亡国の草笛

うらたきよひこ

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第十二章 普通の旅

第二百十七話 普通の旅(1)

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 エリッツはシュクロが騒ぐ声で目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。
「まあまあ。急いでいるわけではありませんから、いいじゃないですか」
 まどろみながら聞くシェイルの声はまた格別だ。頭の上に小さな窓があるので、確かに今が昼であることがわかる。慣れない移動で疲れたからかもしれないが、確かに寝過ぎてしまった。
 窓の外は細い路地であるため、わりと静かだ。遠く町の喧騒のようなものが聞こえ、それはそれで耳に心地いい。
「いいや。おかしいじゃないか。四人中二人が昼まで寝てるとか信じられねえ」
「朝暗いうちから市場を見に行ったじゃないですか」
「そんな満足が行くほど見てないね。それにあんたと二人じゃ心もとない」
 え。朝、シェイルと二人きりで出かけたの?
 一緒に行きたかった。なぜ目を覚まさなかったのか。エリッツは薄い毛布の端を握りしめた。
「――それは申し訳ありません」
 あまり申し訳ないと思っていない様子のシェイルの声にエリッツはぼんやりと現状を把握した。
 昨夜、このメラル・リグという町についたばかりだった。旅行の一番初めの目的地だ。シュクロの希望によりレジスのごくごく「普通の町」が選ばれた。規模は大きくないが、宿場町で人の動きが多く、それなりに活気がある。街道が発達したレジスでは必然宿場町も多い。よって普通といえば確かにごく普通の町で特に見どころはなさそうだ。しかもレジス城下からかなり近い。レジス城下を目指す旅人たちが最後に立ち寄る町という意味で「前夜の町」という古い言葉がそのまま町の名前になっているくらいだ。
「こいつらいつまで寝てんの? ほっといたら夜まで寝てんじゃないの?」
 シュクロはまだ騒いでいる。
 四人部屋を提案したのはシュクロだった。目立たないように着古したような旅装で出てきたものの、国の指示なので予算は潤沢にある。もっといい宿で個室をとってもよかったのだが、おそらくシュクロは広い部屋で一人にされるのが怖いのだ。小ぶりのベッドが四つも詰め込まれた狭い部屋を選び、しかもエリッツとシェイルの間のベッドがよいというから本当に忌々しい。
 エリッツはそっと首を伸ばして隣を見る。
 女の子を同じ部屋にするのはさすがにどうかと思ったが、当人は何も気にしていないらしい。ぐっすりと眠りこけている。
 ルルクが同行することになった理由は今でもよくわからない。あまりに唐突だった。
 ルルクはロイの保護区で暮らす少女で、エリッツは視察の際に知り合った。無口で何を考えているのかよくわからないが、エリッツがロイの言葉で話しかけるとゆっくりとロイの言葉で返事をしてくれるので基本はやさしいのだと思う。たまに突き放すように会話を切られるが、悪意からというよりは突然自分の考え事に没頭してしまうような印象だった。
 そのルルクは保護区で軍人にはなりたくないと訴えていたが、どういうわけか王女のアレックスの護衛になりたいと城へ乗り込んできたらしい。秘密裏に開催される軍の術士の選出試験に応募して来たので、乗り込んできたという表現はおかしい気がしたが、アレックスの秘書のリザがそういうのだから、何かしら強引な意思表明があったのだろう。
「子供が一緒にいた方が敵は油断するだろう」
 リザはそう言ってエリッツたちにそのルルクを押し付けて来た。
 そんな話があるわけがない。エリッツだって子供が重要な場所、それこそ戦場なんかにいたりしたら「術士に違いない」と警戒する。ここは戦場ではないが、敵も子供に対して油断はしないはずだ。リザほどの人物であればそんなことは当然わかっていると思われるが。
「これで実績ができたらアレックス様もお前の希望を無視できないだろう」
 リザがそういうと、ルルクはこくりと頷いて勝手にエリッツたちについてきた。どうもアレックスに話が通ってなさそうなのが恐ろしい。ここで実績をつくったとして、いきなり王女の護衛を任されるとは考えられない。エリッツだって一生懸命勉強をして試験に通り、ようやくシェイルのそばにいられるようになったのだ。リザは無理難題をぶつければルルクの気が変わるとでも思っているのだろうか。とにかく「押し付けられた」ことには変わらない。
 危険をともなうので当然シェイルが反対するだろうと思ったが「いいんじゃないですか。保護区は退屈でしょう」とあっさり承諾してしまったのだ。ちなみにシュクロは「もっと強そうなのはいないのかよ」と、顔をしかめていた。やはり息をするように嫌なことを言う。
 確かにルルクは小柄でふわっとした感じの女の子だが、戦場で仲間を優位に立たせる特殊な能力を持っていると聞いた。シュクロは術を使うので、うまくすればいいコンビになると思うのだが。 
 それでもさすがに上の許可は降りないだろうと見守っていたが、誰も止めに来ず、ルルクはそのまま同行している。普段、許可を取れ、稟議を通せ、証明書を出せとうるさいのにこの件に関してはあまりに雑だった。嫌な想像だが軍の内定が出ているわけでもないロイの子供がどうなろうと知ったことではないということなのか。
「もしかして何もせずこの町でくすぶる予定なのか」
 シュクロがぞっとしたような声をあげる。
「いえ、まさか。しかしそんなに無理やり予定をつめなくても……」
 シェイルを困らせるなんて許せない。
 しかしあんなに旅行を嫌がっていたくせに、いざ出て来たらずいぶんと前のめりだ。本当は旅が好きなのではないか。レジスの見どころについて事前にかなり調べているようだ。昨夜も宿の主人と値段の交渉をはじめ旅慣れた様子を見せていた。なんでも大通りから外れている小さな宿では交渉がうまくいきやすいのだとか。実際「もう夜も遅い。空き部屋にするよりはマシなんじゃねえの?」というシュクロの言葉に宿の主人は痛いところを突かれたような顔をして、交渉に応じてくれた。何だか申し訳ない。
 予算は十分にあるし、しかもシュクロの懐が痛むわけでもない。単純にやりたいだけなのだろう。よくわからない。
「あ! あいつ起きていやがる!」
 シュクロが大声をあげ、エリッツは驚いてぴょんと飛び起きた。
「エリッツ、おはようございます」
 穏やかなシェイルの声に落ち着きを取り戻す。
「おはようございます」
 あまりに狭いのでシュクロもシェイルもベッドに腰かけて話している。一人分の空間はエリッツの寮の部屋よりも狭い。そのためシェイルがものすごく近くに感じる。いつもとは違い粗末な旅装だが様になっていた。何となくシェイルの叔父であるガルフィリオに雰囲気が似ている。制服も軍服もよかったが、こういう格好も野生味があって素敵だ。自然と顔がゆるんでしまう。安宿の大部屋もいいかもしれない。
「何にやにやしてんだよ。気持ち悪ッ」
 すかさずシュクロが嫌なことを言う。
「シュクロさん、静かにしてください。ルルクが起きちゃいます」
「だーかーらー! 起こせよ。一日中寝てるつもりかよ」
 シュクロが癇癪を起こしたように足踏みをする。下の階の人に叱られそうだ。
「遊びに行きたくて仕方がないみたいなんですけど、怖くて一人では出られないみたいなんです」
 シェイルが肩をすくめてエリッツを見る。
「しょうがない人ですね」
 エリッツも同じように肩をすくめた。
「ガキみたいな扱いをするなっ! お前もすかしてんじゃねえよ。こんな時間まで寝ている方がどうかしてるだろ。だからお前は頭の中身が溶けかけてんだよ」
「溶けかけてないですよ!」
「じゃあ、溶けきってんのか」
「ひどい!」
 そのときバンッと壁が鳴った。エリッツは思わずベッドの上で飛びあがる。
 シュクロが信じられない素早さで壁際のエリッツのベッドへと飛びうつりその勢いのまま壁を蹴った。
「うるさくしてたのはこっちでしょう」
 シェイルが深いため息をつく。それをかき消すようにまた大きく壁が鳴り「うるせー!」と怒声が響く。
「やんのかこらっ」
 シュクロがまた壁を蹴る。壁を隔てて隣の部屋の人と喧嘩をはじめた。
「っるせーんだよ! てめぇ表に出ろや」
 怒声とともに再度壁が鳴る。そのうち穴が開くんじゃないだろうか。
「おう、逃げんなよ!」
 シュクロはまた信じられないスピードで四つのベッドを順に踏みつけドアへ突進する。部屋が狭すぎるのでベッドの上を直進するのが最短距離ではある。
 勢いよく扉が閉められると、隣の部屋からも怒声と乱暴に扉を開けたてする音が響いた。どうやらあちらも一人ではないらしい。まあ、こちらはシュクロしか参戦しないのだが。
「本当に下品ですよね」
 ようやく静かになった部屋でエリッツはため息とともにつぶやいた。
「王族の血を引いているというのは本当の話ですか?」
 シェイルも隣で首を傾げている。
「嘘だと思います」
 そこでシェイルは「あ」と小さく声をあげた。
「どうしました?」
「ルルクはどこへ行ったんでしょう」
 見るとルルクのベッドは空になっている。干からびたような薄っぺらな毛布が、つい先程までそこに少女が眠っていたとわかる形で横たわっているだけだ。
 まさかシュクロについて行ったのか。
「行かざるを得なくなりましたね」
 シェイルは大義そうにベッドから腰をあげた。
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