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第一章 (仮)
第二十二話 国家機密
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エリッツはメモをとることを思い出して慌てて上衣のポケットから帳面を取り出す。ダフィットがちらりとエリッツを見た。
シェイルは殿下を無視して、書類をテーブルに広げる。
「北の王の席は警備がしやすいこちらの建物側へ。給仕の者たちの動線が長くなりますが、帝国からの来賓は北の王から離し――この辺りにします。薔薇が見にくい位置になるので、ここに大きな花器をすえて職人に活けさせましょう。できるだけ派手に。それをメインにするように残りの席を配置すれば不自然にはならないはずです。それから要人には天幕をはっておく方がいいかと思います。北の王も帝国からの客も狙われる可能性が高い人物です。ある程度視界をさえぎっておくことで多少なりと飛び道具の類は使いにくくなります」
指でなぞっているのはどうやらローズガーデンの会場となる庭の図面である。エリッツはのぞきこんでみたものの距離感がよくつかめない。とにかく言葉に直してメモをとる。
「附子を用意するよう言われたぞ」
シェイルの話を聞いているのかいないのか殿下はポツリと言葉をはさんだ。
「……わかりました。附子を手配しましょう。見せ物ですね」
「附子って何ですか」
エリッツは「附子」というもののスペルがわからなくて顔をあげた。
「猛毒をもつ植物です」
シェイルの言葉を継ぐようにラヴォート殿下が続ける。
「ロイの王族は附子を食らっても死なぬそうだ。俺も実際には見たことがないが、帝国の連中はそれが見たいという。悪趣味な話だ」
「本物かどうか確認したいんでしょう。しかし、耐性があるというだけで絶対に死なないということはないと思いますけど」
殿下はそれを聞いて渋い顔をする。
「附子を持ちこむとなると例年通りの立食形式は避けた方がいいですね。よからぬ悪戯を思いつかせるような要素は排除しましょう」
「どっちにしろよからぬ悪戯は思いつくだろ。まあ、立食より配膳する方が被害者は少なくてすむかもしれないな。かなり人員が割かれるが仕方ない。それで警備はどうする。足らんぞ」
「陛下のひと声でなんとでもなるのでは」
「ある程度はそうだろうが、国境の方も最近さわがしい。むやみやたらに駆り出すこともできん」
そういえば昨晩手紙に目を通していたとき、そのような内容のものがあったと、エリッツは思いだした。国境付近で軍の指揮官をやっている兄のジェルガスからだ。実家に帰ってくるたびにエリッツの体に執心していた兄が本当に仕事をしているのだということに妙な感慨がある。
シェイルはしばらく顎に手をあて考えている様子だったが、「なんとでもなりますよ」と紅茶をすすった。
「最悪の場合はオズバル翁に頭をさげれば、術士の数人くらい都合してくれます」
「術士って何ですか」
エリッツはまた帳面から顔をあげる。
「質問の多い書記官だな」
ラヴォート殿下が鼻で笑うので、エリッツはしょんぼりとうなだれる。こんなことではやはり捨てられてしまう。
「術士というのは、生まれつき自然の理を曲げる力を持っていて、軍事的な訓練でその力を高めた特殊な軍人のことです」
シェイルがなだめるような声で説明してくれることが余計にこたえる。しかし、そんな特殊な軍人がいるなんて聞いたこともなかった。その前にどういうことなのかいまいち理解できない。さらに質問したい衝動をぐっとこらえる。
「国家機密だぞ」
ラヴォート殿下が揶揄するような口調でいうが、シェイルは素知らぬ顔だ。
「みんな知っていることですよ」
「知っていても口に出さないのが暗黙のルールだ」
とうとうエリッツは我慢ができず「あの」と声を発する。ラヴォート殿下は底意地の悪い笑みを浮かべてエリッツを見る。
「どうした書記官。きちんと書いておけよ」
「みんな知っているんですか。おれはその『術士』というのを知らなかったんですが」
「みんなというのは語弊がありましたね。術士の存在は本来知られてはいけない領域の軍事力です。その才を持った人材は貴重で他国に拉致されたり暗殺されることも考えられます。実際間諜たちが調べていることの大部分が術士の人数、能力、術士を配した軍の編成だといえます。そのため術士たちは任地で顔を隠すことを義務づけられ名を呼ばれることもありません。普段からそれと気づかれないようにふるまっています。公の場で術士について話題にすることは処罰の対象にすらなりますしね」
どうやらかなり重大な「国家機密」だったようだ。それを簡単に弟子に説明してしまうシェイルをラヴォート殿下はあきれたようにながめていた。
「お前、あとで折檻な」と、不敵な笑みを見せる。
エリッツはひとつ思い出したことがあった。デルゴヴァ卿の祝賀会でアルマと話をしたときだ。何か違和感があると思ったのはアルマがシェイルの名だけは一度も呼ばなかったことだった。常にシェイルのことを「彼」といっていた。他の人物については名を呼んでいたにもかかわらず。
「あの、シェイルは術士なんですか」
シェイルもラヴォート殿下も一瞬虚をつかれたような顔をする。ぴったりのタイミングでお互い顔を見合わせる様子はやはり長年の友人のように見えた。
「違いますよ。誰か何かいったんですか」
アルマの名前を出すのはよくない。いろいろとしゃべりすぎて評判を落していると聞いた。エリッツのせいで害がおよぶことは避けたい。
「いえ、なんとなく聞いてみただけです」
とりつくろったもののシェイルも殿下も不思議そうにエリッツを見ている。よっぽど突拍子もないことをいってしまったようだ。
「まぁ、どうにもならなければわたしが一人で北の王の命をお守りしてもかまいませんよ」
シェイルの冗談のようなひとことにラヴォート殿下は異様なまでに顔色を変えた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味です。観念してください。帝国はいつまでもロイの残党など恐れはしません」
ラヴォート殿下の瞳の力強い輝きが灯を落とすように消えた。それは深い悲しみをたたえているように見える。こんな表情を見せるのかとエリッツはあっけにとられ手をとめた。
「帰る」
勢いよく立ち上がり部屋を出ていこうとする殿下の背中にシェイルは静かに声をかける。
「まだご相談したいことが」
殿下は踵を返すと、シェイルに歩みよりその胸倉をつかんで強引に立たせた。椅子が倒れて、せまい部屋に大きな音が響く。
「追加で報告書をよこせ。それから附子は俺が手配する」
「生半可な小細工は通用しませんよ」
シェイルは至極冷静に返すが、背後に控えているダフィットの表情が悪鬼のごとく険しいものになっていることに気づきエリッツはおろおろと席を立つ。立ってしまってから所在がなくなりまた座る。
「わかっている」
しばらくシェイルをにらみつけていたラヴォート殿下は力なくそういうとシェイルを解放し、今度こそ部屋を出ていった。すぐにダフィットがシェイルにかけよる。
「お怪我はありませんでしたか。ここは後で別の者が片づけをしますので」
いいながら手早くシェイルの襟元を直した。まるで更衣を担う侍女のごとく確信に満ちた動作だ。そして深々と頭を下げると、慌てて殿下を追っていく。地下室の静寂をやぶる大きな足音が遠ざかっていった。
「予想通りの反応でしたが、これは難航しますね」
やけにのんびりとそうこぼす。
「なんであんなに北の王にこだわるんでしょう」
「やさしいんですよ。国を追われた者を見捨てることができないんです。陛下や高官たちは帝国ににらまれるのを恐れてロイの難民たちを排除しようとしていましたが、ラヴォート殿下の働きで居場所を与えられています。北の王がいなくなったとしてもロイの難民たちはラヴォート殿下についてレジスのために戦いますよ」
シェイルの口調からエリッツは自然とさとった。
「シェイルはロイから来たんですね」
それにはこたえずただ小さく微笑むとテーブルに広げた書類や荷物をまとめはじめる。
「殿下はエリッツのことも気にしていますよ」
「そうでしょうか。無視されているような気がしますけど」
なぜかシェイルは楽しそうに笑う。普段あまり感情を表情に出さない人なのにと、不思議な思いでその笑顔を見ていた。
「さて、まだまだ忙しくなります。思ったよりも話はできましたし、帰りましょうか」
「あれで、ですか」
