亡国の草笛

うらたきよひこ

文字の大きさ
上 下
177 / 236
第七章 盛夏の逃げ水

第百七十七話 盛夏の逃げ水(42)

しおりを挟む
「どういうことですか?」
 一度だけ見たルーヴィック王子は青白い顔のやせた青年だったし、かなり変な人だった。外に、しかも国外に出て行くのは意外だ。王子が出向くとなればアルメシエとレジスの今後の関係性に関わる重要な任務と言っても過言ではない。どう考えても行くならラヴォート殿下の方がふさわしい。
「お前の失策だよな」
 ラヴォート殿下はちらりとシェイルを見る。シェイルはばつが悪そうな顔をしてその視線をかわす。
「国王陛下からの指示はアルメシエにいるロイの王族というのを確認してこいという内容でしたが、これはロイの問題であるから一人で対処するようにとのお達しでした。その時点で使うつもりはありませんでしたが、一応お守り代わりに武器を借りようかと……」
 シェイルの言葉がめずらしく迷うような色を帯びる。
「はっきり言え。ヒルトリングを借りにいったんだよな?」
 シェイルはこれまでかたくなにヒルトリングを拒んできたので言い出しにくいようだ。しかしたった一人で紛争地へ行くのに身ひとつというのは危険極まりない。当たり前の判断だろう。無茶をしがちなシェイルがより安全な方法を選択していたことにエリッツはむしろほっとする。
「――武器を借りに行ったところ『僕ごと持って行くのならいいよ』と」
 シェイルは言いながらも首をかしげる。エリッツも首をかしげた。
「ルーヴィック様を持って行ったのですか」
 意味をよく理解できないエリッツは漫然と口を開く。
「国王陛下は一人で行けと仰せなので無理だと伝えたんですが、レジスの人間を持って行くなとは言っていないだろう、と」
 むちゃくちゃな理論だ。理論も何もあげ足取りのレベルである。人間を持って行くとは「同行」をいいかえただけではないか。それに危険だ。仮にも一国の王子が勝手に紛争地へ行くなど普通では考えられない。
「ルゥはいい出したら聞かない。それでも一応、国王陛下にアルメシエに出向く旨書状を置いて行ったらしい。シェイルのことには触れずに、だ。そこまではなんとか気が回ったようだな。後で聞いたところ、なんなら帰ってこなくてもよいと寛大な返信があったと聞いた」
 寛大な返信……なのだろうか。
 ルーヴィック王子はやはり只者ではない。政権争いなどに無縁であるのが最強である。次期国王の座を見据えて点数稼ぎをする必要がない。
 そもそも第一王子とはいえ、謀反という重大な問題を起こしたデルゴヴァ一族の血筋の王子である。何かしら冷遇されるのではないかと、一時期エリッツは勝手に気をもんでいたものだが、そういったことは一切耳にしていなかった。陛下の返信には軽んじられているような気配を感じはするが、地位を奪われたり、あからさまに部屋を移されたりするような事態にはなっていない。
「新しく開発したヒルトリングの実験をしてきたらしいが」
「そういえば、護衛を引き連れてやたらと外出してましたね。てっきり観光でもなさっているのかと」
「まぁ、九割方観光なんだろう。一応、開発したヒルトリングの実験にも成功はしたらしい。遠眼鏡でようやく見えるくらいの距離にいる部下にも指揮権が及ぶというようなことを言っていたな。アルメシエで実験する必要性を感じないわけだが」
 これまでのヒルトリングがどういうものかもよくわからないので、それがすごいかどうかも判断がつかない。そういえばアルヴィンの術脈がロックされたことに気づいたときも、指示が届く範囲は限られていると言っていた気がする。
「これにより術兵がより広く展開した陣形が可能になる。それにこれまで以上に術兵の多い部隊も編成可能だ。お手柄といえなくもないか」
 ラヴォート殿下は雑談のつもりなのか、お茶を飲みながらくつろいだ様子でそう口にする。
 だが何かひっかかる。ここまでの話で重大なことを見落としているような気がして仕方がない。
「遠眼鏡が指揮官の必需品になりますね」
 ダフィットがめずらしく冗談のようなことをいう。
「そういえばルーヴィック王子が外出先でおもしろいものを見たと興奮していたことがあったんですが、実験が成功したということだったんでしょうか」
「いつもそんなようなことを言っている。どうせ深い意味はないだろう」
「わたしがそれを知ったら部屋を飛び出して見に行くだろうと言ってましたけど、何だったんでしょう。妙に具体的な言い方じゃないですか?」
 シェイルたちの何気ない会話が耳を通り抜けてゆく。
「あっ」
