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第一章 (仮)
第三十三話 草笛
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何がそんなにおもしろいのか笑いつづけるアルヴィンをみていてエリッツは何か重要なことを見落としているような気分になった。
「さっき自分で器に盛って食事をするっていったよね」
血の気がひくとはこのことで全身の血液がさっと下におりていったような感覚になる。
「いったよ。それが何」
エリッツの様子がおかしいことに気づき、さすがのアルヴィンも笑いをおさめる。
「おれ、たぶんやったことないよ」
今さらそれの何が問題なのかというようにアルヴィンは首をかしげる。
「そうだろうね。そう見えるよ」
レジスに来たばかりのアルヴィンは噂を知らないだろう。つまりエリッツがシェイルの弟子としてしばらくスサリオ山の麓の森ですごしていたことだ。
「え、つまり師匠にメシ作らせて給仕までさせてたってこと?」
アルヴィンはさっきよりも激しく笑いだす。
「エリッツ、それは弟子じゃなくてペットだよ。給餌だ」と、失礼なことまでいいだした。
そういえば、猫と行動がほとんど一緒だったようにも思う。並んで頭を撫でてもらったりもした。
アルヴィンはいよいよおかしくてたまらないらしくソファに身を倒して腹を抱えている。
「よく追い出されなかったね。どういう師匠だよ」
「今朝きてたでしょ。黒髪の」
「そういえばお客さんがいたみたいだけど、僕は寝てたから知らないな」
「寝てたの」
てっきりリークとアルヴィンは起きて仕事をしていたものと思いこんでいた。
「だから今日は休みなんだよ。お前はいなくていいって昨日からいわれてたんだもの。まぁ、僕が本格的に働くのはローズガーデンの当日くらいかな。僕の雇い主はあれでいてかなり今回の話を警戒しているんだ。突然ローズガーデンに呼ばれて何かあるんじゃないかって」
そういってからジュースを飲みほす。
「そんなわけだから今日のお客さんには会ってないよ。黒髪ってことはロイの人かな」
今度はエリッツの朝食用だったと思われるパンに手を伸ばす。
「兄たちは帝国からきた人だっていってるけど」
口いっぱいにパンを入れているので返事がない。
「アルヴィンもロイの人なの」
「ほふらよ」
そうだよ、といったんだろう。エリッツはアルヴィンがパンを飲みこむのを待つ。
「帝国とロイの国民はもともとひとつの民族だったからね。帝国から来た人が黒髪ってよくあることだと思うよ」
ロイの人々は帝国に住んでいた土地を奪われたと聞いたがアルヴィンのいい方には屈託がない。
「帝国の人々をうらんでいないの」
エリッツは思わずあたりまえのことを口にしてしまう。
「そりゃね、いろいろ思うことはあるけど、結局僕はレジスの生まれだから」
そこではじめてアルヴィンは少しさみしそうな顔をした。口のまわりがパンくずだらけだが、根を下ろして暮らす場所がないというのはどれほど心もとないことだろう。
「大人たちの話をきいていると一度はロイをみてみたくなるな。ほら、これもロイ特有の衣装なんだよ。もう着ている人はお年寄りばっかりだけどね」
手をすっぽりとおおい隠してしまう長い袖を前にかかげてアルヴィンは得意げだ。
「ロイは冬が長くて寒い土地なんだって。こうやって冷えやすい手を隠すんだよ。大人になると袖にその家に伝わっている刺繍をしてもらうんだ。あいにく僕には両親がいないからずっとこのままだろうけど」
アルヴィンの不思議なファッションの出自がわかった。同時に両親も失っていることもわかった。これは自分で器に盛って食事をしたことがないエリッツが笑われるのもやむをえない。
エリッツは何となく空になっているアルヴィンのグラスにジュースをそそいだ。
「あ、北の王には会ったことがあるの」
アルヴィンはすぐさまジュースのグラスの手をつける。半分ほど一気に飲んでしまうと、こともなげに「あるよ」と返事をした。
思わずエリッツは前のめりになる。
「どんな人なの」
「その前にレジスの人たちが『北の王』と呼んでいる方は厳密には王じゃないよ。もう国土がないという意味だけじゃなくて、まだ王位を継いだわけじゃないから。先王の葬送がまだなんだ」
「お葬式のこと?」
「まぁ、そうだね。ロイでは先王の葬送が次期王の即位と同時なんだ……って聞いたよ」
アルヴィンは最後に少し気恥ずかしそうに伝聞であることをつけ加える。大人たちに祖国の話をしつこく聞きまわっている姿が目に浮かんだ。どうやらこのレジス生まれの少年は祖国への関心が人一倍強いようだ。
