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間抜けな旅人
しおりを挟む夕暮れ時、とある旅人が街道の宿場に差し掛かっていた。
谷の底にあるため、周りには岩ばかりで何もない街道である。
旅人は宿場を見つけ、ホッとすると同時に少し逡巡した。
旅人の行く先は長い。
休むことはもちろん大切だが、夜まではまだ時間がある。
ここで立ち止まっていいものかと。
迷いながらも旅人は宿場を通り過ぎようとした。
するとふと横から声がする。
「おいおい、どこへ行く」
旅人が気が付かなかったのは、声主のその小さな風貌と岩に同化した肌色のためであった。
俗に言うドワーフという種族の男が、呆れたように旅人に目線を送る。
「なんだ、急いでいるんだが」
「そうか、そのせいで命が縮まっても知らんぞ」
妙に何かを匂わせ気味なドワーフが気がかりで、旅人は話ぐらいはと聞くことにした。
「お前も旅人だろう?なら知っていて損はない話だ。
この辺りにはな、化け物が出るんだよ」
「化け物!」
その小さなドワーフによると、化け物の名前はブフワというらしかった。
ブフワ。
そんな名前は生まれて聞いたことがない。
創作詩人なのではないかと旅人はドワーフを疑念の目で見下ろした。
「待て待て、信じないのは勝手だがな、勝手に死なれちゃこちらも気分が悪いというもんだ」
そうしてドワーフは頼んでもいないのにブフワの特徴をペラペラと喋りだす。
ブフワというのは狡猾で頭のいい化け物だ。
暗い夜の道で傍から人の声を出し、誘い込む。
人肌恋しい人間がまんまと油断したところで、その大きな口で丸呑みするという。
そこまで聞いて旅人も少しはピンときた。
似たような話なら聞いたことがある。
「この辺りは殺風景で人通りも少ねえ。ブフワに襲われたらまず助からないだろうな」
「なるほど、それもそうだ。じゃあ今日はここで休むことにするよ」
旅人は空を見る。
もう日も沈みかかっている。
そのブフワとやらに怯えて戦々恐々と進むよりは、ここで疲れを癒した方が効果的だろう。
ドワーフの男はわかってくれたか、とニカっと笑った。
「俺はガダン。もう数十年もここらを旅して回ってんだ。旅先案内なら任せとけ」
「それは頼もしいな。
ところでここの宿はどうなんだ?」
見かけは今まで見た宿場と何ら変わりない。
むしろ水や食糧に不足し、困窮してそうなほどだ。
「まあ心配すんな。飯はうまいし風呂もある。
それになんと言っても女将が美人だ」
「それは素晴らしいな」
そんな会話をして男二人は宿場に入る。
旅人を出迎えたのはドワーフのガダンが言う通り、美人でスタイルのよい女性だった。
彼女は旅人を見るとフワッと微笑む。
旅人は旅をしているだけあって経験豊富だ。
しかしそれでもこの女将の微笑みにはイチコロであった。
「クックック、これは常連客が増えそうだな」
「うるさい」
旅人はガダンをキリっと睨むと、女将にデレーとした顔を見せる。旅人はいくらか正直な奴であった。
ガダンが太鼓判を押したように、やはり宿場の飯は美味かった。どうやらガダンが食材の斡旋も行っているようで、近場の名物が揃っている。
水も風呂が沸かせるほどには井戸が潤沢であった。
旅人はすっかり宿場を満喫していた。
常連客になるのも悪くはないと思ったほどだ。
さらに旅人が食事を終え、自分の部屋へ向かおうと廊下を歩いていると、女将が旅人の裾を引っ張る。
「ねぇ、今夜空いてるかい?」
女将が体に手を這わせてくると、旅人はゾクゾクともう有頂天であった。
ここは天国か。
旅人は随分とご無沙汰だったから、言い知れぬ高揚感に包まれる。
ガダンが案内してくれたことで宿場の代金も驚くほど安い。
それにも関わらずこの満足感。
変な意地を張らずに良かったと旅人は頷く。
部屋自体も悪いものではなかった。
多少の傷みは気になるも、気分良く寝れそうである。
