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第一章 (仮)
第十四話 うさぎ
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あの祝賀会があった日からシェイルはやたらと忙しそうである。外出が増え、帰ってきたと思ったら部屋にこもりきりだ。
今朝もエリッツが目を覚ました時にはすでにシェイルが出かけた後だった。
いろいろと気まずいのであまり会わずに済むのはありがたいけれど、少しさみしい。ボードゲームをしたいし、またなでてほしいし。あの長い指が髪をそっとすいていく感触を思い出しエリッツはうっとりと目を閉じた。そして自身のくちびるにふれる。
あれはなんだったのか。びっくりしたが嫌ではなかった。むしろよかった。とても。
岩場は平和な水音と木漏れ日に満たされている。しかし読書はあまり進まない。心地よい眠気に思想はあちこちにとんだ。
そういえばあれからマリルもここに来ない。
たぶんエリッツの出自はあらかた二人にばれてしまったんだろう。いつまでも隠し通せるとは思わなかったが、ばれたらすぐに家に戻されるものと考えていたからいまだに何も言われない状況をどうとらえていいのかわからない。
そのとき泉の向こう側で草木が揺れる音がした。
うさぎである。
最近よく見かけるがエリッツが物音を立てるとすぐに走り去ってしまうので息を殺してうさぎを眺める。後ろ足で体を支え長い耳をぴくぴくとさせている。周りを警戒している様子だ。水を飲みに来るのだろうか。
「エリッツ、そこで何をしてるんですか」
「あ」
帰ってきたシェイルに突然声をかけられエリッツは思わず岩場に立ち上がる。その物音に驚いたのかうさぎは文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
「そこにうさぎがいたんですよ」
つい興奮したような声をあげてしまってすぐに恥ずかしくなる。シェイルの顔に濃い疲労の色が浮かんでいるのを見てしまったからだ。ごろごろしながらうさぎを眺めているくらいしかやることがないエリッツのことをどう思っているだろうか。
「うさぎが食べたいんですか」
明らかに疲れているだろうに嫌な顔一つせず、シェイルは岩場へとやってくる。
「え。うさぎを食べるんですか」
聞いたことはあるが基本的にこの辺りでは家畜の牛か鶏を食べている。「うさぎ」と聞いて即「食べる」という発想が浮かんでくるあたり文化の違いを感じた。エリッツは師の漆黒の瞳をじっと見つめる。誰も話題にしないが、この人はどこの生まれなのだろう。
「食べますか?」
「えーっと、いや、どうですかね」
そもそも食べること自体に興味がない。さすがに「うさぎがかわいそう」といい出すほど子供でもないが、わざわざ殺して食べたいとも思わなかった。
しかし別の意味では興味がある。
「つかまえられるんですか、うさぎ」
あんなに警戒心の強い動物をどうやってとらえるつもりなのだろうか。
「さっきまでそこにいたんですね」
エリッツが頷くとシェイルは一度家に入りすぐに戻ってきた。
持ち出してきたのは家の入口付近に立てかけてあった弓矢である。あの家はわけのわからないものがいろいろと置いてあるがその中でも目立っていた。しかしかなり原始的なつくりだ。その辺に生えていそうな木を削りだしたものに細い縄を張っただけの弓、そしてやはり同じような木を削って野鳥の羽らしきものをしばり付けた矢が三本。
「それでは無理じゃないですか」
「実際、使っていたものみたいなので大丈夫でしょう」
そういいながら岩場に座りこんで弓の具合を確認している。わりと本気でうさぎをとってくるつもりだ。
「誰が使っていたんですか、それ」
「あの家に前住んでいた人たちですよ」
「誰が住んでいたんですか」
シェイルは一度顔をあげてエリッツを見たが「うさぎが逃げてしまいます」といって立ちあがり森の奥へと入っていってしまった。
シェイルが戻ってきたのは日が暮れてからだった。
あんなに疲れた様子だったのに一刻以上も森の中でうさぎを追っているというのはどういう神経の持ち主なのだろうか。
しかもきちんとうさぎを一羽とってきていた。
「まだ生きているじゃないですか」