「笛を吹くんだって、みんなで」
「笛?」
「葬送のときに。木でできた小さな笛で『草笛』と呼ぶんだ。まだロイが国としてまとまっていなかった大昔は今帝国の土地になっているあたりを季節のうつり変わりとともに移動して暮らしていたんだって。その頃は本当に草をちぎって吹いていたらしいよ。王だけじゃなくて人が亡くなったときはいつも」
寒風の吹きすさぶ土地に乾いた草笛の音が響きわたる情景を想像してエリッツはもの悲しい気分になる。
「そのうち一つの土地にとどまって暮らす人々があらわれたんだ。その人たちをラインデル、移動をつづけた人たちをロイと呼ぶようになった。もうわかるでしょう。ラインデルは国境を勝手に決めて帝国とし、ロイは移動することができなくなりやむなく北方の土地に国をかまえた。それがロイの成り立ちなんだ。レジスに比べればまだ新しい方の国といえるかもね」
そこでアルヴィンはまた焼き菓子をひとつつまんだ。
「あ、そうそう君たちのいう『北の王』がどういう人なのかってことだったよね。実はよくわからなくて。会ったといっても一度だけ。七歳になったお祝いに『有為多望、無事息災を祈る』とだけお言葉をいただいた。有為多望ってまさしく僕にふさわしい言葉だよね、うん。その後は、ほら、警備がきびしくなってロイの人間でも気軽に会えなくなった」
そういえばそんなようなことをゼインもいっていたような。城の中庭にある離れに軟禁されているとか。確かにそんな状態では誰も気軽には会えないだろう。
「でも、そう。正直なところ本当に王の血族の方なのかわからないんだ。会ったときも顔を隠していた。立ち会ったレジスの官が帝国の間諜が混ざっている可能性があるから警備上顔を隠すんだっていってたよ。いただいた言葉が短いのもそのせい。話すのに十分な時間すらもらえなかった。大人たちも王子は全員殺されたと聞いたからあれは誰なんだろうって。落ちのびたのは王弟だけだったはずだけどその方の訃報もレジスに居ついてすぐにきこえてきたそうだ。もちろんそんなことは大っぴらにはいえないし、ロイの人々にとっても王の血筋が生きていると信じた方が希望がもてる」
かなりあやしい話になってきた。
ラヴォート殿下の話だと北の王がロイの王の血筋であることは確かなように聞こえたがロイの人々にとってはかなり疑問があるようだ。ただそう信じた方がいいというだけで信じているような。
「実は女性なんじゃないかっていっている大人はいるよ。王には姫君がお二人いらっしゃったからって。でも僕が聞いた限りあの声は男性だったと思うよ」
聞くほどに謎が深まる。声に関しては当てにならないんじゃないかとマリルの変装を目の当たりにしたエリッツは思うのだが、だとしても男性を装う理由が不明だ。
そういえばゼインが北の王はラヴォート殿下の恋人ではないかといっていなかったか。
それが本当だとしても女性だろうが男性だろうが関係ないかもしれない。エリッツはシェイルが折檻されている姿を思い出ししばし遠い目をする。
そんなことよりも国王陛下をはじめとしたレジスの人々が北の王を信じた根拠があるはずだ。休戦の決め手になったくらいだからその根拠に帝国側も納得したに違いない。
「北の王についてはそのうち何かわかるんじゃない。ローズガーデンに出席するんでしょう」
なぜアルヴィンがそのことを知っているのか。レジスにいるダグラスもディケロも知らなかったことだ。
エリッツはアルヴィンの顔をじっとみた。特に何か含みがあるようには見えない。
「どうかしたの」
「いや別に」
そういえば先ほどはグーデンバルド家が本当に中立なのかも確認しようとしていた。一体なんのために。
頭の中に相関図を描いてみる。すると奇妙なねじれが浮かびあがった。
ダグラス・グーデンバルドが一見デルゴヴァ兄弟についたようにみえるが、アイザック氏についた護衛のエリッツはデルゴヴァ兄弟の政敵である第二王子ラヴォート殿下の側近の弟子である。
アルヴィンはシェイルのことを知らないようにふるまっていたが、本当は知っていたのではないか。グーデンバルド家が中立ではなくラヴォート殿下についていた可能性を確認しようとしたのもしれない。
いやしかし、それは今さら過ぎないだろうか。この屋敷に滞在することを決める際に真っ先に確認すべきだ。
オグデリス氏はエリッツをみて平然と好色そうな顔をしていただけだったが、グーデンバルド家の身内と知って実は内心かなり驚いていたのかもしれない。
