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第六章 火の守
第百二十八話 火の守り(4)
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「ルルク、聞いてる?」
見るとリッケルがこちらをのぞきこんでいた。ぼんやりと縄をなっていたルルクは手をとめる。庭先のことであるから通りがかる子供たちが何かと声をかけてきていたのには気づいていたが、どうやらリッケルはこちらの反応を待っているようだ。
縄から手を離してはほどけてしまうのでじっと手を見たままだ。怪我をした左手にあまり力が入らないので縄は奇妙にねじ曲がっていた。リッケルはその縄に視線を落してやや不思議そうな顔をする。気づかれないように両手には薄い手袋をしているので問題ないはずだ。
「聞いてるよ」
本当は聞いていなかった。
「長老たちが毎日集まってるから、またレジスの偉い人たちが来るんじゃないかと思うんだけど何か知ってる?」
リッケルも知らないようなことをルルクが知っているわけがない。ルルクにまで聞いてくるということは余程だれも教えてくれないのだろう。しかしそんなことを知ってどうするというのか。
レジスの偉い人というのはたまに来る。だが来るだけで危害を加えたり、ルルクの生活が変わってしまったりすることはない。つまり何も起こらないのと同じだ。
「知らない」
ルルクは縄から手を離れないようにじっと見ていた。
「相変わらず身も蓋もない言い方するなあ」
リッケルは頭をかきながらルルクの隣に座りこむ。気が散って手を離してしまいそうだ。ルルクは基本的にひとつのことしかできない。できれば早く立ち去って欲しい。
「いつもとなんか違う気がするんだ。前に帝国軍がレジスに侵攻したときにみんなが大勢でここを出て戦っちゃっただろう。そのせいでレジスの人々にはずいぶん警戒されちゃったとは聞いていたんだけど。もしかしてまずいことになっちゃったのかなあ」
ルルクが難しい話を理解できないことはリッケルだって知っているはずだ。きっとひとりごとをいいにきたのだと思うことにする。
「あの人、いただろ? 外れの方に一人で住んでた、アルヴィンって変な人。今レジスの西の国境で軍人として働いてるんだって。ここでも大人たちに一目置かれてたもんな。外からすごい情報を持ってきたりして。精霊も自由自在に操ってた。ルルク同い年だろ? たまにしゃべってたじゃん。やっぱあれくらい行動力がないとダメなのかな」
何がダメなのか。リッケルが自分に行動力がないと嘆くのであればルルクは静止しているも同然となってしまう。
アルヴィンという名前を聞いておぼろげに記憶がよみがえってきた。毎日忙しそうに走り回ってはリッケル同様ルルクに難しい話をして大騒ぎしていた男の子だ。いつからか見かけなくなったがやはり外にいるのか。
ルルクは押さえていた縄が緩んできた気がしてぎゅっと引っ張った。返事がなくともやはりリッケルは気にしていないようで、勝手にしゃべり続けている。
「レジスの偉い人が来ると、そのあと従軍のための試験を受けて欲しいって連絡がくる人が多いよな。別に何もないときに連絡が来ることもあるけど、でも、やっぱ関係があるのかな。軍人としてやっていけそうな子供を見にきている、とか」
ルルクはじっとリッケルを見た。
「リッケルは……」
ルルクは言い出してから何を聞こうとしたのか忘れた。そういえばリッケルの父親もレジス軍にいたはずだがルルクにはその話をしない。従軍の試験とかそういう話ならルルクにではなく父親に手紙でも何でも送って聞いてみればいいのに。リッケルもレジスの軍人になりたいのだろうか。
そうだ。それを聞こうと思っていたのだった。ルルクは口を開きかけたがリッケルの方が早かった。
「ルルク、その手……どうしたの?」
そう言われて手元を見ると綿でできた手袋に血が染みていた。怪我をしてから数日が経過していたが治りが遅い。また傷が開いてしまったようだった。