あの原始的な矢が頭につき刺さった状態のうさぎは時おり足をばたつかせている。遠目には小さな動物に見えたが目の前にすると思っていたよりも大きい。
「さすがにこれでは難しかったです。罠を仕掛けた方が効率よさそうですね」
薄暗い中でやはり家の中に無造作に置かれていたナイフを手にすると躊躇することなくうさぎの腹にさしこんだ。
「あ、ちょっ、ちょっと待ってくださいよ」
エリッツは思わず目を覆う。
うさぎの腹の中をかき回しているらしき音が続き、エリッツが薄目をあけて見てみるとうさぎはぱっくりと腹をあけられ中はすでに空っぽになっていた。
「誰かが食べるでしょう」
シェイルはそういうとうさぎの腹の中に入っていたであろう何かを薄闇の中に放り投げてから泉で空っぽのうさぎを洗いはじめる。手際がよすぎるのと薄暗いのとで何が何だかわからないうちに作業が進む。
「誰かって……」
「夜に鳴いてるじゃないですか」
「ああ、野犬か何かですかね」
そういえば、夜の森は案外騒がしい。鳥や何か得体のしれない動物が鳴いている。
丁寧に洗ったうさぎを今度は軒先に逆さまにつるす。
「これで何か作ってあげますよ」
シェイルは妙にうれしそうにナイフを使ってうさぎの毛皮をはがしはじめた。薄暗いとはいえこれもけっこう強烈な見た目で、エリッツはまたもや目を覆った。
「いい毛並みです。またとってきましょう。毛皮で冬に使うものを作っておけば暖かくすごせますよ」
当たり前のようにシェイルがそういうのでエリッツは思わず目を見開いた。そして半分だけ皮をはがされたうさぎを直視してしまう。
「冬になるまでいてもいいんですか」
シェイルは一瞬手をとめてエリッツを見た。だらりとうさぎの毛皮がたれさがって揺れている。
「冬になる前にどこかへ行くんですか」
小さく笑いながら作業を再開する。うさぎの皮は頭まできれいに取りはずされる。
「いや、あの、てっきり実家に戻されると思ってたんで」
「帰りたいなら送っていきます」
丸裸になったうさぎを手にシェイルは家の中に入っていき、かまどのある裏口のあたりにまたつるす。
「少し置いておかないとおいしくないんですよ」
エリッツはそこまで食欲が旺盛な方でもないのでむしろ安堵した。皮がはがされたうさぎは小さくなったように見えるが二人分の食事としては十分すぎるように見える。
今朝もエリッツが目を覚ました時にはすでにシェイルが出かけた後だった。
いろいろと気まずいのであまり会わずに済むのはありがたいけれど、少しさみしい。ボードゲームをしたいし、またなでてほしいし。あの長い指が髪をそっとすいていく感触を思い出しエリッツはうっとりと目を閉じた。そして自身のくちびるにふれる。
あれはなんだったのか。びっくりしたが嫌ではなかった。むしろよかった。とても。
岩場は平和な水音と木漏れ日に満たされている。しかし読書はあまり進まない。心地よい眠気に思想はあちこちにとんだ。
そういえばあれからマリルもここに来ない。
たぶんエリッツの出自はあらかた二人にばれてしまったんだろう。いつまでも隠し通せるとは思わなかったが、ばれたらすぐに家に戻されるものと考えていたからいまだに何も言われない状況をどうとらえていいのかわからない。
そのとき泉の向こう側で草木が揺れる音がした。
うさぎである。
最近よく見かけるがエリッツが物音を立てるとすぐに走り去ってしまうので息を殺してうさぎを眺める。後ろ足で体を支え長い耳をぴくぴくとさせている。周りを警戒している様子だ。水を飲みに来るのだろうか。
「エリッツ、そこで何をしてるんですか」
「あ」
帰ってきたシェイルに突然声をかけられエリッツは思わず岩場に立ち上がる。その物音に驚いたのかうさぎは文字通り脱兎のごとく逃げ出した。
「そこにうさぎがいたんですよ」
つい興奮したような声をあげてしまってすぐに恥ずかしくなる。シェイルの顔に濃い疲労の色が浮かんでいるのを見てしまったからだ。ごろごろしながらうさぎを眺めているくらいしかやることがないエリッツのことをどう思っているだろうか。
「うさぎが食べたいんですか」
明らかに疲れているだろうに嫌な顔一つせず、シェイルは岩場へとやってくる。
「え。うさぎを食べるんですか」
