亡国の草笛

うらたきよひこ

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第一章 (仮)

第七十七話 悪報

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「一度、全軍をマルロまで下げるしかないようですが」
 ダフィットは地図上の前線から砦まで一直線に指をすべらせる。
 日没まではまだあるが、野営の準備がされたテントの中だ。なぜか帝国軍はまだ明るいうちから進軍をやめ、にらみ合いのままとなっている。
 マルロの砦が落ちたという知らせの直後のことだ。
 前線の指揮官や兵たちはまだ持ち場で様子をうかがっており、テントの中には北の王の姿のままのシェイルとダフィット、なぜかアルヴィンとエリッツである。ロイの町内会の人々は外で訓練を受けているので、レジスの術師二人とロイの兵も不在だ。
 シェイルもアルヴィンも黙って地図を見ている。エリッツもよくわかっていないので無言である。
「――とはいえ、これはどういうことなんでしょうか」
 ダフィットが困惑気味に地図をにらむ。
 地図の上には軍の位置がわかるようにいくつかの駒が置かれていた。帝国軍の騎兵がマルロを占拠している。その数は確か五千。エリッツはメモをとった帳面を開く。マルロにはレジスの騎兵たちと術兵それを指揮するジェルガス将軍、陛下直属の軍を従えたラヴォート殿下とオズバルがいる。
 そしてここ、前線は歩兵同士のにらみ合いである。表面上将軍の弟であるエリッツがここを指揮していることになっているが実際はラヴォート殿下の指示を受けたダフィットが取り仕切っている。
 レジス軍には術兵もいたが先ほどまでロイの町内会に翻弄され、まともに機能していなかった。国境からかなり侵攻されている。
「マルロまで下がるしかないように見えますが、おかしいですね」
 シェイルも首をかしげている。帝国の騎兵はマルロの砦で孤立している。砦をとってこれからどうするつもりなのだろうか。砦をとった後歩兵たちが猛烈な勢いで侵攻してくるならまだわかるが、早々に動きをとめてしまった。
「『ここでもない』んでしょうか」
 しばし沈黙が続く。
「これはなんですか」
 エリッツは帝国軍が進軍をとめた場所が気になった。戦場は平原で向かって東側はゆるやかに森へそして山へと繋がっている。深い意味はないのかもしれないが地図上には小さな切れ目のようなものが見える。
「これは山道の入り口じゃないかな」
 アルヴィンがなぜか眉根をよせる。
「ダフィット、この先の地図は」
 シェイルの声がにわかに緊張感を帯びる。ダフィットが広げる地図を全員が食い入るように見つめた。
 ダフィットが突然テーブルを叩く。
「やられた」
 シェイルも天井を仰ぎ見ている。
 なんだろうと、エリッツも目を凝らすが細い山道の先はやはり山である。先の方にはいくつかの山村の記号があり、さらに先には大きめの町があるようだ。だが記載された町の名前を見てエリッツもはっとした。
「このあたりに詳しいウィンレイク指揮官を呼べないでしょうか――とはいえ、どこにいるのか皆目見当がつかないのですが」
 ダフィットは声をかすれさせてシェイルを見る。
「居場所の見当はつきますが……時間がかかりすぎます」
 ウィンレイクという名には聞き覚えがあった。確かかなり凶悪な人物でそのおかげでエリッツはひどい目にあったのだ。
「ウィンレイク様はこうなると気づかなかったんでしょうか」
「気づいていた可能性は高いですが、自分の仕事とやりたいことしかしない人です」
 シェイルはきっぱりと言って、思案げに地図を眺めている。
「ちょっと、アルヴィン、これ、どうなるの?」
 帝国軍が向かう先は何となくわかったがそれでどうなるのだろう。エリッツはアルヴィンのそでをこっそりとひっぱった。
「コルトニエス鉱山をとられる。鉱山は武器の生産と財政の要だよ。いや、もともとアイザックが鉱山を手土産に帝国に寝返るつもりで根回しをしていた可能性が高い。マルロは囮だったんだ。帝国の術兵たちと一部の騎兵がこの山道からコルトニエスに向かっている。こそこそと、ね」
 バジェインたちはそっちの部隊だったのか。隠れて山道を登っていくのが我慢ならずこっちに来たようだ。当初の印象通りあまり頭がいいとはいえない。
「バジェインたちは何かしゃべったんですか」
 彼らの証言があればより詳しく状況がわかるだろう。ダフィットに聞いたが、返ってきたのは盛大なため息だ。
「ああ、あの術士、しゃべる、しゃべる。とどまるところを知らずしゃべり続けているらしい。先ほどの報告では昨夜の晩めしのメニューを香りから食感、調理法、予測される産地、それにまつわる思い出話まで。うるさいから殺したいという要請が来ている」
 エリッツの予想通りあの術士はよくしゃべるようだ。ただし全然関係のないことを。
「ああ!」
 唐突にアルヴィンが大声をあげる。
「なんだ。急にどうした」
 ダフィットが驚いてアルヴィンをみる。
「もうひとつ、アイザックが遺した帝国へのお土産があるんだけど」
 アルヴィンが少し言いづらそうに口を開いた。
「あいつ、勝手に道を作ってたよ。コルトニエスからレジスの街への近道を」
 エリッツははっと思いいたった。アイザック一同がレジスに来ることになったと兄から聞いた翌日の夕方にはもう馬車が着いていた。あまりに早い到着にダグラスも屋敷の人たちもてんてこまいだったのだ。あれは近道を利用して来たからだったのか。
「なんだと! なぜそれを早くいわない」
「ただの利便性以外の目的を思いつかなかったんだ。迂闊だったってわかってるよ」
 アルヴィンはバツが悪そうにダフィットから目をそらすが、誰がアルヴィンを責められるだろうか。この状況になってみないとそんな道の利用方法は思いつかない。
「どうりで。動きが早いと思っていました。追求しなかったわたしも迂闊でしたね」
 シェイルはシェイルで思い当たることがあるらしくため息をつく。ダフィットが不思議そうにシェイルを見た。
「ウィンレイク指揮官ですよ。頻繁にコルトニエスとレジスを行き来していたようですが、動きの早さが尋常じゃなかったです。もともと規格外な人物なのであまり気にとめなかったんですが。しかしコルトニエスとレジスの街を一直線に結ぶ道なんて莫大な費用と時間がかかりますよ。十年単位での計画ですね。しかも秘密裏で」
 しばし重苦しい沈黙に場が支配される。
 アイザック・デルゴヴァという人物の底知れなさが今さらながらおそろしい。グランディアス総督ではないが、レジスの中枢にあれば弟のオグデリスよりもすばらしい偉業をなしたのではないか。
 しかしシェイルもウィンレイク様と呼ばれていた人物と顔見知りなのか。仕事上どのような人と交流があるのか、そばに置いてもらおうとたくらむエリッツにとっては重大な関心事のひとつである。
「こうなるともうマルロまで軍を下げる以外の選択肢がないですね」
 ダフィットが深く息をつきながら、地図上のレジスの歩兵をマルロの辺りまで動かす。
「なぜですか」
 それでは前線の歩兵から目を離すことになり帝国の思う壺ではないのか。
「こちらが気づいたことに気づかれるからですよ」
 シェイルがやさしい口調でエリッツに言って背を向ける。何か荷のあたりでごそごそとやっていると思ったらお茶をいれるようだ。エリッツはあわてて立ちあがる。
「おれがやります」
 アルヴィンが隣で「できもしないことを」と笑う。「茶葉に湯をかけるくらいできるよ」と言い返すが、アルヴィンは「そのお湯はどこから来るのかな」と、にやにやする。そうこうしているうちに、さりげなくダフィットがシェイルから茶器を奪っている。テントの入り口をまくりそこへ素焼きの小さなかまどのようなものを置き、端材を入れている。火を起こすところからやるのか。悔しいがアルヴィンのいうとおり、お湯を沸かす方法はよくわからない。
「こちらがマルロへ軍を引けば帝国も軍を進めないわけにはいかなくなる。コルトニエスに割ける人員も減らせるでしょう。もちろんむこうもそれを計算済みでしょうが」
 手を止めることなくダフィットがいう。
「こちらも気づかれないようにできるだけ多くの兵をコルトニエス送りたいですね。いえ、多くはなくとも、優秀な術兵の方が動きやすいかもしれません」
「そうですね。ですが、おそらく向こうも術兵ですよ」
 ダフィットが思案気にふりかえる。しかしシェイルはダフィットの声には応えずアルヴィンを呼んだ。
「手伝ってあげてください。お湯は多めに」
 アルヴィンは「はいっ」と、弾かれたようにダフィットにかけよった。見ていると瞬時にかまどに火が入る。エリッツも思わずかけよった。
「見えなかった。もう一回やってよ。術でしょう、今の」
「今それどころじゃないよ。きみはこれを魔法か何かみたいに思ってるかもしれないけど、これはこれで体力をつかうんだ」
 エリッツはまだ術の仕組みがわからない。小さなかまどの中では次々に端材に火がうつってゆく。ごく普通の火に見える。火を見ているとついぼんやりとしてしまう。ぱちぱちという音もいい。じっと火を見ていると、アルヴィンが「よいしょっ」というかけ声とともにたっぷりと水が入った釜をそこに置いた。ぼんやりとしているうちにダフィットはとっくに地図の前に戻り、シェイルと話をしている。
「なんできみはそうやってどこでも瞬時にリラックスできるんだろうね。うらやましいよ」
 いかなるときも嫌味を忘れないアルヴィンにも感心する。エリッツが何かいってやろうと口を開いたところ、テントに馬が近づく気配があった。伝令だろうか。
「邪魔だ。そこをどけ」
 首を伸ばしたエリッツが見たのは相変わらずの存在感を放つラヴォート殿下だった。ただ凶悪なまでに機嫌が悪そうである。
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