亡国の草笛

うらたきよひこ

文字の大きさ
上 下
99 / 236
第一章 (仮)

第九十九話 臥房

しおりを挟む
「あの、まだでしょうか」
 エリッツは黒髪の客人だった男、リギルに何度目かの問いかけをする。
 目の前にはやはり何杯目かわからない紅茶がすっかり冷えた状態で天井の金属の細工が施された照明のゆらめきを映しこんでいる。別の使用人がその照明に火を入れに来たのはもうだいぶ前のことだ。その使用人もロイの人間らしく黒髪で、いともたやすそうに炎式で火をいれた。顔を隠していないうえにリギルが小さく顔をしかめたところを見るとあまりよくない行為なのだろう。
 それにしても居心地が悪い。
 通された部屋は異国情緒がただよいつつも質素で上品だ。主はなかなか趣味がよいようにエリッツは思った。一度会ったきりのルーヴィック王子は寝ぐせでしわだらけの服を着ただらしない印象の青年だったので無駄がなく片付いた部屋が意外だった。
 しかし壁際には数人のレジス兵らしき男たちがなぜかエリッツをにらみつけている。部屋の主の護衛かとも思うがそれにしても目つきが悪い。
「間もなく戻るかとは思いますが……」
 リギルは常に困ったような顔をしている。
 この国の第一王子ルーヴィックにいいつけられたらどうにもならないのだろう。エリッツはリギルが気の毒だという理由ではるばるサムティカから出てきてしまった。手間だが直接断って帰るのであれば誰も困らずに済むし、今後しつこく呼び出されることもないはずだ。しかし初めて会った際の会話を思い出すだにちゃんと話が通じる相手なのかは不安である。
 そしてエリッツにはここが本当に王城の中の一室なのか分りかねていた。久々のレジス市街を見ようと馬車の窓をながめていたエリッツにリギルはやはり困った顔のまま「申し訳ありませんが、目隠しをさせていただきます」と、気弱そうな顔とは裏腹に半ば強引にエリッツの目を布で覆ってしまった。防犯上のことだろうが、夜伽に呼んでおいてこの扱いにはさすがに辟易する。
 あわよくば知っている人に無事を知らせるくらいのことはできないかと思っていたが、とんでもなかった。そもそも馬車はレジスの大通りを通って王城に至っている様子がない。人々ののざわめきがほとんど聞こえなかった。裏から入れるところでもあるのか、そもそも王城ではないのか。すでに暗闇しかうつさない小さな窓からうかがい知ることもできない。
 エリッツが小さくため息をつくと、リギルはそれを気にしたのかおずおずと口をひらく。
「もうお疲れでしょう。寝室でお休みください」
 寝室にいくつもりはなかったが、ここは居心地が悪すぎる。リギルが口を開くたびに壁にいるレジス兵たちが内容を吟味するようにこちらに顔を向ける。これでは護衛というよりは見張りである。
「おれが今日ここに着くことは知ってるんですよね」
「――はい」
 リギルは気の毒なくらいにうつむく。リギルを責めても仕方がない。余計なことをいってしまった。
「おそらく、その、戻れない理由が――」
 壁際の兵たちが鋭くリギルをにらみつける。気のせいではなくこの兵たちは見張りだ。エリッツはおとなしく席を立つ。どこかで見ていたのだろう、使用人たちが粛々とついてくるが、その後ろからさらにレジス兵たちが数名ついてくるようだ。寝室まで見張るつもりなのか。 
「湯あみをしてください」
 先導して廊下を行くリギルがなぜかまた申し訳なさそうにエリッツをうかがう。何だか外堀を埋められている気がする。
 木桶で湯を浴びるくらいの感覚で浴室に入ったが、目に飛び込んできた大きな浴槽に驚いた。使用人たちがついてこようとするのであわてて押しとどめる。見張られすぎて疲れてしまった。少しくらい一人にしてほしい。
 湯をためて使用する浴槽は大理石のようで、すでに温かそうな湯気が立ちこめている。グーデンバルド家にも浴室と浴槽はあるが、訓練の汗を流す目的だけの武骨な浴室で、こことは雰囲気が違った。この部屋の主のためだけのものらしく広さはさほどでもないが、洗練された美しい造りだ。さりげなくほどこされた装飾は動物や草木がモチーフになっていて、壁面の蜜蝋の灯にざわめくように揺れていた。
 エリッツは浴槽に身を沈めつつ息をつく。長旅のあと居心地の悪すぎる部屋で長時間座っていたため思っていた以上に疲労がたまっている。
 しかしルーヴィック王子も大変みたいだ。エリッツは部屋にいたレジス兵たちの鋭い視線を思い出す。反逆者の身内となってしまったのだ。おそらく陛下の血を引く王子をどうこうするということにはならないとは思うが、風当たりは強くなるだろう。ラヴォート殿下にとっては追い風になるのか。何だか複雑である。
 あの違法だというヒルトリングはもしかしてルーヴィック王子がつくったものではないのか。
