8 / 10
独占
しおりを挟む
部屋に入ってきた大澤さんは俺の顔を見るなり、
「病院は行った?」
と聞いた。
どいつもこいつも病院病院うるせえな。
最寄駅から電話をかけてきて、北口ですよね、と畳みかけられ、ボロいから驚かないで、と住所を言ってしまった。
ケンタを部屋に入れておいて、大澤さんは断るのか、と一瞬考えた結果なのだが、そんなことに公平を期してどうしようってんだ。頭がまともに働いていない。
俺が咳き込むと、大澤さんは、ああ、と声を上げた。
「横になって。この部屋、寒くないですか」
「エアコン壊れてます」
ベッドに座ったが、だるくてすぐ布団にもぐりこんだ。
「熱、下がったと言ってた割に、辛そうだ」
台所でコートを脱ぎかけた大澤さんは、寒かったらしくもう一度羽織る。こうして見るとケンタと背の高さが同じだった。ケンタの方が高いと思っていたが、彼は体が大きい。大澤さんはスーツだと細く見える。
彼は部屋に入ってきて、今朝ケンタが座ったのと同じ場所に膝をついた。
「川西さん、私の部屋に来ませんか」
そして手のひらを返して軽く俺の額に触れた。固い指の骨が当たり、生温かい指が何本か滑らかに押し付けられる。
「熱、まだあるじゃない」
「もう平気です」
目を閉じると、しばらくして手が離れた。
「お見舞いに来た人は、また来る?」
はっとして目を開けた。大澤さんは、俺をじっと見ていた。
「いろいろ持ってきてくれた人」
訳がわからず少し考えたが、台所にケンタがリュックから出した小さな袋が置いてあった。大澤さんは、ベッドの傍のビニール袋に視線を落とす。
「これもそうだ。看病してくれたんですね」
「友達が」
俺はそう言って、言ってから胸のあたりが重く沈み込む感覚に唇を噛みそうになる。大澤さんにはケンタのことを知られたくない。今朝、ケンタには大澤さんのことを打ち明けそうになったのに。しかし、もう知られたようなものだ。
友達が、と俺は小声で繰り返し、大澤さんは少し笑った。
「そんなに不安そうな顔しないで」
腕時計と結局今朝のまなかった薬の箱が目に入り、俺は咳き込んだ。
大澤さんは俺の肩を撫でて、枕元のティッシュを取ってくれる。咳がおさまると、布団ごと抱き寄せられた。
「かわいそうに」
冷えたコートの生地が頬に当たったが、彼の胸は温かく、いい匂いがした。
「とりあえず、私の家に来てください」
「それは、ちょっと」
「じゃあ病院行く?」
「いや」
「どうして」
彼が体を離すのと同時に、俺は彼の胸を押し返した。
「どうしてって、これまで一人でやってきたんで」
自分の言葉に驚き、同時に涙がこみ上げたが、もちろん泣きはしない。
布団の上から掴んだ俺の腕を離さないまま、大澤さんは深いため息をつき、しばらくしてから口を開いた。
「川西さん、あのね。私の母親は、風邪をひいて一人で寝ている時に突然亡くなったんですよ。そういうことはある」
俺が黙っていると、彼はもう一度息を吐き、立ち上がった。
「心配だから無理やり押しかけた。ここに一人で置いて帰る気はないので」
コートのポケットからスマホを取り出した彼を見て、俺は慌てて起き上がる。
「大澤さん」
「なに」
「俺に、そんなにしてもらう価値はないです」
彼は眉根を寄せて俺を見下ろした。
「意味不明だよ」
うっすらと苛立ちが滲む声だ。
「あなたに何かしてもらおうとは思ってない」
彼が目を伏せる様子はまるで悲しんでいるように見えて、俺は混乱する。大澤さんはやがて顔を上げた。
「ああでも、独占したいですよ、もちろんね」
「あの」
「今は、話さないでおこう。電話させて」
「価値という言葉の使い方は気になるな」
とタクシーの中で大澤さんはつぶやいたが、それ以上何も言わなかった。
窓の外の夜に浮かぶ灯りが、後ろへ後ろへ流れて消える。
家を出る前に「必要なら友達に連絡して」と言われて、俺は首を振った。ケンタはもう部屋には来ないだろう。次に会う時、と帰り際に話したが、もしかしたら連絡が取れなくなるかもしれないという予感がした。
それでも、どうしてももう一度会いたい。会って金返してお礼を言って謝りたい。
そう、風邪が治ったら、俺から連絡を取ろう。座席に沈み込んで目を閉じると、大澤さんがそっと手を握ってくれた。
「病院は行った?」
と聞いた。
どいつもこいつも病院病院うるせえな。
