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第四章 真昼間の追跡
第百十四話 真昼間の追跡(7)
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「あ、あ……」
彼女だ。だがすぐに名前が出てこない。
「パーシヴァル・ラフタル、ここで何をしているの?」
パーシーはきょとんとする。数秒遅れてそれが籍に載っている自分の正式な名前だったことを思い出す。役人登用試験で様々な書類に記入して以来の再会だ。
ラフタル村で育った孤児、パーシヴァル。自分のことだ。しかし本人も忘れかけているようなことをなぜ彼女が知っているのだろうか。
「あ、思い出した。マリーさん! 見回りですか?」
「マリルよ。あと、この辺は見回り管轄外ね」
そういえばそうだった。
「それで、何をしているの?」
彼女のとび色の目がパーシーを射抜くように見た――ような気がした。気のせいだったと言われればそうとしかいいようがないほど一瞬のことだ。
「いや、えーっと、人を探してるんだけど」
「どんな人?」
他人にまったく興味を示さなかった彼女にしてはえらくつっこんでくる。返答を間違えるとどうにかされるんじゃないかという圧を感じてパーシーはたじろいだ。ここまでのことを話せば長くなる。
「赤毛の、ひょろっとした感じの、僕と同じくらいの歳の人なんだけど、この辺で見なかった?」
言いながら何かが心に引っかかる。
そういえば座敷犬青年が彼女の名前を口にしなかっただろうか。そのときゼインは確か「軽々しく呼ぶな」と叱りつけていた。もしかして三人とも知り合い同士なのか。
はっと顔を上げたパーシーの目の前にはもう彼女はいなかった。
「ちょっと、待って。これからどこ行くんです?」
すでに遠くなりつつある彼女の背中を追って、パーシーは駆け出した。するとどういうわけか、彼女も走り出す。
「え、ちょ、何?」
しかもまったく追いつけない。昨日尾行したときと同様きわどいがぶつかることなく人混みを抜けていく。
ようやく止まってくれたと思った時、パーシーの方はすっかり息が切れていた。イゴルデからかなり遠くまで来ている。
「何で、走ったん、です?」
肩で息をしながら問うパーシーに彼女は息ひとつ乱さずに、小首をかしげる。
「なんで追いかけてきたの?」
確かに。なんでだろう。パーシーが返答に詰まっていると彼女はさらに追い打ちをかけて来る。
「昨日も尾行なんてして何かおもしろいことあった? 不審に思うことがあるならまず名簿を当たった方が収穫があったかもね」
パーシーはさらに言葉を失う。気づかれていたのか。しばらくは雑踏の中パーシーの荒い息遣いだけが続いた。
「すみませんでした。尾行なんてして。あまり深い意味はないんだけど、お昼ごはんがあまりにおいしそうだったんで――ん? いや、それはただのきっかけで、ようするに気になって。ずっと前から役所にいるのにあまり話をしたことがないなーって。どんな人なのかなとか、そういう興味関心からで――と、いっても気持ち悪いですよね」
彼女は小さく息をつく。
「あなたもよくしゃべるわね」
「『も』って何ですか」
それには答えずに歩き続けている。どうやら南門の方へ向かっているらしい。
「ところで出世に興味ある?」
唐突にそう聞かれて、パーシーは反射的に大きく頷く。
「そりゃあもう。出世しないんで、全然故郷に帰れないんですよ。僕は孤児だけど、村のみんなが期待してくれていたんだ。これでも一応いくばくかお金を貯めて村に帰りたいとは思ってるんだけど。親代わりをしてくれた人はいるので。弟、妹のような子たちもいっぱいいて。でも今のままじゃ返ってがっかりさせちゃうな」
「それは好都合」
彼女は妙に楽しそうにぐっと伸びをした。
南門前の雑踏を避けて、小道に入ると見覚えのある建具屋の看板が見えた。
「好都合というと――?」
だが彼女はそれにも答えず、建具屋の前を通過してその隣の小さな質屋に入った。店内に来客を告げるためであろうドアにかかった鈴が軽やかに鳴る。
「どうもー」
彼女が陽気に声をかけると、そこにいたのはゼインである。
「え、何? どうなってるの」
パーシーは極度の混乱に陥り、店内を見渡した。
構図は単純である。
ゼイン、そして先ほどまでイゴルデにいて消えた男、そして質屋の店主と思われる男。ただしこの二人は縄でしばられて転がされている。
「あれ? ひとりでやったの?」
彼女はまるで自分がやろうとしていた家事か何かがすでに終わっていたかのような口調である。
ゼインは何か言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、やがて「やりましたよ」と不貞腐れたようにつぶやいた。
彼女は満足げににっこりとほほ笑み「そう。じゃあ、後よろしくねー」と、いってパーシーの肩をポンと叩き、店を出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと、え? どういうこと?」
彼女はもはや何も聞こえていないかのようにパーシーを無視した。助けを求めるようにゼインを見るが、彼は彼でひどく疲労しているようで「はい、これ。あとはここで待ってればいいし」と、パーシーに謎の包みを手渡した。ずっしりと重く、手に触れる感触が硬い。
何これ?
