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第3部
第25話「モナリザ本体をみつける顛末」
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ウェンディの診療所のベッドに朝日が差し込み、ルシアの肩を照らす。
長い睫毛の瞼が薄く開かれ、ヘイゼル色の瞳がぼくを視る。ルシアは裸で、腹部に大きく包帯が巻かれ、腕に点滴の管が通る。
ルシアは死にかけていたけれど、予告通りライラがリカ・アルダンのリビングに車で突っ込んできて、すぐに診療所に運び込んだ。ウェンディが培養槽を用意してくれて、培式バイオユニットで治療した。培式バイオユニットは本来こんなふうに外科治療に使われる。
「リオ、いま何時?」
「六時半だよ」
「ユリアは?」
ぼくは首を横にふる。
「エレナが一晩中泣いてた」
「モナリザは?」
「いま、ヴィクトールが通信ログをトレースしてる。本体をみつけられるかも」
ルシアが起き上がろうとするけど、ぼくはルシアの肩を抱く。
「いま動くと出血するから、もう少しじっとしてて」
「あたしたちを助けた男たちは?」
「あとで質問にはまとめて答えるよ。いまは休んで」
ルシアが仰向けになる。窓の外に顔を背ける。泣き出す。どういう意味の涙かわからない。
窓の外は霧が立ち込め、フォグランプを点けた車がバイパスを飛ぶ。向かいの建物が朝日の陰になって、キラキラ輝いている。
* * *
床を無数のケーブルが這う電脳室で、ゴーグルをかけたヴィクトールが上半身だけのモナリザをスキャナに吊り下げ、通信ログを調べる。
壁際のソファにハルトが寝そべり、ネオスポラを吹かす。円卓の椅子にボリスとベツが座って、ナースが淹れたコーヒーを飲む。さっきまでウェンディが治療費のことを話していたけれど、姿がみえない。
「ハルト、今までどこにいたの?」
車の中で訊けなかったことを質問する。
「マオ・リーライのところさ。警察が俺たちの治療をよりによってあの闇医者に委託したから、死んだことにしてもらえた。撃たれた傷を治療して、ずっと潜伏していたんだ。お前こそどこにいたんだ?」
マオ・リーライはハルトを匿っているなんてぼくに一言も言わなかった。狸オヤジめ。
「しばらくはエゼキエルのセーフハウスに……。警察が手配を解除してからレダの店にいました」
「オリオンは殺されたぜ」
「知ってます、ニュースで流れてたから」
ヴィクトールがゴーグルを外してぼくたちを振り返る。親指を立てる。
「みつけた?」ぼくとハルトが声を揃える。
「この女、トレース情報を食い荒らすノードを経由してたが、愛人の男とファックするときだけダイレクト接続してやがった。通信元は医療機器のIDだったが、販売数が少ないから追跡するのは難しく……」
「経緯はいいから、結果だけ教えてくれないか」とハルト。
「みつけたよ。ゲラルディーニ記念病院の元院長の自宅だ。特注の介護マシンから発信してるから、モナリザは寝たきりの老婆だぜ。急がなくても逃げやしねーよ」
ハルトがヴィクトールとマップ共有して、モーリス・ゲラルディーニの自宅を調べ始める。ぼくはモナリザにニアミスしていた。寝たきりでベッドに横たわる無力な老婆が、東部の災厄イスカリオテの総帥とは夢にも思わない。
ぼくはバイザーを脱いでベツに差し出す。
「ベツに貰ったバイザーを、フェオドラたちに取られたんだ。アムストラッドのバイザーって、どこで買えるの?」
「これは867か、安物だな。リオに渡したバイザーはPX9っていうガンナー用のレイヤードモデルだから、店では売ってないぜ」
「すごくいいバイザーだったんだね」
「もっといいやつがある」
ベツが足元のシールドケースを開く。見たこと無い形のバイザーがずらりと並ぶ。PX9にそっくりの銀色のバイザーを取り出して、ぼくに渡す。
「後継機種のPFUってやつだ、PX9と同等で、射撃制御と連動して学習するから、銃を撃てば撃つほど最適化して精度が上がる。三マイル以内の狙撃の危害警告もできるすぐれものだ」
