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閑話 後輩医師 森田の呟き
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日付が変わる少し前に、病院から赤紙(電話)が来た。
僕(森田)はまさに寝ようとした時で、同期の井上は、彼女とお楽しみの真っ最中だったそうだ。
「これから開腹止血術を始めます。手術時間は…三時間で終わらせたいなぁ。輸血は八単位準備してありますが、足りなくなるようならまた頼みます。では皆さん宜しくお願いします。…………メス」
鈴田先生はそう言って、創(きず)の上に一気にメスを走らせ開腹した。
予想通りお腹の中は、血の海だ。
「森田、ここ広げて視野作ってくれ。井上、吸引よろしく」
僕と井上に指示を出しつつ、鈴田先生の手は休む事なく繊細に動き続けている。
「あった……やっぱりここだ」
開腹から僅か数分で出血部位が確認出来た。
さすがとしか言いようがない。
僕と井上だけでなく、麻酔科の久慈先生もオペ室ナース達も、その早さに皆一瞬時間が止まったかのように、目を見開いた。
「おいおい教授、目ぇ、ちゃんと見えてんのかぁ? 縫い方ザツ過ぎんだろう……。帰って来たら、眼鏡変えろって言わなきゃな……。ったく、へったくそなくせに手術が好きでやりたがるから、色んな意味でいい迷惑だ」
軽口をたたくような鈴田先生の言葉に、思わず吹き出してしまった。
ナース達は下を向いて、久慈先生は横を向いて笑っている。
持って生まれたキャラクターとカリスマ性で、この人は何を言っても不思議と嫌らしくないし、憎まれないし許される。
教授が戻って来たら、ホントに『眼鏡変えろ』的な事、ズバッと言っちゃうんだろうなぁ……。
そんな事を言えるのはこの人くらいだ。
「先生、相変わらず言いますね……。大丈夫ですか?」
なぁんて言いながら井上も、くくくと喉を鳴らして笑っている。
うちの教授の手術下手は、公然の秘密だ。
「何の問題も無い。俺は患者が助かればそれで良い……って事で、さあ一気にいくぞ、縫合糸」
器械出しのナースに指示を出し、持針器を持った鈴田先生の手はさらに加速した。
ほころびた血管が、あっという間に修復されていく。
やっぱり上手い……
鈴田先生の手術は、精緻なうえに早い。
この人のようになりたいと、僕は一緒に手術に入る度に思う。
オペが始まり二時間半近く経った頃、手術室の電話が鳴った。
電話に出たナースの小暮さんが、少し大きな声で用件を伝える。
「鈴田先生、外科の当直医からで、外来に大動脈解離の患者がいるそうで、手術が可能か確認したいそうです」
「おっと今夜は血管祭りだな……」
独り言のように言いながら、鈴田先生は壁の時計を確認した。
「あと十五分で手術終わるから、斎藤先生に可能だって伝えて」
「分かりました」
「今夜は寝られませんね……」
嘆息し、諦めたように言う久慈先生(男性)。
「朝まで寝かせませんよ~、俺が満足するまでしっかり付き合ってもらいますからね」
鈴田先生はオペをしている手元を見つめたままサラッと言い、その場にいる誰もが小さく吹き出した。
言う人によっては、とてつもなく下品で不快に聞こえる冗談だが、先生が言うとカッコ良く聞こえるから不思議だ。正直羨ましい。
その後の大動脈解離の手術が終わった時には、時計の針は七時四十五分を指していた。
大変な夜だったが、勉強になったし心地良い疲労感だ。
「お疲れさま。お先に」
鈴田先生は手術後真っ先にオペ室を出た。
先生、八時半から当直だもんな……。
「鈴田先生、相変わらずカッコいいな~。あの顔であの身長で、頭も切れるし仕事も出来る。天は二物を与えずって、あれゼッタイ嘘だよな」
井上の溜め息交じりの声を聞きつつ、ナース達はくすくす笑いながら手際良く片付けをしている。
「僕は、天は二物を与えてないけど、盗むヤツがいるんだと思う事にしてる。そうでも考えないと、ああいう完璧な人を見ると、やってらんないよ~」
「変わった性癖で悩んでるとか、派手に女の子に振られて、あたふたしたりしてくれないかなぁ」
愛ある冗談を言いながら、井上は大あくびをした。
「ヤバい、眠すぎて脳ミソ膿んでるから、このまま運転したら事故りそうだ。帰る前に缶コーヒーでも飲もうかな……」
