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第一章 (仮)
第二十五話 家事
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エリッツは先ほど調理場で見聞きしたメモをきちんと清書してまとめていた。
野菜の下処理、パンの種類、焼き方、様々な調理方法のことなど。正直、なにがなんだかよくわからなかったが、できる範囲で料理がどういうものかおぼえたい。
調理担当の男はなかなか親切でエリッツにいろいろと教えてくれた。ただ、そのでっぷりと太った男自身食べることが好きだからなのか、エリッツにもあれもこれもとつまみ食いをすすめてくる。すすめられればそのまま口に入れてしまうので一度調理場へいくとひどく満腹になってしまう。
「あ、洗濯物を干してる」
エリッツはペンを投げ出すと無駄に広い部屋を飛び出した。屋敷は広く目的の中庭にたどりつくまでに息が切れてしまう。
「こんな広い家、住みにくいだけじゃないか」
中庭では何人ものメイドたちがおしゃべりをしながら洗濯物を干していた。
「教えてください」
エリッツが一番年配のメイドに声をかけると若いメイドたちはクスクスと笑い声をあげる。
「またですか、坊ちゃん。旦那様に私たちが叱られます」
年配のメイドは大げさにため息をつく。
「坊ちゃんはやめてください。それから兄さんにはおれからいっておくから大丈夫です。できれば洗うところから教えてください」
エリッツは初めて知ったのだが、料理の手伝いや配膳をするメイド、掃除をするメイド、洗濯をするメイドが別々でいる。仕事は分担されているのだ。おもしろがって仕事のことを教えてくれる人もいれば、このように断られることもある。
「お部屋にお戻りください。今夜は久しぶりに旦那様がお帰りですから」
エリッツの心臓が大きくはねあがる。
ダグラス兄さんが帰ってくる。
数日前、娼館の前でグーデンバルド家の、正確にいうとダグラスの使いのものにとらえられてしまった。ただ、エリッツを連れ帰るよう指示をだした当人であるダグラスは妻であるフィアーナの実家にでかけているようでずっと留守にしている。
あの日、エリッツをつかまえたのはエリッツもよく知る人物だった。
グーデンバルド家の本家でエリッツに剣術や体術を教えていたワイダットという男である。ワイダットは屈強な体躯というわけではないがスピードや技の巧みさで他を圧倒する力をもっていた。細身のエリッツに武芸を教えるにはぴったりの人物である。陽気な人好きのする男でエリッツもよく懐いていた。以前、長兄ジェルガスの部下だったこともあるためグーデンバルド家ではかなりの信頼をえている。
最近、ダグラスが是非にと本家から護衛の一人として引きぬいたが、目的はエリッツをつかまえることだったらしい。本家からはエリッツのことを放っておくようにいわれたようだが、ダグラスはどうしても弟を安全にかつあまり怯えさせずに保護したかった。エリッツがよく知っているワイダットならこれが可能である。これはワイダット自身がエリッツにそう話してくれた。
しかしワイダットは街に出てきたエリッツがシェイルにべったりとくっついたままはなれないので最終的に少し乱暴な手をつかわざるをえなかったと苦々しい顔をしていた。エリッツは少しもうしわけないような気分になる。
気絶させられて連れてこられたことは兄にはいわないでおこう。
シェイルに今の状況を手紙で知らせたかったが何をどうしたらあの家に届くのかわからない。そしてこの屋敷の敷地外にでようとするとワイダットが追いかけてくるので出ることもかなわなかった。無理をすればワイダットにも迷惑がかかるだろう。
しかし、ここでおとなしくしているつもりはない。あまり役に立たなくてもそばで仕事をさせてくれるシェイルのもとにいたい気持ちは変わらない。今のうちにいろいろと勉強をしておき、兄にきちんと挨拶をしてからシェイルのところにもどるのだ。家出を中断するつもりは一切なかった。
エリッツは家事だけではなく、この家にある蔵書も読みあさった。シェイルのいた家にあったおかしな本とは違って実用書ばかりですぐに眠たくなる。
本当はダグラスについている書記官や護衛の仕事ぶりを観察したかったのだが、肝心の兄が不在でそれができない。それに近い仕事をしていて家にいるのは護衛のワイダットであり、自然に彼と一緒にいる時間が多くなった。
ワイダット自身も屋敷の主が不在ということもあり持て余した時間にエリッツの相手をすることを楽しんでくれているように感じる。
「坊ちゃん、あんまり使用人たちを困らせちゃダメだ」
エリッツが洗濯を教えろとせがんでいるところへワイダットはのそのそとやってきた。いざというときは驚くべきスピードで動くくせに普段の動きはやけに緩慢としている。
