亡国の草笛

うらたきよひこ

文字の大きさ
上 下
135 / 236
第六章 火の守

第百三十五話 火の守り(11)

しおりを挟む
 エリッツは大きくため息をついてその場に寝転んだ。
「遠い……」
 思わずひとりごとまでこぼれてしまう。晴れ渡った夏の空にエリッツのよく知らない鳥が数羽飛んでいた。
「こんなところで何やってるの?」
 一瞬またアレックスかと思ったが声が違う。軽く頭をあげると、アレックスとは真逆のほっそりとした人影が見えたのでそのまま上体を起こした。
「カーラ?」
「なにここ? いつもこんなところで休憩してるの?」
 また例の執務室近くの隙間のような草地である。確かに木々に隠れた場所にこんな空間があるとは普通に通路を歩いているだけだと気づかないはずだ。大方エリッツがここに入りこんでいくのを目撃してついてきたのだろう。
「いつもじゃないよ」
 今日は昼食にするパンすら買ってこなかった。遠く見える中の間の木々はいよいよ夏の盛りとばかりに葉を繁らせている。
「ねぇねぇ、視察どうだった?」
 カーラはエリッツの様子にかまわず隣に腰をおろす。相変わらずだが、休憩時間なので先輩事務官に叱られる心配はない。
「ずいぶんと楽しそうな内容だったじゃない」
 視察の話題はどこまで話をしてもいいのかわからないので難しいが、北の王の話題でなければ問題ないだろう。
「ああ、その話……」
 カーラは王命執行主席補佐事務、要はラヴォート殿下に関わる事務仕事をしている。視察の内容なども機密情報以外は耳に入っていても不思議ではない。
「楽しかったよ」
「楽しくなさそうね」
 すかさずカーラが返してくる。それとこれとは別だ。視察そのものが楽しかったことに嘘はない。
「ロイの子供たちとパンを焼いたんですって? アレックス様は本当にいろいろと思いつくわね」
 そうだった。アレックスの背嚢にはたくさんの瓶詰や小麦粉が詰まっていたのだ。さらに事前に別部隊にも同様の荷物を運ばせていたらしく、保護区にはすでにたくさんの材料が準備されていた。ロイの子供たちとてパンは別にめずらしくもなんともないだろうが、アレックスが焼こうと提案したのはレジス式のやわらかく白っぽいパンだった。ちょうど数日前にエリッツがもらったようなふわふわとしたあれだ。
 ロイでは主に穀物の味が濃くて固めの重いパンを煮込み料理と一緒に食べるのが一般的で、レジスのようにやわらかいパンに甘いクリームやジャムなどを塗ってお菓子のようにして食べる習慣はなかったらしい。おそらくロイとレジスでは収穫できる麦の種類が違うのもその理由だろう。
 はじめは「何だ、パン焼きの手伝いか」と渋い表情だった子供たちは、窯からふわっとふくらんで出てきたパンに目をかがやかせた。さらに各々気に入った瓶詰の果物をのせたり、シロップをぬったりして口に入れ、笑みを広げてゆく様子はエリッツも見ていて幸せな気分になったものだ。どこの国でも子供たちは甘いものが大好きだ。
 ロイの大人たちには事前に根回しがしてあったようで、パンを焼くための窯を空けてもらっており、ある程度の下準備もできていた。子供たち全員でパンを焼くという一大イベントのわりにスムーズに進みエリッツたちは定刻に帰路につくことができたわけだ。
 そしてなぜかこの企画のことはエリッツだけが聞かされていなかった。サプライズされる子供たちの側に数えられていたようだ。実際にパン焼きを手伝い、パンももらった。子供扱いが甚だしい。
 アレックスに文句を言おうにもあのふくふくとした笑顔で「どう? びっくりした?」と問われると何も言えなくなる。
「焼きたてのパンかぁ、いいわねー」
 カーラはエリッツの話にまるで旅行の土産話のような相槌を入れ、日の光に目を細めていた。
「さて、全体的な視察の感触はいかがでしたか?」
 今度は急にわざとらしくまじめくさった声色を作る。
「いきなり何?」
「あら、レジスとロイのつながりは重要よ。それに王命執行主席補佐事務室としてはラヴォート殿下の進退にも大いに興味を持つべきだわ」
「それ、よく噛まずに言えるね」
「むしろなんで言えないのよ。そんなことよりどうだったの? 視察」
 王命執行主席補佐事務室なんて声に出して言ったのは一度あるかないかだ。エリッツがそこに含まれるのかはわからないが、確かにラヴォート殿下の動向がエリッツの仕事に大きく影響を及ぼすのは間違いない。
「そういう視点でいうなら、悪くなかったと思う」
 ダフィットの言葉を借りるならアレックスのパフォーマンスは完璧だったといえるだろう。子供たちは大喜びでその子供たちを見ている親たちも始終にこにこしていた。パンを食べた子供たちの中には大人になったらレジスの助けとなる仕事をしてもいいと考える子もいたはずだ。