独り言のように零れ落ちた言葉に乗っかる。
「僕もそうしよ……」
僕と井上はあくびをしつつ、ジュースじゃんけんしながらオペ室を出た。
僕(森田)はまさに寝ようとした時で、同期の井上は、彼女とお楽しみの真っ最中だったそうだ。
「これから開腹止血術を始めます。手術時間は…三時間で終わらせたいなぁ。輸血は八単位準備してありますが、足りなくなるようならまた頼みます。では皆さん宜しくお願いします。…………メス」
鈴田先生はそう言って、創(きず)の上に一気にメスを走らせ開腹した。
予想通りお腹の中は、血の海だ。
「森田、ここ広げて視野作ってくれ。井上、吸引よろしく」
僕と井上に指示を出しつつ、鈴田先生の手は休む事なく繊細に動き続けている。
「あった……やっぱりここだ」
開腹から僅か数分で出血部位が確認出来た。
さすがとしか言いようがない。
僕と井上だけでなく、麻酔科の久慈先生もオペ室ナース達も、その早さに皆一瞬時間が止まったかのように、目を見開いた。
「おいおい教授、目ぇ、ちゃんと見えてんのかぁ? 縫い方ザツ過ぎんだろう……。帰って来たら、眼鏡変えろって言わなきゃな……。ったく、へったくそなくせに手術が好きでやりたがるから、色んな意味でいい迷惑だ」
軽口をたたくような鈴田先生の言葉に、思わず吹き出してしまった。
ナース達は下を向いて、久慈先生は横を向いて笑っている。
持って生まれたキャラクターとカリスマ性で、この人は何を言っても不思議と嫌らしくないし、憎まれないし許される。
教授が戻って来たら、ホントに『眼鏡変えろ』的な事、ズバッと言っちゃうんだろうなぁ……。
そんな事を言えるのはこの人くらいだ。
「先生、相変わらず言いますね……。大丈夫ですか?」
なぁんて言いながら井上も、くくくと喉を鳴らして笑っている。
うちの教授の手術下手は、公然の秘密だ。
「何の問題も無い。俺は患者が助かればそれで良い……って事で、さあ一気にいくぞ、縫合糸」
器械出しのナースに指示を出し、持針器を持った鈴田先生の手はさらに加速した。
ほころびた血管が、あっという間に修復されていく。
やっぱり上手い……
鈴田先生の手術は、精緻なうえに早い。
この人のようになりたいと、僕は一緒に手術に入る度に思う。
オペが始まり二時間半近く経った頃、手術室の電話が鳴った。
電話に出たナースの小暮さんが、少し大きな声で用件を伝える。
「鈴田先生、外科の当直医からで、外来に大動脈解離の患者がいるそうで、手術が可能か確認したいそうです」
「おっと今夜は血管祭りだな……」
独り言のように言いながら、鈴田先生は壁の時計を確認した。
「あと十五分で手術終わるから、斎藤先生に可能だって伝えて」
「分かりました」
「今夜は寝られませんね……」
嘆息し、諦めたように言う久慈先生(男性)。
「朝まで寝かせませんよ~、俺が満足するまでしっかり付き合ってもらいますからね」
鈴田先生はオペをしている手元を見つめたままサラッと言い、その場にいる誰もが小さく吹き出した。
言う人によっては、とてつもなく下品で不快に聞こえる冗談だが、先生が言うとカッコ良く聞こえるから不思議だ。正直羨ましい。
その後の大動脈解離の手術が終わった時には、時計の針は七時四十五分を指していた。
大変な夜だったが、勉強になったし心地良い疲労感だ。
「お疲れさま。お先に」
鈴田先生は手術後真っ先にオペ室を出た。
先生、八時半から当直だもんな……。
「鈴田先生、相変わらずカッコいいな~。あの顔であの身長で、頭も切れるし仕事も出来る。天は二物を与えずって、あれゼッタイ嘘だよな」
井上の溜め息交じりの声を聞きつつ、ナース達はくすくす笑いながら手際良く片付けをしている。
「僕は、天は二物を与えてないけど、盗むヤツがいるんだと思う事にしてる。そうでも考えないと、ああいう完璧な人を見ると、やってらんないよ~」
「変わった性癖で悩んでるとか、派手に女の子に振られて、あたふたしたりしてくれないかなぁ」
愛ある冗談を言いながら、井上は大あくびをした。
「ヤバい、眠すぎて脳ミソ膿んでるから、このまま運転したら事故りそうだ。帰る前に缶コーヒーでも飲もうかな……」
独り言のように零れ落ちた言葉に乗っかる。
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