亡国の草笛

うらたきよひこ

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第一章 (仮)

第七十三話 軍馬

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 エリッツは息をのんだ。
 ここに来てようやくシェイルが何をしようとしているのかおぼろげだがわかり始める。わりと、いや、かなり大胆なことをするつもりなのではないか。
 目の前にいるのは北の王。白磁の仮面に長く美しい黒髪を青い玉の入った銀細工で結い上げている。ローズガーデンで見た姿と同じだ。すべらかな黒衣の長い袖にほどこされた豪奢な刺繍は動くたび陽光にきらめいている。戦場であるからか光沢を抑えた簡易な銀色の甲冑とやはり青い玉で飾り付けられた長剣をさげていた。
 やはりすごい存在感だ。肌が出ているわけでもなく、顔も見えないのに美しい人だという印象がある。雰囲気か。品格か。しかしこれはシェイルなのだろう。本物は安全なレジス城の中の間で守られているはずだ。
 ふと、ローズガーデンで北の王とシェイルはいつ入れ替わったのかと疑問に思う。始め天幕に入った時は北の王の背後にシェイルもついていたから間違いなく本物だったはずだ。遠目だったので、今目の前にいるシェイルの変装との違いはわからない。その後、エリッツが天幕の中で見たのは、すでにシェイルだったのではないか。些細なことだが妙に気にかかる。
 もう一度、目の前の北の王を見る。
 シェイルのはずだ。だが雰囲気が違うので妙に緊張してしまう。マリルといい、変装は軍部の必須技能なのか。
 北の王の背後にはダフィットともうひとりロイと思われる兵士、そしてレジスの兵を二名従えている。レジス兵の二人は左手の中指に目立つ大ぶりの指環をはめ、妙に大きな荷を抱えていた。
 ダフィットが異国の言葉でアルヴィンに何かを言った。エリッツもだんだん耳慣れてきたロイの言葉だ。
 アルヴィンはポケットから木の塊のようなものを取り出してダフィットに見せる。よく見るとあちこちに穴が空いており吹き口のようなものが付いている。これが草笛と呼ばれているロイの楽器だろうか。エリッツが見たことがあるどのような楽器とも違っている。
 ダフィットはそれを見てやや緊張したようにうなずくとまた何かアルヴィンに言う。アルヴィンが一瞬息をのむのを感じた。何を話しているのだろうか。
「きみがジェルガス将軍の……」
 レジス兵の、どちらかというと年配の方の兵に話しかけられエリッツは肯定をこめて軽くうなずいてから口を開く。
「弟のエリッツです」
 二人の兵は顔を見合わせたあと、チラチラと横目でエリッツを見つつ「全然似ていないぞ」「なんの奇跡でこうなるんだ」とささやき合っている。聞こえないふりをしてあげる方がいいのだろうと、エリッツはそっぽを向いた。
 二人はまたぼそぼそと二、三言葉を交わしてからエリッツに向き直り、そろって左手を顔の前でかかげて口元を隠すような仕草をした。見たことがある。自分たちは術士であるという合図だ。エリッツはこの人たちに名前や所属、個人を特定するような質問をしてはならないのだ。理解したというようにそっとうなずく。この合図の意味をアルヴィンから聞いていてよかった。とんだ恥をかくところだった。
「きみはただその場にいるだけでいい。できるだけ堂々としていて」
「この作戦の目的は戦場にいるロイの人々が我々と共に安全に戦ってもらうためだけで他意はない。つまりロイの人々を貶めるような。あのロイの兵たちにも理解してもらった」
 そういってダフィットたちのいる方を見やる。
「実際に戦場を見れば他にやりようがないことはわかると思うが」
 そういって疲れたため息をつく。報告である程度は聞いていたが本当に大変なことになっているのだろう。