パーシーはぽつんと小さな店の中に取り残されて立ちすくんだ。床では口元を布でしばられている男たちのうめき声が聞こえている。
何か罠にでもはめられたのだろうか。
あまりの事態に対応しきれず呆然としていると、店の扉がそっと開いた。
現れたのは二人の軍人である。濃紺の制服は役人の制服と同色だが、形がまったく違うのでよくわかる。
「きみが見回りの役人の?」
一人が小声で口を開くのでパーシーも思わず小声になる。
「はい、パーシヴァル・ラフタルです」
先ほど思い出したばかりの自分の籍の名前を告げると、隣にいた軍人が帳面に何かを書きつけた。
「パーシヴァル君? ご苦労様。それが例の?」と、パーシーが持たされている謎の包みを指さす。パーシーは中身もわからない不気味な包みをそのまま渡した。二人の軍人は互いの顔を見合わせてうなずいている。
「ここはもういいからできるだけ静かに役所に戻ってくれ。そろそろ店主の仲間が戻ってくるはずだから」
昨日のあれは何だったのか。パーシーは今日も首をかしげている。当然だが報告書は一行も進まない。報告すべきことを何一つ知らないのだからこれはどうにもならない。
今日に限ってジェフとザグリーはいない。だがあの出来事は軽々しく人に相談してはいけないような気もする。
よくわからないが、パーシーは所長から呼び出されて報奨金と書かれた分厚い封筒をもらった。近々昇給もあるらしい。パーシーにとっては願ってもない朗報だが、身に覚えがないので気持ち悪い。所長の話ではパーシーが軍に協力して犯罪者をつかまえたことになっているということだが、いつの間にそんなことになったのか。
また首をかしげる。
「お疲れ様」
彼女がパーシーの机の上に机にどんと書類の束を置く。
「その書類は?」
彼女は小さく首をかしげて「いらない?」と聞く。パーシーは書類を手に取ってめくっていった。
「これ、昨日の……」
報告書の下書きのようだ。しかもかなり詳細に書かれている。一日でこれだけの書類を作ったのだろうか。これを読めば何が起こったのかよくわかる。思わず熟読しそうになったが、はっと顔をあげると、やはり彼女は無言で立ち去ろうとしていた。
「ちょっと待ってください」
あわててパーシーは彼女を追った。
「何?」
相変わらずなんでもないような顔をして聞いてくる。
「『何?』じゃないですよ。何が何だかわからないから説明してください」
切羽詰まったようなパーシーの声に彼女は首をひねる。
「昨日のことはあの書類に書いてあるから読んだらいいよ」
「そうじゃなくて、あれはゼインって人がやったことですよね。どうして僕がやったことになってるんです?」
彼女は「見えない聞こえない」とでも言うように、きゅうっと目を閉じた。えらく面倒くさそうである。
「パーシヴァル・ラフタル、お手柄をもらって何が不満なの? 出世するかもよ」
まったく説明をしてくれる気はなさそうだ。パーシーは息を吐く。
「わかりました――僕、このことは黙っているのでちょっとお願いを聞いてくれませんか」
「私と取引をするつもり?」
ひどく冷たい声だった。なぜかぞっと背筋が泡立つ。
「いや、その、取引とかそんな大それたことではなく――」
パーシーは自分でもおかしなくらいに取り乱していた。何だかわからないけど、この人、怖すぎる。
「あの人、ゼインという人、どこにいるんですか?」
「ゼイン?」
「いや、あの、友達になりたいなーって――」
その瞬間、彼女は急激にパーシーに興味を失ったような表情で「ふーん」と声をもらした。
「それ、伝えとくよ」
さもどうでもよさそうな顔で首筋をかいている。何だか反応が猫のようだ。
「絶対に伝えてくださいよ」
反故にされそうな気がしてパーシーは念を押したが、聞いているのかいないのか、彼女はパッと踵を返して立ち去ってしまう。
彼女だ。だがすぐに名前が出てこない。
「パーシヴァル・ラフタル、ここで何をしているの?」
パーシーはきょとんとする。数秒遅れてそれが籍に載っている自分の正式な名前だったことを思い出す。役人登用試験で様々な書類に記入して以来の再会だ。
ラフタル村で育った孤児、パーシヴァル。自分のことだ。しかし本人も忘れかけているようなことをなぜ彼女が知っているのだろうか。
「あ、思い出した。マリーさん! 見回りですか?」
「マリルよ。あと、この辺は見回り管轄外ね」
そういえばそうだった。
