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その光を浴びてくれ

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日曜日の夜、キシの部屋を訪ねた。
いつも外で会ってから部屋に行ったので、インターホンを鳴らすのは初めてだ。
キシはドアを開け、僕を見ないで部屋に戻っていった。鍵をかけて上がっていくと、彼はキッチンにいた。
「コーヒー飲む?」
「あ、うん」
「座れば」

小さなテーブルの前の椅子に座った。濃いグレーのTシャツを着たキシが、コーヒーを注ぐために俯いている。 
僕が見ていることに気づいてもキシは何も言わず、もう一度玄関に行って電気を消してから、マグカップを運んできて、僕の前に置いた。
自分のカップを手に持ったまま向かいの椅子に座り、ひと口飲んでテーブルに置いて、やっと僕を見た。

「上野くん」
「キシさん」
「昨日、風呂上がりだったね」
言い返せないので黙ると、キシは面白そうな顔をした。
「赤くなんのかよ」
僕はキシを睨みつけ、キシは、
「で、話はしないって言ってたけど、俺が話す分にはいい?」
と言う。

とりあえず、マグカップのコーヒーを飲んだ。いつも通りそんなに美味しくないが、淹れたての味だった。
「俺、会社辞めるんだけど、聞いてる?」
「うん」
「言わなくて、悪かった」
キシは真剣な表情だった。僕は首を横に振った。
「もういい」
「シドニーに身内がいて」
「そのへん聞いた。山本さんとかから聞いた。お父さんの会社、手伝うって?」
「いや、母親の会社」
「えっ」
「ちょっと込み入ってるんで、皆さんには適当に話してるからなあ」
キシは立ち上がり、
「義理の母親がやってる方の会社に行く。うちの親離婚してて、父親が再婚した人ね」
と言いながら、僕の横を通ってベッドに腰掛けた。
「父親の会社は別にある」
「ふうん」
「こっち来て」
唐突に片手を差し出すので、立っていくと、腰に腕を回して僕を抱き寄せた。

膝の間に僕を立たせて、キシはしばらくじっとしていたが、そのうち顔を上げて僕を見た。僕は彼を見下ろし、その頬を両手で包み込んだ。
髭が少しざらざらするのを撫でて、
「キシさん、すごい好き」
と呟くと、キシの目が、眼鏡の奥で僕の視線を捉えようと動き、僕はキシの顔を隅々までよく見ようとした。
「好きって言ってもいいよね、もう終わりにしたんだから」
キシが何か言おうとするので、片手で口を塞いだ。
「顔が好きなんだよな、ほんとに。他も全部、好きだけど」
キシが僕の手首を掴んで、口を塞いだ手を外し、また何か言おうとする。
僕はかがんでキスをして、聞かないようにした。

そのうち、ベッドに仰向けになったキシに覆いかぶさって、舌と唇と指で印をつけるように、顔のどこかしこを愛撫しているのを、キシは僕の体を抱いたまま、時々薄目を開けて見ていたが、ふと気づいたように眼鏡に手をかけて、
「取ろうか?」
と言った。
「まだ取らない」
「はあ、そうなの」
キシはもう一度腕を僕の背中に回し、
「お好きにどーぞ」
と笑った。
顎から喉まで小さくキスを繰り返して、Tシャツの上から胸にキスし、もう一度唇に戻ると、キシは僕を見ていた。
悲しくなっているのを隠すために、左頬をキシの頬にくっつけ、耳たぶを噛んだ。
「キシさん」
「ん」
「このへん、感じないのな」
キシが笑って、体が揺れた。
「一応、感じてるけど」
「ほんとに?」
キシは僕の肩を掴み、体勢を変えて僕を仰向けにしてから、耳に唇を押し当てた。
「弱くないだけで」
肩をすくめると、今度は反対側の耳たぶをさっき僕がしたように噛んだ。
「あー、やめて」
「こっち側が弱い」
キシは唇に軽くキスしてから、僕の隣に寝転がった。
「ちょっと待ってね」
「なにを?」
キシは横目でこっちを見た。
「セックスだけとか言われると、プレッシャーが。俺は何を期待されてるんだろうと」
僕は笑った。
「ごめんよ」

キシに期待していたのは、金曜日になったら、この部屋に誘ってくれることだけだった。
そのつもりだった。
会えなくなった後は、もう一度だけでいいから会いたいと思い、その光が遠くなり、深い井戸の底から見上げる空のように小さな点になっても、会いたい気持ちは消えなかった。
でも、枯れた古井戸の底で、長く生き延びることはできない。



それからしばらくして、キシに背中を向けてテーブルの上のマグカップを見ていると、あっと叫んで彼が起き上がり、僕を乗り越えてベッドを降りた。
「洗濯物、忘れてた」
カーテンと窓を開けて、キシはベランダに出て行った。
起き上がると、部屋の空気が動いているから少し肌寒かった。僕はベッドを降りて椅子に座り、キシがハンガーに掛かったままの服を無造作にソファーに投げ出すのを見ていた。
「そのシャツ、昨日着てた」
「ああ。よく見てんね」
キシはひとしきり洗濯物を畳んだり、クローゼットにしまったりした後、キッチンに入っていく。
「お腹空いてる?」
「空いてない」
「でも、パスタぐらい食えない?」

