食べられる蛇

あさかわゆめ

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食べられる蛇

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私の母親は七人きょうだいの末っ子で、すぐ上の姉と五歳の差があった。
これは、母親の五歳上の、その伯母の話。

いっちゃん(仮名・伯母)は、大阪の下町で生まれた。家族は、自宅を兼ねた小さな診療所で歯医者をしていたお父さん、お父さんを手伝うお母さん、お兄さん一人とお姉さん五人、だけど二番目のお姉さんはまだ小さい頃に死んでしまったので、全部で七人だった。

戦争中で、大阪には空襲があると言われていた。いっちゃんの家族は話し合い、家で歯医者さんを続けよう、どうせやられるなら皆一緒にいよう、と決めた。でも、いちばん小さいいっちゃんが死ぬのは可哀想だという意見が出た。
いっちゃんは戦争中に生まれ、いつもお腹を空かせてまだ美味しいごはんを食べたこともないからだ。
それで、いっちゃんは一人で、九州の母方の親戚に預けられることになった。

いっちゃんは、訳が分からなかった。お兄さんと一緒に列車に乗って遠くに行ったら、寝ているうちにお兄さんはいなくなっていた。
お腹は相変わらず空きっぱなしで、遊ぶ相手は誰もいなかった。
それでも、町生まれのいっちゃんは、初めて見る山と畑が続く風景にだんだん馴染んでいった。いつも庭の大きな木に登って、一人で遊んだ。毎日、夕焼けを見るのが楽しみだった。

ある日の晩ごはんで、みんな平べったくて大きなものを食べていた。いっちゃんが初めて見るそれはとても良い匂いがしたが、いっちゃんのお膳には置いていなかった。
「何食べてるん?」
いっちゃんが聞くと、家のおかあさんが、
「これは、蛇」
と言った。
「へびって食べられるの?」
いっちゃんは、思わず失礼なことを聞いてしまった。
「蛇は不味いんじゃ。皆我慢して食べよる。あんたは食べんでよろしい」
おかあさんがそう言ったので、いっちゃんはほっとして、家のこどもがばくばくと蛇を食べるのを、怖いもの見たさでちらちらと見ていた。

お兄さんが、ある日突然訪ねてきた。近くで用事があったという。いっちゃんは大喜びだったが、今日は大阪には連れて帰れないと言われて、しょげてしまった。
お兄さんは、がっかりしたいっちゃんの手を引いて庭に出た。
いっちゃんは大きな木を指さして、これに登って遊ぶんよ、とお兄さんに教えた。
「いつ子、ごはん美味しいか?どんなもん食べてる?」
お兄さんの質問に、いっちゃんはあのことを思い出し、自然と小声になった。
「あんなぁ、にいちゃん、ここの家の人ら、へびを食べはんねん」
しゃがみこんだお兄さんの耳に口を近づけて、いっちゃんは、もう一度繰り返した。
「へびをな、おかずにしはんねん。へびやから、いっちゃんは食べんでよろしいって、いつ子は食べてないけどな」
お兄さんは驚いた顔で、いっちゃんを見て、
「いつ子、それは」
と何か言おうとして、みるみるうちに泣き顔になり、びっくりしているいっちゃんを抱きしめた。
いっちゃんは、まるで自分が悪いことをした時のように、体が痛くなった。男の人をが泣いたのを見たのは初めてだった。

その日、帰っていくお兄さんの学生服の背中を、いっちゃんは木の上から見送った。夕焼けは真っ赤で、
「にいちゃん、ひとりぼっちや」
と呟くと、泣くつもりもないのに涙が出てきた。

その後、期せずして産まれたいっちゃんの妹(私の母親)を生かすために一家は決意を翻し、揃って九州に疎開した。母親が産まれたちょうど一年後の夜に大阪大空襲があり、自宅兼診療所は焼かれてしまった。
母親が、両親やきょうだいに「命の恩人」と言われ、大切に育てられたことを私が知ったのは、彼女が病気で亡くなった後のことだった。

私は、いつ子伯母と一度しか会ったことがない。彼女は長年行方が知れず、ある法事に何の連絡もなく、ひょっこり現れたのだ。その時に、もう亡くなっていたお兄さん(私の伯父)の思い出話として、いつ子伯母がこの話をした。きょうだいは皆、泣きながら笑って聞いていた。
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