亡国の草笛

うらたきよひこ

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第七章 盛夏の逃げ水

第百四十六話 盛夏の逃げ水(11)

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 まさか純粋な労働力として買われたのだろうか。
 エリッツはぎっしりと芋の詰まった木箱をゆすりあげてため息をついた。隣にいるアルヴィンは麦の入った麻袋を担いでいる。まだあと何往復もしないと運びきらない。岩肌に狭い足場がある程度の細い道を慎重に進んでいく。あの場所に馬車をとめていたのは、そこから先が険しくて入っていけなかったからだ。
「おれのことは安く買ったんだから、もう元は取れてるんじゃないかな」
「値段の問題じゃないよ。きみだって安く買ったバケツを数回使って、元が取れたから捨てるなんてことしないだろ。壊れるまで使うはずだ。きみは体が壊れるまで芋を運ぶべきなんだよ」
 アルヴィンはむちゃくちゃなことを言ってくるが、エリッツと同じくうんざり顔だ。
 アルヴィンも最終的には管理不足などの点をつかれ買い叩かれていた。管理が不足していても人間の場合は品質に影響がないので何も値引きを承諾する必要はないはずだが、あの抜けきった商人の男はあれよあれよという間に言い負かされて、気づいたら言い値の半額近くになっていた。こんなひどい商売を常習的に行っていることに腹が立っていたエリッツも、見ていて気の毒になってきたくらいだ。もしもアルヴィンの術脈がロックされていることに気づかれていたらもっと値切られただろうが、それはエリッツたちの弱みでもあるので、わざわざいう必要はない。
 ちなみにエリッツは元から値切るほどの額ではなかったので言い値で即決だった。「いらない」といわれないだけよかったかもしれない。そんなことになればとても傷つく。
 あの女性、ライラはいろんな意味で只者ではないようだった。アルヴィンとエリッツの購入もライラ自身の裁量で行っていたということは、この渓谷を根城にしている組織の中でかなり信頼されている立場なのではないだろうか。
「よいしょっ、と」
 アルヴィンは岩肌がえぐれて天然の貯蔵庫のようになっている場所に麻袋を投げ入れた。小さな洞窟といった具合だ。エリッツもその横に芋を満載した木箱を置いてぐっと腰を伸ばす。アルヴィンの荷物の方が軽そうに見えるがどうなんだろうか。
 そこは集落のような場所だった。
 岩肌にまばらに生えている木を利用し縄を渡して簡易なテントを作っている。おそらく戦況にともない移動するのだろう。長く住みついている感じではない。住人は眠っているのか、外に出ているのかわからないが、辺りは静かだ。子供たちがテントと同じような素材の布のボールを使って遊んでいた。エリッツとアルヴィンのことが気になるようで、互いに肩をつつき合ってこちらを指さしたりしている。あの子供たちもライラが買ったのだろうか。エリッツはわずかに眉をひそめた。黒髪の子が多いが、赤やとび色の髪をした子供たちもいる。肌の色もみな違っていた。
「運び終わったら話を聞かせてくれるんだよね」
 アルヴィンがライラに念を押す。
「もちろん、もちろん」
 ライラは木の桶で水をくみ上げながら、軽い調子で返事をした。岩場のかげに井戸のようなものがある。馬車から降りたあたりでは川を見かけなかったが、この渓谷の地下には水脈が走っているのかもしれない。
 しかしライラはエリッツとアルヴィンが逃げだすとは思っていないようだ。こちらとしてもようやくアルメシエの情報が手に入りそうだというところで、ここを立ち去るという手はない。そこをきちんと見極めているようだ。
「こっちも欲しい情報があるからね。それを買ったようなもんだし」
 エリッツたちは顔を見合わせた。
 こちらが欲しいのはアルメシエにいるロイたちの情報である。もしかしてライラたちは逆にレジスのことを知りたいんじゃないだろうか。
「何ぼんやりしてるんだよ。早く運びな。いくら払ったと思ってんだ」
 めちゃくちゃ値切ったじゃないか――とは、もちろんいわない。エリッツたちは肩をすくめてもと来た道を戻りはじめた。
「あれはロイじゃないよ」