「大丈夫」
アルサファイア王の火は消えてしまったが、ランプをしっかりと拭いて、マッチで元通りに火をつけておいた。はじめは湿気っていてうまくいかなかったが、火の守の当番が終わる明け方頃、うまく火が入った。今のところ大騒ぎしている人はいない。ルルクの傷も気づかれなければ何があったのかわかる人もいないはずだ。いや、本当にそうだろうか。
「精霊を呼んでつけた火とマッチでつけた火の違い、わかる?」
ふと考えていたことが口から漏れ出てしまった。あわてて取り消そうとしたが、ルルクがあわてたところでリッケルの反応の速さにはかなわない。
「急になんだよ。俺にはわかんないけど、わかる人はいるよ」
「どうして?」
「俺は違いが見えないからどうしてだかわかんないよ」
ルルクはぼうっと何もない前方を見た。しゅるしゅると縄がほどけていってしまう。
マッチでつけた火を消して、ルルクが火の精を呼び出して火をつけ直せばいいのだろうか。だがそんな難しいことはできない。小さなランプの中に火を灯すなんてこの村で出来る人は限られている。それこそ軍の訓練を受けている人くらいしかできないだろう。
ぼうっとしたままルルクはまた縄をないはじめる。かなりほどけてしまったので、やり直しだ。
「まず怪我の手当てをした方がいいよ」
リッケルがルルクの左手をそっとつかんだので、ルルクはそれをふり払って立ちあがった。怪我の状態を見られてしまったら間違いなくあやしまれる。あの傷は誰が見ても精霊の牙によるものとわかるはずだ。集めた精霊の数とそれを使う人間の能力のバランスが悪いと負ってしまう傷だと聞いていた。
「家で手当てする」
そもそも誰に頼まれて縄をなっていたのか忘れている。母以外にいないが、何に使うとかどれくらい必要だとか、きちんと聞いていたはずなのに思い出せない。手順を覚えている作業なので何も考えずに没頭しすぎてしまっていたようだ。
呆然と立ちつくしているルルクにリッケルは「早く手当てしてきなよ」と言ってくれる。
「うん」
何だかいろいろな情報が入ってきたような気がして疲れてしまった。それに考えなければならないこともできた。
「うん」
ルルクは自分自身に対しても頷いて家の中に戻る。
ルルクはその夜、少しだけいいことを思いついた。何もランプの中に直接火を放つ必要はないのだ。火の精霊を呼び焚き火のように火を起こしてから、その火をランプに移せばいい。もともとアルサファイア王の火もそのように持ってきたもののはずだ。
問題はルルクの能力に方にある。ランプに火を入れるより難易度は格段に下がるがこれ以上怪我が悪化したらさすがに母に怪しまれてしまう。今でも痛みがあるのに、これ以上傷が広がると動きが不自然になる。いや、いつも動きがゆっくりだから案外きづかれないかもしれない。
とにかくぐずぐずしていればいるほど、あの火が偽物であると気づかれる可能性が高くなってしまうので、次の火の守の当番には必ずやりとげなければ。
「ルルク、早く食べてしまって。片付かないじゃない」
また考え事をし過ぎてしまった。考えながらごはんを食べることができない。考えるか、食べるかだ。夕食を食べてからまた火をつけ直すことについて考えよう。
ルルクは木の匙をとってスープをすくった。すくった匙にのせすぎてしまった野菜やハムがぽちゃ、ぽちゃと音を立てて器に戻っていく。匙にのる量は限られている。
ルルクはまた匙をスープ皿に沈めてすくいあげる。またぽちゃ、ぽちゃと具材が落ちていく。
今度はスープ全体から適当にすくいとるのではなく、目を凝らして具材がのりそうなだけのるように注意深くすくってみた。ぴったりとおさまった野菜がルルクの目の前に現れた。ハムがない。
もう一度、野菜とハムがちょうどいい量に匙におさまるようにすくいあげる。これは少し難しい。何度かすくっては戻し、すくっては戻しをくりかえす。
母がため息をついているのが聞こえるが、ルルクのことをよく理解しているのでわざわざ注意してこない。同じことを何度もくりかえし、ようやく満足のいく状態になった。