キシがキッチンに立ち、僕は冷めたコーヒーを時々口に運んだ。昨日飲んだ冷めたコーヒーが、ぼんやり意識に浮かんでいた。
「上野って、兄弟いるの?」
「は、なんで? 急に」
「そういえば知らないな、と思って」
「興味ないだろ」
「や、興味なくはない」
「そう? 姉がいるけど」
キシは、やはり興味がなさそうに見えた。
「キシさんは?」
「兄と弟」
「へえ」
「兄ちゃんは八歳上だから、子どもの頃は接点なくてね」
「うん」
「弟は、弟っつっても半年しか違わないんだけど。さっきの、義理の母親の連れ子だから」
「お父さんも違うってこと?」
「血は繋がってなかった」
急に過去形になった。
「弟は、死んじゃったんだよね、事故で」

僕の体がびくっと痙攣して、全身に鳥肌が立った。次の瞬間、自分の胸元を片手で掴んでいた。僕は驚いて、パーカーを鷲掴みにした自分の手を見下ろしたが、そうしている間に体の周囲の空気が砂のようなものに変容して、呼吸ができなくなり、口を開けて息を吸おうとしながら、キシを見た。
キシは驚いた顔で、僕を見ていた。
「どうした」
「大丈夫」

声は割と普通に出たが、それにしても、キシに大丈夫と言った時に、大丈夫だった試しはなかった。

砂だと思ったものは、上から下へゆっくりと流れる光る粒になり、そのキラキラするものの向こうに、キシが見えていた。
僕は息を吸い込み、キラキラしたものが入ってくるのが怖くて、慌てて吐き出した。
その呼吸で、光る粒の流れは消えていった。
もう一度、口から息を吸って、吐いた。
「上野?」
声が遠い。光る粒が消えても、心配そうな顔をしたキシは、少し遠くにいるように見えた。
「大丈夫」
僕は服を掴んだ手を開き、席を立った。

狭いバスルームの鏡で、自分の顔を見る。手のひらと背中が、冷たい汗でじっとり湿っていたが、特に変わったことはない。
部屋に戻った後、キシはもう兄弟の話をしない。
彼が僕に話すと決めていたことは、既に話されたのだ。



夜更けに、キシは僕を仰向けに寝かせて、首筋から下へ向かって、唇で辿っていた。
最初に耳元で、
「先ほども言いましたが、こっち側が感じる」
と言って、首筋にキスした。僕が体を震わせるのを、キシは薄暗がりで見ながら、何度も軽く噛んだ。目を閉じていても、あの目に見られていることはわかった。
「俺、興味なくないだろ。ちゃんと憶えてる」
目を開けると、暗い部屋のどこかの光が反射して、キシの目の白い光が僕を見ていた。
頷くと、キシは僕の顔を撫でた。

脚の付け根まで唇で辿っていった後、彼は僕のを握って手のひらを濡らし、僕の体に僕のを押し付けて、手を動かした。
立てた膝にキスをしながら、わざとゆっくり触って、
「どうして欲しい?」
と低い声で聞く。
「このまま?」
「やだ」
キシは僕の腿の内側を舐めて、脚を肩で押し開いた。
「それがいい」
「どれ」
「今、しようとしてるのが、いい」
「ははっ」
キシは明るい声で笑い、もう一回、反対側の膝から内腿まで唇でなぞってから、口でし始めた。
集中できなかった。最後だとわかっていたせいか、結局話しすぎたせいか、光る粒のせいか。枕の位置を直して、キシの顔を見た。脚の間でキシは目を閉じてしていたが、僕が見ているのに気づくと、片手で掴み、アイスを食べる要領で僕と顔を見合わせた。
両腕で顔を覆い、枕に頭を下ろした。
「電気つけて、見ろよ」
キシはわざと音を立てて、手はゆっくりと動かしている。
「見たら、すごい興奮してんじゃん」
「気持ちいい」
「昨日と、どっちがいい?」
僕は思わずまた顔を上げた。