「いくらですか?」
「欲しけりゃやるよ」
「マジで!?」
「お前の作戦で大金を稼いだんだ、俺からのささやかなプレゼントだよ」
「ありがとう、今度はこれがいいものだってハッキリわかるよ」
PFUをかけると即座に視界がひらけて、ぼくのプロファイルと一瞬で同期する。エッサールやコモドールのような無駄なスプラッシュロゴも読み込み待ちも無い質実剛健な実用バイザー。薄暗い部屋が明るくなる。
「リオ、お前も俺みたいに目ン玉入れ替えろよ。そうすりゃ奪われることもないぜ」とボリスが言う。
「それ、モテなくなりそうだからヤダ」
「てめー、レダの店でいい思いして調子のってんじゃねえよ」
ボリスがぼくの脚を蹴る。開きっぱなしのドアをウェンディがノックする。
「リオ、エレナが眼を覚ましたよ。傍にいてあげな」
* * *
大きな窓のついた授乳室、ソファの上でエレナがライラに抱かれていた。向かいのソファにメアが座って、両脚を抱える。
ぼくは部屋に入って、メアの隣に座る。エレナは窓際に置かれたユリアの遺灰が入った小瓶をみつめる。
学習施設にいた頃からずっと一緒だったユリアを失って、エレナは体の一部が欠けたような酷いショックを受けて、一時的に喋れなくなった。ライラがぼくを見上げて言う。
「この子、何も食べてないから、後で点滴打ってもらうよ」
「そうだね、ウェンディも心配してる」
「今夜は、どこに泊まる?」
「ルシアが動けないから、もう二晩はここに……」
「その方がいいか」とライラが天井を見上げる。
「モナリザがみつかったよ」
「どこ?」
「すぐ近くだよ。これから、ハルトたちと会いに行ってくる」
「あたしも行くよ」
「ライラはここにいて。メアとエレナと、ルシアを守って」
「一発殴ってやりたいよ」
「もっと酷い目に遭わせるよ」
ぼくは腰に下げたマチェーテの柄に手を乗せる。シュウレイの首を斬り落とした刃物で、その母親にも引導を渡す。ライラは二の句を継げない。五十年前の温室で育ったぼくは、時にとても残酷になる。
長い睫毛の瞼が薄く開かれ、ヘイゼル色の瞳がぼくを視る。ルシアは裸で、腹部に大きく包帯が巻かれ、腕に点滴の管が通る。
ルシアは死にかけていたけれど、予告通りライラがリカ・アルダンのリビングに車で突っ込んできて、すぐに診療所に運び込んだ。ウェンディが培養槽を用意してくれて、培式バイオユニットで治療した。培式バイオユニットは本来こんなふうに外科治療に使われる。
「リオ、いま何時?」
「六時半だよ」
「ユリアは?」
ぼくは首を横にふる。
「エレナが一晩中泣いてた」
「モナリザは?」
「いま、ヴィクトールが通信ログをトレースしてる。本体をみつけられるかも」
ルシアが起き上がろうとするけど、ぼくはルシアの肩を抱く。
「いま動くと出血するから、もう少しじっとしてて」
「あたしたちを助けた男たちは?」
「あとで質問にはまとめて答えるよ。いまは休んで」
ルシアが仰向けになる。窓の外に顔を背ける。泣き出す。どういう意味の涙かわからない。
窓の外は霧が立ち込め、フォグランプを点けた車がバイパスを飛ぶ。向かいの建物が朝日の陰になって、キラキラ輝いている。
* * *
床を無数のケーブルが這う電脳室で、ゴーグルをかけたヴィクトールが上半身だけのモナリザをスキャナに吊り下げ、通信ログを調べる。
壁際のソファにハルトが寝そべり、ネオスポラを吹かす。円卓の椅子にボリスとベツが座って、ナースが淹れたコーヒーを飲む。さっきまでウェンディが治療費のことを話していたけれど、姿がみえない。
「ハルト、今までどこにいたの?」
車の中で訊けなかったことを質問する。
「マオ・リーライのところさ。警察が俺たちの治療をよりによってあの闇医者に委託したから、死んだことにしてもらえた。撃たれた傷を治療して、ずっと潜伏していたんだ。お前こそどこにいたんだ?」
マオ・リーライはハルトを匿っているなんてぼくに一言も言わなかった。狸オヤジめ。
「しばらくはエゼキエルのセーフハウスに……。警察が手配を解除してからレダの店にいました」
「オリオンは殺されたぜ」
「知ってます、ニュースで流れてたから」
ヴィクトールがゴーグルを外してぼくたちを振り返る。親指を立てる。
「みつけた?」ぼくとハルトが声を揃える。
「この女、トレース情報を食い荒らすノードを経由してたが、愛人の男とファックするときだけダイレクト接続してやがった。通信元は医療機器のIDだったが、販売数が少ないから追跡するのは難しく……」
「経緯はいいから、結果だけ教えてくれないか」とハルト。
「みつけたよ。ゲラルディーニ記念病院の元院長の自宅だ。特注の介護マシンから発信してるから、モナリザは寝たきりの老婆だぜ。急がなくても逃げやしねーよ」
ハルトがヴィクトールとマップ共有して、モーリス・ゲラルディーニの自宅を調べ始める。ぼくはモナリザにニアミスしていた。寝たきりでベッドに横たわる無力な老婆が、東部の災厄イスカリオテの総帥とは夢にも思わない。
ぼくはバイザーを脱いでベツに差し出す。
「ベツに貰ったバイザーを、フェオドラたちに取られたんだ。アムストラッドのバイザーって、どこで買えるの?」
「これは867か、安物だな。リオに渡したバイザーはPX9っていうガンナー用のレイヤードモデルだから、店では売ってないぜ」
「すごくいいバイザーだったんだね」
「もっといいやつがある」
ベツが足元のシールドケースを開く。見たこと無い形のバイザーがずらりと並ぶ。PX9にそっくりの銀色のバイザーを取り出して、ぼくに渡す。
「後継機種のPFUってやつだ、PX9と同等で、射撃制御と連動して学習するから、銃を撃てば撃つほど最適化して精度が上がる。三マイル以内の狙撃の危害警告もできるすぐれものだ」
「いくらですか?」
「欲しけりゃやるよ」
「マジで!?」
「お前の作戦で大金を稼いだんだ、俺からのささやかなプレゼントだよ」
「ありがとう、今度はこれがいいものだってハッキリわかるよ」
PFUをかけると即座に視界がひらけて、ぼくのプロファイルと一瞬で同期する。エッサールやコモドールのような無駄なスプラッシュロゴも読み込み待ちも無い質実剛健な実用バイザー。薄暗い部屋が明るくなる。
「リオ、お前も俺みたいに目ン玉入れ替えろよ。そうすりゃ奪われることもないぜ」とボリスが言う。
「それ、モテなくなりそうだからヤダ」
「てめー、レダの店でいい思いして調子のってんじゃねえよ」
ボリスがぼくの脚を蹴る。開きっぱなしのドアをウェンディがノックする。
「リオ、エレナが眼を覚ましたよ。傍にいてあげな」
* * *
大きな窓のついた授乳室、ソファの上でエレナがライラに抱かれていた。向かいのソファにメアが座って、両脚を抱える。
ぼくは部屋に入って、メアの隣に座る。エレナは窓際に置かれたユリアの遺灰が入った小瓶をみつめる。
学習施設にいた頃からずっと一緒だったユリアを失って、エレナは体の一部が欠けたような酷いショックを受けて、一時的に喋れなくなった。ライラがぼくを見上げて言う。
「この子、何も食べてないから、後で点滴打ってもらうよ」
「そうだね、ウェンディも心配してる」
「今夜は、どこに泊まる?」
「ルシアが動けないから、もう二晩はここに……」
「その方がいいか」とライラが天井を見上げる。
「モナリザがみつかったよ」
「どこ?」
「すぐ近くだよ。これから、ハルトたちと会いに行ってくる」
「あたしも行くよ」
「ライラはここにいて。メアとエレナと、ルシアを守って」
「一発殴ってやりたいよ」
「もっと酷い目に遭わせるよ」
ぼくは腰に下げたマチェーテの柄に手を乗せる。シュウレイの首を斬り落とした刃物で、その母親にも引導を渡す。ライラは二の句を継げない。五十年前の温室で育ったぼくは、時にとても残酷になる。
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