 ただ北の王はアレックスに敬意を払いつつもラヴォート殿下と常に行動を共にしていた。見ている側からしたら北の王が信頼を寄せているのはラヴォート殿下の方だという印象をもったに違いない。そういう意味ではこちらも見事なパフォーマンスだった。
 印象的だったのが、北の王がアレックスに供されたパンを半分にちぎりラヴォート殿下にさしだした場面だった。レジス側の人間は子ども扱いされているエリッツを除きパンを食べてはいなかったが、パンを焼いた子供たちをねぎらうように「よく焼けている」と例の王子様の笑顔でコメントしたラヴォート殿下に対して「ええ、とてもおいしそうですよ」といいながらパンをさしだしたのだ。もちろん村中の人間の注目を集めている北の王である。それこそみんながそれを目撃していたに違いない。
 北の王の話題には触れずに、エリッツが自身の所感をのべたところ、カーラは何ごとかを思案するような表情でうんうんとうなずいていた。
「それなら私が事務官長になった後も事務室は安泰かもね」
 小声でそんなことをつぶやいている。事務官長になるというのはやはり本気なのか。
「何だか書類の感じが妙だったし、エリッツも視察戻ってから元気がないから、表に出せない問題でも発生したのかと思って心配だったんだけど、全然大丈夫なのね?」
 そう念を押すように言われてエリッツは分かりやすいくらいに動揺してしまった。
 書類が妙だったのはおそらく北の王にかかわる記述がわざと抜かしてあるからだろう。エリッツの元気がないのはまた全然別の話だ。
「やっぱり何かあったの?」
 エリッツがうろたえるのを見てカーラは表情を曇らせる。
「視察は本当に問題なかったよ。おれ、そんなに元気なく見える?」
「んー……、見えるね」
 カーラがそう思うのも無理はない。実際にエリッツは落ち込んでいた。どう説明したらいいだろう。
「たとえばだよ……す、好きな人が……」
「またカウラニー様の話?」
 あまりにも速い返しにエリッツはしばし黙り込む。
「あれ? 違った?」
「違わないけど」
 シェイルが遠すぎる。
 視察中にエリッツが感じ続けたのはこのことだ。生まれた境遇から背負っているものまであらゆることがエリッツとはかけ離れていた。わかっていたつもりだったが本当の意味で理解していなかったのだろう。北の王としてふるまっているシェイルのあまりの遠さに打ちのめされてしまった。これまでのようになでてもらったり、指をなめさせてもらったりできる気がしない。
 だがカーラにいってもエリッツの煩悶とした思いにピンときていないようだ。
「――ふーん」と、興味なさそうにその場の草を引き抜いたりしている。
 また頭の中がピンク色だと思われている可能性がある。エリッツは話題を変えようと思考をめぐらせるが、やはり気が滅入っていて何も浮かばない。
「そうだった。そのカウラニー様、今日はどこにいるの? エリッツ、朝から一人よね?」
「え?」
 そういえば朝からシェイルを見ていない気がする。予定を管理しているエリッツがわからないのだからカーラにはもっとわからないだろう。また国王陛下に呼び出されているか何かだろうと思っていたが半日不在なのはおかしい。それにその場合はいつもエリッツにひとこと伝えてくれる。――となると、北の王の立場としてダフィットでは代われないような用事があったのかもしれない。
 いろいろと考えればいくらでも可能性が出るが、エリッツは何だかじわじわと焦りを感じはじめていた。
「カーラはシェイルを探しに来たの?」
「探すというほどのことでもないけど、あの方仕事が早いのにめずらしく止まっている書類があるから、どうなっているのか確認するようにって、上官からの督促依頼、というわけ」
「ええっ! ごめん」
 それはほぼエリッツの責任である。シェイルのスケジュール管理の一環として書類の期限なども確認をしていた。確認はしていたが、シェイルがいつも期限よりも早く終わらせてしまうのでほぼ不要な作業となっていたのだ。
「エリッツの心当たりがないとなるともう手詰まりだなー」
 さほど焦っている様子でもないカーラの声を聞きながら、エリッツはさらに嫌な予感がこみあげるのを抑えきれなかった。こんなことは今までなかった。
 そしてその予感通り、エリッツはそれからしばらくの間シェイルの姿を見ることがなかったのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...