亡国の草笛

うらたきよひこ

文字の大きさ
上 下
25 / 236
第一章 (仮)

第二十五話 家事

しおりを挟む
 エリッツは先ほど調理場で見聞きしたメモをきちんと清書してまとめていた。
 野菜の下処理、パンの種類、焼き方、様々な調理方法のことなど。正直、なにがなんだかよくわからなかったが、できる範囲で料理がどういうものかおぼえたい。
 調理担当の男はなかなか親切でエリッツにいろいろと教えてくれた。ただ、そのでっぷりと太った男自身食べることが好きだからなのか、エリッツにもあれもこれもとつまみ食いをすすめてくる。すすめられればそのまま口に入れてしまうので一度調理場へいくとひどく満腹になってしまう。
「あ、洗濯物を干してる」
 エリッツはペンを投げ出すと無駄に広い部屋を飛び出した。屋敷は広く目的の中庭にたどりつくまでに息が切れてしまう。
「こんな広い家、住みにくいだけじゃないか」
 中庭では何人ものメイドたちがおしゃべりをしながら洗濯物を干していた。
「教えてください」
 エリッツが一番年配のメイドに声をかけると若いメイドたちはクスクスと笑い声をあげる。
「またですか、坊ちゃん。旦那様に私たちが叱られます」
 年配のメイドは大げさにため息をつく。
「坊ちゃんはやめてください。それから兄さんにはおれからいっておくから大丈夫です。できれば洗うところから教えてください」
 エリッツは初めて知ったのだが、料理の手伝いや配膳をするメイド、掃除をするメイド、洗濯をするメイドが別々でいる。仕事は分担されているのだ。おもしろがって仕事のことを教えてくれる人もいれば、このように断られることもある。
「お部屋にお戻りください。今夜は久しぶりに旦那様がお帰りですから」
 エリッツの心臓が大きくはねあがる。
 ダグラス兄さんが帰ってくる。
 数日前、娼館の前でグーデンバルド家の、正確にいうとダグラスの使いのものにとらえられてしまった。ただ、エリッツを連れ帰るよう指示をだした当人であるダグラスは妻であるフィアーナの実家にでかけているようでずっと留守にしている。
 あの日、エリッツをつかまえたのはエリッツもよく知る人物だった。
 グーデンバルド家の本家でエリッツに剣術や体術を教えていたワイダットという男である。ワイダットは屈強な体躯というわけではないがスピードや技の巧みさで他を圧倒する力をもっていた。細身のエリッツに武芸を教えるにはぴったりの人物である。陽気な人好きのする男でエリッツもよく懐いていた。以前、長兄ジェルガスの部下だったこともあるためグーデンバルド家ではかなりの信頼をえている。
 最近、ダグラスが是非にと本家から護衛の一人として引きぬいたが、目的はエリッツをつかまえることだったらしい。本家からはエリッツのことを放っておくようにいわれたようだが、ダグラスはどうしても弟を安全にかつあまり怯えさせずに保護したかった。エリッツがよく知っているワイダットならこれが可能である。これはワイダット自身がエリッツにそう話してくれた。
 しかしワイダットは街に出てきたエリッツがシェイルにべったりとくっついたままはなれないので最終的に少し乱暴な手をつかわざるをえなかったと苦々しい顔をしていた。エリッツは少しもうしわけないような気分になる。
 気絶させられて連れてこられたことは兄にはいわないでおこう。
 シェイルに今の状況を手紙で知らせたかったが何をどうしたらあの家に届くのかわからない。そしてこの屋敷の敷地外にでようとするとワイダットが追いかけてくるので出ることもかなわなかった。無理をすればワイダットにも迷惑がかかるだろう。
 しかし、ここでおとなしくしているつもりはない。あまり役に立たなくてもそばで仕事をさせてくれるシェイルのもとにいたい気持ちは変わらない。今のうちにいろいろと勉強をしておき、兄にきちんと挨拶をしてからシェイルのところにもどるのだ。家出を中断するつもりは一切なかった。
 エリッツは家事だけではなく、この家にある蔵書も読みあさった。シェイルのいた家にあったおかしな本とは違って実用書ばかりですぐに眠たくなる。
 本当はダグラスについている書記官や護衛の仕事ぶりを観察したかったのだが、肝心の兄が不在でそれができない。それに近い仕事をしていて家にいるのは護衛のワイダットであり、自然に彼と一緒にいる時間が多くなった。
 ワイダット自身も屋敷の主が不在ということもあり持て余した時間にエリッツの相手をすることを楽しんでくれているように感じる。
「坊ちゃん、あんまり使用人たちを困らせちゃダメだ」
 エリッツが洗濯を教えろとせがんでいるところへワイダットはのそのそとやってきた。いざというときは驚くべきスピードで動くくせに普段の動きはやけに緩慢としている。
「坊ちゃんはやめて」
「はい、若様」
「なにそれ」
 ワイダットは武芸以外のことに関してはややずれているような印象がある。長兄のジェルガスよりも少し年下だと聞いていたので三十代前半だと思われるが浮世離れしたような感性は老人のようだ。
「そんなことより、早く着がえてくれってあっちの人たちが騒いでるけど。大好きなお兄ちゃんが帰ってくるでしょうに」
 あっちの人たちと、ワイダットがあごで指したのはエリッツの身の回りの世話をしてくれているメイドたちであった。この屋敷ができたときに雇い入れられた人たちのようで突然あらわれた主人の弟の扱いに戸惑っているようだ。
 遠くからエリッツの様子をうかがい、お互いに耳打ちなどをしている。主人の親族らしく堂々としてくれれば楽なのにあちこち歩きまわり家事に手を出すので困りはてているのだろう。
「朝、ちゃんと洗濯された服を着たよ」
 エリッツはワイダットに服を見せるように両手をあげた。
「じゃあ、まずその服を汚そう」
 いうやワイダットは呆けた顔で両手をあげているエリッツに足払いをくらわせる。
 突然のことに足はとられるが、すぐに両手で地面を押し返し、そのまま低い体勢から蹴りを返した。もちろんワイダットにはあたらない。普段の動きからは想像もできない速さでエリッツの背後まわりこむ。エリッツは背後からの打撃をさけるため横へとんだ。
 お互いにじゃれ合うようなとっくみ合いが続いた。
「ちょっと洗濯物がほこりっぽくなるじゃない」
 先ほどの年配のメイドが大声をあげたときにはエリッツは見事に土まみれになっていた。どういうわけかワイダットは塵ひとつついていない。
「若様、元気になったなぁ」
 ワイダットは感慨深げにいいながら地面に転がっているエリッツに手を差しのべる。
「カウラニー氏のところはそんなに楽しかったか」
 シェイルのことをいわれると、たった数日前のことなのに懐かしい思いで胸がいっぱいになる。
 泉の岩場や猫のこと、ほぼ毎日本を読んで昼寝をしていただけだったのに、なんだかいろんなことがあったような気がしてくる。
 この国の中枢にいるラヴォート殿下とも話をしたし、そんなすごい人からはちみつを贈られたりもした。ローズガーデンではいろんな陰謀がうずまいていることも知ってしまったし、帝国に滅ぼされた小国ロイのこと、帝国のこと、術士のこと、グーデンバルドの本家にいたときには想像もできなかった広い世界を知ってしまった。
 唐突に居眠りをしていたシェイルの寝顔が脳裏に浮かんだ。早くもどって仕事を手伝わなくては。
「着がえるよ」
 エリッツはワイダットの手につかまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...