12 / 16
12
しおりを挟む
日比さんは九時少し前にオペ室に入った。
すぐさま奏が麻酔の導入を行い、九時半前には手術ができる状態となった。
「ではこれから日比順子さんの手術を始めます。小腸穿孔及び腹膜炎に対し、小腸部分切除術、腹腔ドレナージを行います。手術時間は一時間を予定しています。皆さん、準備はよろしいですか?」
手術室に優しい低音が響き、そこにいる皆が頷きかける。
因みに今日の手術はギャラリーつきだ。滝川外科本部長と山本腫瘍外科部長が奏のすぐ後ろから、研修医の遠藤は前立ちの井上の横から立ち見している。奏の手術にかなり興味があるようで、慌てて回診を終わらせ手術着を着て駆け込んできた。
「ではよろしくお願いします」
奏は、前回の手術の創(きず)に沿って、さぁっとメスを走らせ、続いて電気メスで皮下組織を丁寧に切開し、あっという間に開腹がおわった。
「思ったより癒着してますねぇ」
彼はそう言いながらも忙しく動かすメス先に目を凝らし、腹壁にくっついた小腸をどんどん剥離していく。
そこにためらいは一切感じられない。
――― は、速いな……。
前立ちの井上と、背後霊のように奏の後ろにくっついて覗き込んでいる二人の部長は、心の中で呟いた。
「ねぇ桜木先生、どうして一気に開腹できたの? てっきり僕は、癒着が予想されるからもっと丁寧にやるんだろうなぁ、と思ってたんだけど」
奏より少し年上の相沢が、麻酔の位置から不思議そうに言った。
「あぁそれは、さっきのCTで、この場所の下には腸管がなかったですよね? だからこの場所は安全だと分かってましたから」
「そっかぁ、師匠勉強になります!」
奏の朗らかな声に反応する、おどけているけれど真面目な声が、緊張した空気の中にさざめきのような笑いを起こす。
その間も奏の手は同じリズムを刻んでおり、刹那「よし、癒着は剥がし終わった」と、歯切れの良い声がその場に響いた。
「えっ、もうかよ!?」
相沢は驚きの声を漏らした。
――― 確かに早い、それに正確だ……。
と、これは背後霊の二人。
「いや、本当に勉強になる……。遠藤もしっかり見ておけよ」
前立ちの井上はしみじみと言い、遠藤はカクカクと頷いた。
「そんな事ないですよ」奏はハハハと小さく笑い、「それより、やっぱり原因はこの小腸ですね」と、今度はいたって真剣な眼差しをして、骨盤腔で一塊になった小腸を指差した。引き続きお腹の中を凝視しながら、
「ここの腸管以外には、飛び散ったガンの影響はなさそうですね……。予定通り部分切除します。これで日比さんも、また食べられるようになるでしょう」
マスク越しなので全ての表情は分からないものの、周りにいるスタッフの目に、奏は微笑んでいるように見えた。
彼の手は休むことなく、骨盤腔の再発巣から小腸を丁寧に剥離し、腹腔外へと挙上する。
そして、癒着した腸管同士も剥離して、一直線の小腸に戻していった。
相沢は何気なく壁の大時計に目をやったが、直ぐに驚愕の声を上げる。
「ご、五分!? マジか!」
あまりの速さに驚くのも無理はない。
加えて奏のクーパーの刃先は、しなやかに優しく愛護的に動いており、それは見る者に穏やかに時が流れているように感じさせ、もっともっと長い時間が経ったように錯覚させたのだった。
「穴は、この二ヶ所ですね……。ここを含めた小腸を切離して吻合します」
「了解! 思ったより小腸の切除は少しですみそうだな」
「はい、僕もそう思います」
奏と前立ちの井上医師はテンポ良く言葉を交わし、同じタイミングでフッと顔を上げ、一瞬楽し気に視線を合わせた。
その後奏は、腸間膜を処理して小腸を切除、それから手縫いで小腸を吻合していった。
「あ、十時ですね」奏は時計にチラリと目をやって呟き、「あとは洗浄して、ドレーンを入れて終了です。なんとか約束は守れそうで良かった~。大見得切りましたけど、間に合わなかったらどうしよう、なんて思ってました」
軽口のように言って、ハハハと笑う。
「これだけの技術だ、謙遜することはないよ」
滝川本部長がぬっと横から顔を出し、感心したように言った。
「いえいえ、井上先生のお陰です。初めての相手の前立ちって、相手がどうやって執刀するのか普通戸惑うものですが、僕にすんなり合わせて下さったので、本当にやりやすかったです」
「やめろよぉ、俺はそんなお世辞にのるほど単純じゃないぞ」井上はまんざらでもない顔で言ってから、「ところで桜木君、今度焼肉でも行くか?」でへへと心の声が漏れてくるようだ。
「滅茶苦茶のっかってるし……」
と相沢が突っ込みを入れ、手術室にはみんなの笑い声が響いた。
その後、腹腔内を多量の生理食塩水で洗浄してドレーンを3本挿入、滞りなく手術は進み、十時半に閉腹が終わった。
「ありがとうございました。あとは僕がやっておきますので、皆さんは食道の手術に備えて下さい」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