「坊ちゃんはやめて」
「はい、若様」
「なにそれ」
ワイダットは武芸以外のことに関してはややずれているような印象がある。長兄のジェルガスよりも少し年下だと聞いていたので三十代前半だと思われるが浮世離れしたような感性は老人のようだ。
「そんなことより、早く着がえてくれってあっちの人たちが騒いでるけど。大好きなお兄ちゃんが帰ってくるでしょうに」
あっちの人たちと、ワイダットがあごで指したのはエリッツの身の回りの世話をしてくれているメイドたちであった。この屋敷ができたときに雇い入れられた人たちのようで突然あらわれた主人の弟の扱いに戸惑っているようだ。
遠くからエリッツの様子をうかがい、お互いに耳打ちなどをしている。主人の親族らしく堂々としてくれれば楽なのにあちこち歩きまわり家事に手を出すので困りはてているのだろう。
「朝、ちゃんと洗濯された服を着たよ」
エリッツはワイダットに服を見せるように両手をあげた。
「じゃあ、まずその服を汚そう」
いうやワイダットは呆けた顔で両手をあげているエリッツに足払いをくらわせる。
突然のことに足はとられるが、すぐに両手で地面を押し返し、そのまま低い体勢から蹴りを返した。もちろんワイダットにはあたらない。普段の動きからは想像もできない速さでエリッツの背後まわりこむ。エリッツは背後からの打撃をさけるため横へとんだ。
お互いにじゃれ合うようなとっくみ合いが続いた。
「ちょっと洗濯物がほこりっぽくなるじゃない」
先ほどの年配のメイドが大声をあげたときにはエリッツは見事に土まみれになっていた。どういうわけかワイダットは塵ひとつついていない。
「若様、元気になったなぁ」
ワイダットは感慨深げにいいながら地面に転がっているエリッツに手を差しのべる。
「カウラニー氏のところはそんなに楽しかったか」
シェイルのことをいわれると、たった数日前のことなのに懐かしい思いで胸がいっぱいになる。
泉の岩場や猫のこと、ほぼ毎日本を読んで昼寝をしていただけだったのに、なんだかいろんなことがあったような気がしてくる。
この国の中枢にいるラヴォート殿下とも話をしたし、そんなすごい人からはちみつを贈られたりもした。ローズガーデンではいろんな陰謀がうずまいていることも知ってしまったし、帝国に滅ぼされた小国ロイのこと、帝国のこと、術士のこと、グーデンバルドの本家にいたときには想像もできなかった広い世界を知ってしまった。
唐突に居眠りをしていたシェイルの寝顔が脳裏に浮かんだ。早くもどって仕事を手伝わなくては。
「着がえるよ」
エリッツはワイダットの手につかまった。
野菜の下処理、パンの種類、焼き方、様々な調理方法のことなど。正直、なにがなんだかよくわからなかったが、できる範囲で料理がどういうものかおぼえたい。
調理担当の男はなかなか親切でエリッツにいろいろと教えてくれた。ただ、そのでっぷりと太った男自身食べることが好きだからなのか、エリッツにもあれもこれもとつまみ食いをすすめてくる。すすめられればそのまま口に入れてしまうので一度調理場へいくとひどく満腹になってしまう。
「あ、洗濯物を干してる」
エリッツはペンを投げ出すと無駄に広い部屋を飛び出した。屋敷は広く目的の中庭にたどりつくまでに息が切れてしまう。
「こんな広い家、住みにくいだけじゃないか」
中庭では何人ものメイドたちがおしゃべりをしながら洗濯物を干していた。
「教えてください」
エリッツが一番年配のメイドに声をかけると若いメイドたちはクスクスと笑い声をあげる。
「またですか、坊ちゃん。旦那様に私たちが叱られます」
年配のメイドは大げさにため息をつく。
「坊ちゃんはやめてください。それから兄さんにはおれからいっておくから大丈夫です。できれば洗うところから教えてください」
エリッツは初めて知ったのだが、料理の手伝いや配膳をするメイド、掃除をするメイド、洗濯をするメイドが別々でいる。仕事は分担されているのだ。おもしろがって仕事のことを教えてくれる人もいれば、このように断られることもある。
「お部屋にお戻りください。今夜は久しぶりに旦那様がお帰りですから」
エリッツの心臓が大きくはねあがる。
ダグラス兄さんが帰ってくる。
数日前、娼館の前でグーデンバルド家の、正確にいうとダグラスの使いのものにとらえられてしまった。ただ、エリッツを連れ帰るよう指示をだした当人であるダグラスは妻であるフィアーナの実家にでかけているようでずっと留守にしている。
あの日、エリッツをつかまえたのはエリッツもよく知る人物だった。
グーデンバルド家の本家でエリッツに剣術や体術を教えていたワイダットという男である。ワイダットは屈強な体躯というわけではないがスピードや技の巧みさで他を圧倒する力をもっていた。細身のエリッツに武芸を教えるにはぴったりの人物である。陽気な人好きのする男でエリッツもよく懐いていた。以前、長兄ジェルガスの部下だったこともあるためグーデンバルド家ではかなりの信頼をえている。