口元で締めつけて入れたり出したりしながら、キシは手を後ろに回して、指でまさぐってくる。腰を引こうとしたが、もう腕で押さえつけられていた。後ろまで濡らされていて、指が入ってくる。
「それだめ」
「だめでも、させて」
指が奥までゆっくり入ってきて、僕は自分の口を押さえた。
「だめじゃないね」
指を少しずつ動かしながら、キシは僕のを舌で弄んで、わざと口に入れない。我慢できなくなって手を伸ばし、自分のを掴んでしまう。強く握って動かし始めると、キシが指を引き抜いた。
「ん、あ」
「だいじょぶ、また入れてあげるから」
キシは体を起こして、僕の脚を乱暴に開き、もう一度指を奥まで入れてきた。
呼吸が速くなり、体から汗が噴き出し、両脚に力が入る。
「ああだめ、もう」
目を開けるとキシと目が合い、僕は顔を背けて枕に埋めた。声を堪えようとして、僕は泣き声をたてて達していた。次に目を開けた時、キシは、僕と同じくらい息を切らして、僕を見下ろしていた。
「キシさん」
キシは僕のを掴み、頭を下げて口の中に入れる。僕は声も出せずに暴れ、キシはしばらく押さえつけて続けて、その後、僕の体に飛び散ったものを舌ですくい取って、僕にのしかかる。指で口が押し開かれて、舌が深く入ってくる。僕は息をのんでキシの舌を舐め、口の中にその味と匂いが広がると体に電気が走るようで、身震いしながら夢中で貪った。
僕がそれを好きで、いつもおかしくなるほど興奮するのをキシが知っているということが、行為自体よりも深く、その時の僕を満たした。

キシは僕の口を塞いだまま、自分のものを僕のに重ねて、そこらじゅうがぬるぬるしているのを使って、体に擦りつけていた。次第に動きが速くなると刺激が強すぎて、逃げようとすると、キシは僕の肩に手を置いた。
「じっとしてて」
それからしばらくして、
「ああ、だめだ、出る」
と声を詰まらせて、動きを止めた。
僕の喉元まで生温かいものが飛び散り、荒い息を吐いてキシが体の上に崩れ落ちてきた。両手で汗ばんだ背中を抱いた。
「上野」
息を弾ませて、キシが呼んだ。合わせた胸から、その声の振動が伝わった。

キシさん。
キシがシャワーと言い出すまで、僕は目を閉じて、黙って抱いていた。



どうせ眠れないと思っていたが、いつの間にかいやな夢をみて、体を揺すられていた。
「上野、上野くん」
肩に置かれた手の感触で、声が聞こえてきて目が開いた。呼吸が浅く、体は恐怖で痺れていた。
「ああ、ごめん。うるさかった?」
キシは僕を抱き寄せ、大きく息を吐いた。だんだんと頭がはっきりして、恐怖が小さくなり、キシの呼吸音が聞こえてくる。
「ありがとう、寝て」
と言って僕が背を向けると、キシは後ろから腕枕をして、僕の腰に手を置いた。

部屋の中がうっすらと見えて、暗さに目が慣れただけではなく、夜が明けてきたのだとわかった。
キシの手が腰をゆっくり撫でていた。僕は自分の頭の下から枕に投げ出されているキシの手のひらに、自分の手の甲を合わせた。キシは僕の手に指を軽く絡ませた。
「キシさんの好きな人って、誰?」
自分が質問したかったのかどうかわからないまま、僕は口を開いていた。
腕に力が入ったが、しばらく待ってもキシは何も言わなかった。
「知りたいわけでもないが」
指を外そうと手を動かすと、キシは逆に力を入れた。
「キシさん、ごめん。おやすみ」

僕が目を閉じて、宙に浮いた自分の言葉が消えていくのを確かめて、その後、ちょっと眠りそうになった時に、キシの声がした。
「好きな人は、死んだから」

ずいぶん遠くから聞こえた。僕は目を開けた。
振り向きたかったが、そうしない方がいいだろう。
死んだから、の続きはないはずだから、振り向かない方がいい。
キシはそれきり話さず、僕はあの光の粒がまた現れるかもしれない、と薄闇を眺めていた。

起き上がった時、目覚まし時計のディスプレイが見えて、五時半を過ぎていた。
僕は服を着て、枕に頭を乗せたままのキシを見た。
「帰る」
キシが手を伸ばしたので、ベッドに片膝をついて、唇を合わせた。
「さよなら」
僕が言うと、キシは何の気なさそうに、
「またね」
と言った。
見送りには出てこなかったが、玄関で靴を履いている時、声がした。
「上野」
「なに」
「お前、会社辞めんなよ」
「は、なにそれ」
「今日、会社行くでしょ」
「行く、じゃあね」

訪ねていけば、泣く羽目になることはわかっていた。僕はただ泣き、泣きながら駅に向かって歩いた。



それから九年後に会う時、コーヒーカップが二つ置かれているが、あの部屋にあったのとは違うテーブルを挟んで、キシと僕は向かい合って座るだろう。
キシは僕に、
「まだ、夢みる?」
と尋ね、僕は驚いたのを隠して、笑顔で応える。
「憶えてるのかよ。そんなにうるさかった?」

すると、キシは磨き上げたようにきれいな眼鏡の奥から、あの重く白い光を湛えた目で、僕を見る。

その目について、僕はキシにまだ一度も話したことがない。
その目がどれだけ僕の気持ちをかき立てたか、僕に何をさせたか、その目でまた見て欲しいと、僕がどれくらい強く欲したか。

キシが何か言う前に、それを告白しようと、僕は口を開く。
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