亡国の草笛

うらたきよひこ

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第一章 (仮)

第五十九話 傷

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 リークの持っていた刃物が月の光を照り返した。小ぶりで薄刃だ。ダガーナイフの一種かもしれない。切れ味は先ほど味わったばかりだ。わずかに角度をとっただけで皮膚に傷をつけた。そんな物騒な武器を持ってどこに行こうとしていたのか。
「それだけ? おれ、リークのことよく知らないんだけど信じろっていうの?」
「おいおい、あんま調子のんなよ」
 再びナイフが今度は頰の辺りにぴたりとすえられる。
「顔に傷がついたらお兄ちゃんが悲しむだろ。おとなしく帰れ」
「帰るよ。帰るけど、もうひとつ。これからオグデリスさんのところに行くの? 兄さんが知りたがっているのはオグデリスさんのことなんだ」
 ふいに背中に衝撃が走る。
 背中をけり飛ばされたと気づいたときには地面にしたたかに顔を打っていた。衝撃で頭が朦朧とする。
「動き回られると殺さざるを得なくなることもある。一週間は寝ていろ」
 背後から膝の関節を踏みつけられる。
 骨を折られるか、筋を切られるか。どちらも痛そうだと、エリッツは曖昧な意識の中で痛みにそなえる。
「お兄ちゃんには転んだといっておけよ。デルゴヴァ一族とグーデンバルド家で今さら大喧嘩なんて馬鹿らしいだろ」
 ぐっと膝裏に力が加わる。しかし覚悟した痛みにおそわれることはなかった。
「まったく油断したな。こいつと話していると気が抜けるんだよ」
 頭上からリークの大仰なため息が聞こえる。膝裏にかかっていた力がすっと引いた。顔を打ったせいか目がかすんでよく見えないが、月明かりの逆光の中もうひとりの人物がたたずんでいて、リークの鼻先に山刀のような得物を突きつけている。まったく気配がしなかったので気づかなかった。
「多少のお怪我はいた仕方ない。――が、足をつぶされると『お仕事』にさしさわるんで勘弁してくれ」
 相変わらずののんびりとした口調だ。だが動きには隙がない。ワイダットは山刀を突きつけたままリークの方へ半歩にじりよる。そのまま一撃でリークの首を切りつけられる間合いだ。
「おたくのお坊ちゃんのためを思ってのことなんだけどな。危なっかしいよ。夜道を歩かないようにしつけておくべきだ」
 リークはさしてあわてた様子もなく手にしていたナイフをするりとしまう。どこに隠しているのか、手元が見えなかった。
「やりあったらお互い無傷じゃすまないことはわかるだろ」
 それでもひかないワイダットにリークはあきれたようにいい放つ。
「邪魔をされたからこうしたまでで、あんたたちの敵じゃないよ。まったく朝になっちまう」
 すでに撤退の姿勢をとっているリークに向かいワイダットは何の予兆もなく突きをくりだした。
 はらりといく筋かリークの髪が舞いちる。あれをよけるとは相当の反射神経とスピードだ。
「あっぶな。人の話を聞いてんのか」
 続けざまに突きをくりだすワイダットの攻撃をリークは危なげもなくよけ続ける。
「遊んでる暇はないんだったら」
 いつの間にか手に先ほどのナイフが握られている。今度は両手だ。攻撃をやめないワイダットの手元を狙いすべるように斬りこんでいく。それをよけつつワイダットは執拗にリークへの攻撃をくり返す。まるで舞のように軽やかで美しい動きだ。それに速い。リークの方も隙をみてワイダットの攻撃の間をぬうように斬りこむがどうもワイダットに誘われているように見える。
「型の手合わせなら今度にしてくれよ」
 リークはいらだったような声をあげて大きく退いた。
「やはり軍式だな。上官の名前を言ってみな」
「見よう見真似ってやつだよ。いいことを聞いたな。俺は軍でも通用するのかい」
 今度こそ終わりだというようにリークは笑いながら両手のナイフをしまった。やはり消えたように見える。どこにしまっているんだ。
 そこでようやくワイダットは山刀をおろしてエリッツを見た。
「立てるか」
 さしのべられたワイダットの手をエリッツは軽くふり払って身を起こす。強がってはみたものの足元はおぼつかない。妙につばがたまると思って吐いたら黒々と地面にしみこんでいく。血だ。顔を打ったときに口の中を切ったらしい。それを見たら急にあちこち痛みだした。なんだか腹もたつ。
「リーク、また後でね」
 負け惜しみのように手をふると、リークは苦りきった顔であっちへ行けというように手をふった。
「あれには近づかない方がいい」