「いきなり殴られて帰ることになると思っていましたから」
エリッツはラヴォート殿下のことがまだよくわからない。ただシェイルに「帰りましょうか」といわれたことがうれしくて仕方なかった。
シェイルは殿下を無視して、書類をテーブルに広げる。
「北の王の席は警備がしやすいこちらの建物側へ。給仕の者たちの動線が長くなりますが、帝国からの来賓は北の王から離し――この辺りにします。薔薇が見にくい位置になるので、ここに大きな花器をすえて職人に活けさせましょう。できるだけ派手に。それをメインにするように残りの席を配置すれば不自然にはならないはずです。それから要人には天幕をはっておく方がいいかと思います。北の王も帝国からの客も狙われる可能性が高い人物です。ある程度視界をさえぎっておくことで多少なりと飛び道具の類は使いにくくなります」
指でなぞっているのはどうやらローズガーデンの会場となる庭の図面である。エリッツはのぞきこんでみたものの距離感がよくつかめない。とにかく言葉に直してメモをとる。
「附子を用意するよう言われたぞ」
シェイルの話を聞いているのかいないのか殿下はポツリと言葉をはさんだ。
「……わかりました。附子を手配しましょう。見せ物ですね」
「附子って何ですか」
エリッツは「附子」というもののスペルがわからなくて顔をあげた。
「猛毒をもつ植物です」
シェイルの言葉を継ぐようにラヴォート殿下が続ける。
「ロイの王族は附子を食らっても死なぬそうだ。俺も実際には見たことがないが、帝国の連中はそれが見たいという。悪趣味な話だ」
「本物かどうか確認したいんでしょう。しかし、耐性があるというだけで絶対に死なないということはないと思いますけど」
殿下はそれを聞いて渋い顔をする。
「附子を持ちこむとなると例年通りの立食形式は避けた方がいいですね。よからぬ悪戯を思いつかせるような要素は排除しましょう」
「どっちにしろよからぬ悪戯は思いつくだろ。まあ、立食より配膳する方が被害者は少なくてすむかもしれないな。かなり人員が割かれるが仕方ない。それで警備はどうする。足らんぞ」
「陛下のひと声でなんとでもなるのでは」
「ある程度はそうだろうが、国境の方も最近さわがしい。むやみやたらに駆り出すこともできん」
そういえば昨晩手紙に目を通していたとき、そのような内容のものがあったと、エリッツは思いだした。国境付近で軍の指揮官をやっている兄のジェルガスからだ。実家に帰ってくるたびにエリッツの体に執心していた兄が本当に仕事をしているのだということに妙な感慨がある。
シェイルはしばらく顎に手をあて考えている様子だったが、「なんとでもなりますよ」と紅茶をすすった。
「最悪の場合はオズバル翁に頭をさげれば、術士の数人くらい都合してくれます」
「術士って何ですか」
エリッツはまた帳面から顔をあげる。
「質問の多い書記官だな」
ラヴォート殿下が鼻で笑うので、エリッツはしょんぼりとうなだれる。こんなことではやはり捨てられてしまう。
「術士というのは、生まれつき自然の理を曲げる力を持っていて、軍事的な訓練でその力を高めた特殊な軍人のことです」
シェイルがなだめるような声で説明してくれることが余計にこたえる。しかし、そんな特殊な軍人がいるなんて聞いたこともなかった。その前にどういうことなのかいまいち理解できない。さらに質問したい衝動をぐっとこらえる。
「国家機密だぞ」
ラヴォート殿下が揶揄するような口調でいうが、シェイルは素知らぬ顔だ。
「みんな知っていることですよ」
「知っていても口に出さないのが暗黙のルールだ」
とうとうエリッツは我慢ができず「あの」と声を発する。ラヴォート殿下は底意地の悪い笑みを浮かべてエリッツを見る。
「どうした書記官。きちんと書いておけよ」
「みんな知っているんですか。おれはその『術士』というのを知らなかったんですが」
「みんなというのは語弊がありましたね。術士の存在は本来知られてはいけない領域の軍事力です。その才を持った人材は貴重で他国に拉致されたり暗殺されることも考えられます。実際間諜たちが調べていることの大部分が術士の人数、能力、術士を配した軍の編成だといえます。そのため術士たちは任地で顔を隠すことを義務づけられ名を呼ばれることもありません。普段からそれと気づかれないようにふるまっています。公の場で術士について話題にすることは処罰の対象にすらなりますしね」