 ふとエリッツはそんなことを思う。これまで聞いた話を総合するとどうやらルーヴィック王子はヒルトリングを開発した研究者であるらしい。ラヴォート殿下が秘密裏に違法なヒルトリングを入手しようとするなら兄であるルーヴィック王子に頼むのが手っ取り早い。ローズガーデンでの口調を思い返しても「バカ」と罵ってはいたが仲が悪いという印象はない。兄の希望をかなえるため――というか従者がやかましかったからか――エリッツをさし出そうと躍起になっていたくらいだ。ルーヴィック王子のこの境遇にラヴォート殿下も心を痛めているかもしれない。
 とりとめもないことを考えていたらどうやら気づかないうちに眠りかけていたようで、口の中に湯が入り激しく咳きこむ。
「エリッツ様、どうかされましたか」
 外からリギルの声がする。
 もう出よう。
 エリッツが浴室から出るとどこから見ていたのか使用人たちが群がってきて柔らかな布で体を拭ってくれる。くたびれ切ってしまってエリッツは抵抗することを放棄して呆けていた。体に香油まで塗りこまれているようだ。それがまたとてもいい香りで、このまま眠れたらどんなにしあわせだろうとエリッツは夢想する。
 いやらしい服を着せられるのかと思ったらゆったりと着られる裾の長い薄衣である。
「なんだか異国風ですね」
 エリッツが袖をつまみながらいうとリギルは不思議そうな顔をした。困った顔以外もできるのか。
「勝手に寝室に入ってもいいんでしょうか」
 リギルにともなわれて寝室に向かうとやはり使用人とレジス兵たちがぞろぞろとついてくる。なんだか鬱陶しさを通りこしておかしみすらある。
「遅くなるようなら寝室で休んでもらうようにと主からは言いつかっています」
 寝室に通されてエリッツはまた驚いた。いくつかの小さな窓には鉄格子がはまっており、小さく区切られた月明かりが床に散らばっている。寝室の中央にある天蓋つきの寝台はやはり上質で趣味のよいものだと思われたが、まるで希少な鳥を囲うための鳥かごのようにも見えた。
「どうぞ、お休みください」
 エリッツが絶句しているのに気づいているのかいないのか、リギルは手燭で寝台の方を指し示す。
「いや、でも寝てちゃまずいですよね。来客用のベッドとかないんですか」
 夜伽に呼ばれてしかも断るつもりで熟睡しているというのは笑い話にしかならない。
「ありますけど準備がされていません。ここで寝ていいと思いますよ」
 めずらしくリギルが小さく笑った。笑うと目じりにぎゅっとしわができてやさしそうな表情になる。エリッツはもはや長々とやり取りをするほどの気力もないくらい睡魔にとらわれていた。
「すみません、じゃあ、少しだけ寝ます」
 言うやふらふらと寝台に向かう。そのあたりで一度記憶は途切れていた。
 再度よみがえった記憶の隙間に衣ずれの音がすべりこむ。この状況は以前もあった。声をひそめた人々話し声、衣ずれの音、小さく食器が触れあうような音。何となく安心するような音だ。
 気が張っていたのだろう。普段なら一度眠ったら朝まで一切目覚めないエリッツは半醒半睡の状態でその物音を聞いていた。以前は死ぬんじゃないかというようなつらい状況だったが、今は驚くほど安らかな気分だ。
 エリッツが眠る寝室にひそやかな衣ずれの音が近づいている。
 そこでエリッツは自然にさとっていた。エリッツを呼び出したのはルーヴィック王子ではなかった。
 北の王だ。
 ほとんど物音を立てずその人物は寝室に入ってくる。しばらくは寝支度を整えるような気配がしていたが、やがて灯りを消してエリッツが眠る寝台にすべりこんでくる。そうなるともう眠るどころではない。聞こえてしまうのではないかというくらいに鼓動が高鳴ってしまう。
 このまま寝たふりをしていた方がいいのか、あいさつをすべきなのか、そもそも予定通り断って帰るべきなのか。そういえば薬湯を飲ませてもらってお礼をしたかったはずだが、いや、それはまた別の機会に――。
 パニックを起こすエリッツに追い打ちをかけるようにその人物はエリッツの体を背後から抱きしめる。
 声をあげなかったのが奇跡だ。しかし本当の衝撃はその後だった。
『おやすみなさい』と、その人物はロイの言葉で言ったのだ。
 エリッツはすでにロイの言葉を習得していた。話し相手がいないのでまだ実践には不十分だと自覚していたが、簡単なあいさつくらいは容易に理解ができる。
 さっきまではここにいるのが北の王だと確信していた。だが、違った。いや、違ったのかそうなのか。しかしこの声は――。
 その人はすぐエリッツの体を解放してくれる。やがて隣から静かな寝息が聞こえてくるが、もはやエリッツは眠ることなどできなくなっていた。
 どうしてこんなところにシェイルがいるのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

