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第一章 (仮)
第十一話 揚げ菓子
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「人違いの可能性があります」
「嘘だぁ」
マリルは大仰に驚いて見せる。
翌日の夕方、宣言通りマリルは遊びにやってきた。見回り夜勤明けにも関わらずいつも通り楽しそうである。底なしに見える体力が薄気味悪い。彼女の立場を考えるとなにも夜勤まで律義にこなさなくてもよさそうなものだが、現場には現場の事情があるのだろう。
「あのね、追加の報告もあるの。エリッツは軍部の名門グーデンバルドの末子に間違いないと私は確信してる。あの家が複雑過ぎてしかも末子の存在を隠そうとているものだからいろいろ時間がかかっちゃったよ。今のところ立場保留を宣言しているグーデンバルド家は調査対象外だし、利用できない情報に時間をかけるなんて。シェイルが弟子にして家に入れちゃうから仕事が増えちゃったじゃないの」
そう矢継ぎ早に言われるとシェイルは黙るしかないが、初めにエリッツを拾って押しつけてきたのはマリルの方だと訴えたところで話が長引くだけだろう。
「ゼインがオルティス家の方もばっちり調べてここにさらにエグい報告書があります。ちなみにオルティス家はグーデンバルド家末子の母親の実家。ここまで合ってるんだよ」
マリルは帆布の鞄からまたぐしゃぐしゃと分厚い書類の束を取りだす。
「この間よりも分厚いですね」
「読む?」
「……それは後にします」
マリルは書類の束を机に放ると、シェイルが淹れた紅茶を一口すする。今日はストレートだ。ブランデーがなくなっているのだから仕方ない。
「それで、何がひっかかってるの」
「そこまで合っているのなら特に気にするほどの問題でもないのかもしれません」
「あ、もしかして塩の揚げ菓子の」
「塩の?」
「精神的に不安定なのか栄養不足なのか知らないけど、グーデンバルド家末子の舌が麻痺してるっていうメイドたちの噂話でしょ」
「ええ、まぁ、その話ですけど、全然麻痺してなかったので治ってしまったのかもしれませんね」
「全然麻痺してなかった?」
「ええ、むしろ敏感なくらいで。大変なことになりました」
マリルは急に変な顔をした。
「シェイル、私があげたお菓子は?」
「ああ、それならここに」
書き物机の上に放ったままだった紙箱をマリルに渡す。
マリルは箱を開けて中身を確認するなりさらに変な顔をした。
「ちょっと食べてみてよ」
マリルはニヤニヤと笑いながらシェイルに紙箱を押しやる。言われるまま指先ほどのその菓子をひとつ取った。
芋の粉を練って油で固く揚げたもので本来なら高価な砂糖がたっぷりとまぶされた高級菓子のひとつである。わざわざ「塩の」とマリルが言うのだから砂糖ではなくて塩がまぶされているのだろう。
シェイルはおそるおそるそれを口に含む。
言葉がでないほどの強烈な塩味。こんなものを飲み込んでも大丈夫なのかと不安になるくらいだ。
「これは、体に毒じゃないですか」
マリルはニヤリと笑って紙箱を胸に抱くとシェイルの部屋をでる。
「早く、弟子を呼んで」
紅茶を淹れながらマリルは鼻歌まじりに指示を出す。
「仕事の話、終わったの?」
呼ぶ前にエリッツが使っている部屋の扉が開いた。大方聞き耳でも立てていたのだろう。出自がばれそうになっていることはさすがに感づいているはずだ。
「まだだけど、休憩。一緒におやつにしよう」
エリッツは気まずそうにちらりとシェイルを盗み見たがおとなしく椅子に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
マリルが紅茶と先ほどの紙箱をエリッツの前に置き、自身も空いている椅子に腰かける。それから何気ない様子で菓子をつまみ、おいしそうに咀嚼した。それにつられたのか、エリッツも紙箱の菓子に手を伸ばす。さほど食べ物に興味を示さない子だが、協調性はある。
シェイルは先ほどの塩気がいまだに口内を去らず、冷めかけた紅茶を一息に飲み干した。
「おいしい?」
マリルが笑顔で問いかけると、エリッツは小さくうなずいた。そして、さらに菓子に手を伸ばすのでシェイルは思わずその手をつかんだ。
「なんですか」
エリッツは心底驚いたような顔をしてシェイルを見る。それからなぜか自身の手をつかんでいるシェイルの手を見つめて顔を赤らめた。この子が人の手に執着する癖があるのは気づいていたが、あの強烈な塩味をなんとも思わないのか。
マリルはなぜかひたすらニヤニヤしながら二人を見ている。
「これ、おいしいんですか」
シェイルがきくと、一瞬不安げに目を泳がせ、ちらりとマリルを見た。視線を受けたマリルはまた菓子をつまんでにこりと微笑む。
「はい、ちょっと甘すぎるかもしれませんが」
麻痺している。
シェイルは頭を抱えた。
道理で食事のときに綿でも食べているような顔をしているわけだ。味がわからないのだ。
すべての情報が一致した。この子が軍部名門のグーデンバルド家末子、エリッツ・グーデンバルドで間違いない。
グーデンバルド家であれば、とりあえず現在のところ立場は中立。どこの誰に与すれば最大限の利を取れるか見定めている段階なのだろう。
ただ、ゼインの報告書を見る限り別の問題がある。当主とその息子たちは全員特殊な趣味をもっているのだ。つまり乱暴にいってしまえば一族郎等余さず変態である。
