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初ドライブ?(司)

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あの子(花音)が原因で、数子が振られたのだろう。

確かに美人だったが、公の場で他人を、数子の事を貶めた無神経さと傲慢さと底意地の悪さに腹が立った。
あの子のどこを好きになったのかは分からないが、あの彼氏も大馬鹿だ。

駐車場へ向かうエレベーターに乗りながら、繋いでいる手に力をこめた時、数子が静かに口を開いた。

「さっきは有り難うございました」

「ん? ああ、お前の為じゃないから。この俺様の事を、レンタル彼氏とかホストとか言いやがったから、言い返しただけだ」

「そうですか……。それでも嬉しかったです」

素直な眼差しと控えめな微笑みが、可愛く見える。
可憐て言葉は、多分こういう時に使うんだろう。

「数子、なに面白い顔して笑ってんだよ」

「な……ひどっ」

エレベーターの中には、俺の笑い声が響いていた。

数子の身長は百五十五センチくらいで、俺より三十センチほど低い。
彼女は太ってはいないが健康的に肉がついており、顔は、新雪のような肌にのった黒目がちな垂れ目が印象的だ。
全体的な容姿は、何処となく野暮ったく今風ではないし美人でも無いが、親しみやすく可愛らしい雰囲気だ。
それに、どこか庇護欲もそそられる。

結論を言えば、あか抜けない彼女の容姿が俺は結構好きらしい。

厚みのある唇は、驚くほどしっとりしていて柔らかかったし……。
昨日のキスを思い出し、我知らず笑みが零れた。



車の中で再度数子に要望を聞き、横浜までドライブする事に決まった。
いったん家に寄って着替えたいという事で、今車は海老沢家へ向かっている。

「そぅだ、先生にはさっき言ったけど、経過が良好だから、このまま何も起きなければ水曜日に退院出来るよ」

数子はぱぁっと表情を明るくし
「有り難うございます。良かった~」
と、声を弾ませた。

問題はここからだ。

「そう言えばさぁ、先生六十三だしメタボだし高血圧だろぅ? 『痛い目見たんだし良い機会だから、再来週あたり内科に二泊くらい入院してバッチリ健診受けたらどうですかぁ?』って聞いたんだけど、『嫌だ、必要ない!』って言うんだよね、まぁ俺はどっちでも良いんだけどさ……」

俺はハンドルを操作しながら、何でもない風を装って軽く言った。

『数子に心配を掛けたくないから、検査を受ける事も極力内緒にしたい』
と言うのが、先生の希望だ。

今回先生に受けてもらう精密検査のうち、大腸カメラやPET、造影MRI、MRCP等は通院で出来るが、ERCP(内視鏡的逆行性胆管膵管造影)は、消化器内科へ二泊は入院して貰わなければならず、検査内容は隠せても、何らかの検査を受ける事は隠せない。

だからあたかも数子自身が、先生の健診を望んだように仕向けたい。

頼む数子、食い付いてくれ……。

「まったくもうっお父さんたらっ! 私からも強く言いますね。今回みたいな事は懲り懲りですもの」

ぴぃんと張った心の糸が一気に緩む。

「かしこまり」
心の内を悟られないように、ハンドルを握りバックミラーを見るついでを装って、さらりと言った。

実際には消化器内科医へはもう話は通してあり、予定を組んでもらっている。
やむを得ないとは言え人を騙すのは、特に数子のようなお人好しを騙すのは、良い気分ではない。


「ああそう言えば、さっき中村さんご夫婦に(病院の)中庭で会ったよ」

「あ、そうですか」

少し驚きが混じった明るい声を聞きながら、信号待ちでブレーキを踏み、数子と視線を合わせた。

「奥さんの表情が活き活きしててびっくりした……。旦那さん、奥さんが何回も爪見ながら嬉しそうな顔するって、喜んでたよ。それにメイクもして貰ったって、数子に凄く感謝してた」