さて、いい感じに夜が更けてくるまでどうしようかと旅人はベッドに腰を下ろす。
それが間違いであった。
旅人は旅人。
それまでの疲れという疲れがドッと押し寄せてすっかり眠ってしまったのである。
これまた気持ちの良い風呂と、美味い食事がさらに睡眠を深くしていく。
旅人が目覚めたのはすっかり夜も更けた深夜だった。
天気が良くないのか、月の光がなく、辺りは真っ暗である。
旅人は焦った。
時間はどれぐらい経ったか。
女将との約束はどうなったか。
取り返しのつかないことをしたと頭を抱える旅人は、しかし側においてあった紙に気がついた。
そこにはこう書いてある。
「向かいの蔵に来てくださいまし」
旅人は目を見開いた。
インクはまだ乾いていない。であればまだ間に合うはずだ。
ホッとする。
たまには蔵でというのも悪くない。
むしろその方が良いかもしれないな、と旅人は頷く。
外に出ると夜風は冷たかった。
部屋から持ってきた蝋燭の光以外にはほとんど何も見えないが、それもまた情緒があって旅人にとっては良いものだった。
宿場の向かいの蔵というのはすぐにわかった。
こじんまりしていて少し寂しいが、それも旅人の気分を掻き立てる。
しかし何故か蔵の鍵は閉まっていた。
旅人は首を傾げる。
もしかして待たせすぎたのだろうか。
そんな思いが頭をよぎったところで、かすかに声が聞こえた。
「旅人さん、こちらへ......」
声が聞こえたのは蔵の背後に広がる岩場だった。
なるほど、蔵ではなく岩場というのも悪くない。
久しぶりでそれだけ高揚しているのか旅人は楽観的に、岩場へと足を向ける。
「おい待て」
すると突然旅人の背後から声がした。
驚きのあまり蝋燭を落としそうになりながら、旅人は目を見開く。
その声は間違いなくガダンのものだった。
暗くてよくわからないが、そこにいるのだろう。
「なんだガダン、羨ましいのか?」
「馬鹿いえ、何かおかしいと思わないのか」
「おかしい?」
そう言われて旅人は考える。
確かにそう言われれば。
こんなに肌寒い夜に、わざわざ岩場に誘う理由は何なのだろうか。
改めて考えれば変な話だった。
「ブフワの話を忘れたか?」
「ブフワ?」
ああ、確か人の声を真似する化け物だったな。
もしかしてガダンはあの声がブフワのモノだと言いたいのだろうか。
そう考えたところで旅人の足は止まる。
そういえば先ほどから一回も女将の姿を見ていない。
「危ない所だったな。こっちだ。こっちにブフワが嫌う花がある」
そういうガダンの声は、スーッと遠くなっていく。
旅人はガダンに感謝した。
女将ではなくブフワとかいう化け物とだなんて冗談ではない。
旅人は胸を撫で下ろしてガダンの声へついていく。
暗くてよく見えないが、付いていった先は、宿場からそれなりに離れた場所だった。
チョロチョロと足元に小さな水の流れがあり、何か独特の匂いがする。蝋燭で足元を照らすと、花ではなく紫色の雑草があちこちに生えている。
足場も悪く、何やらここも見通しの悪い岩場のようだった。
谷にある街道であるから岩場が多いのかもしれない。
「おいガダン、どこにいるんだ?」
「ここだよここ、もっとこっちに来てくれ」
ガダンの声に従って、旅人はどんどんと近づいて行く。
そして同時に、月を隠していた雲が晴れていく。
ようやく顔を出した月の、その光が谷を照らした。
「良かったよ」
旅人の目の前には、ホッと安堵したように笑う何ら変わりないガダンの姿があった。
相変わらず小さく、引き締まった筋肉質の体が月の光を受けてよく見える。
旅人はゆっくりと頷いた。
「ああ、良かった。お前が間抜けな旅人で本当に良かった」
旅人は待ちきれないとばかりにその図体を大きく変形させ、目を見開いて硬直するドワーフを丸呑みにした。
「やっぱり久しぶりの食事は最高だな」
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