アルヴィンはエリッツが黙りこんでしまったことを幸いとばかりにテーブルの上の食べ物を黙々と食べている。エリッツの朝食はもうほとんど残っていない。
やはり何も考えていないのか。
「さっき自分で器に盛って食事をするっていったよね」
血の気がひくとはこのことで全身の血液がさっと下におりていったような感覚になる。
「いったよ。それが何」
エリッツの様子がおかしいことに気づき、さすがのアルヴィンも笑いをおさめる。
「おれ、たぶんやったことないよ」
今さらそれの何が問題なのかというようにアルヴィンは首をかしげる。
「そうだろうね。そう見えるよ」
レジスに来たばかりのアルヴィンは噂を知らないだろう。つまりエリッツがシェイルの弟子としてしばらくスサリオ山の麓の森ですごしていたことだ。
「え、つまり師匠にメシ作らせて給仕までさせてたってこと?」
アルヴィンはさっきよりも激しく笑いだす。
「エリッツ、それは弟子じゃなくてペットだよ。給餌だ」と、失礼なことまでいいだした。
そういえば、猫と行動がほとんど一緒だったようにも思う。並んで頭を撫でてもらったりもした。
アルヴィンはいよいよおかしくてたまらないらしくソファに身を倒して腹を抱えている。
「よく追い出されなかったね。どういう師匠だよ」
「今朝きてたでしょ。黒髪の」
「そういえばお客さんがいたみたいだけど、僕は寝てたから知らないな」
「寝てたの」
てっきりリークとアルヴィンは起きて仕事をしていたものと思いこんでいた。
「だから今日は休みなんだよ。お前はいなくていいって昨日からいわれてたんだもの。まぁ、僕が本格的に働くのはローズガーデンの当日くらいかな。僕の雇い主はあれでいてかなり今回の話を警戒しているんだ。突然ローズガーデンに呼ばれて何かあるんじゃないかって」
そういってからジュースを飲みほす。
「そんなわけだから今日のお客さんには会ってないよ。黒髪ってことはロイの人かな」
今度はエリッツの朝食用だったと思われるパンに手を伸ばす。
「兄たちは帝国からきた人だっていってるけど」
口いっぱいにパンを入れているので返事がない。
「アルヴィンもロイの人なの」
「ほふらよ」
そうだよ、といったんだろう。エリッツはアルヴィンがパンを飲みこむのを待つ。
「帝国とロイの国民はもともとひとつの民族だったからね。帝国から来た人が黒髪ってよくあることだと思うよ」
ロイの人々は帝国に住んでいた土地を奪われたと聞いたがアルヴィンのいい方には屈託がない。
「帝国の人々をうらんでいないの」
エリッツは思わずあたりまえのことを口にしてしまう。
「そりゃね、いろいろ思うことはあるけど、結局僕はレジスの生まれだから」
そこではじめてアルヴィンは少しさみしそうな顔をした。口のまわりがパンくずだらけだが、根を下ろして暮らす場所がないというのはどれほど心もとないことだろう。
「大人たちの話をきいていると一度はロイをみてみたくなるな。ほら、これもロイ特有の衣装なんだよ。もう着ている人はお年寄りばっかりだけどね」
手をすっぽりとおおい隠してしまう長い袖を前にかかげてアルヴィンは得意げだ。
「ロイは冬が長くて寒い土地なんだって。こうやって冷えやすい手を隠すんだよ。大人になると袖にその家に伝わっている刺繍をしてもらうんだ。あいにく僕には両親がいないからずっとこのままだろうけど」
アルヴィンの不思議なファッションの出自がわかった。同時に両親も失っていることもわかった。これは自分で器に盛って食事をしたことがないエリッツが笑われるのもやむをえない。
エリッツは何となく空になっているアルヴィンのグラスにジュースをそそいだ。
「あ、北の王には会ったことがあるの」
アルヴィンはすぐさまジュースのグラスの手をつける。半分ほど一気に飲んでしまうと、こともなげに「あるよ」と返事をした。
思わずエリッツは前のめりになる。
「どんな人なの」
「その前にレジスの人たちが『北の王』と呼んでいる方は厳密には王じゃないよ。もう国土がないという意味だけじゃなくて、まだ王位を継いだわけじゃないから。先王の葬送がまだなんだ」
「お葬式のこと?」
「まぁ、そうだね。ロイでは先王の葬送が次期王の即位と同時なんだ……って聞いたよ」
アルヴィンは最後に少し気恥ずかしそうに伝聞であることをつけ加える。大人たちに祖国の話をしつこく聞きまわっている姿が目に浮かんだ。どうやらこのレジス生まれの少年は祖国への関心が人一倍強いようだ。
「笛を吹くんだって、みんなで」
「笛?」