言いながら老夫婦の笑顔を思い出し、思わず笑みが零れた。

数子は頭を左右に振って、
「そんな、私の方こそ喜んで貰えて嬉しいです……」と。

ふと気付けば俺は、恥かしそうな、それでいて輝くような笑顔をじぃっと見つめていた。

「あ、そう言えば旦那さんに、マニキュアの塗り方と模様の描き方を教えてあげたんですけど、初めてとは思えないほど上手だったんですよ」

数子が喜色を滲ませながら口にした言葉に、俺は吹き出しそうになったが、顔には出さず「ふぅん、そう」と相づちを打った。

「『上手ですよ』って褒めたら、照れちゃって凄~く可愛かったんです。道具揃えるっておっしゃってました。ふふふ」

「数子、良いこと教えてやるよ」

「何ですか?」

「あの中村さんなぁ、世界的に有名な日本画家だ」

「え゛っ!?」

「海外の王室やセレブ達にもあの人の絵のファンは多くて、中村栄次郎の絵を所有してるって事は、一種のステイタスらしいぞ」

数子は目を真ん丸にして、息を呑んだ。

「外国との大事な交渉の時に、あの爺さんの絵を相手にそっと渡した、なぁんて話も聞いた事がある。お前、世界の中村相手に『上手ですよ~』って、イイ度胸してんなー」

揶揄うような俺の声を聞きながら、数子はあんぐりと口を開いたままだ。

「おいアホ子、よだれと一緒にエクトプラズム出かかってるから、口閉じろ……」

程なくして信号が青に変わり、対向車線も含め六車線の車が一斉に走り出す。

「道理で凄く豪華な個室だと思ったんですよー! くぅぅ、そんな大事な情報、事前に教えといて下さいよー!!」 

数子の可愛らしい抗議の声に被せるように、雨粒がボンネットやフロントガラスを激しく叩き始めた。

「急に降り出したな」

「さっきまで凄くお天気良かったのに……」

あっという間にフロントガラスは鬱陶しいほどの雨に覆われ、視界が滲む。
ハンドルから片手を離し、ワイパーのレバーを操作した直後、
ふぁぁ……、車に乗ってからもう何度目かになるあくびが漏れた。

「鈴田先生、寝てないって言ってましたけど、大丈夫ですか?」

「運転はミスらないから安心しろ」

気遣いが滲む穏やかな声に、皮肉っぽく返事をした。
どうも数子が相手だと素直になれない。
いや、(海老沢)先生にもだな……。

「あ、いえ運転ミスを心配したんじゃないんです。睡眠不足は辛いでしょう? って言いたかっただけで……」

だんだん声が小さくなっていく。
数子は自分の言い方が、マズかったのだと誤解したようだ。

「冗談だよ、気遣ってくれたって分かってる。寝れないのは慣れてるから、大丈夫だ」

「大変ですね。昨日の夜も手術ですか?」

「いや、昨日は五時から当直のネーベンで…ああ、外病院での医者のバイトの事な」

その時また目の前の信号が赤に変わり、静かにブレーキを踏んだ。
どちらからともなく顔を合わせ、俺は言葉を繋いだ。

「夜中何台も救急車受け入れたから、殆ど寝れなくて。今日はネーベンの後、(大学)病院直行だったし」

数子の目がキラーん!

「雨も降ってきたから横浜は次のお楽しみにしませんか? 初デートは私の家に送って頂くまでって事にして、今日はお家に帰ってゆっくり休んで下さい」

ウキウキした声色で言って、にっこり。
いっけん天使の微笑み……く、黒いぞ。

「数子、タヌキのしっぽが見えてるぞ。そんな事言って俺から逃れようったてダメだ! ただ俺も正直死ぬ程眠いし、横浜ドライブ命がけ、地獄までの片道切符……なぁんてのは勘弁だから、初デートはお前の家の前で打ち切ってやる! って、こらっ嬉しそうな顔すんな!!」

「してませぇん……ちょっとだけしか……」

「おい、やっぱ嬉しいのかよっ! お前、家帰ったら即行着替えて出てこいっ! 俺んちで洗濯とか掃除とか小間使いとしてこき使ってやる! デートじゃなくて奉仕だ奉仕!!」

数子は鳩のように目を真ん丸に見開いて、置物のように固まった。

暫しの沈黙が流れ、数子は我に返ったように素っとん狂な声を出した。

「無理、無理、無理、ゼッタイ無理! 良く知らない男の人の家なんて、行けませんてー!!」

ダメよの意思をアピールするように、顎のあたりで手を高速でパタパタ振っている。

「あのなぁ数子、忘れてるみたいだから教えてやると、俺たちは結婚前提のカップル、フィアンセってやつだ」

「ふ、ふぃあんせぇぇ?」

迷惑風味たっぷりの間抜けな声を聞きながら、俺は少しがっかりしていた。

ちょっと困らせてやりたい、そんな気分になった。

「良く知らないって言うなら、お互いのホクロの位置まで知るために、お前んち着いたら即行押し倒して、あんあんひぃひぃ啼かせてやろーか!?」

いつにも増して意地悪な声を出す。

「す、鈴田先生、恥ずかしい事言わないでっ!!」

数子の雪のような肌が、椿のように真っ赤に染まった時、信号は青に変わった。

「おい茹でエビ、今日はノーセックスデーだから安心して俺んち来い」
喉の奥でくくくと笑いながらアクセルを踏み、悪びれもせず言えば、
数子は独り言のように、
「ノー残業デーみたいに爽やかな感じで言っても」ぶつぶつごにょごにょ

「嫌ならノンストップセックスデーでも、俺は構わないんだぞ!」

「な、私は構いますーーーーっ!!」

数子は素早く頭を左右に振った。

初々しくてちょっと可愛い……

それから程なくして車は海老沢家に到着、数子は中に入り十五分くらいで外に出てきた。

「鈴田先生、あの…お待たせしました」

少し緊張した面持ちで言いながら、おずおずと助手席に座る。

「司君だろう? さっきから間違えてばかりだぞ。今度ちゃんと言えなかったらお仕置きな」

俺はくすりと笑って数子の頭に口付け、彼女は驚いたような表情をして、恥かしそうに俯いた。
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