 よろよろと歩くエリッツの歩調に合わせながらワイダットまでそんなことをいう。それはゼインにもいわれたし承知していることだが、兄に頼まれたら仕方ないじゃないか。黙っているエリッツにワイダットはさらに言葉を重ねた。
「ただの護衛じゃない。あの武器は暗殺用だ」
 それでもエリッツは何もいう気になれなかった。結局兄が望むような情報は得られず、周りに迷惑だけをかけ続けている。
「若様」
 ワイダットが急に足をとめた。
「なぜ反撃しなかった。あの少年はずば抜けて素早いようだが、油断をしていた。若様の実力なら油断しているうちに一撃は入る。あの細い体に一撃入ればかなり有利な展開になったはずだ。少なくとも足を折られることにはならない」
 そういえばなぜか反撃してやろうとは思わなかった。
 ワイダットは「どうも多いな」と困ったような顔で自身の袖を勢いよく裂く。何をするのだろうとエリッツが首をかしげていると、「誰とでも仲良くできると思わないことだ」といいながらエリッツの首の傷を裂いた袖で押さえた。
「たいした怪我じゃないが、このままじゃダグラスさんが卒倒しちまう」
 見るとエリッツの服はぐっしょりと血を吸っている。もちろん痛みはあるが、痛みの印象以上に出血が多い。
「このまま兄さんのところになんて行かないよ」
 ワイダットは苦笑いする。
「問題はこっちだ。これはどうも……クビになるな」
 おどけたようにいいながらエリッツの右頬に軽く触れた。どうやら背後から蹴られたときに例のナイフで傷がついたようだ。そちらに関してはほとんど痛みもないしどうでもよかったが、顔なので目立つだろう。兄にどうしたのか問われればリークとのことを話すはめになる。そうなると兄とアイザック氏の関係がこじれやしないか。エリッツがアイザック氏の護衛から外されてしまえばローズガーデンに同行できなくなってしまう。
「明日はずっと部屋で寝ていようかな」
 ここまできてなりゆきを見届けられないというのはあんまりだ。
「いや、ダグラスさんにはこちらからうまく報告をあげておく。よし、血はとまったようだ」
 ワイダットは血でぬれた切れ端をしまうと、またゆっくりと歩きだす。エリッツもあわてて歩き出す。
「ワイダット、ごめん」
「謝る必要はないが、若様が自分の身を自分で守れるようにこれまでいろいろ教えてきたつもりだ」
「うん」
 ワイダットが助けてくれなければ、エリッツはおとなしく足を折られていただろう。確かにそこまでおとなしくしているいわれはないはずだった。リークとはいつか話せて仲良くできると思っていた自分のおめでたさが情けない。
「若様は自分で思っているよりもずっとお強い。あとは世の中にはいろんな人間がいると知ることだな。どうか、ご無事で」
 ローズガーデンに関してエリッツは観客のような気分でいたが気を引きしめて臨まなければまた怪我をするはめになるかもしれない。
 エリッツが神妙にうなずくとワイダットは満足そうに口の端をあげた。
 屋敷に戻るとすぐに体をぬぐって着替え、ベッド入った。怪我はワイダットが傷口が汚れないよう応急処置をしてくれていたのでそれは問題ではなかったはずだ。
 しかし翌朝、エリッツは熱を出してしまいベッドから起き上がることはできなかった。寝る前に体を水でぬぐったから冷えたのかもしれないし、いろいろなことがあって疲労が重なったのかもしれない。
 朝からずっと意識が朦朧としていたが、兄が何度も様子を見にきてくれたようだった。傷口もきちんと処置してもらい薬も飲ませてもらった。なぜかフィアーナが長時間横にいたようにも思う。これは本当に夢かもしれない。そばにいてもらう理由がない。
 特に会話をした記憶はないがワイダットも一度来てくれた気がする。すべてが混沌とした時間を経て意識がある程度しっかりしてきたころすでに日は傾いていた。
 カーテンをめくり夕日を確認しているエリッツのもとにダグラスがやってきた。
「もう起きても大丈夫なのか」
 体を起こして外を眺めているエリッツにほっとしたような顔をする。
「危険なことを頼んで悪かった」
 兄がエリッツの手をとり、つらそうに顔をゆがめた。そういえば、ワイダットがうまく報告をしておくといっていたがどう報告したのだろうか。ワイダットのことだ、エリッツが護衛から外されて仕事ができなくなるようなことがないようにしてくれたのだろう。先に口裏を合わせておけばよかった。
「兄さん、ワイダットは?」
 ダグラスは一瞬黙る。エリッツが首をかしげるとようやく「帰ってもらった」と口にした。
「帰った? どこに」
 ダグラスはエリッツから視線をそらすが、有無をいわさぬ口調でこういった。
「サムティカの本家だ。指示した任務を遂行できない人間はここには必要ない」
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