「それで、何をしているの?」
彼女のとび色の目がパーシーを射抜くように見た――ような気がした。気のせいだったと言われればそうとしかいいようがないほど一瞬のことだ。
「いや、えーっと、人を探してるんだけど」
「どんな人?」
他人にまったく興味を示さなかった彼女にしてはえらくつっこんでくる。返答を間違えるとどうにかされるんじゃないかという圧を感じてパーシーはたじろいだ。ここまでのことを話せば長くなる。
「赤毛の、ひょろっとした感じの、僕と同じくらいの歳の人なんだけど、この辺で見なかった?」
言いながら何かが心に引っかかる。
そういえば座敷犬青年が彼女の名前を口にしなかっただろうか。そのときゼインは確か「軽々しく呼ぶな」と叱りつけていた。もしかして三人とも知り合い同士なのか。
はっと顔を上げたパーシーの目の前にはもう彼女はいなかった。
「ちょっと、待って。これからどこ行くんです?」
すでに遠くなりつつある彼女の背中を追って、パーシーは駆け出した。するとどういうわけか、彼女も走り出す。
「え、ちょ、何?」
しかもまったく追いつけない。昨日尾行したときと同様きわどいがぶつかることなく人混みを抜けていく。
ようやく止まってくれたと思った時、パーシーの方はすっかり息が切れていた。イゴルデからかなり遠くまで来ている。
「何で、走ったん、です?」
肩で息をしながら問うパーシーに彼女は息ひとつ乱さずに、小首をかしげる。
「なんで追いかけてきたの?」
確かに。なんでだろう。パーシーが返答に詰まっていると彼女はさらに追い打ちをかけて来る。
「昨日も尾行なんてして何かおもしろいことあった? 不審に思うことがあるならまず名簿を当たった方が収穫があったかもね」
パーシーはさらに言葉を失う。気づかれていたのか。しばらくは雑踏の中パーシーの荒い息遣いだけが続いた。
「すみませんでした。尾行なんてして。あまり深い意味はないんだけど、お昼ごはんがあまりにおいしそうだったんで――ん? いや、それはただのきっかけで、ようするに気になって。ずっと前から役所にいるのにあまり話をしたことがないなーって。どんな人なのかなとか、そういう興味関心からで――と、いっても気持ち悪いですよね」
彼女は小さく息をつく。
「あなたもよくしゃべるわね」
「『も』って何ですか」
それには答えずに歩き続けている。どうやら南門の方へ向かっているらしい。
「ところで出世に興味ある?」
唐突にそう聞かれて、パーシーは反射的に大きく頷く。
「そりゃあもう。出世しないんで、全然故郷に帰れないんですよ。僕は孤児だけど、村のみんなが期待してくれていたんだ。これでも一応いくばくかお金を貯めて村に帰りたいとは思ってるんだけど。親代わりをしてくれた人はいるので。弟、妹のような子たちもいっぱいいて。でも今のままじゃ返ってがっかりさせちゃうな」
「それは好都合」
彼女は妙に楽しそうにぐっと伸びをした。
南門前の雑踏を避けて、小道に入ると見覚えのある建具屋の看板が見えた。
「好都合というと――?」
だが彼女はそれにも答えず、建具屋の前を通過してその隣の小さな質屋に入った。店内に来客を告げるためであろうドアにかかった鈴が軽やかに鳴る。
「どうもー」
彼女が陽気に声をかけると、そこにいたのはゼインである。
「え、何? どうなってるの」
パーシーは極度の混乱に陥り、店内を見渡した。
構図は単純である。
ゼイン、そして先ほどまでイゴルデにいて消えた男、そして質屋の店主と思われる男。ただしこの二人は縄でしばられて転がされている。
「あれ? ひとりでやったの?」
彼女はまるで自分がやろうとしていた家事か何かがすでに終わっていたかのような口調である。
ゼインは何か言いたげに口をぱくぱくとさせていたが、やがて「やりましたよ」と不貞腐れたようにつぶやいた。
彼女は満足げににっこりとほほ笑み「そう。じゃあ、後よろしくねー」と、いってパーシーの肩をポンと叩き、店を出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと、え? どういうこと?」
彼女はもはや何も聞こえていないかのようにパーシーを無視した。助けを求めるようにゼインを見るが、彼は彼でひどく疲労しているようで「はい、これ。あとはここで待ってればいいし」と、パーシーに謎の包みを手渡した。ずっしりと重く、手に触れる感触が硬い。
何これ?