 歩きながらアルヴィンがぽつりともらす。エリッツは首をかしげた。もちろん黒髪の人すべてがロイとは限らないがエリッツには違いがわからない。
「あのしゃべり方、聞き覚えない?」
 エリッツはまた首をかしげた。
「ライラのこと知ってたの?」
「そうじゃない。あの変なイントネーションのレジス語。僕みたいに物心ついたときから話しているんじゃなくて、後から覚えたんだよ」
 そこまで言われてもエリッツは思い出すのに時間がかかった。しかし一度思い出してしまえば、なぜあの強烈な記憶が出てこなかったのか不思議である。
「バジェイン……」
 あの異様ななまり方、帝国ラインデル人の話すレジス語だ。クセが非常によく似ている。
「どういうこと?」
「そういうことでしょ」
 言いながらアルヴィンは麻袋を担ぎあげる。商人の男は荷をおろしただけで立ち去ってしまった。一緒に運んでくれてもよかったのに。エリッツはまた重い木箱を持ち上げる。芋の担当みたいな感じになってしまったが、不公平ではないか。絶対麦の袋の方が軽い。
「みんな事情があるだろうからね。それ以上は話を聞かないとわからないよ。ここではロイも含めて自国にいられなくなった人々が居場所を勝ち取るために戦っているんじゃないかな」
 アルヴィンはしばらくして「まだ状況がよくわからないけど」と、付け足した。
 しかし何だかおかしな気がした。居場所のない人々がアルメシエに集まって居場所を取り合っているって、元々ここを居場所にしていた人々はどうしたのだろう。取られてしまってもいいのだろうか。
 それからもエリッツは黙々と芋の木箱を運んだ。芋にしか手を出してはいけないといわれたわけではないので、黙って麻袋の方を担いでもよかったはずだが、惰性で芋ばかり運んでしまった。おかげでもうすっかりくたびれて、睡魔に首根っこをつまかれている。
 事務官とはいえラヴォート殿下の護衛の仕事も兼ねるため、日頃からきちんと体を鍛えてはいるが、さすがに芋の入った箱をこんなに運んだことはない。稽古とは別の筋肉を使う。腰が痛い。
「おつかれさん」
 エリッツたちはテントの中のひとつに招きいれられた。すでに甘い香りのお茶が用意されている。ライラは薄いクッションのようなものにあぐらをかいて、干した果物もすすめてくれた。買われたわりには厚遇されているのかもしれない。
「あたしがお金を出しだんだからあたしが先よ」
 ライラが牽制するようにアルヴィンに手のひらを見せる。お金を出したのはここに住んでいる人々全員ではないのだろうか。まさかライラのポケットマネーで買われたわけではないだろう。
「どうぞご自由に」
 アルヴィンは面倒臭そうである。ライラは満足げにうなずくと、さっそく口を開く。
「レジスから来たんだよね? そしてレジスの軍人? それは間違いない?」
「そうだよ。言っとくけどこっちにも、出せる情報と出せない情報があるからね」
 アルヴィンの言葉にライラは一瞬むっと押し黙ったが「それはお互い様か」と、ひとりで納得したようにうなずいた。表情がよく動く人である。
「あんた――えっと、エリッツ? あんたも軍人でしょ?」
「おれは違うよ」
 ライラは軽く首をひねった。何か不審な点でもあっただろうか。
「うーん、あたしの目も曇ったのかな。あのとろくさい男を出し抜いてかなりのお値打ち商品を買い上げたつもりだったんだけど。軍人じゃないのか」
「心配しなくていいよ。兵力としてのことを言っているなら、きみの目利き通りだ」
 アルヴィンがめずらしくエリッツをほめるようなこという。
 アルヴィンの前に置かれていた干した果物がすでに消えていた。エリッツの分まで消えるのは時間の問題だ。
「兵力の件は後で相談させてもらうとして、まずはレジスの情報だよね」
 情報を買ったといいつつ、やはり兵力としても期待されているようである。たくましい限りだ。しかしあの商人の男にはずいぶんと安値をつけられたものだが、ライラはもっと高く見積もってくれていたようでエリッツは少し笑顔になった。
「何笑ってるの。気持ち悪いな」
「今の、笑うところ?」
 アルヴィンとライラが同時にエリッツを気色悪そうに見た。二人は気が合いそうである。
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