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インディア~親蜜の香り~その一章

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英国人副操縦士とインド人客室乗務員との恋

前書き
数年前に書きあげた女性向け官能小説です。当時褐色の肌の女性に萌えていました。
真面目に九十年代の英国事情とインド事情を調べました(主に図書館で)
でも今のようにニュースが入ってくることは無く…現実と食い違っていてもそこはそれ、褐色肌とエキゾチック美女と職業萌えということで、宜しくお願いいたします。
小説

intimateiy for a English pilot & a India stewardess.

◆アーリア人……(もと「高貴な」を意味する梵語)インド・ヨーロッパ語族の人々の総称。特にインド・イラン語族派に属する人が自らをアーリアと称した。
◆アングロ・サクソン……ゲルマン民族の一。今日のイギリス国民の根幹をなす。頭髪は主としてブロンド。またイギリス国民ないし英語を話す国民の意にも用いる。
◆カースト……(ポルトガル語casta血統の意)インドに見られる社会集団。儀礼的な観念から序列づけられており、各集団間は通婚・食事などに関して厳しい規制があるが、現在は弱まりつつある。二千以上の数があり、多くの場合、世襲制職業を持ち相互に分業関係を結ぶ。インドではジャーティ(生まれの意)という。
◆ニューデリー……インドの首都。
◆ヒンドゥー……①ヒンドゥー教徒。②インド人。
広辞苑


◆シュードラ……ヒンドゥー教のカーストにおける、上位カーストであるバラモン(僧侶)、クシャトリナ(戦士)、ヴァイシャ(商人)の三カーストに仕えることを定められた隷属カースト。一般カースト。
◆ダリット……シュードラの下に置かれ、触るのも汚らわしいといわれる最低カースト民総称。不可触民。アウトカースト。アンタッチャブル。インドでは隷属カーストとダリットが総国民の八十五%を占めるといわれる。


