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告白 1(司)

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ほんの少し数子から体を離し、可愛い顔を正面から見つめた。

「高校の頃の話をする前に、まず子供の頃のことから話そうかな。エピソード0みたいな感じで」

軽い口調でさらっと言うと、数子は、うん、と小さく頷いた。
さっきより表情が硬くなったように見えるのは、気のせいだろうか? それとも以前俺が話した生い立ちの事を、思い浮かべたからだろうか?

これから話そうとしているのは、あの時より重い話だ。また数子を泣かせてしまうかも知れないな……。
心の中で嘆息しながらも、俺はそ知らぬふりで口を開いた。

「俺、三歳くらいからの記憶が断片的にあるんだけど、大切にされた事とか、楽しい思い出ってあんまり無いんだ。周りの大人は俺には無関心だったり、邪魔にしたりが多かったから」

数子の顔がにわかに曇る。
束の間の沈黙の後、「お母さんは…どうだったの?」と遠慮がちな呟きが零れた。

「俺の母親?」

思わず鼻先で笑ってしまった。
数子に聞かれる前から脳裏にチラついていた影が、弱い疼きを撒きながら映像となって胸の奥を駆け巡り始める。

「俺の事はほったらかしだったよ。でも感謝はしてる。人気ホステスで途中からは自分のクラブみせ持って、金は欲しいだけくれたし、私大の医学部の学費もポンと出してくれたしね。母性は乏しいけど商才はあるみたいで、今は芦屋で不動産屋の女社長してるよ」

母親にとって俺は、とっかえひっかえ入れ替わる男より、ある意味軽い存在だった。

「あの人、俺が小学校に入る前は、朝から夕方まで保育園、夕方から深夜までは託児所に預けっぱなしだった。休みの日も、お母さんは大事な用事があるから良い子にしてなさいねって言って、菓子パン置いて男と出かけて夜遅くに帰ってくる、そんな感じだった」

悲しそうな瞳が俺を見つめ、柔らかな白い手が、俺の右手にそっと重なる。
数子の手は、本当に温かい……。

「寂しかったでしょう?」

細い声に、曖昧に口元だけで微笑すると、
「当たり前のこと聞いてごめんなさい。でも、お母さんに置いて行かれる寂しさは、私もよく知ってるから……。私の場合は大きくなってからだけど……」

労わるような優しい声音が、温かな雨のように心の奥を潤してゆく。
数子に理解された事が、じんわり嬉しかった。

「寂しかったのは事実だよ。何度か行かないでって言ったけど、最初は優しく宥めてくれても、俺がごねるとみるみる機嫌が悪くなるんだ」

『あんたホント面倒くさい!』
うんざりした表情と冷たい言葉が、フラッシュバックする。

「あの人の態度から、ああ、お母さんは俺といても楽しくないし、外で待ってるおじさんの方が好きなんだって感じて悲しかったよ。子供って、大人が思うよりもはるかに繊細だし、色々分かってるんだよな……。疎まれるのが辛いから、俺はそのうち母親を引き止めなくなった」

『司が良い子で助かるわぁ』
嬉しそうに男と出かけて行ったあの人は、俺がどうしてるかなんて、きっと気にも留めなかっただろう。

「家にいてもつまらないから一人でふらっと公園に行くと、俺と同い年くらいの子たちは、お父さんかお母さんが一緒に来てて、友達同士で楽しそうに遊んでて羨ましかったよ……。俺がその子達と喧嘩になっても、相手の親は、自分の子が悪いって薄々気付いてるくせに、何とかして庇うんだ」

『ろくな躾もされてないくせに、うちの子にかかわるな』
あの人たちはの目は、そんな風に言っているように見えた。

「悲しかったし悔しかった。でも何より、守ってもらえるその子達が羨ましくてならなかった」

数子は小さく頷きながら、俺の話を黙って聞いてくれている。
そんなに悲しそうな顔するなよ……って、させてるのは俺だな。

「あのころの俺の夢は、一度で良いから休みの日に、母親が一緒に公園へ行ってくれることだった。それが無理なら、夕方公園に迎えに来てくれるだけでも良かったんだけど、結局叶わなかった」

日の暮れかかった公園で一人ぼっちでブランコに乗って、来ないって分かってる母親を、それでももしかしたらって何度も待ってた。
日が暮れてしょんぼりしながらとぼとぼ歩いて、宵闇より暗いアパートの部屋に帰ったっけ。
子供心にも酷く惨めだった。

「俺さぁ、十二歳の時に母親の日記こっそり読んで知ったんだけど……」

俺は脈絡のない話を口にし、いったん言葉を飲み込んだ。一度嘆息しゆっくりと口を開く。

「母親は俺を堕ろすつもりで、手術の日にちも決まってたんだ。それを知らずに俺の父親と奥さんが、堕ろせって迫ったから、意地はって産んだにすぎない。皮肉なもんだよな。つまり俺が生まれてくる事を望んだ人は、だぁれもいなかったってわけだ」

黒真珠のような瞳が揺れる。悲痛が色濃く滲み、今にも涙が溢れそうだ。
ごめん、と心の中で呟きながら、俺は柔らかな頬に片手でそっと触れ、「それで」と言葉を繋いだ。

「幼少期の愛情不足によるものか、胎内記憶が原因なのかは分からないけど、俺、もの心ついた頃から、生まれて来てごめんなさいって思う気持ちが、常に心の隅にあったんだ。母親に対して、あと漠然と世間に対して。もちろん今はそんなこと思ってないけど」

これは誰にも言った事がない。
数子は、えっと吐息だけの声を漏らした。

「長々前置きして何を言いたいかっていうと、俺は幼いころからかなり自己評価が低かったってことかな」

そう言って皮肉な笑みを浮かべた刹那、数子は行き成り俺の胸に飛び込んできて、全身で俺を抱き締めた。
ダムが崩れ落ちたかのように涙を迸らせ、はなをすすりながらしゃくり上げている。
「辛かったでしょう」とか「ずっと一緒」とか「大好きだから」とか辛うじて聞き取れる言葉が、胸と耳に優しく響く。
愛おしくてたまらず、折れるくらい強く抱きしめ返した。

落ち着いてきた数子の肩に触れ、二人の間に握りこぶしがゆったり入るくらいの間隔をとり名前を呼ぶと、数子は涙に濡れた顔を、ゆるりと上向かせる。

「数子、俺の服で涙と鼻水拭くなよ」

揶揄うように言って口の端を上向かせれば、数子は「なっ」と声を漏らし、またぎゅっと抱きついて、これでもかというくらい俺の胸に顔を押し付けてくる。

『俺の方が好きだよ……』

おめでたい奴が口にするものと思っていた台詞を、俺はごく自然に心の中で呟きながら、数子の髪にそっとキスを落とした。


そして、抱擁の甘い余韻を引きずりながら、俺はまた昔話を語り始めた。

「小学校は二年生から不登校で引きこもり、中学時代はその反動か、悪い仲間とつるんで繁華街で遊びまわったり派手に喧嘩したりして、しょっちゅう補導されてたな……。高一の時も似たようなものだった。で、二年になる直前の春休みに、俺はゲーセンで仲良くなった五、六歳年上の男に誘われて、ヤクザの事務所に出入りするようになったんだ」

ヤクザと聞いて数子は小さく息を飲んだ。当たり前だな……。

「ヤクザは俺をすごく可愛がってくれたよ。組の構成員にしようって下心があるのは見え見えだったけど、別に俺はそれでも良いと思ってた。どうせ俺なんて、他の誰からも必要とされないんだしって」



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