最寄駅から電話をかけてきて、北口ですよね、と畳みかけられ、ボロいから驚かないで、と住所を言ってしまった。
ケンタを部屋に入れておいて、大澤さんは断るのか、と一瞬考えた結果なのだが、そんなことに公平を期してどうしようってんだ。頭がまともに働いていない。
俺が咳き込むと、大澤さんは、ああ、と声を上げた。
「横になって。この部屋、寒くないですか」
「エアコン壊れてます」
ベッドに座ったが、だるくてすぐ布団にもぐりこんだ。
「熱、下がったと言ってた割に、辛そうだ」
台所でコートを脱ぎかけた大澤さんは、寒かったらしくもう一度羽織る。こうして見るとケンタと背の高さが同じだった。ケンタの方が高いと思っていたが、彼は体が大きい。大澤さんはスーツだと細く見える。
彼は部屋に入ってきて、今朝ケンタが座ったのと同じ場所に膝をついた。
「川西さん、私の部屋に来ませんか」
そして手のひらを返して軽く俺の額に触れた。固い指の骨が当たり、生温かい指が何本か滑らかに押し付けられる。
「熱、まだあるじゃない」
「もう平気です」
目を閉じると、しばらくして手が離れた。
「お見舞いに来た人は、また来る?」
はっとして目を開けた。大澤さんは、俺をじっと見ていた。
「いろいろ持ってきてくれた人」
訳がわからず少し考えたが、台所にケンタがリュックから出した小さな袋が置いてあった。大澤さんは、ベッドの傍のビニール袋に視線を落とす。
「これもそうだ。看病してくれたんですね」
「友達が」
俺はそう言って、言ってから胸のあたりが重く沈み込む感覚に唇を噛みそうになる。大澤さんにはケンタのことを知られたくない。今朝、ケンタには大澤さんのことを打ち明けそうになったのに。しかし、もう知られたようなものだ。
友達が、と俺は小声で繰り返し、大澤さんは少し笑った。
「そんなに不安そうな顔しないで」
腕時計と結局今朝のまなかった薬の箱が目に入り、俺は咳き込んだ。
大澤さんは俺の肩を撫でて、枕元のティッシュを取ってくれる。咳がおさまると、布団ごと抱き寄せられた。
「かわいそうに」
冷えたコートの生地が頬に当たったが、彼の胸は温かく、いい匂いがした。
「とりあえず、私の家に来てください」
「それは、ちょっと」
「じゃあ病院行く?」
「いや」
「どうして」
彼が体を離すのと同時に、俺は彼の胸を押し返した。
「どうしてって、これまで一人でやってきたんで」
自分の言葉に驚き、同時に涙がこみ上げたが、もちろん泣きはしない。
布団の上から掴んだ俺の腕を離さないまま、大澤さんは深いため息をつき、しばらくしてから口を開いた。
「川西さん、あのね。私の母親は、風邪をひいて一人で寝ている時に突然亡くなったんですよ。そういうことはある」
俺が黙っていると、彼はもう一度息を吐き、立ち上がった。
「心配だから無理やり押しかけた。ここに一人で置いて帰る気はないので」
コートのポケットからスマホを取り出した彼を見て、俺は慌てて起き上がる。
「大澤さん」
「なに」
「俺に、そんなにしてもらう価値はないです」
彼は眉根を寄せて俺を見下ろした。
「意味不明だよ」
うっすらと苛立ちが滲む声だ。
「あなたに何かしてもらおうとは思ってない」
彼が目を伏せる様子はまるで悲しんでいるように見えて、俺は混乱する。大澤さんはやがて顔を上げた。
「ああでも、独占したいですよ、もちろんね」
「あの」
「今は、話さないでおこう。電話させて」
「価値という言葉の使い方は気になるな」
とタクシーの中で大澤さんはつぶやいたが、それ以上何も言わなかった。
窓の外の夜に浮かぶ灯りが、後ろへ後ろへ流れて消える。
家を出る前に「必要なら友達に連絡して」と言われて、俺は首を振った。ケンタはもう部屋には来ないだろう。次に会う時、と帰り際に話したが、もしかしたら連絡が取れなくなるかもしれないという予感がした。
それでも、どうしてももう一度会いたい。会って金返してお礼を言って謝りたい。
そう、風邪が治ったら、俺から連絡を取ろう。座席に沈み込んで目を閉じると、大澤さんがそっと手を握ってくれた。
0
お気に入りに追加
11
あなたにおすすめの小説
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。




【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる