亡国の草笛

うらたきよひこ

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第一章 (仮)

第七十六話 誤解

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 先ほどから忍び笑いがエリッツの耳を刺激する。主にアルヴィンだが他にも笑っている者たちはいる。これまで完璧に北の王に扮していたシェイルの雰囲気まで妙にやわらかいのは気のせいだろうか。やはりエリッツのしでかしたことを笑っているのかもしれない。
 エリッツは右の拳をさする。痛い思いをしたのは手負いとはいえ小細工なしで勝てる気がしなかっただけで、バジェインを貶めるためではなかった。
 しかしアルヴィンをはじめロイの人々はエリッツの戦い方に大きく留飲を下げたらしい。とらえられたバジェインを指さし興奮気味に語り合っている。あのダフィットですらしかめ面の隙間で笑いだしそうに顔をひきつらせる。
「舌をかませるなよ。あんな無様な目にあえばやりかねん」
 その言葉の意味をエリッツはすぐに理解できなかった。
 バジェインは帝国の言葉でエリッツをののしり続けているようだったが、すぐにその口に布がつっこまれた。その目にたぎる憤怒の色で相当ひどい罵倒を繰り出していたのは想像に難くないが、もともとエリッツには理解できないので動物の声と大差ない。情報を得る前に死んでもらっては困ると怪我には応急処置を施されていたが、体は丈夫なようだ。とにかくやかましい。
「剣で打ち負かされれば威勢よくここまで乗りこんできた面目も立っただろうに。まさかぶん殴られて落馬とは。死にたくもなる」
 周りの認識ではエリッツが剣を捨てたのは斬る価値がないと侮辱するためで、殴りつけて落馬させたのは恥をかかせるためであったと、そうとらえられていた。まったくの誤解だ。そんな傲慢な人間だと思われているのは心外だ。エリッツはすぐさまいいわけしたくなったが状況的に我慢せざるをえない。
 剣を捨てたのは不意をついて利き手で攻撃するためで、殴ったのも時間稼ぎのために動きをとめたかったからだ。そして落馬させたのはカルトルーダであってエリッツではない。もちろん指示はしたが、カルトルーダの能力が規格外だったところまで責任はもてない。思惑を外れた周りの認識にむっと口元を引き結んでいる様子はさらに誤解を深めた。
「おっかないな、さすがジェルガス将軍の弟君だ。武功を望むような兵が一番恥だと思っていることを平然と……」
「ずいぶんと若いからどんなものかと思っていたが」
「いや、あんな顔をして容赦ない。怒らせるようなことだけはしたくないな」
 あちこちでレジス兵たちがひそひそと話しながら畏怖をたたえた目でエリッツを盗み見る。エリッツが嬉々としてバジェインに死も厭わないほどの恥をかかせたということになっている。
「何をやっている。遊んでいる余裕はないぞ。指揮官の指示に従って早くそれぞれの持ち場を立て直せ」
 そんな兵たちをダフィットが怒鳴りつける。
 エリッツのことをよく知る面々はこの状況に笑いを禁じえない様子だ。だが不本意なことにこの誤解をとくことはできない。ロイの人々の先ほどより信頼をこめた目でエリッツを見ている。あらためて北の王と手を組むレジスの将としてロイの人々に認められたのだろう。この作戦においては大成功と言わざるをえない。
「あははっ、最高。いい気味だな」
 アルヴィンだけは遠慮なくバジェインを指さして笑う。最初からいい感情を抱いていないようだったが、あからさま過ぎないか。しかしこれも「子供」だから許される。エリッツに直接話しかけるのは不自然になるため寄っては来なかったが、そうでなければさぞかしうるさく絡まれたことだろう。
 バジェインたちは別のレジス兵たちに引き渡された。情報が出次第ダフィットに報告が入ることになっている。去り際もバジェインはエリッツを悪鬼のような形相で睨み続けていた。それなりに身分のある人物のようだが、この先暗殺者につけねらわれたりしないだろうか。
 エリッツたちはいったん後方にさがり、ロイの人々を即席の隊として組み直すのだ。帰れと言ってもおとなしく帰るような人々ではないし、圧倒的な数で帝国兵が攻めてくる現状、やる気のある戦力はありがたいはずだ。
 バジェインのせいで予想外に時間がかかってしまった。
 ダフィットは複数の伝令たちに何ごとかを伝えあわただしく動きまわっている。忙しそうだなと他人事のように眺めていると、ダフィットが走り寄ってきてこわい顔をする。耳を寄せるとやはり説教だった。
「お前の指示を各指揮官に伝えていることになっている。その呆けた顔をやめろ」
 あ、そうなんだ。
 エリッツはあわてて眉をつりあげて背筋を伸ばす。おそらく実際はジェルガスか殿下の指示なのだろうが、とにかく足をひっぱってはいけない。ロイの人々を集めた後の戦場を立て直し、もう一騎たりともマルロの砦へ向かわせてはならない。そういえばラヴォート殿下たちは無事だろうか。
