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プロローグ 

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とある木曜日、夜八時半 銀座のおしゃれなカフェ
店内は、若いカップルや幅広い年代の女性客でいっぱいだった。

丸の内の電子機器メーカーに勤める海老沢数子(えびさわかずこ 26)は、会社の同僚で人生初の彼氏 中沢優一郎(なかざわゆういちろう 30)に振られている真っ最中だ。
優一郎の隣には、新しい彼女が座っている。
3か月前の飲み会で会った時から、お互い意気投合し連絡を取り合うようになったそうだ。

「花音(かのん)といるとドキドキするし、色々気が合うんだ。数子の事が嫌いなわけじゃないけど、前みたいな気持ちになれない……。本当にごめん……、別れよう」

優一郎が頭を下げる。 
信じ切っていた大好きな彼氏に振られたショックが強すぎて、数子は目の前が真っ暗になり、他の席の客達がチラチラこちらを窺っている事すら、気付かなかった。

それに…
優一郎の新しい彼女は、数子の大学時代からの友人 谷口花音(たにぐちかのん 26)で、紹介したのは数子自身だ。友人に裏切られた事も悲し過ぎて信じられない。

花音はふんわりまろやかな印象の清楚な美人で、大学生の時はミスキャンパスに選ばれたこともある。
性格は明るく誰とでも直ぐに打ち解けられるので、男女問わず友達が多い。また、大学時代から彼氏が途絶えた事も無い。
数子も花音の事が好きだった。何でも話せる気の置けない友達だと思っていたから、花音の声や口調が男性の前では微妙に変化する事も、別に気にはならなかった。

「ごめんね数子。……でも、数子ならきっと分かってくれると思ったの」
(そんな言い方したら、分からなかったら私の方が悪いみたいに聞こえる)

「諦めようと思ったんだよ、本当に。でも、好きな気持ちはどうしようもないでしょう?」
(諦めようと思った? でも優君の色んな好み、それとなくずっと私から聞き出してたでしょう?)

「謝らなくていいよ、分かったから……」
並んだお似合いの二人がホッとしたような表情を見せる。

「私は友達だと思ってたけど、花音の方は違ってたって事だよね。言い繕ってるけど、結局どこまでも自分が可愛いだけでしょう?」
(悪あがきみたいな事言って、私カッコ悪い)

「ちがっ、私も友達だと思ってるよ。でも……」
「悪いのは全部俺だから、花音じゃなくて俺を責めれば良いだろう!?」
花音の言葉に被せるように、優一郎が割って入る。 

一年半前は好きだと告白してくれた唇が、今は数子を責めている。

(もう気持ちは無いんだね……。引き際は潔くしなきゃ余計みじめになる)
「分かりました。中沢さん、会社では今まで通りお互い普通に接するって事で。じゃ」
数子はいつものように『優君』とは呼ばなかった。

(絶対涙を見せちゃダメ!!!)
彼女はカフェラテ代をテーブルに置き、逃げるようにカフェを後にした。
皆楽しそうに見える人混みの中、胸の痛みを抱え涙を迸らせながら、タクシー乗り場まで一人歩いた。

(優君、大好きだったのに……。今だって)

優一郎は二年間のニューヨーク駐在を経て、二年前に帰国した。
彼は半導体事業部の東京半導体海外営業課、数子は東京半導体国内営業課に所属している。
半導体事業部自体は大阪本社にあり、二人は東京本社(二本社制)内では、エレクトロニクス材料営業部に所属する形である。

優一郎は百八十センチにやや足りないくらいの身長で、上品で優し気な顔立ちの美男。仕事は出来るのに物腰が柔らかく誰に対しても優しいので、当然のように彼を狙う女子社員は多かったが、一年半前優一郎は数子に交際を申し込んできた。

「異動して来てからずっと君を見てた。もし良かったら俺と付き合って欲しいんだけど……」
平凡な自分で良いのか戸惑ったけれど、数日後数子は交際をOKした。

初めてのデート、初めてのキス、初めての夜、色々な初めてを重ね優しい優一郎の人柄に触れるうち、数子は彼を愛するようになっていた。


しかし三か月前、花音から『数子の彼氏に会いたい! お互いの彼氏を交えて四人で飲もう』と提案され、承諾したのが運の尽き。
(なんであの時断らなかったんだろう……)

花音が初めて優一郎と会った時の感想は、
(やだっ、予想してたのと全然違う……なんで数子の彼氏がこんなにカッコ良いの!?)
だった。

(私の方が全然似合ってる……)
その後花音は公認会計士の彼氏と別れ、あらゆる手練手管をつかって優一郎をじわりじわりと落として行った。


数子は自宅に着くと風邪気味だからと父親に言って部屋にこもり、声を押し殺してこれでもかという程泣いた。





それは、数子が優一郎と別れて一ヶ月後の事だった。

深夜にけたたましくスマホの音が鳴り響く。

(アレ?)
数子は頭がうまく働かないながらも、反射的に人差し指をスライドさせた。
「お父さんどうしたの?」

「うううっ……数子、救急車…たのむ」

「お父さんっ!!!!!」
呻くような父親の声に、彼女は血相変えて階下に降りた。

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