と、井上と相沢。
「それにしても勿体ないなぁ、なんで外科医辞めたんだい? 女性問題か? 君カッコいいし、色んな女の子とナニして、何かやらかしちゃったのか?」
粗野で不躾な質問を投げかけたのは、山本腫瘍外科部長。
井上と相沢は吹き出し、それ以外の医師と看護師は目が点だ。ビックリな問題発言だが山本のキャラクターだろうか、不思議と不快感はない。
「い、いや、女の子とは何もありませんっ!」
「てことは、男とやっちゃったのか!?」
「そぅじゃなくて、僕は単純に緩和とやりたぃって違うっ! 緩和がやりたいんです!」
手術室には奏の慌てた声が響き渡った。
すぐさま奏が麻酔の導入を行い、九時半前には手術ができる状態となった。
「ではこれから日比順子さんの手術を始めます。小腸穿孔及び腹膜炎に対し、小腸部分切除術、腹腔ドレナージを行います。手術時間は一時間を予定しています。皆さん、準備はよろしいですか?」
手術室に優しい低音が響き、そこにいる皆が頷きかける。
因みに今日の手術はギャラリーつきだ。滝川外科本部長と山本腫瘍外科部長が奏のすぐ後ろから、研修医の遠藤は前立ちの井上の横から立ち見している。奏の手術にかなり興味があるようで、慌てて回診を終わらせ手術着を着て駆け込んできた。
「ではよろしくお願いします」
奏は、前回の手術の創(きず)に沿って、さぁっとメスを走らせ、続いて電気メスで皮下組織を丁寧に切開し、あっという間に開腹がおわった。
「思ったより癒着してますねぇ」
彼はそう言いながらも忙しく動かすメス先に目を凝らし、腹壁にくっついた小腸をどんどん剥離していく。
そこにためらいは一切感じられない。
――― は、速いな……。
前立ちの井上と、背後霊のように奏の後ろにくっついて覗き込んでいる二人の部長は、心の中で呟いた。
「ねぇ桜木先生、どうして一気に開腹できたの? てっきり僕は、癒着が予想されるからもっと丁寧にやるんだろうなぁ、と思ってたんだけど」
奏より少し年上の相沢が、麻酔の位置から不思議そうに言った。
「あぁそれは、さっきのCTで、この場所の下には腸管がなかったですよね? だからこの場所は安全だと分かってましたから」
「そっかぁ、師匠勉強になります!」
奏の朗らかな声に反応する、おどけているけれど真面目な声が、緊張した空気の中にさざめきのような笑いを起こす。
その間も奏の手は同じリズムを刻んでおり、刹那「よし、癒着は剥がし終わった」と、歯切れの良い声がその場に響いた。
「えっ、もうかよ!?」
相沢は驚きの声を漏らした。
――― 確かに早い、それに正確だ……。
と、これは背後霊の二人。
「いや、本当に勉強になる……。遠藤もしっかり見ておけよ」
前立ちの井上はしみじみと言い、遠藤はカクカクと頷いた。
「そんな事ないですよ」奏はハハハと小さく笑い、「それより、やっぱり原因はこの小腸ですね」と、今度はいたって真剣な眼差しをして、骨盤腔で一塊になった小腸を指差した。引き続きお腹の中を凝視しながら、
「ここの腸管以外には、飛び散ったガンの影響はなさそうですね……。予定通り部分切除します。これで日比さんも、また食べられるようになるでしょう」
マスク越しなので全ての表情は分からないものの、周りにいるスタッフの目に、奏は微笑んでいるように見えた。
彼の手は休むことなく、骨盤腔の再発巣から小腸を丁寧に剥離し、腹腔外へと挙上する。
そして、癒着した腸管同士も剥離して、一直線の小腸に戻していった。
相沢は何気なく壁の大時計に目をやったが、直ぐに驚愕の声を上げる。
「ご、五分!? マジか!」
あまりの速さに驚くのも無理はない。
加えて奏のクーパーの刃先は、しなやかに優しく愛護的に動いており、それは見る者に穏やかに時が流れているように感じさせ、もっともっと長い時間が経ったように錯覚させたのだった。
「穴は、この二ヶ所ですね……。ここを含めた小腸を切離して吻合します」
「了解! 思ったより小腸の切除は少しですみそうだな」
「はい、僕もそう思います」
奏と前立ちの井上医師はテンポ良く言葉を交わし、同じタイミングでフッと顔を上げ、一瞬楽し気に視線を合わせた。
その後奏は、腸間膜を処理して小腸を切除、それから手縫いで小腸を吻合していった。
「あ、十時ですね」奏は時計にチラリと目をやって呟き、「あとは洗浄して、ドレーンを入れて終了です。なんとか約束は守れそうで良かった~。大見得切りましたけど、間に合わなかったらどうしよう、なんて思ってました」
軽口のように言って、ハハハと笑う。
「これだけの技術だ、謙遜することはないよ」
滝川本部長がぬっと横から顔を出し、感心したように言った。
「いえいえ、井上先生のお陰です。初めての相手の前立ちって、相手がどうやって執刀するのか普通戸惑うものですが、僕にすんなり合わせて下さったので、本当にやりやすかったです」