 少し離れたところでは、例のエリッツのことをよく気にかけてくれるロイの兵が町内会の人々に現状を説明しているようだった。老人やアルヴィンほどの歳の若者たちが熱心に耳を傾けている。もともと邪魔をしに来たわけではない。レジスのために戦いたかった人々だ。しかし先ほどまでまったく軍人としての戦い方を知らなかった者たちをどう戦力にしていくつもりだろうか。そしてシェイルが指揮をするつもりがないのなら一体誰が――と、思っていると、あの二人のレジスの術兵が進み出てロイの人々に何かを言っている。
 背を伸ばしたままそれを見守るていで眺めていたエリッツのもとに北の王が近づく。いや、雰囲気がシェイルに戻っている。
「三隊に分けてあの三人がそれぞれ指揮をします。全員、優秀な指揮官経験者です。オズバル様のお墨付きですから心配ありませんよ」
 ごく小さな声でエリッツに教えてくれる。先ほどオズバルに頼んでいたのは指揮官の人選だったのか。そういえば、以前もオズバルに頼めば術士の都合もできるというようなことを言っていた。軍部には相当顔が利くようだ。
「町内会の人たちができるのはごく初歩的な術式なのでそれをそのまま指揮官の指示通り使うようにお願いしています。レジス兵の要請を素直に受け入れてくれるのはエリッツのおかげですよ」
 そこで何かを思い出したように口元をほころばせる。
「あ、ちょっと待ってください。あれは誤解です」
 この人にだけは誤解されたくない。自分はそんなひどいことをするつもりはなかった。シェイルはすっと人差し指を鼻先に立てると、「わかっていますよ。今は黙っていてください」とまた笑う。
 シェイルにはたくさん聞きたいことがあったのだった。話したいことも山積みだ。周りを見渡せば次の行動の前にみな忙しく立ち働いていて小声なら話しても大丈夫だろう。だが、肝心の話すことがまとまらない。言葉を勉強するからずっとそばに置いてほしいし、何を殿下ともめていたのかも気になるし、帝国から捕虜としてレジスに来たという話は本当なのか、式典中に北の王と入れかわったのはいつなのか、毒杯をあおっても無事だったのはどうしてか、時間はそんなにないのに後から後から聞きたいことが出てくる。
「エリッツ、どうしたんですか。今そんな顔をしてはいけません」
 また口があいてしまっていた。あわてて口を引きむすんで背筋を伸ばす。
「おれ、朝ナターシャを見たんですけど、式典にマリルはいなかったですよね」
 わりと優先順位の低いことを聞いてしまう。シェイルは突然の話題変わりように一瞬あっけにとられたようだったが、少し間をあけて「一度、城に来てたんですか。ちゃんと陛下には報告をしていたんですね」と、ひとりごとのようにつぶやいた。
「あの人、破天荒に見えて案外真面目なんですよ」
 そういって、エリッツを見るがその白磁の仮面で表情はわからない。
「あなたの知っているマリルは彼女の変装の中のひとつです。しかし真実、どれが本物の彼女なのかわかりません。案外、あなたの知っているマリルが一番本物に近いのかもしれませんね。わたしが彼女に出会ったときすでに彼女は――。話がそれましたが、つまりローズガーデンにも変装をしてもぐりこんでいたんですよ。わたしも直前まで気づきませんでしたが」
 あのいつものマリルが変装だといわれてもピンとこない。そしてエリッツにはマリルがローズガーデンのどこにいたのかもわからない。朝から目にした人々の顔をひとつずつ思い出してみる。
 ぐるりと庭を見せながらテーブルまで案内してくれた若い男性、アイザックに挨拶に来た老年の夫婦、厨房でぶつかりそうになった給仕の女性、エリッツに北の王に出すスープを渡した若い料理人。完璧すぎるマリルの変装を目の当たりにした身としては誰もがあり得るように思えてくる。
「どこにいましたか。建物の中ですか。背丈は変えようがないですよね」
 一瞬、セレッサの顔が浮かんだが、背丈があまりにも違い過ぎる。
「わりと――近くにいましたよ」
 では、警備兵の中だろうか。
「そもそも、おれ、マリルを見てますか」
 シェイルはなぜかすっと横を向く。
「いえ、簡単に気づかれるようなものは変装とはいえませんし、あなたの反応が普通なのですが」
 笑われている。
「あなたと話をしていると、不思議と――」
 シェイルは一度黙って言葉を探すように空を仰いだ。それからおもむろにエリッツを見る。
「安らぎます」
 何か似たようなことをさっきも言われたような気がする。
「なんだと!」
 突然、ダフィットの大声が響き、辺りの兵たちの様子が慌ただしくなる。また何か起こったのだろうかとふり返ると、血相を変えたダフィットがこちらに向かって突進するように走り寄ってきた。エリッツはまた説教かと身をすくめたが、実はそんなのんびりした状況ではなかったのだった。
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