「具体的にどういう作戦なんですか」
 また二人は顔を見合わせ、説明を譲り合うように目配せをする。
「作戦というほどのこともないけど」
 若い方の兵が根負けしたように口を開く。面倒を押しつけられたというような表情にはまだ幼さが残っていた。
「カウラニー様が北の王のふりでロイの人々の注意を引いて、なんとか我々が指揮することを受け入れてもらおうというくらいで。ただレジス軍だけが強硬にそれを主張してロイの民といさかいを起こしても面白くないだろう。北の王とレジスのその――まぁ、そこそこ偉いっぽい人が信頼しあい、協力している様子を演出する? という説明でわかるかな。レジスとロイは仲良しだよっていうパフォーマンスを、ね」
 兵は両手の指をくねくねと絡ませて見せる。わかるようなわからないような。確かに北の王を「騙る」となれば、ロイにとっては大変な覚悟がないとできない判断だ。とはいえ、本物の北の王を戦場に呼びだすのも危険極まりない。それだけ今の戦場がひどいということなのだろう。しかし「そこそこ偉いっぽい人」ってすごい表現だなと、エリッツが首をかしげていると、二人は「そういうことなので」と両脇からエリッツを取り押さえる。
「え、何? なんなの」
 二人は手早く荷を解くと、中から金色の縁取りがついた赤い派手な甲冑と、黒いビロードマントを取り出す。そして手際よくエリッツに着せてゆく。マントは黒一色で地味かと思ったら同色の糸で有翼の獅子が大きく吠えかかる刺繍がされており、しかもその獅子の目はオニキスのような光沢のある宝石が縫い付けられていた。。
「わ、派手。悪趣味。嫌だ」
「こら、将軍の持ち物だぞ」
 反射的に拒絶するエリッツを年配の方の兵がたしなめる。
「兄さんの?」
 ジェルガスの趣味だといわれ妙に納得する。服装の趣味がよくスマートなダグラスに比べてジェルガスはちょっと――どう表現していいのかエリッツにもわからないが、「こういう感じ」だ。
 ここに鏡がなくてよかった。
 自分の今の姿はあまり確認したくない。薔薇のドレスの方がいくぶんマシだと思えるほどだ。深紅の甲冑についている金色の房飾りがチラチラと視界の端でやかましい。細身のエリッツにはちょうどいいのかもしれないが、体を大きく見せようとする甲冑のデザインも趣味に合わない。ジェルガスが着けたらそれはもう小山のような大男に見えることだろう。マントの柄が自分では見えないのが不幸中の幸いだ。
 ここまでくればいくら察しの悪いエリッツでも自身に与えられた役割に気づく。「そこそこ偉いっぽい人」をやるのだ。シェイルと喧嘩中のラヴォート殿下の代わりに。いや、ラヴォート殿下であれば、「偉い人」で済むが、エリッツだから「そこそこ偉いっぽい人」どまりなのだ。
 輝くばかりの存在感を放つラヴォート殿下が颯爽と登場し、戦場で北の王と手を取り合えば確かに人々は沸くだろう。シェイルは早くラヴォート殿下と仲直りをした方がいいように思う。
 ふり返ると例の笛を持ったままのアルヴィンとダフィットが呆けたような顔でこっちを見ている。どうせ笑っているに違いない。
「ほい」と、若い兵の軽い声が聞こえたと思ったら腰ががくりと重みでかたむく。見るとこれもまた派手な装飾を施された長剣である。一応、長剣の扱いもワイダットに教わっていたが、重いのでエリッツには向かない。
「不自然じゃないですか」
 エリッツは若干ふらつきながら二、三歩進む。長剣だけならともかく甲冑もマントも重たい。そして気が重い。
「馬に乗ってしまえば平気でしょう」
 ちょうど年配の方の兵が一頭の馬を引いてくる。
「こいつに交換だ」
 見ればずいぶんと気が荒そうなたくましい軍馬である。
「将軍の馬です」
「――だと思いました」
 鹿毛で眉間に流星が流れるような白い筋が入っている。当然だが馬具も派手で甲冑の深紅に合わせてある。「ここに将軍がいます」と看板を下げさせられているような姿だ。
 馬はどういうわけかずいぶんと興奮している。この馬は気難しいだろうなと思いながらそろそろとその鼻づらに手を伸ばそうとしたところ「こいつは将軍以外気を許しません」若い方の兵がさらりとそんなことを言うので慌てて手を引く。
「じゃあ、乗れませんよね」
「弟だと説明してみては」
「馬にですか」
「こいつ頭がいいんだ」
 そういいながらも決して馬の方に手を出さない。まさか咬癖があるのか。いやまさか、そんな軍馬はいないだろうが、この興奮ぶりは危ない。なんでこの馬を連れてきたんだ。何か知らないけど目から怒りを噴出させている。
 だがよく見てみると馬は歯をむき鼻を鳴らしながらもピンと耳を立てエリッツにたびたび視線を向ける。全面拒絶、というわけでもなさそうだ。馬は鼻がいい。ジェルガスの装備に残る主人の体臭を感じているのかもしれない。
「名前は?」
「カルトルーダです」
 エリッツは名を呼びながらその鼻先に手の甲をさし出す。やはり興味はあったようでしばらく熱心ににおいをかいでいたが、すぐに鼻を鳴らして鼻先で打ち据えるようにエリッツの手を押しやる。
 そしてどうにも怒りがおさまらないとでもいうように高く嘶き、土を蹴上げて後肢で立ちあがった。前肢で打つつもりだ。とっさに避けるが、これではどうにもならない。
「無理です!」
 手綱を持つ年かさの兵以外はみなエリッツから距離をとって黙って眺めているだけだ。しかも「ぐずぐずするな」と言わんばかりの表情だ。
「無理ですってば」
 仮に無理やり乗って落馬したらどうなる。「そこそこ偉いっぽい人」が唐突に落馬。想像しただけで背が凍る。
 カルトルーダはまだ足らないとでもいうかのように次は側面から体当たりをしようと身構えている。そこで兵が手綱を引くのでさらにイラ立ち、ブルブルと首を振って不機嫌をアピールし始めた。もう手がつけられない。どうすればいいのかわからず、しばし暴れるカルトルーダを呆けたように眺めていた。
「エリッツ、無理だと思うから無理なんです。それは拒絶です。あの子にはそれが伝わっていますよ」
 いつの間にか隣に北の王がいる。いやこの雰囲気はシェイルだ。
「少しばかり神経質なだけで優しくて頭のいい子です。あの体格、やろうと思えば手綱を引きずって人を傷つけることもたやすいのにそれはしない」
 そしてしばし黙ってからまた口を開く。
「猫だと思ってみては?」
 また突飛なことを。
「猫……」
 目を閉じて岩場で丸く日を浴びる牛柄の猫の姿を思い浮かべる。――が、すぐに首をふる。
「猫もおれの言うことを聞いてくれませんけど」
 まぶたの奥に描いた想像上の猫はエリッツが触ろうとするとくるりと身を反転させて姿を消す。
「言うこと聞かせようと思ってはいけません。いつも猫と一緒に何をしてるんですか」
 非常に答えにくい質問である。
「いや、その、昼寝……」
 シェイルは小さく笑うと派手な甲冑で守られたエリッツの肩を叩いて、そのまま自身の馬にまたがってしまう。シェイルの馬は美しい芦毛で、しかも大人しそうだ。かえてほしい。
 それが合図であったかのようにその場にいた者が各々馬にまたがり出陣の準備を始める。このままでは出遅れる。
 しかし目の前では不機嫌が最高潮に達しているカルトルーダがまた後肢で立ちあがり手綱を持った兵を翻弄していた。
「これ、受け取ってください」
 よりによってその手綱をこっちに押し付けようとしている。
「ちょっと、む――」
 無理ですと、言いそうになり口をつぐむ。
 仕方がない。エリッツは観念して手綱を受け取った。もちろん引き手が変わったところで不機嫌はおさまらない。
 シェイルのさっきの言葉はアドバイスなのかなんなのか。
「カルトルーダ、時間がない。乗るよ」
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