「葬送のときに。木でできた小さな笛で『草笛』と呼ぶんだ。まだロイが国としてまとまっていなかった大昔は今帝国の土地になっているあたりを季節のうつり変わりとともに移動して暮らしていたんだって。その頃は本当に草をちぎって吹いていたらしいよ。王だけじゃなくて人が亡くなったときはいつも」
寒風の吹きすさぶ土地に乾いた草笛の音が響きわたる情景を想像してエリッツはもの悲しい気分になる。
「そのうち一つの土地にとどまって暮らす人々があらわれたんだ。その人たちをラインデル、移動をつづけた人たちをロイと呼ぶようになった。もうわかるでしょう。ラインデルは国境を勝手に決めて帝国とし、ロイは移動することができなくなりやむなく北方の土地に国をかまえた。それがロイの成り立ちなんだ。レジスに比べればまだ新しい方の国といえるかもね」
そこでアルヴィンはまた焼き菓子をひとつつまんだ。
「あ、そうそう君たちのいう『北の王』がどういう人なのかってことだったよね。実はよくわからなくて。会ったといっても一度だけ。七歳になったお祝いに『有為多望、無事息災を祈る』とだけお言葉をいただいた。有為多望ってまさしく僕にふさわしい言葉だよね、うん。その後は、ほら、警備がきびしくなってロイの人間でも気軽に会えなくなった」
そういえばそんなようなことをゼインもいっていたような。城の中庭にある離れに軟禁されているとか。確かにそんな状態では誰も気軽には会えないだろう。
「でも、そう。正直なところ本当に王の血族の方なのかわからないんだ。会ったときも顔を隠していた。立ち会ったレジスの官が帝国の間諜が混ざっている可能性があるから警備上顔を隠すんだっていってたよ。いただいた言葉が短いのもそのせい。話すのに十分な時間すらもらえなかった。大人たちも王子は全員殺されたと聞いたからあれは誰なんだろうって。落ちのびたのは王弟だけだったはずだけどその方の訃報もレジスに居ついてすぐにきこえてきたそうだ。もちろんそんなことは大っぴらにはいえないし、ロイの人々にとっても王の血筋が生きていると信じた方が希望がもてる」
かなりあやしい話になってきた。
ラヴォート殿下の話だと北の王がロイの王の血筋であることは確かなように聞こえたがロイの人々にとってはかなり疑問があるようだ。ただそう信じた方がいいというだけで信じているような。
「実は女性なんじゃないかっていっている大人はいるよ。王には姫君がお二人いらっしゃったからって。でも僕が聞いた限りあの声は男性だったと思うよ」
聞くほどに謎が深まる。声に関しては当てにならないんじゃないかとマリルの変装を目の当たりにしたエリッツは思うのだが、だとしても男性を装う理由が不明だ。
そういえばゼインが北の王はラヴォート殿下の恋人ではないかといっていなかったか。
それが本当だとしても女性だろうが男性だろうが関係ないかもしれない。エリッツはシェイルが折檻されている姿を思い出ししばし遠い目をする。
そんなことよりも国王陛下をはじめとしたレジスの人々が北の王を信じた根拠があるはずだ。休戦の決め手になったくらいだからその根拠に帝国側も納得したに違いない。
「北の王についてはそのうち何かわかるんじゃない。ローズガーデンに出席するんでしょう」
なぜアルヴィンがそのことを知っているのか。レジスにいるダグラスもディケロも知らなかったことだ。
エリッツはアルヴィンの顔をじっとみた。特に何か含みがあるようには見えない。
「どうかしたの」
「いや別に」
そういえば先ほどはグーデンバルド家が本当に中立なのかも確認しようとしていた。一体なんのために。
頭の中に相関図を描いてみる。すると奇妙なねじれが浮かびあがった。
ダグラス・グーデンバルドが一見デルゴヴァ兄弟についたようにみえるが、アイザック氏についた護衛のエリッツはデルゴヴァ兄弟の政敵である第二王子ラヴォート殿下の側近の弟子である。
アルヴィンはシェイルのことを知らないようにふるまっていたが、本当は知っていたのではないか。グーデンバルド家が中立ではなくラヴォート殿下についていた可能性を確認しようとしたのもしれない。
いやしかし、それは今さら過ぎないだろうか。この屋敷に滞在することを決める際に真っ先に確認すべきだ。
オグデリス氏はエリッツをみて平然と好色そうな顔をしていただけだったが、グーデンバルド家の身内と知って実は内心かなり驚いていたのかもしれない。
アルヴィンはエリッツが黙りこんでしまったことを幸いとばかりにテーブルの上の食べ物を黙々と食べている。エリッツの朝食はもうほとんど残っていない。
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