シェイルはじっと彼の手を見つめているエリッツを見た。
これも血筋なのか。
「嘘だぁ」
マリルは大仰に驚いて見せる。
翌日の夕方、宣言通りマリルは遊びにやってきた。見回り夜勤明けにも関わらずいつも通り楽しそうである。底なしに見える体力が薄気味悪い。彼女の立場を考えるとなにも夜勤まで律義にこなさなくてもよさそうなものだが、現場には現場の事情があるのだろう。
「あのね、追加の報告もあるの。エリッツは軍部の名門グーデンバルドの末子に間違いないと私は確信してる。あの家が複雑過ぎてしかも末子の存在を隠そうとているものだからいろいろ時間がかかっちゃったよ。今のところ立場保留を宣言しているグーデンバルド家は調査対象外だし、利用できない情報に時間をかけるなんて。シェイルが弟子にして家に入れちゃうから仕事が増えちゃったじゃないの」
そう矢継ぎ早に言われるとシェイルは黙るしかないが、初めにエリッツを拾って押しつけてきたのはマリルの方だと訴えたところで話が長引くだけだろう。
「ゼインがオルティス家の方もばっちり調べてここにさらにエグい報告書があります。ちなみにオルティス家はグーデンバルド家末子の母親の実家。ここまで合ってるんだよ」
マリルは帆布の鞄からまたぐしゃぐしゃと分厚い書類の束を取りだす。
「この間よりも分厚いですね」
「読む?」
「……それは後にします」
マリルは書類の束を机に放ると、シェイルが淹れた紅茶を一口すする。今日はストレートだ。ブランデーがなくなっているのだから仕方ない。
「それで、何がひっかかってるの」
「そこまで合っているのなら特に気にするほどの問題でもないのかもしれません」
「あ、もしかして塩の揚げ菓子の」
「塩の?」
「精神的に不安定なのか栄養不足なのか知らないけど、グーデンバルド家末子の舌が麻痺してるっていうメイドたちの噂話でしょ」
「ええ、まぁ、その話ですけど、全然麻痺してなかったので治ってしまったのかもしれませんね」
「全然麻痺してなかった?」
「ええ、むしろ敏感なくらいで。大変なことになりました」
マリルは急に変な顔をした。
「シェイル、私があげたお菓子は?」
「ああ、それならここに」
書き物机の上に放ったままだった紙箱をマリルに渡す。
マリルは箱を開けて中身を確認するなりさらに変な顔をした。
「ちょっと食べてみてよ」
マリルはニヤニヤと笑いながらシェイルに紙箱を押しやる。言われるまま指先ほどのその菓子をひとつ取った。
芋の粉を練って油で固く揚げたもので本来なら高価な砂糖がたっぷりとまぶされた高級菓子のひとつである。わざわざ「塩の」とマリルが言うのだから砂糖ではなくて塩がまぶされているのだろう。
シェイルはおそるおそるそれを口に含む。
言葉がでないほどの強烈な塩味。こんなものを飲み込んでも大丈夫なのかと不安になるくらいだ。
「これは、体に毒じゃないですか」
マリルはニヤリと笑って紙箱を胸に抱くとシェイルの部屋をでる。
「早く、弟子を呼んで」
紅茶を淹れながらマリルは鼻歌まじりに指示を出す。
「仕事の話、終わったの?」
呼ぶ前にエリッツが使っている部屋の扉が開いた。大方聞き耳でも立てていたのだろう。出自がばれそうになっていることはさすがに感づいているはずだ。
「まだだけど、休憩。一緒におやつにしよう」
エリッツは気まずそうにちらりとシェイルを盗み見たがおとなしく椅子に腰を下ろした。
「はい、どうぞ」
マリルが紅茶と先ほどの紙箱をエリッツの前に置き、自身も空いている椅子に腰かける。それから何気ない様子で菓子をつまみ、おいしそうに咀嚼した。それにつられたのか、エリッツも紙箱の菓子に手を伸ばす。さほど食べ物に興味を示さない子だが、協調性はある。
シェイルは先ほどの塩気がいまだに口内を去らず、冷めかけた紅茶を一息に飲み干した。
「おいしい?」
マリルが笑顔で問いかけると、エリッツは小さくうなずいた。そして、さらに菓子に手を伸ばすのでシェイルは思わずその手をつかんだ。
「なんですか」
エリッツは心底驚いたような顔をしてシェイルを見る。それからなぜか自身の手をつかんでいるシェイルの手を見つめて顔を赤らめた。この子が人の手に執着する癖があるのは気づいていたが、あの強烈な塩味をなんとも思わないのか。
マリルはなぜかひたすらニヤニヤしながら二人を見ている。
「これ、おいしいんですか」
シェイルがきくと、一瞬不安げに目を泳がせ、ちらりとマリルを見た。視線を受けたマリルはまた菓子をつまんでにこりと微笑む。
「はい、ちょっと甘すぎるかもしれませんが」
麻痺している。
シェイルは頭を抱えた。
道理で食事のときに綿でも食べているような顔をしているわけだ。味がわからないのだ。
すべての情報が一致した。この子が軍部名門のグーデンバルド家末子、エリッツ・グーデンバルドで間違いない。
グーデンバルド家であれば、とりあえず現在のところ立場は中立。どこの誰に与すれば最大限の利を取れるか見定めている段階なのだろう。
ただ、ゼインの報告書を見る限り別の問題がある。当主とその息子たちは全員特殊な趣味をもっているのだ。つまり乱暴にいってしまえば一族郎等余さず変態である。
シェイルはじっと彼の手を見つめているエリッツを見た。
これも血筋なのか。
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