66 / 109
第2部
第26話「フラッドヒートしたライラを奇跡的に救う顛末」
しおりを挟む
ぼくはシュウレイの首をぶら下げ、ライラの身体を担いで走る。装甲車にライラを乗せる。ウェンディが受け止めて後部座席に寝かせる。ぼくたちも乗り込む。ボリスが乱暴に車を急発進させる。
病院から見える市街地は、駅の方までたくさんの炎が輝き、上空に銃や大砲を撃つ音が響き渡る。横転した車の上にのぼって飛び跳ねる若者たちが、花火を打ち上げる。生誕祭の祝祭とは違う、途轍もない熱狂が街を覆う。
「首を寄越しな」
ウェンディがぼくからシュウレイの首をひったくって、炊飯器のような金属ケースの蓋を開く。青いドロッとした液体がぶくぶくと循環していて、その中にシュウレイの首を漬ける。蓋を閉めると青く発光する。
ライラが座席の上で目を見開いたまま、短く浅く呼吸をしていて、滝のように汗を流す。呼びかけに答えない。仰け反って痙攣し始める。
「ウェンディ、ライラが……」
「プロミスキャスモードだね。ハルト、睡眠薬あるかい?」とウェンディがハルトを振り返る。
「セーフハウスになら売るほどあるぜ」
「この子、死んじまうよ」
「いまねーよ」
ぼくはライラの手を握る。ライラが握り返す。呼吸の間隔がだんだん広くなる。
「何が起きてるんですか?」
「この子、ロ式だろ。睡眠薬も持たずにブレインハックしたら、フラッドヒートするよ。脳が燃えちゃうよ」
ぼくはハっとして、パンツのポケットに手を入れる。ひんやりした睡眠薬のアンプルが手に触れる。取り出す。よかった、割れてない。
「貸しな」
ウェンディがアンプルをひったくって、ライラの後頭部に挿入する。ライラが深い息を吐いて、真っ赤に輝く瞳の色がだんだんと落ち着く。額に張り付いた髪を指で掻き上げると、ライラがぼくをみる。
「なんで睡眠薬持ってるの?」とライラが訊く。
「ぼく、市民なんだ」
「自分用じゃない……」
「うん、忘れてた。使わなくてよかった」
そう言って、ライラを抱きしめる。ライラがぼくの頭を撫でる。
* * *
通りに積み上げられたタイヤに火が着けられ、壊れた車を積み上げたバリケードの前にASR25ライフルを持ったゲリラ兵が立ち、側道の入り口で交通規制を敷く。
ぼくたちは混乱を迂回して、南側の住宅街を抜けてヒバリーヒルへ戻る。ANP通信はゲリラの大規模な武装蜂起を報じている。西部のフェオドラのゲリラだけでなく、いくつかの小規模な反政府組織がセクター内で同時に攻撃を開始した。生誕祭のお祭り騒ぎに乗じて無関係な自由民が略奪に走り、市民たちの自警団と銃撃戦を繰り広げ、装甲車でなければ標的になっていたかもしれない。
「こいつの電脳は生きてるよ、ヴィクトール」とウェンディがハイバネータを叩く。
「つないでいいか、今のうち必要な情報引き出しておく」
「オンラインにするなよ」
ヴィクトールがハイバネータに端末をつなぐ。シュウレイを電脳ゾンビにして、つながっている情報をコピーする。装甲車が農道に入るとひどく揺れる。ウエンディがライラの有線端子に小型の機器を接続する。ライラは赤い唇を開いたまま、眼を閉じる。
「ちょっと休ませるよ」とウェンディ。
「ライラは大丈夫ですか?」
「ブレインハックって電脳がバキバキに痛むから、数日は安静にさせな。バイザー与えるんじゃないよ」
ハルトが振り返る。眼の描かれたふざけたバイザーを頭に上げる。
「リオ、危なかったな」
「ライラに救われました」
「ゲリラどもが暴れ始めて、病院を張ってる連中が浮足立ってたから、お前を心配して飛び出していっちまった。一応止めたんだぜ」
「そうなんですか」
「いい女じゃねーか、ネムに似て」
ロ式はオンラインで通信中の他人の電脳を乗っ取るオーバーライド、あるいはブレインハックという機能を持っている。ブレインハックのためには自分の電脳をプロミスキャスモードに切り替え、自分を経由するすべての通信を受信する状態にしなければならない。それは重度の電脳過敏症に陥ることを意味し、過大な情報と通信の洪水を無防備に受け止めると、電脳が物理的に焼けるという恐ろしい結果をもたらす。
プロミスキャスモードを切るには、電脳睡眠薬が必要になる。そもそも、睡眠薬は電脳過敏症の治療薬だ。
ライラは、電脳が焼けることを覚悟して、睡眠薬も持たずにぼくを助けた。ぼくはハルトから貰った睡眠薬をポケットに入れていて、すっかり存在を忘れていた。様々な偶然と必然の積み重ねで、ぼくとライラは生き延びた。
五十年後の東京という異世界は、実力だけでは生き残れない。いまは、ライラに感謝して、回復を祈るしか無い。
病院から見える市街地は、駅の方までたくさんの炎が輝き、上空に銃や大砲を撃つ音が響き渡る。横転した車の上にのぼって飛び跳ねる若者たちが、花火を打ち上げる。生誕祭の祝祭とは違う、途轍もない熱狂が街を覆う。
「首を寄越しな」
ウェンディがぼくからシュウレイの首をひったくって、炊飯器のような金属ケースの蓋を開く。青いドロッとした液体がぶくぶくと循環していて、その中にシュウレイの首を漬ける。蓋を閉めると青く発光する。