どうやらかなり重大な「国家機密」だったようだ。それを簡単に弟子に説明してしまうシェイルをラヴォート殿下はあきれたようにながめていた。
「お前、あとで折檻な」と、不敵な笑みを見せる。
エリッツはひとつ思い出したことがあった。デルゴヴァ卿の祝賀会でアルマと話をしたときだ。何か違和感があると思ったのはアルマがシェイルの名だけは一度も呼ばなかったことだった。常にシェイルのことを「彼」といっていた。他の人物については名を呼んでいたにもかかわらず。
「あの、シェイルは術士なんですか」
シェイルもラヴォート殿下も一瞬虚をつかれたような顔をする。ぴったりのタイミングでお互い顔を見合わせる様子はやはり長年の友人のように見えた。
「違いますよ。誰か何かいったんですか」
アルマの名前を出すのはよくない。いろいろとしゃべりすぎて評判を落していると聞いた。エリッツのせいで害がおよぶことは避けたい。
「いえ、なんとなく聞いてみただけです」
とりつくろったもののシェイルも殿下も不思議そうにエリッツを見ている。よっぽど突拍子もないことをいってしまったようだ。
「まぁ、どうにもならなければわたしが一人で北の王の命をお守りしてもかまいませんよ」
シェイルの冗談のようなひとことにラヴォート殿下は異様なまでに顔色を変えた。
「どういう意味だ」
「そのままの意味です。観念してください。帝国はいつまでもロイの残党など恐れはしません」
ラヴォート殿下の瞳の力強い輝きが灯を落とすように消えた。それは深い悲しみをたたえているように見える。こんな表情を見せるのかとエリッツはあっけにとられ手をとめた。
「帰る」
勢いよく立ち上がり部屋を出ていこうとする殿下の背中にシェイルは静かに声をかける。
「まだご相談したいことが」
殿下は踵を返すと、シェイルに歩みよりその胸倉をつかんで強引に立たせた。椅子が倒れて、せまい部屋に大きな音が響く。
「追加で報告書をよこせ。それから附子は俺が手配する」
「生半可な小細工は通用しませんよ」
シェイルは至極冷静に返すが、背後に控えているダフィットの表情が悪鬼のごとく険しいものになっていることに気づきエリッツはおろおろと席を立つ。立ってしまってから所在がなくなりまた座る。
「わかっている」
しばらくシェイルをにらみつけていたラヴォート殿下は力なくそういうとシェイルを解放し、今度こそ部屋を出ていった。すぐにダフィットがシェイルにかけよる。
「お怪我はありませんでしたか。ここは後で別の者が片づけをしますので」
いいながら手早くシェイルの襟元を直した。まるで更衣を担う侍女のごとく確信に満ちた動作だ。そして深々と頭を下げると、慌てて殿下を追っていく。地下室の静寂をやぶる大きな足音が遠ざかっていった。
「予想通りの反応でしたが、これは難航しますね」
やけにのんびりとそうこぼす。
「なんであんなに北の王にこだわるんでしょう」
「やさしいんですよ。国を追われた者を見捨てることができないんです。陛下や高官たちは帝国ににらまれるのを恐れてロイの難民たちを排除しようとしていましたが、ラヴォート殿下の働きで居場所を与えられています。北の王がいなくなったとしてもロイの難民たちはラヴォート殿下についてレジスのために戦いますよ」
シェイルの口調からエリッツは自然とさとった。
「シェイルはロイから来たんですね」
それにはこたえずただ小さく微笑むとテーブルに広げた書類や荷物をまとめはじめる。
「殿下はエリッツのことも気にしていますよ」
「そうでしょうか。無視されているような気がしますけど」
なぜかシェイルは楽しそうに笑う。普段あまり感情を表情に出さない人なのにと、不思議な思いでその笑顔を見ていた。
「さて、まだまだ忙しくなります。思ったよりも話はできましたし、帰りましょうか」
「あれで、ですか」
「いきなり殴られて帰ることになると思っていましたから」
エリッツはラヴォート殿下のことがまだよくわからない。ただシェイルに「帰りましょうか」といわれたことがうれしくて仕方なかった。
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