だ。
知恵は今、一般には貸出されていない江戸時代の古い記録を読んでいた。図書館の奥の資料室、古い資料は綺麗に整えられ番号の付いた箱に納められていた。箱がずらりと並んでいて、棚に積み上げられている。古い紙の匂いに微かなカビの臭い、クリーニングに使ったエタノールの匂い、湿度と温度が管理されている、エアコンの音が微かにした。
「あった…………」
知恵が探していた資料、それは鬼にまつわる資料である。紙に筆で書かれた当時の瓦版だった。粗悪な粘土板ではなく上質な紙に手書きで書かれており、夜見市の旧家に大切に保存されていたものだ。
江戸中期のある日、夜見の里で残虐な殺人事件が起きた。死体は食い荒らされた様にバラバラになっており、それは一見獣の仕業の様に見えた。事件が起こった時刻に獣の咆哮を聞いたと多くの村人が証言している。これは、当時事件を捜査した役人の書いたものである。
「やっぱり同じ……」
偶然現場付近に居合わせた人間が身の丈十尺はある大きな鬼を見たと言い出し、騒動になる。鬼は人が変化したものであり、変化して巨大化するところを見たという人もいた。その時の鬼は旅の侍が破邪の刀を使って退治したとされる。
「あの刀ね、刃の無い破邪の刀」
郷土資料館にある刀を思い出す。古い綺麗な装飾が施された鞘に入っており、銀でできた美しい刀である。刀は使い手を見つけると小さく鳴ると言われている。
その刀にも通常では考えられない秘密が有ったりする。知恵は若い時分にそれを見ている。
「里の伝説か……」
知恵はある体験から、里の伝説がある程度真実であることを知っていた。事件を知り恐れていた鬼が現れてしまったことを確信した知恵は独自に調査を始めていた。
まだ犯人の目星は付いていない、しかしどこかの段階であの水を飲んだはず。
五年前まであの水を管理していたのは歴史学者の山田邦夫という男だ、知恵の命の恩人。現在は行方不明である。恐らく鬼になった者の手によって殺されたと知恵は踏んでいる。
さらに資料に目を通す。鬼を退治した侍は旅の武芸者だったらしく、剣術の腕は大したものだったそうだ。名のある武芸者に師事した者だと言われているが、どの流派の者だったのかは諸説あるそうだ。
当時すでにあった破邪の刀を夜見山神社の神主から託され、それを使って鬼を斬ったとされる。斬られた鬼の身体は塵のように霧散して消えてしまったと言う。その正体は不治の病に犯された里の百姓だったそうだ。
三途の川の水、現世に持ち帰れば不死の霊薬になると言われているが、その一方で邪な心をもつ者や死に飲み込まれた人間が飲むと鬼になると言われている。
鬼は不完全な不老不死の状態だと言われ、それを維持するために他人の血が必要になるのだそうだ。
さらにページをめくると、鬼の外観などが記されたページがあった。鬼を見たという複数の証人と侍が見たものをまとめており、鬼の図版が記されていた。身の丈十尺は訳三メートル、全身が太い筋肉に覆われており。肌は黒っぽい金属の様な光沢、毛はあまり生えておらず、角もない、醜い蝙蝠の様な顔をしており、目は赤く光ったと言う。
図版の鬼は恐ろしいながらもどこか愛嬌のある顔をしており、当時流行った妖怪画の一種として書かれたのだろう。資料を作った人達の中にもこのことを真実だとは思ってはいない人もおり、この資料も当時の興味本位な民衆を楽しませるために書かれたものであるようだ。
どこまで読んでも信憑性はない。しかし水と鬼にまつわる伝承はこの里にずっと続いていた。
「本を読んでいるだけじゃダメね……やっぱり足で歩いて何とか犯人を見つけないと」
親友の玲子がここにいたら、それは自分の仕事だと言い張っただろう。
昼に玲子が訪ねてきた時、知恵はこの夜見の里の鬼伝説をかいつまんで話した。玲子は興味深そうに話のひとつひとつをメモして聞いていた。
学生時代から常々思っていたことだが、玲子は変わった女だ。警察に入って、瞬く間に警部まで出世して敏腕だという噂だ。ある所では非常な現実主義者であるかと思えば、この不可解な事件をすぐに鬼伝説に結びつけて考えられる。なんと柔軟な考え方を持つ女だろう。学生時代からその一種の勘の鋭さは変わらない。
それにしても犯人は悪党を退治しているつもりなんだろうか? ふと疑問に思った。最初に殺された高校生はかなり質の悪いチンピラだったそうだ。次がヤクザの組長だった。やはり何かを感じる。本当に悪党を退治しているつもりだったのか、あるいはそういう言い訳を自分にして罪悪感から逃れようとでもしている様な。そんな鬼が何の罪もない組長の孫を殺している。どう思ったんだろう?
そして第一の事件と第二の事件の間が一カ月もある。その間どうやって隠れていたんだろう。やはり身の丈十尺の鬼の姿ではなく人間の姿で街に隠れていたんだろうか?
人間が大鬼に変化する。にわかには信じがたいが、そう考えると色んなことに辻褄が合ってしまう。
危険な殺人鬼が街に紛れている。早く何とかしなければ。
やはり玲子に情報提供するのが一番良い様な気もする。しかし玲子以外の捜査本部の刑事たちはまだこの殺人を獣の行ったものだと頑なに信じているらしい。
「やっぱりある程度わたくしの方で証拠を用意しないと」
それにはかなりの危険が伴う、しかし三途の川のある洞窟を管理しているわけではないとはいえ、山田邦夫から破邪の刀や資料の管理を任されてる。自分は夜見の里の伝説の管理者だ。そういう自負が知恵にはあった。
刀の使い手も探さなきゃいけない、残念ながら知恵や玲子が刀を持っても何も起こらなかった。山田邦夫は刀を扱えた、彼が主であることは一目瞭然だった、ある理由から。
刀は鬼が現れるとそれに呼応して持ち主を見つけ出すと言われている。知恵が刀の管理をしていれば遠からず使い手の方から現れるだろう。
第三の殺人が起こる前に何としても犯人を見つけ出さなければ。
「ふう……」
読んだ資料を丁寧に箱に戻し、知恵はため息をついた。
資料室を出て一般向けの書棚のある館内を抜けてジュースの自動販売機があるエントランスホールまでくる。ホールの壁には地元画家の絵が展示されていて、反対側はガラス張りだ。明かりはすでに落ちており月明かりと外の街灯の明かりでほのかに照らし出されていた。
自動販売機の前までくる、コインを入れてコーヒーを買った。
ちょっと疲れている、しっかりしないと、知恵はコーヒーを飲みながら気合を入れる。
エントランスホールは異様に静かで、空気が澄んでいた。頭が少しずつ冴えてくる。
「すーはーすーはー」と深呼吸する。
今日は睡眠薬でも飲んで早くに寝るべきかなと思った。連日時間があれば街を歩き調査を行っていた。このままでは犯人が捕まる前にバテてしまう。
その時知恵の携帯電話が鳴り出した。どこからだろうと画面を見ると玲子からだった。
「玲子? どうしたの?」
知恵の夜はまだ終わりそうになかった。
時刻はもう午後九時を過ぎており、閉館時刻はとうに経過していた。玲子たちが防犯カメラの映像を調べ始めようとし始めた時間だ。
知恵は今、一般には貸出されていない江戸時代の古い記録を読んでいた。図書館の奥の資料室、古い資料は綺麗に整えられ番号の付いた箱に納められていた。箱がずらりと並んでいて、棚に積み上げられている。古い紙の匂いに微かなカビの臭い、クリーニングに使ったエタノールの匂い、湿度と温度が管理されている、エアコンの音が微かにした。
「あった…………」
知恵が探していた資料、それは鬼にまつわる資料である。紙に筆で書かれた当時の瓦版だった。粗悪な粘土板ではなく上質な紙に手書きで書かれており、夜見市の旧家に大切に保存されていたものだ。
江戸中期のある日、夜見の里で残虐な殺人事件が起きた。死体は食い荒らされた様にバラバラになっており、それは一見獣の仕業の様に見えた。事件が起こった時刻に獣の咆哮を聞いたと多くの村人が証言している。これは、当時事件を捜査した役人の書いたものである。
「やっぱり同じ……」
偶然現場付近に居合わせた人間が身の丈十尺はある大きな鬼を見たと言い出し、騒動になる。鬼は人が変化したものであり、変化して巨大化するところを見たという人もいた。その時の鬼は旅の侍が破邪の刀を使って退治したとされる。
「あの刀ね、刃の無い破邪の刀」
郷土資料館にある刀を思い出す。古い綺麗な装飾が施された鞘に入っており、銀でできた美しい刀である。刀は使い手を見つけると小さく鳴ると言われている。
その刀にも通常では考えられない秘密が有ったりする。知恵は若い時分にそれを見ている。
「里の伝説か……」
知恵はある体験から、里の伝説がある程度真実であることを知っていた。事件を知り恐れていた鬼が現れてしまったことを確信した知恵は独自に調査を始めていた。
まだ犯人の目星は付いていない、しかしどこかの段階であの水を飲んだはず。
五年前まであの水を管理していたのは歴史学者の山田邦夫という男だ、知恵の命の恩人。現在は行方不明である。恐らく鬼になった者の手によって殺されたと知恵は踏んでいる。
さらに資料に目を通す。鬼を退治した侍は旅の武芸者だったらしく、剣術の腕は大したものだったそうだ。名のある武芸者に師事した者だと言われているが、どの流派の者だったのかは諸説あるそうだ。
当時すでにあった破邪の刀を夜見山神社の神主から託され、それを使って鬼を斬ったとされる。斬られた鬼の身体は塵のように霧散して消えてしまったと言う。その正体は不治の病に犯された里の百姓だったそうだ。
三途の川の水、現世に持ち帰れば不死の霊薬になると言われているが、その一方で邪な心をもつ者や死に飲み込まれた人間が飲むと鬼になると言われている。
鬼は不完全な不老不死の状態だと言われ、それを維持するために他人の血が必要になるのだそうだ。
さらにページをめくると、鬼の外観などが記されたページがあった。鬼を見たという複数の証人と侍が見たものをまとめており、鬼の図版が記されていた。身の丈十尺は訳三メートル、全身が太い筋肉に覆われており。肌は黒っぽい金属の様な光沢、毛はあまり生えておらず、角もない、醜い蝙蝠の様な顔をしており、目は赤く光ったと言う。
図版の鬼は恐ろしいながらもどこか愛嬌のある顔をしており、当時流行った妖怪画の一種として書かれたのだろう。資料を作った人達の中にもこのことを真実だとは思ってはいない人もおり、この資料も当時の興味本位な民衆を楽しませるために書かれたものであるようだ。
どこまで読んでも信憑性はない。しかし水と鬼にまつわる伝承はこの里にずっと続いていた。
「本を読んでいるだけじゃダメね……やっぱり足で歩いて何とか犯人を見つけないと」
親友の玲子がここにいたら、それは自分の仕事だと言い張っただろう。
昼に玲子が訪ねてきた時、知恵はこの夜見の里の鬼伝説をかいつまんで話した。玲子は興味深そうに話のひとつひとつをメモして聞いていた。
学生時代から常々思っていたことだが、玲子は変わった女だ。警察に入って、瞬く間に警部まで出世して敏腕だという噂だ。ある所では非常な現実主義者であるかと思えば、この不可解な事件をすぐに鬼伝説に結びつけて考えられる。なんと柔軟な考え方を持つ女だろう。学生時代からその一種の勘の鋭さは変わらない。
それにしても犯人は悪党を退治しているつもりなんだろうか? ふと疑問に思った。最初に殺された高校生はかなり質の悪いチンピラだったそうだ。次がヤクザの組長だった。やはり何かを感じる。本当に悪党を退治しているつもりだったのか、あるいはそういう言い訳を自分にして罪悪感から逃れようとでもしている様な。そんな鬼が何の罪もない組長の孫を殺している。どう思ったんだろう?
そして第一の事件と第二の事件の間が一カ月もある。その間どうやって隠れていたんだろう。やはり身の丈十尺の鬼の姿ではなく人間の姿で街に隠れていたんだろうか?
人間が大鬼に変化する。にわかには信じがたいが、そう考えると色んなことに辻褄が合ってしまう。
危険な殺人鬼が街に紛れている。早く何とかしなければ。
やはり玲子に情報提供するのが一番良い様な気もする。しかし玲子以外の捜査本部の刑事たちはまだこの殺人を獣の行ったものだと頑なに信じているらしい。
「やっぱりある程度わたくしの方で証拠を用意しないと」
それにはかなりの危険が伴う、しかし三途の川のある洞窟を管理しているわけではないとはいえ、山田邦夫から破邪の刀や資料の管理を任されてる。自分は夜見の里の伝説の管理者だ。そういう自負が知恵にはあった。
刀の使い手も探さなきゃいけない、残念ながら知恵や玲子が刀を持っても何も起こらなかった。山田邦夫は刀を扱えた、彼が主であることは一目瞭然だった、ある理由から。
刀は鬼が現れるとそれに呼応して持ち主を見つけ出すと言われている。知恵が刀の管理をしていれば遠からず使い手の方から現れるだろう。
第三の殺人が起こる前に何としても犯人を見つけ出さなければ。
「ふう……」
読んだ資料を丁寧に箱に戻し、知恵はため息をついた。
資料室を出て一般向けの書棚のある館内を抜けてジュースの自動販売機があるエントランスホールまでくる。ホールの壁には地元画家の絵が展示されていて、反対側はガラス張りだ。明かりはすでに落ちており月明かりと外の街灯の明かりでほのかに照らし出されていた。
自動販売機の前までくる、コインを入れてコーヒーを買った。
ちょっと疲れている、しっかりしないと、知恵はコーヒーを飲みながら気合を入れる。
エントランスホールは異様に静かで、空気が澄んでいた。頭が少しずつ冴えてくる。
「すーはーすーはー」と深呼吸する。
今日は睡眠薬でも飲んで早くに寝るべきかなと思った。連日時間があれば街を歩き調査を行っていた。このままでは犯人が捕まる前にバテてしまう。
その時知恵の携帯電話が鳴り出した。どこからだろうと画面を見ると玲子からだった。
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