「スープ、冷めちゃったでしょう」
母は少しさみしそうにルルクの目を見つめた。
見るとリッケルがこちらをのぞきこんでいた。ぼんやりと縄をなっていたルルクは手をとめる。庭先のことであるから通りがかる子供たちが何かと声をかけてきていたのには気づいていたが、どうやらリッケルはこちらの反応を待っているようだ。
縄から手を離してはほどけてしまうのでじっと手を見たままだ。怪我をした左手にあまり力が入らないので縄は奇妙にねじ曲がっていた。リッケルはその縄に視線を落してやや不思議そうな顔をする。気づかれないように両手には薄い手袋をしているので問題ないはずだ。
「聞いてるよ」
本当は聞いていなかった。
「長老たちが毎日集まってるから、またレジスの偉い人たちが来るんじゃないかと思うんだけど何か知ってる?」
リッケルも知らないようなことをルルクが知っているわけがない。ルルクにまで聞いてくるということは余程だれも教えてくれないのだろう。しかしそんなことを知ってどうするというのか。
レジスの偉い人というのはたまに来る。だが来るだけで危害を加えたり、ルルクの生活が変わってしまったりすることはない。つまり何も起こらないのと同じだ。
「知らない」
ルルクは縄から手を離れないようにじっと見ていた。
「相変わらず身も蓋もない言い方するなあ」
リッケルは頭をかきながらルルクの隣に座りこむ。気が散って手を離してしまいそうだ。ルルクは基本的にひとつのことしかできない。できれば早く立ち去って欲しい。
「いつもとなんか違う気がするんだ。前に帝国軍がレジスに侵攻したときにみんなが大勢でここを出て戦っちゃっただろう。そのせいでレジスの人々にはずいぶん警戒されちゃったとは聞いていたんだけど。もしかしてまずいことになっちゃったのかなあ」
ルルクが難しい話を理解できないことはリッケルだって知っているはずだ。きっとひとりごとをいいにきたのだと思うことにする。
「あの人、いただろ? 外れの方に一人で住んでた、アルヴィンって変な人。今レジスの西の国境で軍人として働いてるんだって。ここでも大人たちに一目置かれてたもんな。外からすごい情報を持ってきたりして。精霊も自由自在に操ってた。ルルク同い年だろ? たまにしゃべってたじゃん。やっぱあれくらい行動力がないとダメなのかな」
何がダメなのか。リッケルが自分に行動力がないと嘆くのであればルルクは静止しているも同然となってしまう。
アルヴィンという名前を聞いておぼろげに記憶がよみがえってきた。毎日忙しそうに走り回ってはリッケル同様ルルクに難しい話をして大騒ぎしていた男の子だ。いつからか見かけなくなったがやはり外にいるのか。
ルルクは押さえていた縄が緩んできた気がしてぎゅっと引っ張った。返事がなくともやはりリッケルは気にしていないようで、勝手にしゃべり続けている。
「レジスの偉い人が来ると、そのあと従軍のための試験を受けて欲しいって連絡がくる人が多いよな。別に何もないときに連絡が来ることもあるけど、でも、やっぱ関係があるのかな。軍人としてやっていけそうな子供を見にきている、とか」
ルルクはじっとリッケルを見た。
「リッケルは……」
ルルクは言い出してから何を聞こうとしたのか忘れた。そういえばリッケルの父親もレジス軍にいたはずだがルルクにはその話をしない。従軍の試験とかそういう話ならルルクにではなく父親に手紙でも何でも送って聞いてみればいいのに。リッケルもレジスの軍人になりたいのだろうか。
そうだ。それを聞こうと思っていたのだった。ルルクは口を開きかけたがリッケルの方が早かった。
「ルルク、その手……どうしたの?」
そう言われて手元を見ると綿でできた手袋に血が染みていた。怪我をしてから数日が経過していたが治りが遅い。また傷が開いてしまったようだった。
「大丈夫」
