亡国の草笛

うらたきよひこ

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第一章 (仮)

第四十九話 家

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 兄妹は家に帰る途中であった。役人を退役した老人が読み書きを教えてくれる私塾からの帰り道だ。
 父と母は仕事で家をあけがちだが今日は早い時間から二人とも家にもどっている。そのためか兄妹はいつもよりはしゃいでいた。兄は道すがらつかまえた虫をいたぶりながら歩いた。妹は父と母に何を話すか考えながら歩いた。いつもはうんざりしてしまう長い帰り道も家に帰れば父と母がいるのだと思えばさほど苦にならない。
 兄は四匹目の虫をとらえた。
 妹は成績がよかったことを父にどう伝えるか考えていた。
 二人の間に会話はない。仲が悪いわけではなかった。いつも二人で家にいることが多いため、会話がなくともお互い何を考えているか、よくよくわかっている。常にともにいる相手に伝える必要があることは少ない。
「もうちょっとだ」
 兄が虫の脚を一本引きちぎってそういった。
「もうちょっとだね」
 妹がこたえた。
 家はすぐそこだった。どちらからともなく走りだす。
 兄は勢いよく扉をあけた。「静かに開け閉めしなさい」と母がいうのをわかっていてそうした。すぐに母の叱る声が聞こえるはずだった。
 家は静まり返っている。ぎいと扉がきしむ音が大きく聞こえた。
 遅れて入ってきた妹が不思議そうに兄を見あげる。
 兄妹は小さな家をくまなく探した。裏庭も地下の収納庫も、棚の中も。
「迎えにいこう」
 兄が父と母の寝室の引き出しをあけながらいった。
「迎えにいく」
 妹が床板の隙間をのぞきこみながらいった。
 二人はもと来た道を戻っていく。一本道だから迷うことはない。父と母と鉢合わせになることはあってもすれ違ってしまうことはないはずだった。
 ふと、物音がした。
 兄妹は首をかしげて顔を見あわせる。隙間風のような音がする。
 兄がひとつうなずくと藪をかきわけて横道に分け入っていく。妹も少し迷ったのち後に続く。
 それが何なのか兄妹にははじめよくわからなかった。
 じっと見ているとそれはわずかに動いた。また隙間風のような音が不規則に聞こえる。
 木に打ちつけられている二体の真っ赤な、それは人間であった。
 人間だと気づくとそれがあまりに無残な姿であることを兄妹はゆっくりと認識しはじめる。血液で全身が濡れ、体のいたるところに穴があき、皮膚をはがされているところもある。四肢はとれかけ、さらに指が何本も欠けている。顔面が大きく崩れおち風貌どころかどこがどこだかわからない。
 風の音に聞こえたのは呼吸音であった。そんな姿になってもまだ呼吸をしている。えぐれた喉の辺りから血液と空気が同時もれでている音もまじる。
 そして二人は気づいていた。淡いブルーのレースがついた切れ端、それは母の衣服。レジス軍の紋章の鋲が打たれた皮革、それは父の履物。
 大きすぎる感情の波は行き場を失い、二人の小さな体の中を引き裂きながら暴れまわる。
 二人とも声もなくその場にへたりこみ失禁した。
 どこからか話し声が近づいてくる。こんな悪魔のようなことをしでかした者がまだ近くにいる。兄妹はこれ以上の恐怖に耐えられず気がふれそうになっていた。勝手に膝がふるえだす。
 あらわれたのは黒い覆面をかぶった三人の人間だ。ひそやかな声で兄妹を指して異国の言葉で話をしている。兄妹は硬直し動くことができない。ショックと恐怖で目を見開いたまま指一本動かせない。
 三人は相談が終わったのか、うなずくと兄の髪をつかんで小動物のように持ちあげた。ぶつぶつと髪の切れる音がする。別の者が妹の方も同じように持ちあげる。
「お父さん、お母さん、もらったもの、ないか」
 もう一人の人物が片言のレジスの言葉で兄妹に問う。覆面のせいで声が不気味にくぐもって聞こえる。
 兄妹は髪を引っ張られる痛みと恐怖で言葉がでない。がたがたと震える体の振動でさらに髪がちぎれ、抜けおちる。
「隠して、どこ、知らないか」
 感情のない声でさらに問われる。子供を傷つけ殺すことに何の抵抗ももっていない声だ。
 このときの兄妹は知るよしもないが覆面の三人は帝国からきた間諜であった。また、二人の父母もレジス軍の間諜である。だが何も知らされていない兄妹にとってこの状況はあまりに不条理であった。
 問われている内容もこの状況も理解することができない兄妹に答えることができるはずもなく、覆面の三人はあっさりとあきらめた。各々兄妹を投げだすとついでのように切りつける。二つの血しぶきが大きく弧を描き草木をぬらす。やがて父母の血液と同じように大地にしみこんでいった。
 うつろになった兄妹の目が新たに現れた人物を映したのはその直後のことだ。
 覆面の間諜たちは帝国の言葉で口々に「レジス軍の者か」「いや、子供だ」「気をつけろ、術士かもしれん」と武器を抜く。
 あらわれたのは確かに子供といっても差し支えない少年であった。レジス軍の紋章が染め抜かれたコートをはおっている。走って来たのか息を乱していた。兄妹の目は放りだされた姿勢のままその姿を逆さまに映していた。
「リングをしていない」「だが、軍服だ」「ロイか」と、帝国の間諜たちに動揺がはしる。ロイから逃れた術士がレジス軍にいるという情報を手にしたのはつい最近のことであった。子供とはいえ術士でないものが術士を相手にするのは大きな危険がともなう。
 少年がひとつ息をはいた。
 間諜たちの動きがとまる。
「やはり術士だ」「まさか。素手だぞ」「だめだ、強い」と、間諜たちはぬいつけられたように一歩も動けない状態で互いに覆面の顔を見あわせた。
 少年が腰を落として左手で静かに地にふれる。ざわと風が吹き抜けた。もう一方の手で腰の短剣を手にしてそれを兄妹にむかって投げた。短剣は二人のちょうど間に落ちる。
「手が離せません。その人たちを仕留めてください」
 兄の指が動いた。妹の指も動いた。
 しかし立ち上がることはおろか、次第に二人の呼吸は弱くなっていく。
 少年はつらそうに顔をゆがめた。
「両親を殺されて、憎くはないのですか」
 兄の指が動いたが、妹の指は動かなかった。
「立ってください……」
 少年は懇願するように声をしぼりだすが、兄妹はもうぴくりとも動かなかった。
 少年は癇癪を起こしたように、両手で地面を強く叩く。
 水分を多く含んだ果物を地面に投げつけたような、そんな音だった。三本の真紅の水柱があがり、人間だったものの残骸が地面に残される。
 やがて何人もの足音が聞こえてきた。
「うげ、またやりやがったな」
 その場の惨状を目にして後から来たレジス軍の面々は目をおおう。中には隊列をひそかに離れて吐いている者もいた。
「なぜ命令をきかない」
 指揮官は少年を容赦なく殴りつけた。少年はその場に倒れ伏すが、むっと黙ったまま兄妹を指さす。
 指揮官が部下に目配せをすると、数人が血だまりに倒れている兄妹にかけよった。
「この子はだめだ。息をしていない」
 何人かが祈りの印を結び、沈痛な面持ちで「かわいそうに」「痛かっただろう」と声をもらす。
「指揮官、こっちの子はまだ生きています!」
 部下の一人が声を張りあげた。
「街から医者を呼べ。下手に動かすな」
 あわただしく数人が隊を離れ走り出す。その間、別の者が応急処置をほどこす。
「家に、帰ら……ないと」
 血に濡れた小さな唇から言葉がもれた。居合わせた軍人たちは胸を詰まらせ顔を見あわせる。
「家に……」
 自らの血で汚れた手を空に伸ばす。その手をいつの間にかそばに来ていた少年が力強くにぎった。
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