序章

 昨今インドの経済発展は目覚ましく、首都ニューデリーはその最先端に位置していた。正に欧州風の大都市として様相を変え、「汚いインド」からは一線を画すようになった。
 しかし、デリー北西部にあるアンドベーカル国際空港周辺は、岩棚が見え隠れする荒野が広がり、この地に降り立った人間の眼を先ず風景で圧巻する。一帯には街灯が一つもなく、闇が深さを増して迫る。そして空港からも見渡す限り、闇の中に蠢く陰がある。牛、そして数え切れない路上生活者たちの姿が、此処を訪れる外国人の表情を一際強張らせる。
 この暗部と貧しさ混然一体の有様が、インドの第一印象であろう。
 ある英国人副操縦士――金髪碧眼のアングロ・サクソンの男が、故国ロンドンからニューデリーのアンドベーカル空港に降り立ったのは、盛夏の事だった。
 ロンドンからインドのニューデリーへの夜間飛行に嫌気が差した同僚のフライトを、インド・ヨーロッパ路線の運転資格を持っていた彼が同情心から操縦を交換してやったのである。
 彼自身、インドへのフライトを体験したのは初めてのことだった。
 英国に本拠を持つ飛行機会社が利用するアンベードカル空港はそれなりの規模で、一般旅客機だけでなくジャンボジェット機を受け容れられる。しかし英国から飛ぶこの飛行機はビジネスクラスが一般の小規模の飛行が売りである。この近辺に別荘を持つ富裕階級が自家用機がないときに偶に利用する以外は、ニューデリーのITビジネスに関わるビジネスマンか、里帰りのインド人が大半を占める。
 この副操縦士がインドに降り立ったのは昼間であったため、気楽に空の船を降りた。しかし待機のホテルに向かおうとした所、情けないことにショック症状を生じてしまったのである。
 彼が、暑さと時差ぼけに侵食されてふらふらしている時、子供たちに銭を強請られ、靴に汚物を投げ付けられ――靴磨きの児童労働者たちはそうして磨く必要を作る。くそ、ロンドンじゃ此処まであからさまじゃないぞ!――行く手を阻まれる。癇癪を起こしそうになっていた彼を見かねたのか、ある若い、しかし大人の女性が空港から出て来て、子供たちに話し掛け、小銭を渡し、彼を空港内に連れ戻してくれた。
 まるで魔法だった。痩せこけた子供たちは、彼に対しては妄執的な付き纏い方だったのに、その女が話し掛け、幾許かの小銭を与えると天使の笑顔を見せて、遠ざかっていった。
「ありがとう」
「マイ・プレジャー(どういたしまして)」
 流暢で丁寧な英語だった。
 女の漆黒の瞳の周りは濃いアイライナーで隈取られ、彼女の瞳はエジプトの壁画に描かれた直毛のファラオそっくりだった。耳、鼻に青いピアスを着け、手首にも足首にも金色の腕輪、足輪が幾重にも連なっている。腰までも伸ばした長い黒髪を一つに結んで編み込んで輪にしており、彼女は何処から見ても生粋のインド人である。
「ご気分は大丈夫ですか?」
「ああ、うん、治ったみたいだ」
 本気だった。熱中症のためか気分はまだ悪かったが、吐き気は引っ込んでいる。これは治ったといっても良いはずだ。
「良かったですわ」
 インド女性が滅多に見せない微笑に、彼は見惚れる。インドでは見知らぬ男に女は笑顔を見せない。また、上層カーストの人間は下層カーストの人間に微笑んではいけない。そういったタブーを彼は知らない。
 ――彼に分かったのは、彼女がとても美しくて、青いサリーが似合っていて、他のどのインド人よりも親切そうだ、ということくらいだった。が、彼女が両手を細い顎の辺りで合わせ、お辞儀をし、去ろうとした時、彼はらしくもなくその背に呼び掛けていた。
「待って、待ってくれ、君」
 振り向いた時、彼女は目を丸くし唇を薄く開く。驚いた表情はあどけなく、無防備だった。不思議そうに彼を見返し、癖なのか首を傾げる。男はそこで、英国人らしい礼儀正しさを取り戻す。
「申し遅れた、僕はリンゼイ・フォックス……エアライン航空の副パイロットなんだ」
「私はアーシャ・ナーラーヤムといいます、エアライン航空会社ニューデリー支局の客室乗務員です」
「良かったらコーヒーでも奢らせてくれないかな、お礼に」
 これは彼にとって、勇気を必要とする誘いだった。初対面の女をコーヒーに誘う。それは三回目のデートでベッドに誘うより難しい。
 だが、旅の恥は掻き捨て、という。
 もし今声を掛けなかったら、自分は悶々と悩み、新聞に投書することになっただろう。――九月十四日午後一時、アンベードカル空港で子供たちに囲まれている僕を助けてくれた青いサリーを着た美しいインド人女性、是非貴女とお話しがしてみたいのですが。
 快く承諾してくれたアーシャという女と共に、彼は空港近くの出店に立ち寄り、チャーイを二つ頼んだ。雨が上がった湿った空気に菫に香りが漂う。これは彼女がつけている香水らしい。いい匂いだ。リンゼイは自分の靴に投げつけられた汚物が気になりだし、下を向く。と、隣に彼女のすんなりした足が見えた。サンダルを履いている。
 サンダルは麻の紐で作られ、虹色に光る貝殻が装飾されていた。すんなりした足の爪は紫に塗られ、その足下には小さな水溜りがあった。彼女の裾から水と一緒に菫の香が滴り、向こうまで流れていく。
 アーシャという若い女は褐色の肌でインド女性が身に着けるサリーを着こなし、額にも飾りも付けていた。サリーは鮮やかな青色で、眉間を飾るビンディの色は緑である。目鼻立ちの彫りは深く、顎は細い。真ん中で分けられ纏められた髪の分け目に赤い粉の印はない。
 やった――独身だ!
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