「やめろよぉ、俺はそんなお世辞にのるほど単純じゃないぞ」井上はまんざらでもない顔で言ってから、「ところで桜木君、今度焼肉でも行くか?」でへへと心の声が漏れてくるようだ。
「滅茶苦茶のっかってるし……」
と相沢が突っ込みを入れ、手術室にはみんなの笑い声が響いた。
その後、腹腔内を多量の生理食塩水で洗浄してドレーンを3本挿入、滞りなく手術は進み、十時半に閉腹が終わった。
「ありがとうございました。あとは僕がやっておきますので、皆さんは食道の手術に備えて下さい」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
と、井上と相沢。
「それにしても勿体ないなぁ、なんで外科医辞めたんだい? 女性問題か? 君カッコいいし、色んな女の子とナニして、何かやらかしちゃったのか?」
粗野で不躾な質問を投げかけたのは、山本腫瘍外科部長。
井上と相沢は吹き出し、それ以外の医師と看護師は目が点だ。ビックリな問題発言だが山本のキャラクターだろうか、不思議と不快感はない。
「い、いや、女の子とは何もありませんっ!」
「てことは、男とやっちゃったのか!?」
「そぅじゃなくて、僕は単純に緩和とやりたぃって違うっ! 緩和がやりたいんです!」
手術室には奏の慌てた声が響き渡った。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
平凡OLとイケメンドクター
紅牡丹
恋愛
「花音(かのん)といるとドキドキするし、色々気が合うんだ。数子の事が嫌いなわけじゃないけど、前みたいな気持ちになれない…………」
26歳の平凡&地味OL数子(かずこ)は、ハイスペックな彼から、ある日突然別れを告げられる。
その1ヶ月後、父親が深刻な病で入院&緊急手術。
担当医は、俳優並みのルックスを持つ鈴田司(すずたつかさ 33)なのだが……。
*3/1~再公開
大幅改稿しました。
流れは同じですが、『横浜デート』等、非公開前は無かったエピソードを追加しました。
もし宜しければお読みください♪
予告なしに微調整しています。大筋は変わりません。
この物語はフィクションです。
秘密部 〜人々のひみつ〜
ベアりんぐ
ライト文芸
ただひたすらに過ぎてゆく日常の中で、ある出会いが、ある言葉が、いままで見てきた世界を、変えることがある。ある日一つのミスから生まれた出会いから、変な部活動に入ることになり?………ただ漠然と生きていた高校生、相葉真也の「普通」の日常が変わっていく!!非日常系日常物語、開幕です。
01
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
ボイス~常識外れの三人~
Yamato
ライト文芸
29歳の山咲 伸一と30歳の下田 晴美と同級生の尾美 悦子
会社の社員とアルバイト。
北海道の田舎から上京した伸一。
東京生まれで中小企業の社長の娘 晴美。
同じく東京生まれで美人で、スタイルのよい悦子。
伸一は、甲斐性持ち男気溢れる凡庸な風貌。
晴美は、派手で美しい外見で勝気。
悦子はモデルのような顔とスタイルで、遊んでる男は多数いる。
伸一の勤める会社にアルバイトとして入ってきた二人。
晴美は伸一と東京駅でケンカした相手。
最悪な出会いで嫌悪感しかなかった。
しかし、友人の尾美 悦子は伸一に興味を抱く。
それまで遊んでいた悦子は、伸一によって初めて自分が求めていた男性だと知りのめり込む。
一方で、晴美は遊び人である影山 時弘に引っ掛かり、身体だけでなく心もボロボロにされた。
悦子は、晴美をなんとか救おうと試みるが時弘の巧みな話術で挫折する。
伸一の手助けを借りて、なんとか引き離したが晴美は今度は伸一に心を寄せるようになる。
それを知った悦子は晴美と敵対するようになり、伸一の傍を離れないようになった。
絶対に譲らない二人。しかし、どこかで悲しむ心もあった。
どちらかに決めてほしい二人の問い詰めに、伸一は人を愛せない過去の事情により答えられないと話す。
それを知った悦子は驚きの提案を二人にする。
三人の想いはどうなるのか?
いつか『幸せ』になる!
峠 凪
ライト文芸
ある日仲良し4人組の女の子達が異世界に勇者や聖女、賢者として国を守る為に呼ばれた。4人の内3人は勇者といった称号を持っていたが、1人は何もなく、代わりに『魔』属性を含む魔法が使えた。その国、否、世界では『魔』は魔王等の人に害をなすとされる者達のみが使える属性だった。
基本、『魔』属性を持つ女の子視点です。
※過激な表現を入れる予定です。苦手な方は注意して下さい。
暫く更新が不定期になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる