亡国の草笛

うらたきよひこ

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第十一章 客来の予兆

第二百四話 客来の予兆(1)

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 借りていた本を返そうと思っていたので早めに執務室へ行ったところ、すでにシェイルがいた。部屋の扉が開いているのは在室の印だ。
「おはようございます」
 部屋をのぞき込んで、声をかけるといつもは書類でいっぱいの机の上に紙幣とコインがいくらか散らばっている。
「何をしているんですか?」
「エリッツ? 早いですね」
「この間借りた本を返そうと思って」
 中の間に遊びに行った際にロイの言葉で書かれた旅行記を借りていた。言葉の勉強にもなるし、内容もおもしろそうだったので借りてみたのだが、これが当たりだった。ロイの本をちゃんと一冊読み切れたのは初めてのことで自信もついた。
 作者はアルヴィンみたいに好奇心のおもむくままあちこち動き回る人で、頭の中で勝手にアルヴィンの姿で想像をして読み進めていた。しかもかなりの食いしん坊で、食べ慣れないものを欲張って食べて体調をくずしたりするのだから本当にアルヴィンみたいだ。おかげで親近感をおぼえ異国語なのにも関わらず一気に読み終えることができたし、続きがあるなら是非読みたいくらいにはまっている。
「どうでしたか?」
「どこか旅行にいきたくなりました」
 シェイルは「そうですね」と、微笑む。
「旅行とはいきませんが、今日はちょっと外に出ることになりそうです」
「外……ですか?」
 シェイルはまた机の上のお金に視線を落とす。
「そのお金はどうしたんです?」
「これはわたしのお小遣いです」
「……」
 どういう意味だろう。
 エリッツは黙ったまま机の上のお金を見つめる。総額でもエリッツの十日分の生活費に足りるかどうかという額だ。
「殿下にいえばある程度なんでも買ってもらえるようなんですが、頼むのはちょっと癪なんですよね」
 またそんなことを言っている。
「――なので、本当の意味で自由になるお金はこれだけです。わたしは捕虜の立場なので無給ですから」
「む、無給……」
 あれだけの仕事をして無給とは。
 仕事に必要になりそうなお金はたっぷりと預かっているようだし、立場上生活に困るようなことはないだろうが、好きな時に好きなものを買いにくいというのは窮屈ではないだろうか。
「このお金は子供のときにオズバル様からもらったお小遣いと、たまに殿下がくれたりしたものです」
 オズバル様はともかくとして、殿下がシェイルにお小遣いをあげているのは不思議な感じがする。さっきの感じだと殿下からお金を受け取るのは癪だといい出しそうなものだが、そこは気にしないのだろうか。
「仕事のために預かっているお金も必要なら後で補填するから好きに使っていいといってくれていますし。別にあってもなくてもどちらでもいいんですけど」
 いやそれにしたって……。それからはっとして腰に手をやる。エリッツは風見舞いにと、かなり値の張りそうな短剣をもらっていた。まさか。いや、まさか……。
 エリッツの手の動きに気づいたらしきシェイルは気まずそうに「すみません、ちょっと余計なことを言ってしまいましたね。でもそれは補助金が支給されるので……」と言って、そっと目をそらす。補助金といってもギルとバルグが見せてくれたペンと比べると値段は桁違いだろう。
 やはり。長期間こつこつと貯めたお小遣いをエリッツの風見舞いにほとんどつぎ込んでしまったのではないか。そういえば、同時にエリッツの実家に風見舞いで贈ってくれたのはシェイル自ら獲ってきた鹿の皮だった。ほぼシェイルの労力のみで入手したものだろう。実家からは「めったに手入らない質のよいものを贈っていただき感謝している」とお世辞ではなさそうな礼状が来ていたので、まったく気にしていなかったが、他の物を準備するお金が足らなくなってしまったというのが実情なのかもしれない。
「あ、そんなことよりも、さっきの話ですが」
 まるでどうでもいいことのように話題を変えられた。本当にお金には執着がないようだ。
「殿下から城下で買い物をしてくるようにと言われたのでちょっと一緒に来てくれませんか」
「買い物……ですか」
 そんなことは別の人に依頼すればいいことではないか。何もシェイルが自ら買い物なんて――。なんならエリッツが行ってきてもいいくらいだが、買い物がちゃんとできるのかは少しあやしい。シェイルはエリッツのいいたいことを理解したようにひとつうなずいた。
「少し、事情があるみたいなんです。殿下というよりは陛下からの指示のようですし」
 また陛下か。