ライラが座席の上で目を見開いたまま、短く浅く呼吸をしていて、滝のように汗を流す。呼びかけに答えない。仰け反って痙攣し始める。
「ウェンディ、ライラが……」
「プロミスキャスモードだね。ハルト、睡眠薬あるかい?」とウェンディがハルトを振り返る。
「セーフハウスになら売るほどあるぜ」
「この子、死んじまうよ」
「いまねーよ」
ぼくはライラの手を握る。ライラが握り返す。呼吸の間隔がだんだん広くなる。
「何が起きてるんですか?」
「この子、ロ式だろ。睡眠薬も持たずにブレインハックしたら、フラッドヒートするよ。脳が燃えちゃうよ」
ぼくはハっとして、パンツのポケットに手を入れる。ひんやりした睡眠薬のアンプルが手に触れる。取り出す。よかった、割れてない。
「貸しな」
ウェンディがアンプルをひったくって、ライラの後頭部に挿入する。ライラが深い息を吐いて、真っ赤に輝く瞳の色がだんだんと落ち着く。額に張り付いた髪を指で掻き上げると、ライラがぼくをみる。
「なんで睡眠薬持ってるの?」とライラが訊く。
「ぼく、市民なんだ」
「自分用じゃない……」
「うん、忘れてた。使わなくてよかった」
そう言って、ライラを抱きしめる。ライラがぼくの頭を撫でる。
* * *
通りに積み上げられたタイヤに火が着けられ、壊れた車を積み上げたバリケードの前にASR25ライフルを持ったゲリラ兵が立ち、側道の入り口で交通規制を敷く。
ぼくたちは混乱を迂回して、南側の住宅街を抜けてヒバリーヒルへ戻る。ANP通信はゲリラの大規模な武装蜂起を報じている。西部のフェオドラのゲリラだけでなく、いくつかの小規模な反政府組織がセクター内で同時に攻撃を開始した。生誕祭のお祭り騒ぎに乗じて無関係な自由民が略奪に走り、市民たちの自警団と銃撃戦を繰り広げ、装甲車でなければ標的になっていたかもしれない。
「こいつの電脳は生きてるよ、ヴィクトール」とウェンディがハイバネータを叩く。
「つないでいいか、今のうち必要な情報引き出しておく」
「オンラインにするなよ」
ヴィクトールがハイバネータに端末をつなぐ。シュウレイを電脳ゾンビにして、つながっている情報をコピーする。装甲車が農道に入るとひどく揺れる。ウエンディがライラの有線端子に小型の機器を接続する。ライラは赤い唇を開いたまま、眼を閉じる。
「ちょっと休ませるよ」とウェンディ。
「ライラは大丈夫ですか?」
「ブレインハックって電脳がバキバキに痛むから、数日は安静にさせな。バイザー与えるんじゃないよ」
ハルトが振り返る。眼の描かれたふざけたバイザーを頭に上げる。
「リオ、危なかったな」
「ライラに救われました」
「ゲリラどもが暴れ始めて、病院を張ってる連中が浮足立ってたから、お前を心配して飛び出していっちまった。一応止めたんだぜ」
「そうなんですか」
「いい女じゃねーか、ネムに似て」
ロ式はオンラインで通信中の他人の電脳を乗っ取るオーバーライド、あるいはブレインハックという機能を持っている。ブレインハックのためには自分の電脳をプロミスキャスモードに切り替え、自分を経由するすべての通信を受信する状態にしなければならない。それは重度の電脳過敏症に陥ることを意味し、過大な情報と通信の洪水を無防備に受け止めると、電脳が物理的に焼けるという恐ろしい結果をもたらす。
プロミスキャスモードを切るには、電脳睡眠薬が必要になる。そもそも、睡眠薬は電脳過敏症の治療薬だ。
ライラは、電脳が焼けることを覚悟して、睡眠薬も持たずにぼくを助けた。ぼくはハルトから貰った睡眠薬をポケットに入れていて、すっかり存在を忘れていた。様々な偶然と必然の積み重ねで、ぼくとライラは生き延びた。
五十年後の東京という異世界は、実力だけでは生き残れない。いまは、ライラに感謝して、回復を祈るしか無い。
0
お気に入りに追加
63
あなたにおすすめの小説

高身長お姉さん達に囲まれてると思ったらここは貞操逆転世界でした。〜どうやら元の世界には帰れないので、今を謳歌しようと思います〜
水国 水
恋愛
ある日、阿宮 海(あみや かい)はバイト先から自転車で家へ帰っていた。
その時、快晴で雲一つ無い空が急変し、突如、周囲に濃い霧に包まれる。
危険を感じた阿宮は自転車を押して帰ることにした。そして徒歩で歩き、喉も乾いてきた時、運良く喫茶店の看板を発見する。
彼は霧が晴れるまでそこで休憩しようと思い、扉を開く。そこには女性の店員が一人居るだけだった。
初めは男装だと考えていた女性の店員、阿宮と会話していくうちに彼が男性だということに気がついた。そして同時に阿宮も世界の常識がおかしいことに気がつく。
そして話していくうちに貞操逆転世界へ転移してしまったことを知る。
警察へ連れて行かれ、戸籍がないことも発覚し、家もない状況。先が不安ではあるが、戻れないだろうと考え新たな世界で生きていくことを決意した。
これはひょんなことから貞操逆転世界に転移してしまった阿宮が高身長女子と関わり、関係を深めながら貞操逆転世界を謳歌する話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる