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第2部
第35話「墓に花を供える顛末」
しおりを挟む 朝から雪が降っていた。
エゴタウンのユリシナ教会は針葉樹に囲まれたゴシック様式の荘厳な建物だった。墓地の入り口でグレーのトーガを着た人が雪かきをしている。ぼくとライラは凍てつく階段を上って、墓地の雪道を歩く。後ろから傘を差したユリアとエレナがついてくる。寒がりのジュリエとレピタはセーフハウスでセイラたちの子守。
墓石の多くがエジプトのアンクの形だった。ユリシナ教会の信徒でなくても、特別な信仰がなければ墓はだいたいこのデザインになる。白い墓石も敷地も雪に覆われ、ぼくはバイザーをかけてスキャンする。
「ねえ、ライラ。これからどうする? ルツもなくなっちゃったし」
「エゼキエルはあたしたちを囲っておきたいみたいよ。リオが一人で稼いでくれるし」
視界に検知アイコンが跳ねる。墓地のずっと端のほう。葉が落ちた広葉樹の根元に、灰色のアンクが雪を被っていた。
白鵬沙智の名前をみつける。サチは意外にも漢字の名前を持っていた。サチの顔立ちは無国籍だったけれど、日本人の名前をもっている人はルーツが日本人だ。
ぼくは墓に花を添えようとして、すでに献花されていることに気づく。雪を被った花は白いクレマチスだった。サチを抱かないと知ることができない花。ぼくは花束をその隣に供える。後ろで見ていたユリアとエレナが抱き合って鼻を啜る。ふたりとも泣いている。
この異世界で目覚めたぼくを救い出してくれたのはサチとハルトだった。
パンクでクールでボーイッシュなサチに、初めは女性としてではなく、頼れる兄か姉のような慕わしさを覚えた。キャンプで過ごしていた怠惰な日々にも、視界にサチが映るとなぜだか安堵した。わからないこと、しらないことはサチに相談した。いつもそこにいると思っていた。危ない仕事の最前線にいるハルトやベツ、ボリスは死に近しい存在だったけれど、サチにはそんな陰はなかった。サチが息を引き取るとき、最期になにを言いかけたのか、なんど考えてもわからない。
「皆様、ここは寒いです。教会へお入りください」
墓地の入り口を掃除していた灰色のトーガを着た男に声をかけられる。降り注ぐ雪はいつしか雨まじりになっていた。ぼくたちは促されるまま、ファサードから教会の中へ。身廊を歩いて祭壇の前の椅子に座る。灰色のトーガを脱いだ男は教会の祭服を着たマスターだった。暖かいお茶を出してくれる。ユリアたちはお礼を言う。ぼくは主祭壇の脇に置かれたピアノを指差す。
「これ、弾いてもいいですか?」
「どうぞ、最近はミサで弾いてくれる人もおりませんので」
ぼくは冷たい椅子に座り、鍵盤蓋を開ける。鍵盤は磨かれて、祭壇の光が映り込む。指先で鍵盤に触れ、音を鳴らす。聖堂によく響く音色。ヤン・ティルセンの、『もう一つの夏の童謡』を弾く。ライラがピアノの脇に立って、ぼくの手元を覗き込む。
「ピアノ、弾けるんだね」
「もう長いこと弾いてなかった」
「これ、聴いたことあるよ。古い映画の曲だね」
ユリアとエレナが祭壇を見上げる。短い曲が終わる。続けて、ピアノソナタ第十四番、月光を弾く。鳥栖山ホールで弾き損ねたバッハは指が忘れてしまった。ライラがぼくの肩に触れる。ぼくを背中から抱く。一瞬、打鍵が乱れる。
「ハルトは生きてるよ」とぼくが言う。
「……どうして?」
「わからない。でも、生きてる」
譜面台に映るライラの顔がネムにみえる。ネムは微笑んでいる。
エゴタウンのユリシナ教会は針葉樹に囲まれたゴシック様式の荘厳な建物だった。墓地の入り口でグレーのトーガを着た人が雪かきをしている。ぼくとライラは凍てつく階段を上って、墓地の雪道を歩く。後ろから傘を差したユリアとエレナがついてくる。寒がりのジュリエとレピタはセーフハウスでセイラたちの子守。
墓石の多くがエジプトのアンクの形だった。ユリシナ教会の信徒でなくても、特別な信仰がなければ墓はだいたいこのデザインになる。白い墓石も敷地も雪に覆われ、ぼくはバイザーをかけてスキャンする。
「ねえ、ライラ。これからどうする? ルツもなくなっちゃったし」
「エゼキエルはあたしたちを囲っておきたいみたいよ。リオが一人で稼いでくれるし」
視界に検知アイコンが跳ねる。墓地のずっと端のほう。葉が落ちた広葉樹の根元に、灰色のアンクが雪を被っていた。
白鵬沙智の名前をみつける。サチは意外にも漢字の名前を持っていた。サチの顔立ちは無国籍だったけれど、日本人の名前をもっている人はルーツが日本人だ。
ぼくは墓に花を添えようとして、すでに献花されていることに気づく。雪を被った花は白いクレマチスだった。サチを抱かないと知ることができない花。ぼくは花束をその隣に供える。後ろで見ていたユリアとエレナが抱き合って鼻を啜る。ふたりとも泣いている。
この異世界で目覚めたぼくを救い出してくれたのはサチとハルトだった。
パンクでクールでボーイッシュなサチに、初めは女性としてではなく、頼れる兄か姉のような慕わしさを覚えた。キャンプで過ごしていた怠惰な日々にも、視界にサチが映るとなぜだか安堵した。わからないこと、しらないことはサチに相談した。いつもそこにいると思っていた。危ない仕事の最前線にいるハルトやベツ、ボリスは死に近しい存在だったけれど、サチにはそんな陰はなかった。サチが息を引き取るとき、最期になにを言いかけたのか、なんど考えてもわからない。
「皆様、ここは寒いです。教会へお入りください」
墓地の入り口を掃除していた灰色のトーガを着た男に声をかけられる。降り注ぐ雪はいつしか雨まじりになっていた。ぼくたちは促されるまま、ファサードから教会の中へ。身廊を歩いて祭壇の前の椅子に座る。灰色のトーガを脱いだ男は教会の祭服を着たマスターだった。暖かいお茶を出してくれる。ユリアたちはお礼を言う。ぼくは主祭壇の脇に置かれたピアノを指差す。
「これ、弾いてもいいですか?」
「どうぞ、最近はミサで弾いてくれる人もおりませんので」
ぼくは冷たい椅子に座り、鍵盤蓋を開ける。鍵盤は磨かれて、祭壇の光が映り込む。指先で鍵盤に触れ、音を鳴らす。聖堂によく響く音色。ヤン・ティルセンの、『もう一つの夏の童謡』を弾く。ライラがピアノの脇に立って、ぼくの手元を覗き込む。
「ピアノ、弾けるんだね」
「もう長いこと弾いてなかった」
「これ、聴いたことあるよ。古い映画の曲だね」
ユリアとエレナが祭壇を見上げる。短い曲が終わる。続けて、ピアノソナタ第十四番、月光を弾く。鳥栖山ホールで弾き損ねたバッハは指が忘れてしまった。ライラがぼくの肩に触れる。ぼくを背中から抱く。一瞬、打鍵が乱れる。
「ハルトは生きてるよ」とぼくが言う。
「……どうして?」
「わからない。でも、生きてる」
譜面台に映るライラの顔がネムにみえる。ネムは微笑んでいる。
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