 エリッツはため息をつきたくなってしまう。陛下はレジスに暮らすロイの人々を好きにできる立場だ。シェイルの弱みを握っているといっても過言ではない。そのためなのか、ここ最近シェイルに対して横暴が過ぎる。
「わかりました。おれも行っていいんですか?」
「最初から一緒に来てほしいとお願いしてるじゃないですか。エリッツの意見も参考にしたいので。気分転換にもなりますし」
 気分転換――つまり、それはデートという意味では。
「行きます」
 エリッツは即答した。
「ところで、そのお金はどうするんですか。シェイルも何か買い物をするんですか?」
 机の上のお金を丁寧に袋にしまっているシェイルにエリッツが問いかけると、またもや何でもないような口調で「せっかく城下に行くので殿下のお菓子を買ってこようかと」と、答えた。
 え? お金はそれだけしかないのに?
「どうして全部人のために使っちゃうんですか」
 アルヴィンに「お坊ちゃん」と笑われていたエリッツは他人のことをいえないかもしれないが、シェイルの方も独特の金銭感覚をしている。
 つい大きな声をあげてしまったエリッツをシェイルは不思議そうに見る。
「殿下のお茶やお菓子を買うくらいしか使い道を思いつかないんですよね。欲しいものも特にないんです。食べ物はリギルがどこからか支給を受けてもらってくるようですし、別で食費まで出ているようですし。捕虜を養うには贅沢すぎるくらいですね。本はルーヴィック様がおもしろそうなものをたくさんくださいます。たまに気になる本はないかと新刊の目録まで作って見せてくれますよ。後は殿下やダフィットが何かと気をつかって持ってきてくださるので、本当に自分のお金を使う機会がないんです。でも、もうそろそろ大事に使わないと、お菓子を買うお金がなくなりそうですね」
 そんなことをいいながら袋をのぞきこんでいる。当たり前のように殿下のお菓子を買うお金と決めてしまっているようだ。お金の使い方についてはエリッツも偉そうなことを言えるほどちゃんとしているわけではない。むしろ周りからはちゃんと管理しろといわれるような惨状だ。シェイルのお小遣いの話はこれ以上やめておこう。
「――それで、何を買いに行くんですか?」
 役に立つのかわからないエリッツの意見を聞きたいというのだから、ちょっと時間のかかる買い物なのかもしれない。
「エリッツはローズガーデンのときに招待客への下賜品の件でちょっとした騒ぎがあったのを知っていますか」
 ローズガーデンといえばもうかなり前の出来事のように感じる。下賜品の騒ぎといえば、今は亡きアイザック・デルゴヴァが街中で襲われた件だろうか。
 あれは確か陛下の指示で下賜品がアイザックの領地の特産物である絹織物に変更されて、前の下賜品を担当していた工房の関係者が逆恨みで起こした事件だったはずだ。エリッツにしてはよく覚えていた。
「その事件から教訓を得て、王室から何か発注する際はとりわけ公平性に留意すべきという意見がありました」
 あれ? 話がすり変わってないか?
 あの事件はそもそも証拠不十分で手詰まりになった陛下がアイザック・デルゴヴァを罠にかけるために急な変更を行なったのが発端ではなかったか。公平性を欠いたせいではなかったと、エリッツは思うのだが。
「エリッツは正しいですよ」
 首を傾げるエリッツの心を読んだようにシェイルがうなずく。
「あれは間諜が絡んでいたこともあり何かと曖昧なまま処理された事件です。そもそも議会で決まったことというのはいつもそんな感じですよ」
「えっと、つまり――」
「人を多く介すると何らかの不正が入りこむ原因となります。なので『お前の相談役くらいがちょうど手頃だろう』という、陛下のご指名を受けたと殿下がおっしゃっていました」
「あの、陛下は……」
「ええ、楽しんでいるんだと思いますよ」
 話しながらも淡々と外出の準備をしている。陛下は最近本当によくシェイルにちょっかいをかけてくる。
「レイミア様にも余計なことを言われていたようですしね」
「レイミア様?」
「殿下の妹君です。わたしが城下からお菓子ばっかり取り寄せているとか。多忙な部下たちをつかって何を調べさせているんでしょうね、あの方は」
 うんざりしたような口調だ。そんなに頻繁に殿下のお菓子を買っていたのもちょっと驚くのだが。
「ということはもしかして……」
「はい、今から王室御用達となるべきお菓子を探しに行きます」
 エリッツがもっとも役に立たない展開ではないか。
「異国人のわたしが『レジスらしい』と感じるものを選んで欲しいとのことです。その方が異国からの客人にもよろこばれるだろうからと」
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