アルサファイア王の火は消えてしまったが、ランプをしっかりと拭いて、マッチで元通りに火をつけておいた。はじめは湿気っていてうまくいかなかったが、火の守の当番が終わる明け方頃、うまく火が入った。今のところ大騒ぎしている人はいない。ルルクの傷も気づかれなければ何があったのかわかる人もいないはずだ。いや、本当にそうだろうか。
「精霊を呼んでつけた火とマッチでつけた火の違い、わかる?」
ふと考えていたことが口から漏れ出てしまった。あわてて取り消そうとしたが、ルルクがあわてたところでリッケルの反応の速さにはかなわない。
「急になんだよ。俺にはわかんないけど、わかる人はいるよ」
「どうして?」
「俺は違いが見えないからどうしてだかわかんないよ」
ルルクはぼうっと何もない前方を見た。しゅるしゅると縄がほどけていってしまう。
マッチでつけた火を消して、ルルクが火の精を呼び出して火をつけ直せばいいのだろうか。だがそんな難しいことはできない。小さなランプの中に火を灯すなんてこの村で出来る人は限られている。それこそ軍の訓練を受けている人くらいしかできないだろう。
ぼうっとしたままルルクはまた縄をないはじめる。かなりほどけてしまったので、やり直しだ。
「まず怪我の手当てをした方がいいよ」
リッケルがルルクの左手をそっとつかんだので、ルルクはそれをふり払って立ちあがった。怪我の状態を見られてしまったら間違いなくあやしまれる。あの傷は誰が見ても精霊の牙によるものとわかるはずだ。集めた精霊の数とそれを使う人間の能力のバランスが悪いと負ってしまう傷だと聞いていた。
「家で手当てする」
そもそも誰に頼まれて縄をなっていたのか忘れている。母以外にいないが、何に使うとかどれくらい必要だとか、きちんと聞いていたはずなのに思い出せない。手順を覚えている作業なので何も考えずに没頭しすぎてしまっていたようだ。
呆然と立ちつくしているルルクにリッケルは「早く手当てしてきなよ」と言ってくれる。
「うん」
何だかいろいろな情報が入ってきたような気がして疲れてしまった。それに考えなければならないこともできた。
「うん」
ルルクは自分自身に対しても頷いて家の中に戻る。
ルルクはその夜、少しだけいいことを思いついた。何もランプの中に直接火を放つ必要はないのだ。火の精霊を呼び焚き火のように火を起こしてから、その火をランプに移せばいい。もともとアルサファイア王の火もそのように持ってきたもののはずだ。
問題はルルクの能力に方にある。ランプに火を入れるより難易度は格段に下がるがこれ以上怪我が悪化したらさすがに母に怪しまれてしまう。今でも痛みがあるのに、これ以上傷が広がると動きが不自然になる。いや、いつも動きがゆっくりだから案外きづかれないかもしれない。
とにかくぐずぐずしていればいるほど、あの火が偽物であると気づかれる可能性が高くなってしまうので、次の火の守の当番には必ずやりとげなければ。
「ルルク、早く食べてしまって。片付かないじゃない」
また考え事をし過ぎてしまった。考えながらごはんを食べることができない。考えるか、食べるかだ。夕食を食べてからまた火をつけ直すことについて考えよう。
ルルクは木の匙をとってスープをすくった。すくった匙にのせすぎてしまった野菜やハムがぽちゃ、ぽちゃと音を立てて器に戻っていく。匙にのる量は限られている。
ルルクはまた匙をスープ皿に沈めてすくいあげる。またぽちゃ、ぽちゃと具材が落ちていく。
今度はスープ全体から適当にすくいとるのではなく、目を凝らして具材がのりそうなだけのるように注意深くすくってみた。ぴったりとおさまった野菜がルルクの目の前に現れた。ハムがない。
もう一度、野菜とハムがちょうどいい量に匙におさまるようにすくいあげる。これは少し難しい。何度かすくっては戻し、すくっては戻しをくりかえす。
母がため息をついているのが聞こえるが、ルルクのことをよく理解しているのでわざわざ注意してこない。同じことを何度もくりかえし、ようやく満足のいく状態になった。
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