聞いたことはあるが基本的にこの辺りでは家畜の牛か鶏を食べている。「うさぎ」と聞いて即「食べる」という発想が浮かんでくるあたり文化の違いを感じた。エリッツは師の漆黒の瞳をじっと見つめる。誰も話題にしないが、この人はどこの生まれなのだろう。
「食べますか?」
「えーっと、いや、どうですかね」
そもそも食べること自体に興味がない。さすがに「うさぎがかわいそう」といい出すほど子供でもないが、わざわざ殺して食べたいとも思わなかった。
しかし別の意味では興味がある。
「つかまえられるんですか、うさぎ」
あんなに警戒心の強い動物をどうやってとらえるつもりなのだろうか。
「さっきまでそこにいたんですね」
エリッツが頷くとシェイルは一度家に入りすぐに戻ってきた。
持ち出してきたのは家の入口付近に立てかけてあった弓矢である。あの家はわけのわからないものがいろいろと置いてあるがその中でも目立っていた。しかしかなり原始的なつくりだ。その辺に生えていそうな木を削りだしたものに細い縄を張っただけの弓、そしてやはり同じような木を削って野鳥の羽らしきものをしばり付けた矢が三本。
「それでは無理じゃないですか」
「実際、使っていたものみたいなので大丈夫でしょう」
そういいながら岩場に座りこんで弓の具合を確認している。わりと本気でうさぎをとってくるつもりだ。
「誰が使っていたんですか、それ」
「あの家に前住んでいた人たちですよ」
「誰が住んでいたんですか」
シェイルは一度顔をあげてエリッツを見たが「うさぎが逃げてしまいます」といって立ちあがり森の奥へと入っていってしまった。
シェイルが戻ってきたのは日が暮れてからだった。
あんなに疲れた様子だったのに一刻以上も森の中でうさぎを追っているというのはどういう神経の持ち主なのだろうか。
しかもきちんとうさぎを一羽とってきていた。
「まだ生きているじゃないですか」
あの原始的な矢が頭につき刺さった状態のうさぎは時おり足をばたつかせている。遠目には小さな動物に見えたが目の前にすると思っていたよりも大きい。
「さすがにこれでは難しかったです。罠を仕掛けた方が効率よさそうですね」
薄暗い中でやはり家の中に無造作に置かれていたナイフを手にすると躊躇することなくうさぎの腹にさしこんだ。
「あ、ちょっ、ちょっと待ってくださいよ」
エリッツは思わず目を覆う。
うさぎの腹の中をかき回しているらしき音が続き、エリッツが薄目をあけて見てみるとうさぎはぱっくりと腹をあけられ中はすでに空っぽになっていた。
「誰かが食べるでしょう」
シェイルはそういうとうさぎの腹の中に入っていたであろう何かを薄闇の中に放り投げてから泉で空っぽのうさぎを洗いはじめる。手際がよすぎるのと薄暗いのとで何が何だかわからないうちに作業が進む。
「誰かって……」
「夜に鳴いてるじゃないですか」
「ああ、野犬か何かですかね」
そういえば、夜の森は案外騒がしい。鳥や何か得体のしれない動物が鳴いている。
丁寧に洗ったうさぎを今度は軒先に逆さまにつるす。
「これで何か作ってあげますよ」
シェイルは妙にうれしそうにナイフを使ってうさぎの毛皮をはがしはじめた。薄暗いとはいえこれもけっこう強烈な見た目で、エリッツはまたもや目を覆った。
「いい毛並みです。またとってきましょう。毛皮で冬に使うものを作っておけば暖かくすごせますよ」
当たり前のようにシェイルがそういうのでエリッツは思わず目を見開いた。そして半分だけ皮をはがされたうさぎを直視してしまう。
「冬になるまでいてもいいんですか」
シェイルは一瞬手をとめてエリッツを見た。だらりとうさぎの毛皮がたれさがって揺れている。
「冬になる前にどこかへ行くんですか」
小さく笑いながら作業を再開する。うさぎの皮は頭まできれいに取りはずされる。
「いや、あの、てっきり実家に戻されると思ってたんで」
「帰りたいなら送っていきます」
丸裸になったうさぎを手にシェイルは家の中に入っていき、かまどのある裏口のあたりにまたつるす。
「少し置いておかないとおいしくないんですよ」
エリッツはそこまで食欲が旺盛な方でもないのでむしろ安堵した。皮がはがされたうさぎは小さくなったように見えるが二人分の食事としては十分すぎるように見える。
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