パーシーはぽつんと小さな店の中に取り残されて立ちすくんだ。床では口元を布でしばられている男たちのうめき声が聞こえている。
何か罠にでもはめられたのだろうか。
あまりの事態に対応しきれず呆然としていると、店の扉がそっと開いた。
現れたのは二人の軍人である。濃紺の制服は役人の制服と同色だが、形がまったく違うのでよくわかる。
「きみが見回りの役人の?」
一人が小声で口を開くのでパーシーも思わず小声になる。
「はい、パーシヴァル・ラフタルです」
先ほど思い出したばかりの自分の籍の名前を告げると、隣にいた軍人が帳面に何かを書きつけた。
「パーシヴァル君? ご苦労様。それが例の?」と、パーシーが持たされている謎の包みを指さす。パーシーは中身もわからない不気味な包みをそのまま渡した。二人の軍人は互いの顔を見合わせてうなずいている。
「ここはもういいからできるだけ静かに役所に戻ってくれ。そろそろ店主の仲間が戻ってくるはずだから」
昨日のあれは何だったのか。パーシーは今日も首をかしげている。当然だが報告書は一行も進まない。報告すべきことを何一つ知らないのだからこれはどうにもならない。
今日に限ってジェフとザグリーはいない。だがあの出来事は軽々しく人に相談してはいけないような気もする。
よくわからないが、パーシーは所長から呼び出されて報奨金と書かれた分厚い封筒をもらった。近々昇給もあるらしい。パーシーにとっては願ってもない朗報だが、身に覚えがないので気持ち悪い。所長の話ではパーシーが軍に協力して犯罪者をつかまえたことになっているということだが、いつの間にそんなことになったのか。
また首をかしげる。
「お疲れ様」
彼女がパーシーの机の上に机にどんと書類の束を置く。
「その書類は?」
彼女は小さく首をかしげて「いらない?」と聞く。パーシーは書類を手に取ってめくっていった。
「これ、昨日の……」
報告書の下書きのようだ。しかもかなり詳細に書かれている。一日でこれだけの書類を作ったのだろうか。これを読めば何が起こったのかよくわかる。思わず熟読しそうになったが、はっと顔をあげると、やはり彼女は無言で立ち去ろうとしていた。
「ちょっと待ってください」
あわててパーシーは彼女を追った。
「何?」
相変わらずなんでもないような顔をして聞いてくる。
「『何?』じゃないですよ。何が何だかわからないから説明してください」
切羽詰まったようなパーシーの声に彼女は首をひねる。
「昨日のことはあの書類に書いてあるから読んだらいいよ」
「そうじゃなくて、あれはゼインって人がやったことですよね。どうして僕がやったことになってるんです?」
彼女は「見えない聞こえない」とでも言うように、きゅうっと目を閉じた。えらく面倒くさそうである。
「パーシヴァル・ラフタル、お手柄をもらって何が不満なの? 出世するかもよ」
まったく説明をしてくれる気はなさそうだ。パーシーは息を吐く。
「わかりました――僕、このことは黙っているのでちょっとお願いを聞いてくれませんか」
「私と取引をするつもり?」
ひどく冷たい声だった。なぜかぞっと背筋が泡立つ。
「いや、その、取引とかそんな大それたことではなく――」
パーシーは自分でもおかしなくらいに取り乱していた。何だかわからないけど、この人、怖すぎる。
「あの人、ゼインという人、どこにいるんですか?」
「ゼイン?」
「いや、あの、友達になりたいなーって――」
その瞬間、彼女は急激にパーシーに興味を失ったような表情で「ふーん」と声をもらした。
「それ、伝えとくよ」
さもどうでもよさそうな顔で首筋をかいている。何だか反応が猫のようだ。
「絶対に伝えてくださいよ」
反故にされそうな気がしてパーシーは念を押したが、聞いているのかいないのか、彼女はパッと踵を返して立ち去ってしまう。
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