 エリッツは思わず立ちあがった。即座にダフィットににらまれる。シェイルとラヴォート殿下も驚いたような顔でエリッツを見ていた。
「あ、あの、その、ルーヴィック王子がおもしろいものを見たと言っていたのはいつの話ですか?」
 これがアルヴィンの術脈のロックが外れた真相ではないか。
 エリッツはテーブルにのりだしてシェイルにせまる。シェイルは倒れそうになったエリッツのカップをさっと取りあげて元に戻した。
「わっ、すみません。えっと、あの、それで、実はですね――」
 エリッツの質問の意図を取りかねたような表情のシェイルにエリッツは例の件を順番に伝えた。アルヴィンの術脈が駐屯地を出てリデロ指揮官にロックされてしまったらしいこと、その後ラットル村で突然そのロックが外れたこと、その後は特に何ごとも起こらなかったこと。みんなじょじょに何があったのかを心得たような表情になる。
 ダフィットが地図を持ってきて、指でアルメシエの城に指を置く。そこから渓谷の辺りをラットル村の表記を探しながら指を進ませた。一同から「ほう」というような声がもれる。
「ここですね。これはなかなかすごいですよ」
「確かに遠眼鏡でぎりぎり見えるかどうかの距離だな。この距離でデブのロックを外せたということか」
 またアルヴィンのことをデブ呼ばわりしている。しかしラヴォート殿下がアルヴィンのことをおぼえていたのは少し意外だった。
「殿下、アルヴィンはデブじゃなくなっていましたよ」
 エリッツはめずらしく言い返す。アルヴィンはむしろいい体をしていた。エリッツは着替えをしていたアルヴィンの体を少しだけ思い出す。
「――これまでとは格段に違いますね」
 シェイルの方は地図を見つめて感嘆の声をもらしている。そういえば術兵の指揮官経験があるようなので、ヒルトリングの性能は熟知しているのだろう。
 残念ながらエリッツはそれがどれほどすごいことなのかピンときていない。しかしルーヴィック王子が一目置かれている研究者だという噂は本当らしい。変人だがその分野では有名であるようだ。エリッツは少し見直した。
 それと同時にようやく引っかかっていたものが取れたような爽快感がある。
 アルヴィンの後をリデロ指揮官がつけ回していたという可能性が消滅して心からほっとした。時間ができたらアルヴィンに手紙を書いて伝えてあげた方がいいだろう。おそらく同じように気持ち悪がっているはずだ。
「しかし、そのときに逆にロックされなくてよかったですね」
 そういってシェイルが果物を干したようなものを口に運ぶ。テーブルに出されているのはあの日、ライラに出してもらったものと同じようなメニューだ。フルーツの種類はもう少し多い。これもお土産だろうか。
「確かに。何にしろ遊び感覚だからやりかねんぞ」
 つられたようにラヴォート殿下もフルーツを口にした。ひとつ気になっていたことが解決したので、何だか全部終わったような気になってしまったが、まだまだ話し合うことは山積みである。
 ようやく一区切りついたころには外は暗くなっていた。明日からまた大忙しだ。エリッツは帳面を閉じて内ポケットにしまう。仕事もそうだが、ゼインに上着も返しにいかなければならない。どうしたら会えるのか、また考える必要がある。
「それでは失礼します」
 ダフィットが出ていき、エリッツもそれにならって席を立った。
「お前はちょっと待て」
 しかしラヴォート殿下に呼びとめられてしまった。何だが少し声が怖い。今日は比較的機嫌がいいような気がしていたが。シェイルが隣で大きなため息をついた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

巻き戻ったから切れてみた

こもろう
恋愛
昔からの恋人を隠していた婚約者に断罪された私。気がついたら巻き戻っていたからブチ切れた! 軽~く読み飛ばし推奨です。

聖女の、その後

六つ花えいこ
ファンタジー
私は五年前、この世界に“召喚”された。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ここは貴方の国ではありませんよ

水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。 厄介ごとが多いですね。 裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。 ※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...