母の中で私の価値はゼロのまま、家の恥にしかならないと養子に出され、それを鵜呑みにした父に縁を切られたおかげで幸せになれました

珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれたケイトリン・オールドリッチ。跡継ぎの兄と母に似ている妹。その2人が何をしても母は怒ることをしなかった。 なのに母に似ていないという理由で、ケイトリンは理不尽な目にあい続けていた。そんな日々に嫌気がさしたケイトリンは、兄妹を超えるために頑張るようになっていくのだが……。

夫の書斎から渡されなかった恋文を見つけた話

束原ミヤコ
恋愛
フリージアはある日、夫であるエルバ公爵クライヴの書斎の机から、渡されなかった恋文を見つけた。 クライヴには想い人がいるという噂があった。 それは、隣国に嫁いだ姫サフィアである。 晩餐会で親し気に話す二人の様子を見たフリージアは、妻でいることが耐えられなくなり離縁してもらうことを決めるが――。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

悪役令嬢にざまぁされた王子のその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
王子アルフレッドは、婚約者である侯爵令嬢レティシアに窃盗の濡れ衣を着せ陥れようとした罪で父王から廃嫡を言い渡され、国外に追放された。 その後、炭鉱の町で鉱夫として働くアルフレッドは反省するどころかレティシアや彼女の味方をした弟への恨みを募らせていく。 そんなある日、アルフレッドは行く当てのない訳ありの少女マリエルを拾う。 マリエルを養子として迎え、共に生活するうちにアルフレッドはやがて自身の過去の過ちを猛省するようになり改心していった。 人生がいい方向に変わったように見えたが……平穏な生活は長く続かず、事態は思わぬ方向へ動き出したのだった。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...