最近、ダグラスが是非にと本家から護衛の一人として引きぬいたが、目的はエリッツをつかまえることだったらしい。本家からはエリッツのことを放っておくようにいわれたようだが、ダグラスはどうしても弟を安全にかつあまり怯えさせずに保護したかった。エリッツがよく知っているワイダットならこれが可能である。これはワイダット自身がエリッツにそう話してくれた。
しかしワイダットは街に出てきたエリッツがシェイルにべったりとくっついたままはなれないので最終的に少し乱暴な手をつかわざるをえなかったと苦々しい顔をしていた。エリッツは少しもうしわけないような気分になる。
気絶させられて連れてこられたことは兄にはいわないでおこう。
シェイルに今の状況を手紙で知らせたかったが何をどうしたらあの家に届くのかわからない。そしてこの屋敷の敷地外にでようとするとワイダットが追いかけてくるので出ることもかなわなかった。無理をすればワイダットにも迷惑がかかるだろう。
しかし、ここでおとなしくしているつもりはない。あまり役に立たなくてもそばで仕事をさせてくれるシェイルのもとにいたい気持ちは変わらない。今のうちにいろいろと勉強をしておき、兄にきちんと挨拶をしてからシェイルのところにもどるのだ。家出を中断するつもりは一切なかった。
エリッツは家事だけではなく、この家にある蔵書も読みあさった。シェイルのいた家にあったおかしな本とは違って実用書ばかりですぐに眠たくなる。
本当はダグラスについている書記官や護衛の仕事ぶりを観察したかったのだが、肝心の兄が不在でそれができない。それに近い仕事をしていて家にいるのは護衛のワイダットであり、自然に彼と一緒にいる時間が多くなった。
ワイダット自身も屋敷の主が不在ということもあり持て余した時間にエリッツの相手をすることを楽しんでくれているように感じる。
「坊ちゃん、あんまり使用人たちを困らせちゃダメだ」
エリッツが洗濯を教えろとせがんでいるところへワイダットはのそのそとやってきた。いざというときは驚くべきスピードで動くくせに普段の動きはやけに緩慢としている。
「坊ちゃんはやめて」
「はい、若様」
「なにそれ」
ワイダットは武芸以外のことに関してはややずれているような印象がある。長兄のジェルガスよりも少し年下だと聞いていたので三十代前半だと思われるが浮世離れしたような感性は老人のようだ。
「そんなことより、早く着がえてくれってあっちの人たちが騒いでるけど。大好きなお兄ちゃんが帰ってくるでしょうに」
あっちの人たちと、ワイダットがあごで指したのはエリッツの身の回りの世話をしてくれているメイドたちであった。この屋敷ができたときに雇い入れられた人たちのようで突然あらわれた主人の弟の扱いに戸惑っているようだ。
遠くからエリッツの様子をうかがい、お互いに耳打ちなどをしている。主人の親族らしく堂々としてくれれば楽なのにあちこち歩きまわり家事に手を出すので困りはてているのだろう。
「朝、ちゃんと洗濯された服を着たよ」
エリッツはワイダットに服を見せるように両手をあげた。
「じゃあ、まずその服を汚そう」
いうやワイダットは呆けた顔で両手をあげているエリッツに足払いをくらわせる。
突然のことに足はとられるが、すぐに両手で地面を押し返し、そのまま低い体勢から蹴りを返した。もちろんワイダットにはあたらない。普段の動きからは想像もできない速さでエリッツの背後まわりこむ。エリッツは背後からの打撃をさけるため横へとんだ。
お互いにじゃれ合うようなとっくみ合いが続いた。
「ちょっと洗濯物がほこりっぽくなるじゃない」
先ほどの年配のメイドが大声をあげたときにはエリッツは見事に土まみれになっていた。どういうわけかワイダットは塵ひとつついていない。
「若様、元気になったなぁ」
ワイダットは感慨深げにいいながら地面に転がっているエリッツに手を差しのべる。
「カウラニー氏のところはそんなに楽しかったか」
シェイルのことをいわれると、たった数日前のことなのに懐かしい思いで胸がいっぱいになる。
泉の岩場や猫のこと、ほぼ毎日本を読んで昼寝をしていただけだったのに、なんだかいろんなことがあったような気がしてくる。
この国の中枢にいるラヴォート殿下とも話をしたし、そんなすごい人からはちみつを贈られたりもした。ローズガーデンではいろんな陰謀がうずまいていることも知ってしまったし、帝国に滅ぼされた小国ロイのこと、帝国のこと、術士のこと、グーデンバルドの本家にいたときには想像もできなかった広い世界を知ってしまった。
唐突に居眠りをしていたシェイルの寝顔が脳裏に浮かんだ。早くもどって仕事を手伝わなくては。
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